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彼女は食事する

 煩わしい魔法史の授業を終える鐘がなる。

 北の国にある、世界最古の魔術学校で使われていた鐘の音を模して作られた物らしく、全世界共通なのだそうだ。

 教師が次の授業はここから始めますとありきたりな事を言って、今日の授業日程は終了となった。

 この後の全校生徒は簡単な夕食を済ませた後、各々様々な場所でさらに勉学に励むのだ。一学年なら新しく習った場所の復習をしたり、上級生なら当然課題と、次に受けるべき魔法試験に備えたりする。最高学年ともなるとさらに大変だ。卒業を控えた彼らは修羅となる、と言うのは、この国の中では有名な話だ。

 ナターシャも来年にはそうなるのだろうか。勤勉な彼女を想像して、レアは一人で首を振った。


「早く行きましょうレアさん。『ニイチ』が混んじゃいますよ」


 リリアがそんな事を言いながらレアの両手を手に取る。見た目よりも皮膚が厚く、意外に固いのだなと思った。実家はパン工房と言っていたので、幼い頃から手伝いをしていたのだろう。何かに従事していることの証のようなその手は、貴族的に言うのなら野蛮ではしたない物なのだろうが、触り心地が良いのでレアのお気に入りだった。


「そうですわ。他の場所は遠いんですもの、急ぎましょう」


 ライラはそんな事を言いながらレアの背を押す。その細く華奢な身体は人形のようで、本人は末端だと自虐するが、やはり貴族なのだなと言う事を感心させる。ともすれば儚さを感じさせる体つきは、平民的に言えば棒きれのようで役に立たないのだろうが、綺麗なのでレアは大好きだった。


「一人で歩けますよ。歩きにくいですよ」


 友人二人と過ごす今の生活はレアにとって変え難く、きっとこれからの人生の中でも指折りで幸福な時間なのだと確信していた。

 だから、これを守りたいと、そう思ったのだ。




 『ニイチ』の前に立った時、三人は同時にため息をついた。


「一杯ですわぁ……」


 食事は早く済ませて勉強をする。そう聞けば、客の回転が速いようにも思えるが、実は違う。早く食事を済ませ、その場で珈琲でも飲みながら参考書を開くと言う光景は、実にありがちな事なのだ。

 一向に減る様子がない店内の客を見て、もう一度深いため息をつく。


「別のところに急ぎましょう。どこかまだ空いているかもしれません」


 と、リリア。


「いいえ、時間を空けた方が良いでしょう。ここは無理でも、他ならきっと空きますわ」


 と、ライラ。


「そもそもここ以外の食堂ってよく知らないです」


 と、レア。


「あぁ、確かに」


 そしてライラとリリアだ。

 例えば観光地なら大きな通りにはこれでもかと言うほどの飲食店が立ち並んでいるものだが、残念ながらこの学園はそうではない。年極めの契約で部屋を貸し出し、外部の人物が校内に出店しているため、店の場所はバラバラだ。『ニイチ』のような条件の良い場所は、当然貸し出し代も馬鹿にならない。皆んな、自分の店の売り上げにともなった場所に店を出しているのだから。

 話し合う時間も惜しいので、取り敢えずは適当に校内を彷徨うこととした。普段あまり行かない場所を通ると言うのは、少しばかり楽しいものだ。


「あそこにあるのは飲食店じゃないですか?」


 リリアが僅かな賑わいを聞きつけ、その方向を指差した。そう言えば美味しそうな香りも漂っている。

 場所は第五棟の二階。寮があるのが第二棟なので、ほぼ真逆に位置することになる。なるほど今まで知らなかったはずだ。

 店の雰囲気としては、正直あまり華やかなものではない。表から見る限りあまり広い部屋ではないようだし、入り口にかけられている暗い色の暖簾が閉鎖的な雰囲気を醸し出している。

 レアとリリアは全く気にしないが、貴族であるライラには抵抗があったようだ。不衛生というわけではないが、見るからに東方の大衆食堂といった感じである。お洒落な喫茶店である『ニイチ』とは似ても似つかない。


「お客はいるみたいですね」


 中からは話し声と、焼き魚の香ばしさが漂ってくる。食欲をそそるいい香りではあるが、外套(ローブ)は脱いでおいた方がいいだろう。匂いが移ってしまう。


「もう私お腹ペコペコです」


 と揚々と入っていくリリアを前にしては、流石にライラも渋々といった様子でついていく。

 暖簾をくぐると、やはり中はそんなに広くなかった。天井は廊下と同じ高さのはずだが、狭さのせいなのだろう、どうも縦長な気がしてならない。

 客入りは意外に悪くなさそうだ。六つ並べられている長机は、満席ではないにしてもまばらに客が着いている。

 しかし驚いたのが、この店が意外に東方文化に忠実である点だ。机が置かれて居るのは畳の上だ。そして座布団が敷かれていて、数少ない先客は箸で食事をしている。その食事もお米と汁物(スープ)はお椀に入れられている。魚の開きが四角い皿に盛りつけられ、その隅にあるのは大根おろしではないか。

 レアとライラは言葉には出さないまでも感心してしまった。


「変わった店ですね?」


 しかしリリアは東方文化を知らないらしく、しきりに首を傾げている。それもそのはず、自分の村から出ずに一生を終えるのが普通の庶民が、まさか外国の文化に詳しいはずもない。


