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彼女達は手に入れる

 カルルエル・マイアーのこの頃は、ほとんどある一点に終始している。

 アスト・アイナス

 校内唯一の賭場を統括する彼に勝利することである。

 ブラック・ジャックの最適解を計算し、すべて表にまとめ、さらにそれを暗記して挑んだ勝負は必勝であると信じて疑わなかったが、しかしそもそもの考えが及ばずに大敗をきしてしまった。一月(ひとつき)前のことである。

 悔しさは日を改めても癒えることなく、むしろ心の奥ではフツフツと何かが煮えたぎるのを感じた。次こそは勝利せねばと再挑戦を決意するのに、丸一日もかからなかった。

 何なら勝てるか。まず始めたのはそれを考えることだ。

 賭場(カジノ)に置いてある遊戯(ゲーム)では、おそらくアストに軍配があがることだろう。経験の差というものはどうしても覆し難い。

 ならば

 自分で作った物ならば、こちらが有利に事を運べる。カルはこれを天啓のように思った。

 早速いくつもの遊戯(ゲーム)を考案し、それらをすべてボツにする。目指すは勝負でなく必勝である。

 考えた物の中からいくつかは、新しい商品の案として実家に打診してみた。中でもリバーシは自信作だ。

 気分転換にと食事処に出かけるも、どうしても意識は勝負の事となってしまう。何もかもを疎かにして、ここ二週間ほどはずっとそうだ。

 しかし結局考えが行き詰ってしまい、人の目も憚らずに頭を抱えていた、そんな時だ、ライラとリリアの目にとまったのは。

 彼女たちの事情を聞き、折角なのでリバーシの試験を手伝ってもらうことにしたのは良かったのだが、良かったのは残念ながらそこまでであった。

 打つごとに鋭さを増すライラの実力は感嘆物ではあったのだが、そのくらいなら既に資料にまとめて実家に送った程度のものだ。また新たな戦術や定石を発見するようなことは、全七回の勝負の中でとうとう訪れなかった。

 そして、その後が大きな問題だ。

 リリア・エルリス

 彼女の立ち振る舞いを見るに恐らくは平民出身だとは思うのだが、その実力はとてもそう思えないようなものだった。

 平民が、といえば、あたかも差別的に感じるのかもしれないが、それは道理の理解できない者達の(ひが)みでしかない。剣を扱うことに訓練が必要なように、薪を割ることに慣れが必要なように、頭を使うことにもまた、日頃の生活というものが大きく関わる。知識層にない平民ならば、当然貴族や商人に劣るだろう。それは貴族に畑仕事ができないのと同じことだ。


「私は後がいいです。先に打ってください」


 そう言って始められた勝負は、終始リリアの独壇場であった。

 驚くべきは、その恐ろしく深い理解力である。彼女はただ勝負を見ているだけで、実際に勝負をしていたライラよりも深くリバーシを理解していたのだ。

 リバーシという遊戯(ゲーム)は、勝負が決まる手数が常に一定だ。後攻の十六手目。手番が飛ばされない限り、その手で必ず勝負は決する。つまり、後攻の駒が増えることにより終了するということだ。それは明らかな後攻有利を意味している。

 観察力、思考力。ライラも決して低いわけではないそれらだが、リリアの場合は驚嘆の域だ。

 一手を打つのが妙に遅いのは、それだけ深く思考しているのだと理解している。その鋭さが、これでもかというほどにそれを知らせてくる。

 リバーシがただ闇雲に多くの駒を取ればいいだけの遊戯(ゲーム)ではないということは、すこし遊んでいればすぐに気づくだろう。駒を多く持つということは取られる駒も多いということであり、それ故に序盤での全力は必ず終盤の不利につながる。ライラもそれを理解し始め、その打ち筋は打てば打つほどに研ぎ澄まされていた。

 だが、リリアとなれば既に極まっている。

 とても先ほどまで見ていただけとは思えない、卓越とした駒さばきである。カルにとっては苦しい戦いだ。中盤を越えたあたりからは、さらに不利を助長する場所しか置けないような有様となっている。


