彼女は涼をとる
日差しは日に日に強くなり、何をしていなくとも肌が汗ばむ季節となった。生徒は魔法によって風を、水を、冷気を起こし、それぞれの得意でどうにかこうにか涼んでいた。
第三属性を専攻する予定のライラは、冷水を桶に貯めて足を冷やしている。それだけでもだいぶ違うのだとは、ライラ本人の言である。
「貴族の息女が肌を見せていていいんですか? お母様が卒倒しますよ」
魔導具の補助で風を起こしながらレアが言った。確かにライラの格好は、外套と婦人服をたくし上げて足を露出している。水に濡れた玉の肌は年齢に似合わず実に艶かしい。
「きっと御母様なら今すぐにでも私を軟禁して再教育しようとするでしょうが、ここに御母様は居ませんもの」
「ライラさんはなかなかの大者ですよね」
寮の自室にて他愛ない会話をする二人。しかし、この場にはもう一人いるのだ。もう十数分も言葉を発さず、ただ黙々と教材を睨みつけている少女は、レアの友人であるリリア・エルリスに間違いはない。
「……リリアさん?」
「…………」
彼女の虚ろな目に異様さを感じて声をかけるも、反応が返ることはなかった。彼女はただ黙々と教材を読み進めるだけだ。
ライラは小指の先ほどの氷を作る。十等級相当の魔法で、人肌に触れればすぐに溶けてしまうような物だ。現に室温ですでに溶けかけている。
リリアの背後に音を立てないように近づいたが、もしかしたらその必要はなかったかもしれない。彼女から反応がないことはすでに確認済みだからだ。裸足のまま桶から出て部屋の中を歩いたため、床にはライラの足跡がくっきりと残っている。
そして氷を、リリアの首筋に放り込んだ。
「はぅっ!」
背を反らせ、椅子から倒れ落ちそうなほどに驚いたリリアは、短い声を上げつつもその場に踏みとどまった。手も足も強張って、視線がキョロキョロと部屋の中を彷徨う。そしてにこやかな裸足のライラを見つけるのだ。何をしたのか判断がつかなくとも、何かしたのかは充分に伝わっただろう。
リリアは咄嗟に首筋を両手で抑える。まさかもう一度同じことをすると思っているわけではないだろうが、首に残る感覚がそうさせるのだ。
「リリアさん」
「……はい、何でしょう……?」
恐る恐る、答える。
「氷食べませんか?」
「え? あ、頂きます」
ライラは先ほどの要領で今度は大きめの氷塊をつくり、リリアに渡した。尖っておらず、頬張るのに程よく、暑い時期には助かる差し入れだろう。
「レアさんもどうぞ?」
「いただきます」
部屋の中には氷を頬張る三人の少女がいる。そういう風にすると何とも清涼感を感じられるが、実際には汗まみれの小娘が仏頂面で暑さと戦っているに過ぎない。さらに口の中と氷はたった数分もすれば溶けて無くなってしまうのだから、その後はさらに何か暖を凌げないかと思考を巡らせるのだ。当人達からすれば感情は負以外にありえない。
「リリアさん」
三度、ライラがリリアを呼ぶ。
「何ですか?」
ようやく、無視でも怯えてもいない返事がなされる。
「魔術は使わないんですの? 涼の取り方はいくらでもあるように思えますが」
「……私は第二属性を専攻するので、涼を取るのに魔術を使いたくないんです」
リリアの言葉に、二人は納得の息を吐いた。なるほど「属性適応」に関することならば仕方がないと、リリアの熱心さに感心するばかりだ。
属性適応
ある属性の魔法を使用し続けた場合その属性を制御しやすくなる、という現象の名前である。後天的魔力適正とも言われるそれは、魔術師にとって無視できるようなものではない。魔術師の中には扱う属性を制限して「炎魔術師」や「光魔術師」のような通り名が付けられる者も少なくないが、これは属性適応を最大限活用するために他の属性の魔法を控えているためだ。