「なんで(テーブル)が高いところに乗せられているんです?」


「あれは畳といって、東の国ではああするんです。靴を脱ぐのがマナーだそうです」


「ベッドでもないのにですか?」


 リリアは物珍しいらしく、視線を目まぐるしく店の中を走らせている。


「壁にかかっているのは何ですか?」


お品書(メニュー)ですね。あれを見て注文します」


お品書(メニュー)も知らない物ばかりです! 「サシミ」って何ですか?」


「薄く切り分けられた生魚です」


「魚を生で食べるんですか! 独特ですね」


 適当に席についた後も、レアによる異文化講座は続いた。知識欲の強いリリアは、あれもこれもとどこまでも質問を続けるのだ。

 ともかく頼んだのは、焼き魚と味噌汁と温野菜という、とても庶民的な献立だ。ただ、焼き魚を見たリリアは目を見開いて驚く。


「これは……、丸焼きですか……魚の」


「焼き魚です。内臓も背骨も取ってあるようなので、ただの丸焼きというわけではないです」


 リリアは皿を手に取って、魚をまじまじと観察する。腹の切れ目を確認し、白濁した目を覗き込み、その表情は見る見るうちに悪くなっていく。


「グロテスク……じゃあないですか?」


「まあ……見方によっては」


 レアの個人的な意見としては、特にそんな事はない。もし食べられないようなら自分が頼んだ物と代えてやろうかと気を回す。豚や牛なら見慣れているだろうが、内陸である学園には魚介類が乏しい。少し気持ち悪いと感じても仕方のないことかもしれない。


「この棒は何ですか?」


「箸です。ナイフやフォークというものはなく、それで挟んで食べるのが一般的なのだそうです」


「挟む……? 使い辛いと思いますが……」


 リリアは両手に箸を一本ずつ持ち、首を傾げてギクシャクとしている。


「二本を片手で持ちます。こう……うまく動かして挟むのですよ」


「東の人はみんな器用なんですね。どうも上手くいきません」


 初めてでは難しいようで、味噌汁の大根を取るだけでも四苦八苦、数十秒の時間を有した。しかし、その時間も全て無駄だ。力を入れ過ぎて、大根が割れてしまった。半分の大きさになった大根は、音もなく再び濁った汁の中に沈んでいく。


「これはどうしたら食べられるんですか?」


「ひとえに慣れです。東の国の人間は、誰でもこれができるのですよ」


 左手を卓につき、まるで這うような視点でお椀を睨みつけるリリアは、当たり前だがあまりにも行儀が悪い。見兼ねたライラがリリアの肩を叩く。


「リリアさん、こうして椀を持って食べるんですのよ。この底の深くなっている器は、持って食べるためにこの形なのです」


「おぉ!」


 目から鱗。口には出さずとも、その顔が何よりも如実に語っている。

 これにて教師は二人となった。まるでとどまることの知らないリリアの質問責めに、交互に食事をとりながら答えていく。あぁ、これが夕食でよかった、とは、二人の共通認識だ。もし昼食であったなら、とても昼休み中に食べられなかっただろう。


「随分と賑やかに食事を取るんだな、君たちは」


 そう声をかけられたのは、全員の器がほぼ空になってデザートを頼んだ時だった。他の客がいる中で騒がしくしすぎだったとライラは反省するが、気を回すのが遅すぎる。


「え? あ、すいません……」


 リリアは萎縮してしまい、言葉の最後はほとんど自分ですら聞き取れないほどとなっている。

 生徒のうちのほとんどが貴族であるこの学園で、あまりにはしゃぎ過ぎたのかもしれない。確かにレアたちの行動は、淑やかさを重んじる貴族の息女たちには程遠い。

 だが、レアだけは二人と違うことを考えていた。いや、決して相手のことを無視していたわけではないのだが、なんとなく、別のことも気になったのだ。

 はて? 聞き覚えがあるような……

 その声を、知っているような気がしたのだ。振り返り、その顔を見て、そしてすぐに納得した。学園内にレアの知り合いなど多くはないが、それでも彼のことくらいは知っている。レアの後ろの席に座っている二人組の客は、その二人共が有名人だ。


「何だね、人の顔をジロジロ見て」


「よしなさいヴェル。相手は一学年ですよ」


 代表会一位ヴェルガンダ・ジークハイド・アラドミス。そして代表会二位のシス・ハイネ。この学園の上位二人である。


「しかし奇遇だ。それも幸運な」


 シスの言葉を無視して、ヴェルガンダは凶悪な顔を向ける。一見して華奢なヴェルガンダの体格はあまり脅しごとに向かないが、この学園内においてはそうはいかない。彼の実力は誰もが知る事実なのだから、こう凄まれて縮こまらない生徒はそういないだろう。少なくとも一学年の中には居まい。ただ、レアの知る中でたった一人、リスリー・ペル・イスマイルだけはそんな想像ができない。


「レア・スピエル、今、時間は大丈夫かね?」


 ライラとリリアが息を飲む。その言葉の意味を、理解できたからだ。代表会がレアに用事。そんなもの、一つしか考えられない。


「次の、勝負ですね」

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