彼女は裏切られる
クロックポジション
それは時間を表す何らかではなく、方向を示すためのものだ。進行方向、あるいは正面を零時、真後ろを六時とし、足元に時計が置かれているかのように右側を一時、二時、左側を十一時、十時と表現する。船乗りなどが方角に関係せずさしあたっての方向を表す時に使う。
アドミナの不正はこれを利用したものだ。
十三は一と同一と考え、その札に記されている数字によって組みになる札がわかるようになっているのだ。この時、スペードから見てクラブ、ダイヤから見てハートがその方向にある。例えばクラブの三ならば、その札の三時の方向にある最も近い札がスペードの三であり、ハートの十ならば、ダイヤの十から見て十時の方向にその札があるはずなので、四時の方向の最も近い一枚が当たりだ。
場に置かれている全ての札がその法則に従っている。
「……それは」
レアは息を飲む。それはまさしく、ほとんど勝ち目のない勝負だった。だが、しかしそれ以上に……
「ナターシャ先輩は義母さんと繋がっていたということですか?」
その事実が、レアから冷静さを奪う。
この不正は、札が並べられたその瞬間から始まっている。その時点において、札に触れている人間はたった一人しかいないのだとすれば、答えはごく簡単に見えてくるだろう。
ディーラー
それ以外にそんなことができる者は一人もいない。つまりは代表会四位ナターシャ・ステン・ハングその人が、まさか代表会に仇を成したと言うことだ。彼女ならば、何食わぬ顔で魔力の目印だろうと何だろうとできただろう。
「鋭いね」
アドミナのその言葉は、レアに大きな威圧感を思わせた。遥かな高みから見下して放たれる言葉に、今日もまた勝てなかったのだと実感させられたのだ。何せ「鋭い」と言いはするものの、その場にいる全員が気付いていることをわかっているのだから。
「ナターシャ! これはどう言うことだ!」
ヴェルガンダが、半ば叫ぶようにして言った。口には出さないが、シスとアルテアも同様の心持ちらしく、まっすぐとナターシャを見つめている。
「いやぁ、どうって言われてもね……」
「簡単だよ、彼女は私からの使者だったと言う、それだけの事さ」
現在世間で一目置かれているアドミナ・スピエルには、実は何人かの弟子が存在している。弟子同士による繋がりはなく、アドミナはそのことをほとんど語らないためにレアですらその存在については詳しくないのだが、ナターシャはその秘密師弟のうちの一人だったのだ。
「そんな……いや、まさかですよ」
シスの表情からは動揺が見て取れる。普段何事にも冷静な彼女のその様子に、レアは少しばかり驚いた。
「そんな都合良く、貴女の手の者が学園に入り込んでいたと? それとも、初めからレアさんを陥れるつもりで入り込ませていたと? そんなことを言うつもりじゃあありませんよね?」
「ああ、それこそまさかだ。勿論そんなはずはない」
アドミナは笑顔で返す。
「大した事じゃあないよ。レアが入る学園にナターシャがいた訳ではなくて、レアを入学させるにあたって、ナターシャがいる学園を選んだんだよ」
レアの身近にナターシャがいたのは、決して天文学的な偶然でも超人的な未来予測でもない。単に間接的にでも自分の目のある場所に置いておきたいという、若干の過保護の賜物だったのだ。結果は言うなれば必然。ナターシャが近くにいることなど当然だ。初めからそのつもりだったのだから。
「まあ、代表会に入っていたのは驚いたけれどね」
たったそれだけが、アドミナが予想だにしていない事であった。「レアをよろしく」と声をかけられたナターシャが、気をきかせるつもりで行ったお節介だ。
「……どうでも良いさ」
ようやく垂らしていた首を持ち上げたアルテアからは、いつもの「代表会の頭脳」と呼ばれている頼もしさを感じない。アドミナに敗北してしまった今この時からの対抗戦への対策が、全く思い浮かばないのだ。
「しゃんとしろ、アルテア。今最もそうしなくてはならないのはお前だと思うがね?」
ヴェルガンダ——今この場で最も楽観的な男——の言葉だ。もしアルテアがあとほんの少しでも気を取り直していたならば、大声で怒鳴りつけながら七等級相当の魔法をしこたま打ち込んでいたことだろう。
「……そうだな」
おざなりではあるが、そんな当たり障りない返事を返せたのは、どうしたものかと気を滅入らせていたからに他ならない。
「いやさ……所で」
アドミナが発言する。そのまま解散の流れになどしてたまるかと言うように声を出し、その場に注目を我が物とする。レアとしては望ましくないことだ。
