彼女は煽る
ヴェルガンダは勝ちを確信する。
完璧だ。完璧に、手筈通りとなった。
完璧な最善手を打ち、この後もそうなるようになっている。こうなっては、もう負けはない。最も望ましくない状態でも引き分けだ。
——だが、
「確実に勝てると、そう思っていますか?」
レアが不敵に笑い、そう問いかけてきた。正直驚きだ。
「それはそうだろう? 私は自信があるから、この勝負を挑んでいるんだ」
一応取り繕うも、それが無意味であることは一目瞭然であった。レアの表情が如実に語っている。すでに看破していると。
「いいえ確実に、ですよ。上手いも下手も関係なくって、絶対に勝てると言う確証がおありなんですよね?」
普段全くの無表情な彼女だが、この時のみは笑顔を見せる。相手を食い殺す肉食獣の様な笑みだ。すなわち勝ちを確信した瞬間に。
なるほどこれは想像以上の精神的圧力だ。甘味を口に運ぶ少女に感じるとは思えないほどに強い。少なくとも、レアは何かしらの対策をすでに打ったと言うことなのだから。ただ、それが本当にヴェルガンダの不正に働くものなのかは疑問ではある。見当違いのことをしている可能性も充分に考えられる。
ならば、ここは強気に出るべきだと判断する。
「可笑しな事を言うな。あたかも不正を看破したかの様なその発言は、逆に自分の悪事の隠れ蓑なのでは無いかね?」
「結局は答えになっていませんね。発言を避けるのは、思い当たる節があるからでは無いですか?」
ここから始まるのは下らない言い合い。お互いに手を止めて、相手の腹を探ることに終始し始める。
「言及を避ける、ということにおいてなら、人に言えることかね? と返すがね。まさか、自分にのみは当てはまらない、なんて言うはずはないだろう?」
さて、
話を目一杯長引かせている間に、レアが何を行なったのか考察するとしよう。それを見抜くことができたのなら、ヴェルガンダの勝利は真に不動のものとなるだろう。
まず考えるべきは、勝負の前に行われた道具の確認作業。これが無意味とは思えない。ヴェルガンダの塔へ細工をするのだとしたらこの時以外には考えられない。それ以外では、レアはヴェルガンダの直方体に触れていないのだから。
そして次に考えられるのは、レア自身塔への細工。レアの塔を見てもその痕跡を発見することはできないが、それが彼女の潔白の証明になろうか。レアが本気で隠蔽を図った場合、ヴェルガンダが見つけられる不正などどれほどあるだろう。彼女の巧妙さは、ヴェルガンダも認めるところなのだ。
だが、それならそれでひとまず捨て置いて構わないだろう。なにせ邪魔が入れられない限り、ヴェルガンダは最善手を取り続けられるのだから。となれば、やはり警戒すべきはヴェルガンダの塔への細工だ。
ヴェルガンダはレアへの受け答えをこなしながら、自らの塔を盗み見る。何か不自然なことはないか。手を加えられているのではないか。
そしてこれもまた、発見は困難であると言わざるを得ない。同じ理由だ。レアの巧妙さを、ヴェルガンダの洞察力が越えられるかどうかと言うことなのだ。
しかしレアの塔に施された仕込みを見つけるよりは、こちらの方がまだマシだろうとの予想もできる。レアは自らの塔に好きなだけ触れる事ができ、より高度な不正を働く事が出来ると予想されるからだ。それを見破るのは、容易ではない。
好きな時に触れていい自分の塔とはわけが違うという事だ。少なくとも、自らの塔の方が観察しやすい。
そして、ヴェルガンダは——
——見つけた
巧妙だ。積み上げられた直方体と直方体の間に、確かに違和感がある。ともすれば見落としてしまいそうな以前との変化を、ヴェルガンダの洞察力は見逃さなかった。
ヴェルガンダは確信する。
これにて、勝敗は決した。
ヴェルガンダが行なった不正は、至極単純なものだ。
