彼女は勝ちを見据える
来た……!
宣言されたのは「コール」。「ドロップ」ではなく。
「……素晴らしい」
つぶやくようなその声は、レアには届かなかった。
アストは確信を得ることができた。彼女のその言葉は、決して後ろ向きなものではないと。
もしも先ほどのが臆病が過ぎるための最低金額宣言だったのならば、アストが宣言した上乗せに乗ることはできないだろう。
アストは確信した。彼女は、アストが望んだ人物だ。
愚かにも賭博に負けて涙する友人を前にして、怒りを抑えることもできずに猪突猛進するような底なしのお人好しだ。
冷静な見た目に反して直情的な彼女が、不正を見抜くこともできずに惨敗して崩れ落ちる様はさぞ痛快だろう。
それを嗤いながら見下ろすのが、アストの数少ない趣味の一つだ。
その時になんと声をかけるべきだろうか。どう言えば気分がいいだろうか。自分が相手より上位に立てるのならばなんでもいい。
初めはただ見下ろすだけだった。次第に相手を嘲笑するようになり、時にはあえて手を差し伸べたりもした。助けるというのは遺恨を残さないのはもちろん、恩を売って様々なところで活用できるという長所がある。貴族社会において貸しのあるなしは重要だ。
だが……
アストは目の前の少女を見る。
愛想も良くなく、態度も慇懃無礼だ。貴族として何度も夜会に出たこともあるアストでもその顔には見覚えがない。
さらには友人がたかだか10数枚のチップを奪われたと言って腹をたてているところを見るに、どうやら貴族位にないように思われる。
こいつに貸しを作る利点はないな。
レアの「コール」を受けて余裕を取り戻したアストは、すでに勝った後のことを考えている。
しかし、その余裕は数秒も持たなかった。
「チェンジです」
不要な手札を捨て、山札から同じ数だけ引くその行為。
ごく当たり前のことであり、第一勝負と同じように進行されたそれは、しかし驚くべきことに、第一勝負と同じように展開されたのだ。
「五……枚っ……!」
まただ。
また、レアは手札を全て捨てた。現時点ですでにアストの手札より強いはずの手札を全て。
それはつまり、7のスリーカードよりも強いはずの役を放棄したということだ。
「……なぜ!」
「? 何故も何もありませんよ。手札がどうしても悪いので、全捨てが最善だと判断しただけです」
「……いいや、それでも「なぜ」だよ。そんな手札でレイズに乗るのはおかしいじゃないか! 何を考えているんだ」
レアは首をかしげる。アストの苛立ちなど大したものではないというように、その顔には余裕が強くみられる。
その態度は、とてもアストよりも三歳は年下だなどとは思えない。たった十三歳の少女のようにはどうしても感じられない。
「そんなことをなぜ気にするんです? 私の行動に一貫性がないのなんて、先輩の気にするようなことでしょうか? もし強い手札を捨てたとして、有利になるのは先輩なんですから、別にいいじゃないかと思いますけどねぇ」
全く、何一つ、レアの思考を読むことができない。
「…………」
ため息一つ、アストは椅子に座りなおす。
今は勝負 の途中だ。落ち着かなくてはならない。
確かに、レアの行動はその一切が意味不明だ。だが、そう『だが』だ。前後の矛盾を考慮しないのなら、ある程度の方向性は望ましくないものではないように思える。
最善手だと感じたので全捨てをしたということは、少なくとも『最善手』を講じようという意思があるということだ。
それはつまり、勝負を制しようというつもりがあると、そういうことに相違ないはずだ。
納得するわけではないが、彼女の言う通り相手の行動に文句を言うのはマナー違反であるため、これ以上の追求はできない。
「……僕は二枚で」
ディーラーの手を見て、『勝てる』の合図に変わっていることを確認する。そしてその次の『捨て札の指示』に従って、7のスリーカードに関わらない手札を二枚捨てる。
引いたカードはスペードのA、そしてダイヤの6。役は変わらないが、相手から見て不自然にならない捨てだ。
これがアストにとっての最善手。そして対するレアの宣言が——
「ドロップです」
そのレアの言葉に、もはや驚きはない。
もう彼女が何をしたとしても、きっと驚かないだろうという自信がある。そもそも負けているのだから、降参は間違いではない。
ゲーム開始時の5枚と合わせて20枚のチップがアストの手元に流れる。それを見てレアの後ろにいるリリアが顔を押さえるが、それはアストの興味の範疇ではない。
だが、次に出た言葉には我慢ならなかった。
「止めましょう、レアさん! 私なんかのためにレアさんが損害を受けることはないですよ!」
声を震わし、涙を堪え、リリアがレアに詰め寄る。叫ぶようにして、声を荒げて、それは友を傷つけまいという自己犠牲の心だ。
ふざけていると、そう思った。
