彼女はめくる
先行は、公正なじゃんけんの結果レアが行うこととなった。
まずは一枚目、これはハートの3。ダイヤの3が一組となる。のこり五十一枚の中からそれを引き当てることはよっぽどの幸運であり、実際にレアはスペードのJを引いて手番終了。
そしてアドミナの第一番。開かれたのはハートの7。当たりはダイヤの7のみだ。レアが開示した二枚はハズレであることがわかっているので、四十九枚の中に一枚だけ当たりが隠されていることになる。四十九分の一。それは決して、非現実的な確率ではない。二%以上だ。決して起こりえないような、天文学的数字というわけではない。なのでヴェルガンダを筆頭に、その場に集まる野次馬は身構えた。驚異的幸運ならば負けかねないのだから。
結論から言えば、それは全くの杞憂に終わる。しかし、緊張が解けると同時に、彼らは困惑を味わった。なぜアドミナはハートの3をめくっているのか、全く意図が掴めなかったのだ。それはたった今レアがめくった一枚であり、決して当たるはずの無い物なのだから。
しかし、その不可解な行動はアドミナだけのものではない。次の手順、スペードのKをめくったレアも、同じようにハートの3をめくる。
しかしその場で唯一アルテアだけは、その行為の意味に気がついていた。これは牽制なのだと、はっきりと。
未開の札をめくる行為は、たしかに少ない確率にかける挑戦的な行為だ。そして、もし外れていてもその札が何の数字なのか知ることができる。
この「知ること」が鍵だ。
自らが知るということは、つまり相手にも知られてしまうということに他ならない。特に、その場合は自分の手番が終わってしまうのだから、相手により多く情報を渡した状態で手番が回ってしまうのだ。いくら未開の札を判明させたとしても、その情報を活用できるのは次の自分の番からなので、相手は常に自分より多くの情報を持って行動していることと同じというわけだ。
二人はこれを防ぐため、あえて既開の札をめくっていたのだ。相手に与える情報を少しでも少なくするために。
その二人の行為ゆえか、何も起こらない勝負がさらに二巡。先制したのはレアの方だった。
めくられたのはクラブのJ。一巡目のレアが引いた札である。
「…………」
その時、ざわざわと口々に話をしている野次馬の中から声が聞こえた。人の声の中に混ざる人の声という、聴力が優れたレア以外では聞き取ることはおろか気づくことすら難しいそれこそが、代表会が用意した不正の正体である。
五十二枚の札を一枚ずつ、五十二人で覚える。
一人で五十二枚を覚えることは困難でも、たった一枚を覚えることくらいならわけはない。
卓上をよく見ればわかることだが、広げられた札は何の法則性もなく置かれているわけではない。歪でわかりづらく崩されてはいるが、実際には8×6四角形に並べられており、余りの4がごく自然に一列ずつに追加されている。つまり上四段は七枚、下四段は六枚という風に。
これの一番右上の一枚を「1の1」とし、左に向かって「1の2」「1の3」という風に呼ぶ。そして二段目も同様に一番右の札から「2の1」「2の2」。これを場所の名前として考え、野次馬一人一人はその担当の場所一枚のみを覚える。そして自分が覚えている札との当たりをレアが引いた時、その自分の場所の名前を言うのだ。
スペードのJに関してはレアも忘れてはいなかったが、少なくとも用意した不正が有効に働いていることは確認できた。これにより、レアは実質全ての札の位置を決して忘れない記憶力を持っていることと同義だ。確実ではないまでも、概ね勝利できるだろう。
レアはスペードのJをめくり、その一組を完成させる。
神経衰弱は当たりが出たら、その手番を続行することができる。なので続いてレアの番だ。
無言、終始無言。
レアは二度目の組みを揃えることができなかったが、それに対して特に悔しがるでもなく札を元の通りに戻す。
言葉を発するのは周りにいる者だけで、実際に勝負をしている二人は全く一言も話さない。これは二人の常であり、言葉を有しなければ成立しないもの以外では当たり前の光景なのだが、それを知らない周りはその一見して重々しい雰囲気に飲まれそうとなっていた。
ただ順番に札をめくるだけの遊びなのだが、その名前の通り神経を衰弱させているような、そんな錯覚を感じていた。
その静かな雰囲気を察するかのように、勝負は緩やかな進行をしていた。
既開の札が全体の三分の一を超えてなお、お互いの手持ち札は合わせても十枚ほどだ。内分けとしては四枚差でレアの優勢ではあるが、これは稀に見る泥仕合いというやつだった。
だが、それもほんの数分後には終わる。
「……さてと」
勝負開始からほとんど声を出さなかったアドミナが、自分の手番を終えたその時に待ったをかけたのだ。
「先ずは話を聞いてよ」
その言葉を、レアは無視することができなかった。
いや、その場の誰もが何事なのかと身構えていた。アドミナが油断ならないことは、事前にレアからよく聞かされていたからだ。
「現在卓上に残っている札はちょうど四十枚。その中の十四枚が開かれているが、場所はまばらで私はもういくつかを忘れてしまった」
アドミナは卓上を指差す。確かに、レアは特に何らかの法則性を持って札めくっていた訳ではないので、既開札の位置に特徴的な規則は存在しない。レアの記憶では、恐らくはアドミナもそうだったろうと思う。
「私が手に入れる事が出来たのはたったの二組、枚数にして四枚だ。対してレア、貴女は八枚。その差を四枚と断じる事は簡単だけれど、実際には倍の差があると言うのは無視できない事実だ」
アドミナは自分がとったその二組を周りに見えるように掲げる。赤のQと赤の3が揃えられている。
早くも
レアは焦る。それが思ったよりも早かったからだ。
アドミナの話は続く。
「私が見る限り、レア、貴女はここまで一度の失敗もなく正解を引き続けているね?」
「……それが何か?」
全く、レアの表情は崩れない。声にも、発汗にも、その心情に影響された反応は一切見られない。しかし、引き取られてから五年間も一緒に暮らしてきたアドミナ・スピエルに対してですら、それは変わらないのだろうか?
