彼女は確認する
一瞬、ほんの瞬く間、もしかしたら図られたのかと思った。例えばヴェルガンダが用意し勝負がこの状況下で有利になるとかの理由で、この場にわざわざ赴いたのだろうかと勘ぐった。しかしそれは杞憂というものだと思い直した。
ヴェルガンダたちは、レア達が入った時にはすでに食事を始めていた。レア達は自らの意思でこの店に入ったし、何らかに誘導されたりはしなかった。偶然であることに一切の疑う余地はない。
ならば、多くの仕掛け人が周りを固めていたり、この店の造りが働いたりなどの不正ではないと考えられる。
一つ、相手の手の内を絞ることができた。それだけが、ほんの少しだけ喜ばしい。
「ご注文の品です」
「ありがとうございます」
ちょうど、注文していたデザートが運ばれてきた。
普段から甘い物は少女の楽しみであると言って憚らない三人は、これから勝負だという時に至ってそれを控える事はない。もちろん、ふざけるわけでも蔑ろにするわけでもないが、話しは口に甘味を頬張りながらとなってしまう。
「どんな、勝負なんですか?」
店の中には、お誂え向きに五人しかいない。それはすなわちヴェルガンダ、シス、レア、ライラ、リリアの五人だ。リリアの異文化教室を行なっているうちに、他の客は食事を終えて帰っていった。無論、店員を除いてだが。
「度胸は良い。しかしどうかな? 伴うだろうか」
明らかな侮り。頭は、あるいは実力はと、そう言いたいのだ。
「どうでしょう? 自信ないです」
ぜんざいという黒い液体を食べながら無表情でそんなことを言うレアに、ヴェルガンダは険しい顔をする。あまりにも動じないその態度に、つまらないと感じたのだ。顔には如実に表れている。
「まあ、そんな難しい遊戯でもないがね」
そう言いながらヴェルガンダは、それに使う道具を手元のカバンから取り出す。それは、とある商人が売り出している人気の遊戯らしい。
形としては、短い直方体だ。木製で、横幅は長い辺の三分の一、厚さは長い辺の五分の一。一体何本あるのか一目では分からないほどの数だが、ヴェルガンダ曰く百八本。レアとヴェルガンダの二人で五十四本ずつ使うのだそうだ。
この直方体を三本合わせて正四角形を作り、それを十八段積み上げて、準備完了だ。
始まりは、その積み上げられた塔を崩さないように、組まれた直方体を抜いていく。通常は交互に二人で取っていく物だが、今回はそれぞれが自分の塔を持っているので、相手が取るのを待つ必要はない。最終的には、多くの直方体を取れた方の勝ちとなる。
ただ、ここからに追加の決まりが存在する。そうでなくては、わざわざ塔を二つも用意した意味がない。
塔から取る直方体の数は、限界までであってはならない。二人は記録を集計したのち、その取った本数と等しい数だけ、再び塔から直方体を取らなくてはならないからだ。すでに虫食いとなり安定感を失っている塔から、さらに直方体を取るのが困難だと言うことは、想像することなく理解できるだろう。しかし、これに成功しなければ、その時点で敗北となる。
「つまりはチキンレース、ですね」
多く取らなくては勝てないが、取りすぎたなら逆に敗北する。
「そう思ってもらって構わない」
不敵に、そう思える笑顔は、レアとはまた違った余裕を感じさせる。レアが何とも思っていないかのように見えるのに対し、彼は高みから見下ろすようだ。
「道具を見せてもらっても?」
「当然の権利だとも」
道具はたった一種類ではあるが、何せ百八本もあるから、全て改めるのはそれなりの手間がかかる。しかし、ヴェルガンダは特に急かすこともなくその様子を眺めていた。時折質問をする時も、嫌な顔一つせず(だからと言って笑顔というわけでもない)丁寧に答える。レアとしては大助かりだった。
「少し汚れているようですね。傷も見受けられます」
「この日のために特訓をな。何度も使っていれば磨耗するし、汚れたりもするだろう」