「リリアさん……」


 ライラのつぶやきは、それはそれは心配そうなものだ。それもそのはず。駒の数のみでいうならば、一見してリリアの方が負けているのだから。


「大丈夫ですよ」


 リリアは笑顔でそう返す。

 実際にカルの立場になれば実感するだろう。カルはもう、どこに置いたとしても敗北に近づくことしかできないのだということを。

 そしてその状態を維持すれば、あとは自然と駒の数は逆転していく。


「……参ったね、これは」


 終了時点で、駒の数は二十六対十。完敗である。


「お約束通りに紙は頂きますわ」


 リリアの代わりにライラが手を出す。大人びて見えてもまだまだ子供だ。どうやら何度も打ち負かされていることを根に持っていたのだろうということが、満面の笑みと心なしか横柄な口調から感じられる。


「そうだね、約束だからね」


 カルは束ねてある中から紙を一枚手渡す。適当にちぎった物だが、品質に問題はないし、手紙に使うのなら大きさも充分だろう。

 一見して穏やかで、余裕を崩したようには見えない表情だ。しかしライラとリリアから見えない部分は、すなわち心の内側だけは、どうしても抑えることができないでいた。

 気がつけば、彼は叫んでいた。

 口を動かさず、喉を震わさず、ただその精神が、それ以上ないほどに。

 二度目だ。短期間で、事前に準備し、勝ちを確信し、それでも負けた。カルの自信には大きなヒビが入り、今夜は眠れない夜となることが確定した。なけなしの自尊心は、笑顔を取り繕うので精一杯だ。とても自らを奮い立たせることなどできない。


「じゃあ、(わたくし)達はこれで失礼致しますわ」


 ライラの動きはとても末端貴族のものとは思えないほどに洗練されているが、今のカルにはそれに心を動かしている余裕などない。一心に、笑顔を崩さないことばかりを気にかけている。


「その遊戯(ゲーム)……」


 だから、挨拶以外で声がかかっても、すぐには反応できなかった。傷心の彼が辛うじて自分にかけられた言葉なのだと理解して、どうにか返事を返すには、どうしても数瞬の遅れができてしまう。


「……何だい?」


 鼻から息が抜けるような間の抜けた声だ。それでも不自然にならないように返すことができたのは、ひとえに運が良かったからだ。あと少しで、それは言葉になり得なかった。

 どうやら話しかけたのはリリアのようだ。あらためて意識を集中しなくては相手を認識できないほどに動揺していたということに、カルはこの時ようやく気がついた。


「改良の余地があると思いました」


 一瞬反応に詰まったのは動揺をまだ引きずっているに過ぎないことだが、リリアはどうやら不思議に思ったらしく、わずかに首を傾げている。おかしなことを言っただろうかと、眉間に入れられた力が控えめにうったえかけている。


「なるほど……あぁ……それはどんな?」


 そもそも、遊戯(ゲーム)に対して意見が欲しいという話だったはずだ。リバーシはすでに商品化候補となっている物の中の一つだが、学園で製品調査(モニタリング)を行うようにと指示を受けていた。

 他の生徒には比較的高評価を受けていたのだが、ここに来て初めてのダメ出しがなされた。


「このままじゃあ、後から打つ人の勝ちになります」


 そんなことを言うリリアの言葉に、一番驚いたのは隣に立つライラだ。


「え……? 後から?」


 などと上品な仕草で。

 執拗に先攻ばかり取っていたのは、どうやら先攻有利と思い込んでいたためらしい。チェスも将棋もそうなので、多くの者が初めはそう思い込んでしまう。しかし、カルの経験から言って、リバーシは間違いなく後攻有利の遊戯(ゲーム)である。

 ただ、これはしばらく遊んでいれば分かることだし、おそらくライラも後何回かのうちに気がついただろう。驚くようなことではない。

 しかし、そうしかし

 カルはその言葉を聞き捨てることができない。


「……それは“必”ずなのかい?」


 問わずにいられない。なにせ、そうならば盤上遊戯(ボードゲーム)として著しい欠陥だ。


「そうですね、必勝です。少なくとも私は」


 間違いか、あるいは勘違いであったなら幸いと思うも、事実は無慈悲に放たれた。


「小難しい計算は必要ありませんが、状況を想定するんです」


 それ自体はカルも把握している。“そこ”に置いたなら、次に相手は“どこ”に置けるようになるのか。次の手を常に意識しておくことなど、全ての盤上遊戯(ボードゲーム)の鉄則だ。