「レアには私からのお願いを聞いてもらうからね?」
何のことかと、とぼけられたならどれほど良いだろうか。初めからその約束なのはこの場はもちろん、追い返した多くの観客すらも承知のことであるためにそうはいかない。
「……何ですか? 今日は」
恐る恐るレアは訊ねる。アドミナの「お願い」は、常にレアな想像だにしないことだ。これから対抗戦の対策もならなくてはいけないと言う中で、時間のかかるようなことは勘弁願いたい、と言うのがレアの本心だ。
断ることはできない。だから、どうかまだ「マシ」なものをと願う。
そしてアドミナの要求は、やはりレアが思いもよらないものであった。
「対抗戦で勝利する事」
「……は?」
その声は、その場にいるほとんど全員から発せられた。
「魔導具を貸して欲しいっていうんなら、その通りにしよう。もちろんね」
「分かりました」
ただ一人、レアだけがまともな反応を返す。弟子であるナターシャですら、ぽかんとして頭の上に疑問符を浮かべている。
「だったら今までの事はなんだったんだ!」
そう叫ぶアルテアの顔は、頼りなく眉間に眉がよっている。それは確かに当然の疑問であり、かつてレアも何度も同じことを言った。
「理屈で義母さんは動きませんよ。理とか、義とか、そんなことよりも興味や気分を優先するような人です」
「私のレアはよく分かっているね。久々に娘と遊びたいと考える母親がそんなに珍しいかい?」
そもそも、レアを拾ったこと自体が気まぐれの類だ。目に付いた小汚い小娘に魔法の才能を見出したからと言って、まさか面白半分で養女にする人間はそういない。しかも後から見ればその才能は全くの勘違いで、そうでなかったとしてもアドミナはその時点で宿屋暮らしの無職なのだから尚更だ。
そんなアドミナだ。無意味な勝負くらいなら、だんだんと驚かなくなってしまう。
「対抗戦っていつやるの?」
「へ? あ、半月後です」
シスが似合わない間の抜けた声を出す。その言葉の意味を理解できなかったからだ。
「じゃあ私もそれまでこの街にいようかな」
「……何故か聞いても?」
アルテアが問いかける。それが何のためなのか理解できなかったからだ。
「だってその方が都合がいいもん」
「どういう事だろうか?」
ヴェルガンダが首をかしげる。それが何のことなのか理解できなかったからだ。
「貸せる知恵もあるだろうって、そう思ったからさ」
その場にいる全員が驚愕する。面白半分で、たったそれだけで学園行事に介入しようとしているのだ。
「いや、外部の方に手を貸してもらうのは……」
シスが遠慮がちに声を出す。教師ですら口出しを控える対抗戦において、まさかアドミナに助力を願うわけにはいかない。代表会全員が魔術技師というわけではないという関係上、他者から魔導具を購入、あるいは借りることはよく行われるが、あるいは作戦、あるいは使用魔術、あるいは戦術などを外部の知恵に頼ってしまうと、そもそもからしてそれが生徒の力とは言えないだろうと考えられているからだ。魔術師間におけるその常識は、当然代表会員の中にも存在する。
「どーせ言わなきゃ分かんないでしょ」
そんな風に楽観できる人間は、その場にアドミナしかにないのだ。しかし、彼女を正論で説き伏せることなどできるだろうか?
否であると、レアは断じる。なのでこう言うのだ。
「私に任せて下さい」
すると
「ほぉう……レア、何か考えがあるんだね?」
と、こうなる。
養女という立場から見て、アドミナは親馬鹿である。レアの自信を持った発言を、彼女は無視などしないのだ。
「信じてください」
上目遣いで、口角を若干あげ、まるで妓女が客にそうする様に、レアは精一杯の愛想を振りまく。我ながら馬鹿馬鹿しいと羞恥を覚えるが、アドミナには効果的だった様だ。
「まあ、レアがそういうなら仕方ないね!」
周りがレアの挙動に困惑する中、アドミナだけが上機嫌であった。
結局彼女は対抗戦に対して一切の口出しをせず、愛娘の言うままに様々な魔導具を提供することになった。
「傷や汚れは見逃すけれど、機能に影響が出る様な破損が生じた場合には弁償してもらうから気を付けてね!」
それは入学前、レアに魔導具を貸しあたえた際の言葉と同じだ。そしてやはりその時と同じく、アドミナはこれでもかと言うほどの笑顔だ。
レアはその日の夜に、義母に対して行った媚びるような行為を思い出しながら、声にならない絶叫を上げた。
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