然り、それは間違いない。だが、それでも不自然さは残る。例えば
「綺麗な物も混ざってますね」
ほとんどが汚れてしまうほどに使い込まれているのに、なぜ新品同然の物が存在するのか。だいたい全体の三分の一ほどがそれだ。わざわざ一部だけを意図的に使わなかったとでもいうのか。
「使い物にならないほどになってしまった物もあった。自分で言うのも何だが、それほど熱心に特訓をしていたんだ。その分だけを新調したわけだ」
ヴェルガンダの答えは早かった。
レアは一応「なるほど」と返したが、全く納得していなかった。なぜ全てを変えなかったのだろう。その方が自然だ。なにせ彼の言う通りなら、「貴族であるところの彼が、たかだか木の直方体を買い渋った」と言うことになる。それはむしろ考えられない。
「この木は何と言う種類ですか?」
「桐、だな。贔屓の業者に頼んだら、ちょうど余っているからと安くしてくれた物だ」
「特訓とは、具体的に何を?」
「ひたすら挑戦、ひたむきに挑戦。そればかりだな。数をこなさなければ、コツを掴む事は出来ない」
そのあとはしばらく直方体を観察し、なんらかの怪しいところがないか確かめる。
「リリアさん、その大福を一口いただけませんか?」
「構いませんよ」
「私のお団子もいかがです?」
時折そんなやりとりを挟みながら、レアは様々に直方体を確認していく。重ねたり、倒したり、つついたり、流石に壊して中身を見たりはしなかったが、これ以上になく念入り確認したと思われる。
材質に差がつけられているわけではないようだ。ヴェルガンダが使う物とレアが使う物とに明白な違いは見受けられない。
目印の類でもないように思う。確かに傷がついた直方体は目立つが、それに規則性は存在しない。
中に重りが入れられているわけでもない。重心をずらす事によって塔の安定を損なわせる意図があるわけでもないという事だ。
そして
「これくらいですね」
そう言って確認時間を打ち切った。
ヴェルガンダはその様子に満足したようにうなづく。
「まず、公平な判断を行う立会人を立たなくてはならない。こちらからはこのシスを出したいんだが、構わんかね?」
レア自身に異論はない。彼らがある程度の公平さを持っていないのならば、そもそも勝負で残留を決めるなどと言う馬鹿げた取り決めは行われないはずだからだ。
だが
「そんな事……!」
リリアが、思わず声を上げる。大人しく臆病で、しかし優しい少女が、目の前の男に怯えながらも。
「……リリアさん」
レアには、それがどういう事か分からない。どうやら憤りを感じているようだが、なぜそのような。
その言葉をどう聞き取ったのか、リリアは言葉を続ける。
「いいえレアさん、これは言わなくてはいけません。不公平だと、声高に!」
ライラは首をかしげる。末端貴族の彼女は、上位の者と接する際に高圧的な態度を取られることになど慣れていて当然なので、リリアの言動がいまいち理解できないのだ。
「シスさんは、代表会の人じゃありませんか。どうして不公平な判断をしないと保証できますか!」
「なるほど、道理だ」
ヴェルガンダは怒るでもなく平然と答える。
寛大な人だ
レアはそう思った。きっとライラもそうだろう。高飛車な貴族なら、権力にものを言わせて打ち首にでもされかねない。リリアは、面と向かって信用ならないと言ったのだから。つまらなそうな物言いは、むしろ好感的であるとすら言える。
「シスは代表会の中で中立を表明した者ではあるが、そんな言葉では信用できまい。何なら君がやってみるかね? リリア・エルリス」
まるで興味がないと言いたげな口調ではあったが、リリアは「はい」と即答した。いい笑顔で。
だが
レアは静かに思考する。息遣いにも、表情にも現れないが。
まさか、完全にこちら側だとはっきりしているリリアを立会人に立てるとは、全く思いもしなかった。リリアが相手を信用ならないように、相手だってこちらを信用しているはずがないというのに。
考えられる理由としては三つだ。
