彼女は挑まれる
代表会、ようやく話が進みますわ。
第四棟の、今はその役割から離れてしまった会議室。どうせすぐに来ることになるだろうという予想は、レアの期待に反してまさしくその通りとなった。
今すぐにでもライラから貰った紙で義母への返事を書きたいところに、急遽だとか、至急だとか、絶対だとか、そんな言葉で半ば無理やりに連れてこられてしまったレアは、言いようもないほどに機嫌が悪い。
「……失礼します」
扉を二度叩き、その不機嫌さを隠そうともしない声色で入室する。
「ああ、レアちゃん。久しぶり。来てくれて嬉しいわ」
部屋の中は、前に入った時と同じように様々な物が散乱している。魔導具や衣類で足の踏み場もない。もはやどんな形だったのか一目ではわからないくらいに丸められた布団の山が一角にあり、その中からひょっこりと顔だけを出しているのが代表会第四位、ナターシャ・ステン・ハングだ。
「私はきっと嫌われているから、もしかしたら来てくれないかと思ったわ」
ナターシャは笑顔で、まさかつゆほども思っていないことを平然と言いのける。
断れるはずなどない。ほとんど脅されて入会したような代表会だ。とてもではないが要求を断ることなどできはしない。それをわかって言っているのだ。
ため息まじりに肩を竦めるのが、レアに出来る最大限の強がりだ。
「今日呼んだ理由は一つよ。無駄話はなしに、それを私は伝えなくてはならないの」
その時浮かべられたナターシャの笑顔は、それはとても美しく、大輪の花のようではあったのだが、しかしレアにとって見れば間違いなく毒花であった。そしてその後に放たれる言葉を思えば、その感想が正しく的を得ていることもよく分かる。
「代表会の一員を負かして欲しいの」
ほんの僅かに、時が止まる。ナターシャは第十属性の天上魔法を扱える伝説上の人物なのではないかと勘ぐるほどに、それはそれは見事に硬直してしまった。
理解をするのに十数秒。レアはようやく情報をまとめ始める。
それは聞かなかったこととして逃げ出したいことこの上ない話ではあったが、結局のところ、レアに用意された選択肢の中に、レアの望む答えなどあるはずもない。ならばせめて受け止めるくらいはしなければと、なんとか頭を働かせる。
「詳しく……詳しく話を聞かせてください」
「任せて、何度でもね」
無駄話はなしに、とナターシャは言ったが、残念ながらその言葉通りにはならず、要点を押さえない終始を全て詳細にされた説明は、レアの気分を辟易とさせるには充分であった。
話を要約すれば、ナターシャが調子に乗ったため、レアはその智のほどを代表会の面々に示さなくてはならなくなった。なので、なんらかの知略戦を行わなくてはならないと、そう言う訳だ。
「遊戯は相手が決め、不正があって、その遊戯の内容は事前に教えてもらえない。そんな条件でですか?」
「その通り!」
無理だ
何をどうやっても、不可能だ。この条件なら、ともすれば、自分の半分の年齢しかない子供にだって負けかねない。逆の立場なら、レアだってほとんどの人間に勝利できるだろう。ただ、義母には勝てる気がしないが。
しかし、それでも断ることはできない。
「……分かりました」
レアに出来ることなど、そう言う他にない。
ただ、たった一つだけ、確認しなくてはならない。
「質問しても良いでしょうか?」
「何かしら? 私は寛容だから、例えば気弱な質問をしたって「やる気不十分だ!」なんて言わないわ。安心して。それは兵士や騎士の中でも、特別暑苦しい人達の仕事ですもの」
「もし全力を出してもわたしが負けた場合は、一体どうなりますか?」
これだけは、はっきりさせなくてはならない。行動意欲に大きく関わる。
「そうね、多分ね、辞めさせられるわ」
ナターシャは言い辛そうに取り繕おうという意思を垣間見得させながら、しかし口元はわずかに弧を描いている。
「そして、私が貴女を庇ってあげるのは、代表会に入っている間だけだわ」
それは紛れもなく、レアを駆り立てる最高の答えだ。しかし、その「最高」は、駆り立てる事においてのみだ。
ナターシャは、恐らく気がつかないのだろう。レアの鉄面皮に阻まれて、その真意を読み取る事はできないのだろう。腹の奥に隠しているこの不快感を、予測してはいても予感してはいないのだろう。だから、取り繕う素振りもなく脅す様な口調で会話ができるのだ。
「……分かりました」
同じ調子で、レアは返答する。
部屋に戻ってから、一体何をすればいいだろうか。
ナターシャがいつもの調子で長話を始めたので、適当な相槌を立ちながらレアは思考の海へ没頭する。
いつ挑まれるのか分からないのなら、ある程度の用意を常にしておくべきだろう。糸や重り、様々な裏地の絵札。インクも持っていたいところだが、服の中でこぼれたら目も当てられないので難しいだろう。
ライラとリリアとは、連れ立って行動するべきかせざるべきか。一緒にいれば協力してもらえるかもしれないが、巻き込めば厄介ごとが増えるかもしれない。
ナターシャの話は近況の気になったことから、部屋においてある魔導具についてに移った。ここからが長いことは前回の教訓として充分承知しているので、積極的に聞き流していく方針だ。