こちらはおかしな行動を我慢しているというのに、外野がつまらないことを言って途中で投げ出されるなどたまったものではないと。
「もう35枚です。私が受けた二倍以上の額ですよ!」
「リリアさん……」
「許可できないねえ!」
レアが何かを言おうとしていたようだが、それを意図して遮る。レア本人までその言に乗ろうものなら、怒りのあまり手を上げてしまいそうだったからだ。
「この勝負は五本だと言ったはずだよ。あと三本残った状態で辞めてもいいんなら、そんな取り決めは最初から必要ないんだ」
「でも……!」
リリアはあくまで食い下がろうとする。
しかし、アストがもう一度話そうとしたその時、アストを遮って声がかかった。
「よしなさい、リリアさん」
驚くべきことに、レアの声だ。
「先輩が正しいです。そもそも、ゲームを申し出たのは私ですよ」
彼女は自らを思う友人を諌めるのだ。
自らの意思を、身を案じている友人に迷いなく振りかざすその様は、ひどく真っ直ぐで、そして美しさすら感じる。普段、他者を貶めることに意識を向けているアストですら、そう感じざるをえないほどに。
「わたしが挑みたいと思ったのです。負けているとしても、負けたとしても、あなたに責なんてないじゃないですか。あなたに出来ることは、わたしが勝った時になんという言葉をかけてくれるのかを考えることだけです」
先程までの「ベット」や「コール」のような無機質な宣言ではない。強い意志のこもった「言葉」だ。決して、勝ちを諦めているわけではないと感じられる。
「勝った時?」
レアは振り向きもしない。卓に向かって、次のカードが配られるのを待つだけだ。
強さを感じる。決して折れないだけの強固さを、感じざるをえない。レアはそれ以上話そうとはしないが、リリアは、もはや不安を口にしようとはしない。
「勝つ気なのかい?」
「どうでしょう」
彼女はあくまで平然としている。とても三分の一のチップを取られた人間のものではない。
そして不遜にも、こういうのだ。
「まだ三回ありますしね」
それは勝てる要素を見出している言葉。
素晴らしいと、アストの心が響く。
「配ってくれディーラー。次の勝負だ」
最高の気分で、アストはそう告げた。先程までとは全く別だ。苛立たしく歯ぎしりをしていた今の今までとは全く。
貶めがいのある女だと。
あざ笑うつもりであったが、せめてもの敬意としてやめておこう。それよりも、ほんの少し手を差し伸べて、従属させる方がいいかもしれない。
誇りのある少女だ。
気高き人物だ。
アストは生まれて初めて女が欲しいと思った。成人前の彼ですら、その地位にいれば異性に困ることはない。
しかしだからこそ、あえて欲しいと感じたことはなかった。だが今、アストは目の前の不敬な少女を欲している。
賭博以外においては温厚で通っているアストではあるが、それは賭博においてはその逆であるということに他ならない。
謀った相手や自ら陥れた者を見下すことを趣味であると自覚しており、それは勝ちを決めた後だけでなく勝負の最中もその通りであった。
だからこそ、相手が想定外の行動を取るたびに気分を害され、それが態度に表れる。自分の思い通りにならないことが、不快で我慢ならない。
しかし、今は違う。それこそ全く
目の前の少女は、とてもではないが見下すような存在ではない。その勇ましい姿は敬愛すべきものであり、決して蔑むようなものではないのだと。
だから油断なく、慎重な試合運びが必要だ。
まさかこれだけの自信を感じさせながら、全くの無策であるはずはない。口には出さないものの、必ず何かしらの策を講じているはずだと、そう思わずにいられない。
——もし
アストは考える。
もしこの第三勝負を含めた残り三つを降参で済ませたのなら、総額でアストの勝利となる。しかしそれでは駄目だ。その程度の金額で彼女を下すことはできない。
もっと、もっと圧倒的な勝利でなくては。
さらに言うなら大衆の目もある。この賭博場の頭であるアストが、新入生の少女に対してあまりに消極的な行動をとったのなら、それは常連や仲間に示しがつかない。
やはり油断せず、それでいて大胆に勝つ必要がある。
そしてそれはレアも同じことだ。手持ちのチップが少なくなるということは、一度に賭けられる限度が少なくなるということなのだから、必然的に逆転が難しくなる。「負けを少なくする」ならまだしも、「勝つ」というのなら、それなりに大きく出る場面が必要なはずだ。
次は第三勝負。
折り返しだ。この時点で勝っているか負けているかというのは、最終結果に少なくない影響を与える。
勝負をかけるならここだろうか。
もし最終勝負で勝負をかけるつもりでも、その時点でチップがなければできないことだ。ならばこの時点で賭けに出るか、それとも賭けに出るためのチップを確保しようとするはずだ。
それを狩り取る。
70枚の有利を最大限活用して、最小限の危険で勝負に出る。
つまり、この第三勝負が、真剣勝負となる。