使い古されている直方体と真新しい直方体が、大きさの目安となっているのだ。
直方体の大きさが統一されていないことは、この遊戯を遊んだことがあるのなら理解できるだろう。そのバラついた大きさの目安として、見た目に差がつけられているのだ。
具体的には、新しい直方体の方がわずかに大きい。この直方体を段の中央に置けば、両端の二つの直方体は難なく取り出すことができる。たったそれだけの、単純な仕掛けだ。
そしてそれだけに崩しやすい。間に何か挟まって入れば、それだけで瓦解する。
レアが用いたのは食べ物だ。頼めば運ばれてくるほどに手軽で、おまけに粘性がある。大福である。さらに言えば餅の部分。ほんの少し指につけ、隙を見て直方体に貼り付けた。これでその直方体はもう動かすことができない。
この遊戯を遊んだ事があるのならわかるだろうが、直方体の底面は普通触れられる事はない。触れられるのは多くの場合側面だけだ。ならば、五十四個の内のたった数個に異物が付いていたからといって、見逃してしまうのも無理からぬ事だ。
実のところ、レアは不正を完全に見破ったわけではない。レアが勘付いたのはせいぜい、「順番通りに並べれば、最善の箇所を取ることができる」のだろうと言うところまでだ。おそらく直方体についている汚れや傷がその目印となるのだろうとは思っても、その法則はついぞ見つけられなかった。
なので、ここでハッタリをかけられたなら、その心にわずかばかりの不安が芽生えてしまうことだろう。それが、動揺として現れる事はまずないが、この時点で勝負が決してしまう事はなくなる。
「……負けだな、私の」
しかし、それを知らないヴェルガンダは、肩を竦めて敗北を宣言する。どうやら気がついたのだ。間に不純物が存在する故のわずかなズレを、レアに勝利するために練習を積んでいたヴェルガンダが見落とす筈はないのだ。
「まあ一応、降参はせんがね」
彼は賭けている。それはつまり、レアの取れる直方体が少ない可能性に。
この勝負、ヴェルガンダの直方体がいくつか取ることができないとしても、レアがそれ以下の数しか取れないのならば、それはヴェルガンダの勝利だ。不正を見破ったかどうかは関係がない。だから今、彼はまだ敗北してはいないのだ。
「そうですよ。まだ負けなんて、決まってはいないじゃないですか」
相手を煽るような笑顔を貼り付け、レアが白々しく言う。ヴェルガンダは思わずレアを睨みつけていた。しかしそれは、レアに対する威嚇としては不充分だ。
自分の負けだと、そうヴェルガンダは言った。確信しているのだ。確認はできていないまでも、まず間違いなくそうなのだろうと、無意識のうちに判断できる。
そしてその感覚は、驚くほどに正確なのだ。
実は、レアがこの遊戯をしたのは今日が初めてであった。いや、それどころが初めて知ったと言ってもいい。だから分からなかったのだ。直方体同士が、並べて注意深く観察すればその違いが分かるほど大きさに差異がもたらされていることに。
それだけ厚さに違いがあるのならば、その違いは「音」にだって表れる。レアは常々、自らの感覚器官の中で視力に次ぐのは聴力であると自負している。もしやと思いレアが集中すると、それは楽器の音階のように、それぞれが様々な音を奏でていたのだった。
厚さの判別など、レアにとっては目を使うまでもないことなのだ。
塔を倒したのも、ヴェルガンダの塔に細工するのと同時に、自らの塔を組み直すのが目的だ。ヴェルガンダはその意図はどちらかと頭を悩ませていたようだが、実際にはどちらも意図のうちだったのだ。
結果は、レアが十七本に対してヴェルガンダが十五本でレアの勝利となった。
「手先の器用さには自信があります」
そう言ったレアは危なげもなく、さらに塔から十七本を取り出して終幕となった。