彼女は訪問される
「ああ! 久し振り、私のレア。愛しい子」
レアの義母——アドミナ・スピエルは、レアが彼女をみとめたときにはすでに眼前であった。声を出す間も無く抱きすくめられたレアは、久し振りの母の温もりを感じている暇もなく、今度は顔を覗き込まれるのだ。
「たった数ヶ月見なかっただけだけれど、見違えるように頼もしくなったね。やはり入学させたのは正解だった」
アドミナの格好は、五年前に初めて会ったあの時と同じように、いや、それ以上に奇怪なものだ。両方の耳には一つずつ、色も大きさも形状も一致しない耳飾りが付けられている。黒に金糸の入った外套は床を擦るほど長さだというのに一切汚れているようには見えない。なぜ頭をすっぽりと覆い隠さないのが不思議なくらい大きな三角帽子は、外套と同じように表面には幾何学な模様が描かれている。この金の模様はいつもレアが気がつかないうちに増えていっているのだ。今も覚えのない部分が無数に見受けられる。外観が不自然に膨れているのは外套の内側に無数の魔導具を隠しているからだ。指にはあまり豪華ではない指輪がつけられているが、両手の全てに嵌められたそれすらも例外なく魔導具なのは恐れ入る。それだけでなく、靴や下着に至るまで何らかの効果が付与されているのだ。普段は左右のどちらかの目に片眼鏡が掛けられているのだが、彼女が二種類持つそれは両方ともレアに貸し出し中である。かつては長く伸ばされていた茶色の髪は、仕事の邪魔になるからと去年バッサリ切ってしまったのだが、その毛先には代わりと言わんばかりに飾りが付けられている。
見方によって、それは異様だ。
見るからにキラキラしいその格好は、下品な成金商人でないのならそうそうお目にはかからないものだ。それだというのに、アドミナのような長身の女性であれば見えようは随分と違う。
美人は得だと、レアは羨むでもなくそう思った。
「今日は何の御用で?」
アドミナを引き剥がしながらレアが問う。訪問は確かに手紙で知らされていたのだが、肝心の要件が書かれていなかった。
「可愛い娘に会うのに、一々理由を求める母親は少ない。顔が見たくなったのさ、私は」
肩をすくめて話されたそのおどけるような言葉は、確かに事実なのだということをレアは知っている。回りくどい話し方と飄々とした態度から企みや嘘があると勘違いされやすいが、五年も一緒に暮らしているレアにはよくわかる。アドミナがレアに注ぐ愛情には全く偽りがない。世間ではこれを親バカと呼ぶのだろう。
それからはしばらく世間話の時間だ。本当なら会議に出なくてはならない立場なので褒められたことではないのだが、なぜかナターシャも一緒になって話しているので気にしないこととした。もし怒られたとしても同罪だ。
「そう言えば」
部屋の外をちょうど一般生徒が通ったらしく、話し声が聞こえてきた。レアは内容をはっきりと聞き取ったのだが、どうやらアドミナはそうではなかったらしい。その生徒の話は、マティアスが怪我をしたことについてだった。
「随分校内が騒がしいようだね?」
アドミナが誰とでもなく尋ねる。
「代表会員が一人倒れたんです。義母さんを待たせてしまったのもそのせいなんです」
「? それは一大事だけれど、私を待たせる事との関係が見えないな?」
レアの返答の意味が伝わらないようで、アドミナは首をかしげる。
「近々対抗戦なので、その穴埋めをするための会議を開いていたんですよ」
アドミナはまだ渋い顔を崩さない。
「どういう事?」
そこでレアはハッとした。気が付いたのだ。唯我独尊気質なアドミナは、度々人の話を聞かずに勘違いをする。なまじ天才であるためにある程度の問題は解決できてしまうことが、その性格に拍車をかけているのだろうというのがレアの見解である。
「わたし、代表会なので」
本当は手紙に書いていたことなのだが、アドミナはどうやら見落としていたらしい。ポカンとした表情でレアを見返していた。
「凄いじゃあないか」
数秒の間の後、アドミナが言った。
「対抗戦の欠員というと、一体どういう風に話をつけたんだい? 代表会の代わりなんて誰でも務まるようなもんでもないじゃあないか」
娘が関わっていると聞くや、アドミナは急に興味を惹かれたようだ。身を乗り出して随分と熱心に食い下がろうとする。
「実はまだ会議の途中なんです……」
「一位は準格を出せば良いって言ってますけどね」
ナターシャがレアの言葉を引き継ぐ。
アドミナはその言葉には驚きと期待を隠せなかった。
何せ——
「じゃあレアが出るの!?」
そう思ったからだ。
だから
「いいえ」
そうレアが即答した時の落胆した表情は実に痛ましかった。まるで十年間もともに生きた愛犬が亡くなったかのような表情だ。
「わたしは二位なので」
「……なぁんだ」
アドミナは深いため息をつく。
「つまんないの……」
まるでそこが自らの玉座であるかのように尊大な態度で肘をついていたアドミナが姿勢を崩す。組んでいた足の左右を変えて、背もたれから軽く身を起こした。
その時だ
ほんの少しだけ、アドミナの外套が翻った。手にかかったのが煩わしかったために軽く払っただけだったが、その時にアドミナの腰の部分がわずかに視界に入ったのだ。
アドミナの外套の内側には様々な魔導具が隠し持たれている。その時レアの目に入ったのは、腰に結ばれている紐に括り付けられた小さな硝子容器だ。地面に叩きつけて砕くか魔法で切断することによって使用する使い捨ての魔導具で、中に入れられた物質が衝撃によって炸裂する。この時にどんな現象が起きるかは中の物質や付加された魔法によって異なるが、概ね攻撃的な目的に使用される。そして何よりの特徴として、一目ではどんな現象を起こすのかが判断できない。
これだ
妙案であった。これを使うことができたならば、マティアスが開けてしまった穴を埋めることも難しくはない。それは準格であってもだ。
「義母さん」
それはとびきり強力な魔導具というわけではないが、使う事ができたなら大きな一手となる。レアならばそうできる。
「折り入って相談なんですけれども」
「なぁに?」
つまらなそうに窓の外を眺め始めていたアドミナの目がレアに向く。レアから話しかけられたことに少し機嫌を直したらしい。
「魔導具をいくつか借りられませんか? 対抗戦のためなんですけれども……」
アドミナは両手の指を組んで、その手の甲に顎をのせる。同性であるレアにすら色気を感じさせるその仕草は、レアがアドミナに頼みごとをするたびに行う彼女の癖だ。故に、その次に来る言葉は容易に想像できる。知っているのだから。
「分かるでしょ?」
と、彼女は言う。
「頼みごとをする時はいつだってそうでしょう?」
アドミナ・スピエルという女性について話をしよう。
深みのある茶髪は乱雑に切られており、美意識に乏しい本人の性格をよく表している。何か見透かされている様に細められた瞳は、彼女の端正な顔立ちと相まって居心地の悪さを感じさせる。
年の頃は二十と半年。十五の頃にこの学園を飛び級で卒業した鬼才である。
五年前にレアを養子とし、ほとんど間をおかずに開業した職は今のところ順調である。
趣味は散策ともう一つ、何を隠そうその趣味がレアと出会う切っ掛けとなったのだ。
「ギャンブル」
一時はそれで生計を立てようとしていたほどの中毒者であった。そしてそれは今でも変わらず——
「それで決めるのが常。そうだね?」
そんなことを言うのである。