「神経衰弱にはコツがあってですね。覚える札を絞るんですよ。私の記憶力では全部覚えるなんて到底できないので、覚えられるだけしか覚えないんです」
しゃあしゃあと全くのデタラメを言う様は、とてもではないが嘘には見えない。いつもと違う様子は微塵もなく、普段通りの鉄面皮である。
「ヤマが当たって幸運でした」
もしこれが全く初対面の相手だったなら、あるいは言いくるめられていたかもしれない。
現在場に残っている四十枚の札のうち、既開札の枚数は十四枚。まだまだ三分の一を超えた程度でしかないが、すでに二人が取った札を合わせて考えた場合は、五十二分の二十六でぴったり半分となる。つまり、半分もめくっていて、その中でたった八枚しか取ることができていないのだ。ヤマが当たったとは言うが、実際のところレアの想定よりもよっぽど運が悪い状況となっている。加えて、まだまだ序盤であり、その二倍と言う枚数差は充分に巻き返せる範囲内だ。それを合わせると、そう言うこともあるかと考えを改める者も多かっただろう。
だが、相手はレアをよく知るアドミナ・スピエルである。まさか単純に言いくるめられてしまうとは、言い訳をしたレア本人ですら思っていない。
「ヤマぁ?」
アドミナは口元に微笑を浮かべる。確実に、疑うどころか確信しているのだ。レアが不正を働いているのを。
それでもレアはとぼけ続ける。何一つ、アドミナに情報を与えるつもりなどなかった。むしろそのまま疑いをかけられたまま、なあなあで勝負を続ける腹づもりであった。
しかしそれは、甘い考えであったと言わざるを得ない。
「ギャラリーには御退場願えるかしら?」
レアは動揺する。その言葉は、レアの不正を正確に把握していなければ発せられないものだったからだ。
「……なぜです?」
まだとぼけるも、それが無意味であることは知っている。しかし、たとえ振りでも平然とせざるを得なかった。
「だって、こんな大人数に加担されてたら、流石の私もそうそう勝てはしないだろうからね」
確信。一体どうやったのか不明ではあるが、アドミナはレアの不正に気がついている。いや、もはや知っていると言うべきなのかもしれない。仕込みも、細かな内容も、その全容を細部に至るまで全てだ。
「……何のことかわかりませんが、どうしてもと言うのなら仕方がないですね」
不正について全く言及しないのは、言質を取られないためだ。レアはあくまで「不正はしていなかった」というていで勝負を進行する。
「……聞いた通りだ。悪いが皆んな、部屋を出てもらえるか?」
それを察したヴェルガンダとアルテアが、このためにわざわざ集まってくれた生徒達を丁寧な対応で部屋から追い出す。こんなことにいちいち不平不満を言うような者はただの一人もいなかった。最後に部屋を出たライラとリリアが、レアに心配そうな視線をよこす。
「さあ、再開しよ」
楽しげに、アドミナは言う。しかし、レアは考えなくてはならなかった。
一体どうすれば勝てるのか、その明確な計画が全く浮かばないでいた。
わざわざ優位を許した上で不正を暴いたのは、いったいなぜだろうか? その時になってようやく気がついたからだと考えることもできるが、レアは否だと考えている。それでも充分に勝てるから、その余裕としてレアに四枚の優位を許したのではないか。おそらくその考えは間違いない。それは、アドミナのいつもの癖だからだ。
他者にはそうでもないのだが、アドミナはレアに対してのみ試すような手加減をよく行うのだ。いや、実際試しているのだろう。レアが試行錯誤をする様を、笑顔で見守っているのがその証拠だ。
勝負においてなら、それは言ってしまえば悪癖だ。だが、それでなおレアは一つの勝ち星も上げることができていないのだから、文句の一つも言える立場にはない。
思えば、その傾向はこの勝負が始まる前から出ていた。いやに細かく追加の取り決めを要求していたのは、詰めの甘さを伝えるためだ。本当ならその甘さにつけ込むことができただろうが、アドミナはあえて不正を行いにくい状況下にした。実際にレアが行なっている不正に一切干渉しなかったのは、むしろ怪しむべき点であった。
魔導具を使わないというのも、この勝負を単純化するための取り決めだ。よりレアが勝ちやすい環境とするために、アドミナはそう思ってレアを試している。
試して。試して……?
——いや
瞬間
レアの脳裏に考えが浮かぶ。
その思いは、果たして正しいのだろうか?
思い出さなくてはならない。思い起こさなくてはならない。その仮説、それが果たして真実なのかを。この勝負の初めから、照らし合わさなくてはならない。
一巡目と二巡目は……なるほど間違いはない。
三巡目
四巡目
五巡目……
…………
……
……間違いは——ない
「まだなの?」
焦れたアドミナがあくび交じりに問いかける。
「いいえ」
レアの返事は、大声ではないが弱々しくもなかった。粛々と、厳かな、そんな風に表現するのが正しい声色だ。
「すぐにめくります」