「まだ続くのかい? その話は」
不意の声。思いも寄らないその声に、柄にもなくレアは内心驚いてしまった。
声が掛かったのはレアの背後からだ。別に何でもない風を装って振り返ると、そこに立っていたのは、初めてナターシャと会った時と同じ様な既視感を持つ男子生徒だった。
それもそのはず、彼の名はマティアス・ロベルト・ダイクロフト。代表会五位の人物である。
「嫌だわ先輩。淑女の部屋に無断で上り込むなんて、破廉恥じゃあありませんか?」
レアが部屋に入った時から布団にくるまっていたナターシャは、さらに布団にくるまってとうとう完全な団子になった。露出しているのは目元だけであり、もう額から溢れる前髪すら見えない。
「許可? 取ってない? まさか君がたった十時間前の会話すら覚えていられないとは驚きだなあ。やっぱり全校試験における高成績は、手の込んだ不正の賜物なんじゃないかい?」
マティアスがいかにも大袈裟な身振り手振りで罵倒する。レアが「もしかしたら何時ものことなのだろうか」と考えたのは、ナターシャの反論が至極板についていたからだ。
「嫌ですわ、私が十何人もいる教師陣の悉くを欺いて不正をしたと言うのなら、それは試験で高成績を収めるよりもよほどの努力と才能と実力が必要になってしまいますね? それはもう、飛び級で卒業してもおかしくはないんじゃあありませんか?」
間髪入れずに放たれたその言葉は、今考えたのではなく初めから用意されていたのであろうことが伺える。そしてもし、同じ様なやり取りが普段から行われているのなら、彼らはいわゆる「犬猿の仲」と言うやつなのではないだろうか?
急速に帰りたい衝動にかられる。それはもう、部屋の主人に許可すら求めずに。自分が置いてけぼりで口喧嘩が始まると思うと、レアの心中はげんなりでは済まされないほどに冷めていく。
しかし、すぐにそれが杞憂であることが知らされる。マティアスの口からだ。
「勝負だ、レア・スピエル。僕はそのために来た」
ナターシャとの口論は無用と断じたらしく、いい加減に会話を打ち切ってレアを呼び止める。後ろでナターシャが「私が立会人するわ!」と大声を出したが、見事なまでに徹底した無視だ。
「だからまだ帰るな」
その命令口調は、断る余地を微塵も感じさせない。顔立ちこそ温和そうだが、有無を言わせない強引さがある。
完全にお見通しなのだろうか。
マティアスは、この部屋に来ることを十時間前にナターシャに伝えたと言っていた。そして、その要件はレアに挑戦するためだと。つまり、彼はレアに用があるにも関わらず、ナターシャの部屋を訪ねたと言うことだ。あらかじめレアが呼ばれていることを知っていなくてはできない。
もしかしたら、彼はレアと最速で勝負を行うために「今」来たのではないだろうか。事の詳細を初めて聞いたレアが、何らかの用意を施す前に。
現に、勝負に備えて何かしなくてはと考えていたところだ。もし明日なら、早速何らかの用意を済ませてしまった後だっただろう。
今日この時は、これからのレアの生活の中で最も無防備なひと時なのだ。
「はい」
内心の動揺をおくびにも出さず、レアは素直な返事をする。
「どんな勝負でしょうか」
マティアスはすぐに返事を返さなかった。決して勝負の内容を決めあぐねていたわけではないことは、レアには充分に伝わっている。
見ていたのだ。レアを。
下心などではなく、純粋な興味を持って、どんな人物であるかを図っている。当然、成績に関することなど既に知っているだろうから、それ以外の部分で。
「ちょっと、女の子をジロジロ見るのはやめてくれません? 失礼だわ」
ナターシャのその言葉は、正直なところありがたいものだった。もしかしたら内心を見透かされるのではないかとヒヤヒヤしていたのだ。
「勝負なら早くして下さいな。ご存知でしょうけど、ここは私の部屋ですよ?」
年下の女性に小馬鹿にされるのは、さぞかし不愉快なのだろう。レアは最年少であるし男性ではないのでいまいち実感というものが湧かないが、マティアスのこめかみには今にも青筋が浮かんで来そうだ。
ただ、そこで頭ごなしに怒鳴りつけたりしないのは、貴族としての余裕が伺える。「フン!」と鼻を鳴らしただけで、それ以外はほとんど無視といった具合だ。
レアに向き直り、いよいよ持って勝負の内容が明かされる。マティアスは特に勿体ぶったりしなかったが、レアは緊張のためか、どうにも長い時間に思えた。
生唾を飲み込んだのはバレていないだろうか。
この鉄面皮は意図してのことではないし、義母にからかわれるので治さなくてはならないと常々思っている悪癖だが、こういう場合は得てして役に立つ。
マティアスは懐から魔導具を取り出す。それが何の魔導具か、レアの学級で知らない者はいない。一目瞭然だ。
「魔銃、ですね」
先日、授業に出たばかりの魔導具。形状が特徴的ではあるが、間違いなくその通りであった。
「そう、今回の勝負は『ロシアンルーレット』。有名なやつだね」
ロシアンルーレット……この世界にロシアが……?
ないです