この属性適応の存在により、魔術師の扱う魔法は属性が偏りがちである。故に、扱える魔法を属性別に並べたとき、まるで木のような三角形を描くこととなる。この描かれた図形のことを、俗に「能力の大樹」と呼ぶ。
「確かに第二属性じゃあ、涼むのは難しそうですわ」
火を司るその属性ならば、なるほど涼を取ることはできないだろう。不憫に思ったレアが、汗だくのリリアにも風を送ってやる。
「言ってくれれば協力しますよ? あまり無理はしないでください」
「そうですわ。無理をして倒れでもしたら大変ですもの。ひょっとすると、明日の授業も出られなくなって本末転倒ですわ」
「申し訳ないです」
リリアは控えめに頭を下げる。そしてすぐにまた教材に向き直った。
森の中なんかでは虫の声が絶えず聞こえてくるこの季節だが、学園では校庭に繰り出す生徒たちの張り上げる大声がそれに代わる。室内で行えない規模の魔法は実習室を使うわけにはいかないため、周囲を壁で囲まれていながら充分な広さを持つ校庭を練習の場として解放しているのだ。授業間の休憩と放課後は、熱心な生徒たちが取り合うように群がるのがお約束となっている。
「彼らはいつも元気ですね……」
燦々と輝く太陽を眺め、レアは眩しさに目を細める。そろそろ暮れるだろうというほどに傾いている日ではあるが、その力強さはもうしばらく持ちそうだ。そんな中での運動など、人一倍体力に自信のないレアには考えられないことだ。毎日の走り込みをわざわざ朝に行なっているのも、せめて日が昇る前に終わらせてしまいたいからに他ならない。
「わたしではすぐに倒れて……あ?」
倒れてしまう。そう言いかけて、窓の外に見たものに言葉を失う。レアにとってそれは目撃したいものではなかったし、できれば見間違いか勘違いであって欲しいと思った。
「どうかしましたか?」
ライラとリリアもレアの様子に気がついたらしく、つられるように窓の外を見る。そして顔をしかめる。
「あぁ、熱中症でしょうか? 暑すぎですからね」
レア達の部屋の窓からちょうど真下辺りには人だかりができており、ぐったりとした様子の男子生徒を介抱しているように見える。日陰に移動させたり、横にして安静にしたりといった具合にだ。確かにそれは、一見して熱中症の対処に見える。
だが、レアにはわかる。あの生徒がただ暑かっただけで倒れ込んでなどいないということが確かに。見ていたからだ。
「ちょっと様子を見てきます」
レアは慌てて部屋を飛び出す。その人物が全く話したこともない他学年の生徒であると言うのならば、彼女が駆けつける必要など全くない。しかし、レアは見ていたのだ。彼が誰なのか、知っているのだ。そしてすぐにでも集まらなくてはならないだろうと予想もできる。
そう、わかったのだ。これが代表会の会議案件だと。
一日の授業が終わり、ようやく放課後がやって来た。一般生徒にとっては授業中も放課後も変わらない勉強時間なのだが、代表会五位のマティアス・ロベルト・ダイクロフトにとってはそうではない。
駆け足で校庭へと足を運ぶ。その場所は五つの塔に囲まれるように存在しているため、なんの授業がどの棟で行われていたとしても終わり次第迅速に向かうことができるのだ。
マティアスは周りを見回す。どうやら他の代表会員はまだ来ていないらしい。居残りか、勉強を優先しているのか。どちらにしても、現時点で校庭にいる代表会員はマティアスただ一人であった。
マティアスは常備している二丁の魔銃を抜き取る。
右手に持つのは六倉の『六つの幻影』。六種類の第八属性魔法を発動させることが出来る。その全てが対象を直接害さない補助魔法である。
左手に持つのが八倉の『八つの災難』。第一属性二つと第二から第七属性一つずつの魔法を使い分ける事ができる。これは高出力であれば怪我は免れないような代物であり、学内でもよく行われる模擬戦での主力である。