まず、そもそもリリアが相手に取り込まれている可能性。金や、力による圧力でレアを相手に売ったということだ。
これは考えるまでもない。もしそうならば、初めからリリアを指名しているだろう。シスにしようか、などという小芝居は全く必要はない。そして何より、レアはリリアをこれ以上なく信用している。彼女がそんな事をするはずがない。
二つ目は、不正を行わない可能性。全くのヒラで、レアに勝つつもりだということだ。
これも考慮に入れる必要はないだろう。もしそうならば、これ以上に喜ばしいことはない。レアは真面目に不正をして、いつもの通り勝利するだけだ。
そして三つ目は、これが最も恐ろしい、決して看破されない上に必ず勝つことができる自信がある、という可能性。
これが本命だろうと、レアはそう考える。
これは不安だ。結局のところ、レアはマティアスの不正を見抜けなかったのだ。今回もあるいは……そう考えるのも無理はない。
しかしそれでも、勝負の時間は訪れる。
「始めようか」
塔に使用する五十四個の直方体。それは全て同じ形をしてはいても、決して同じ大きさなどではない。肉眼では確認することが困難なほど僅かではあるが、その厚さは意図的に不統一となっている。もし完全に同じ大きさだったとしたら、組まれた直方体を抜き出すことなどできないからだ。それではこの遊戯は成立しない。
この性質から考えれば、取れそうな直方体を見つけることはそう難しいことではない。触れるだけだ。ただ触れるだけで、その直方体が上に組まれた直方体との間に隙間を作っていないか確かめることができる。
「両手を使うんじゃあないぞ」
レアがしきりに塔を指先で叩く様を見て、ヴェルガンダがそう指摘した。
「分かっていますよ」
ただその直方体が動くか否か、確かめていただけだ。両手を使って良いのなら、塔を片手で抑えながらもう片方の手で取ればいいということだ。それでは遊戯本来の面白みが死んでしまう。
「……ああそうだ」
ヴェルガンダが声を上げる。レアが一つ目の直方体を取ったその時であった。
「どうかしましたか?」
「忘れていたんだ、一つだけ。取ったそいつは、脇によけておいてくれ。それでいくつ取ったか数がわかる」
言って塔から直方体を取り出す作業を再開するヴェルガンダに、「分かりました」と返事をするレアは内心疑問に思った。
本来、取った直方体は上は積み上げて、塔をどんどんと高くしていくものだ。それは通常の遊び方でもそうだし、「あといくつ取れるか」分かり難くなるため、この特殊遊戯にも適しているように思えた。積み上げないのなら、「目安」を着け易すぎる。
この塔の一段は三つの直方体によって出来上がっている。塔を倒さないために残す物は、その中のたった一つでいい。つまりは中央の一つ。それだけを残せば、あとは安定性に気をつけるだけだ。塔は十八段で、一番上の段に手をつけてはならないので、直方体は最多で三十四個取り出すことができる。第二段階で同じだけの直方体を取るという取り決めを考えれば、実際にはその半分、十七個までが取り出せる限界だ。その数は、できることならわからないほうが良いもののはずだ。
遊戯性に欠ける。そう判断せざるを得ない。
だから何故、そう思った。
しかし、それはまさしく愚問であった。自分ではなく、相手の、ヴェルガンダの塔を見ればそれは瞭然だというのに。つまり、「目安」が着け易くなることの意味は、まさしく「目安」を着けることそのものであるという、まるで奇を衒わない事実。
レアが慎重に五つ目の直方体に手をかけた時点で、ヴェルガンダの取った直方体の数は十個目に差しかかろうとしていた。それも、上から順に両端の直方体を取っている。
一段を作る三つの直方体の内、中央の一つだけには手をつけていない。おそらくは、残りも全て両端のどちらかから取るのだろう。
見当が、ついた。これはそういう不正なのだ。
早い話ジェンガですよ。