校庭を確認し、まばらに存在する他生徒に気をつけながら回転倉が回転するかを確かめる。この二丁拳銃は外観から回転倉式であることが分からないように、隙間や緩みといった遊びを極力作らないように設計されている。なので、マティアス自らの手で頻繁に管理しなければすぐに不具合が起きてしまうのだ。
今のところは問題とならないと判断したマティアスは、今度は引き金を引いて感覚を確かめる。十二等級の弱い魔法を使い、働きが正常かを見るのだ。
これも動作に不具合はない。それからようやく、マティアスの行動は始まる。
目前へと迫った学園間対抗戦のための訓練。それがマティアスが校庭を利用する目的だ。本来なら他の代表会員との対戦形式を望んでいたのだが、予定が合わないのであれば仕方がない。
魔術の高速使用や連続行使を繰り返す基本練習はほとんど毎日行っていることだが、今日から対抗戦のその日まではより念入りに。
次にアルテアがまとめた相手校の代表会員の資料を頭の中で思い浮かべ、想像訓練を繰り返す。得意な魔術や魔法、特異な戦術を取る者もいる。本命はこれだ。
魔銃を使いつつも都合十四の魔法を扱うマティアスは、相手に合わせて戦い方を対応させることが得意だ。魔銃による威力補助と複数の魔法による対応力は相手にとって充分な脅威となるはずだ。
マティアスは駆け、マティアスは跳び、そして左足を軸にその場で回転してみせる。その間に幾度も魔法を使用していく。その動きはまるで舞のようであり、一種の見世物のように彼の周りには生徒が集まる。他国の武術に覚えのあるマティアスは、その縦横無尽な動きで敵を翻弄しながら戦うことで有名だ。他に類を見ない戦術ゆえに、彼が何らかの訓練を行うたびに注目を集めてしまうことは仕方がないといえる。
しかしこの日は不運だった。
お調子者の彼が観衆の集まるこの場において張り切らずに入られないのはいつものことだが、今日この時に限っては不注意だったと言わざるを得ない。
きっと暑さのせいだろう。たった八つの数字を数え間違えて、魔導具の不具合を見落としていたのだ。『八つの災難』の弾倉の中の一つに生じた不調に気がつかず、幾度も使い続けたためにその事故は起きた。その弾倉に刻まれていた第二属性の魔術回路が暴発し、魔銃の破片を炸裂させてしまったのだ。
幸いなのは、他の生徒には被害が出なかったことだろうか。しかし、マティアスの状態は痛ましかった。
その場にいた誰もが死んだのかと思った。仰向けに倒れた彼の胸が上下していなければ、それが勘違いだと気がつくことはなかったかもしれない。左手は火傷で真っ赤になり、顔には細かな金属片が刺さっている。出血は酷くないものの、彼が意識を失っている事実が最悪の事態を連想させたのだ。
その後周りに集まった生徒によって医務室に運ばれたマティアスに下された診断は、「深刻な状況にはない」であった。彼が意識を失ったのは魔法の制御不全による反動魔力が原因であり、外傷は数日の通院で処置が可能なものであるとのことだ。勉学への支障にはならないだろう。
だが、それはマティアスが一般生徒の場合の話だ。
もう目前に迫った学園間対抗戦。それの出場ははっきり言って絶望的であった。左手と顔の怪我は大したことがないにしても、マティアスの戦術の要であり主力である『八つの災難』が破損したからだ。
マティアスにとってはこれこそがまさに深刻であった。魔術技師である彼には、魔導具を介さない魔法に自信がなかったからだ。さらに言えば、数日間も対抗戦の特訓が行えないこともまずい。不完全な状態で臨んだとしても、敗北は必至だろう。
そこで、集められた代表会員たちは言い渡されるのだ。代表会一位のヴェルガンダ・ジーク・アラドミスによって
「準格を参戦させる」
と、簡潔な言葉を。