「単純な作りなので、それを突き詰めるとその時点で勝負が決まってしまうんです。私では、先に打つ方が勝てる状況を見つけることができませんでした。わざと負ける以外に」


「リリアさん凄いですわ。(わたくし)では、とてもそこまで考えられませんもの。聡明なリリアさんにしかできない必勝法ね」


 ライラの言葉にリリアははにかむ。少し頬を赤らめて、どうやら照れているらしい。


「そんなことないですよ……。偶然得意分野だっただけで、頭のいい人ならきっと気がつく人もいっぱいいますよ。私は頭でっかちなので、こんなことしか役に立てませんけれど」


 二人はもう一度カルに丁寧な礼を言って、急ぐでもなく遅くでもなく自室に帰る。


「マス目を八マスずつにしたらいいですよ」


 リリアは去り際に助言する。ただ一マスずつ増やすだけでも劇的に状況(パターン)が多くなるので、必勝を探すのは難しくなるのだそうだ。


「ありがとう、助かるよ」


 笑顔で見送り、カルはすぐさま手元に目を落とす。

 もう陽は落ちた。本当なら湯殿に急ぐ時間だが、今日だけはその暇すら惜しい。

 盤上の駒を並べなおす。

 リリアの言葉を反復する。


「八マスずつなら……」


 つまり六十四マスなら、必勝は難しくなる。貴重な意見だ。商品化の際にはそのように作るように打診しよう。


「六マスずつなら……」


 つまり三十六マスなら、後攻の必勝になるらしい。分からなかった。どうしてもそうは思えないが、頭の良い者からすればそうらしい。


「なら四マスでは……」


 たったの十六マス。初期位置の四マスとそれを囲む空マスが一周だけの盤ならば、後攻必勝と言われても理解できる。


「出来たじゃないか」


 意図せず、アストを相手にするための必勝の遊戯(ゲーム)が完成した。

 カルは荷物をまとめて部屋に戻る。気分が高揚し、気がはやるのを抑えることができない。

 早速そのための盤を作らなくてはならない。

 多少の練習も必要だろう。何か大きな過ちで負けてしまうとも限らないのだから。

 明日の放課後。それが楽しみで楽しみで仕方がない。




 カルと別れ、早めに部屋に戻ろうと急ぐその途中のことである。


「おや? そちらにいらっしゃるのは」


 第二棟二階の手前、女子寮と男子寮の境に位置するその場所に、ライラは見知った人影を発見した。

 暗い茶色の外套(ローブ)を纏ったその人物は、フードで頭を隠し、手袋を着用し、口元以外の露出は全く存在しない。一見してその外套(ローブ)は制服のようではあるが、胸元には校章がない。身長は173か4㎝くらいだろうか。そんな怪しげな男性だ。着ている外套(ローブ)は、ライラが前に見た時よりも厚い生地の物に見える。

 一見して何者かを判断できる要素は皆無に見えるが、ライラは以前、その人物が誰なのかをレアから聞き及んでいる。


「アイギスさんじゃあありませんの? お久しぶりですわ」


 ライラの言葉でリリアも相手に気がついたらしく、びくりとわずかに肩を震わせる。かつてなけなしの所持金を理不尽に巻き上げられた時のことを思い出したのだろう。今目の前数M(メートル)の場所にいるのは、その賭場(カジノ)の代表者の(かたわら)に立っていた人物に間違いはない。

 アイギスの方も二人に気がついたらしく、やや早足で近づいてきた。その一歩ごとにリリアは体をライラの陰に押し込んで行く。


「レア・スピエルはどうした? てっきり一緒だと思って探していたんだが」


「あら、レアさんに御用ですの? 御部屋か、あるいは湯殿の方ではないでしょうか」


「そうか……」


 アイギスは、ほんの少しの間を開けて


「なら言伝を頼まれてはくれないだろうか?」


 そう言った。アイギスは学園の職員ではあるが、さすがに男性が女子寮に入ることは滅多なことがない限り禁止されている。


「構いませんわ。一体どんな?」


「そうだな……前に案内した部屋に来て欲しい。旧会議室だ。それで通じるだろう。要件は至急のもので、詳細はそこで話すと付け加えておいてくれ」


「了解しました」


 きっと秘密の話なのだろう。ライラは食い下がるようなことはせずに快諾した。噂好きの女性なら、アレヤコレヤと詮索することも珍しくないが、貴族としての教育を受けているライラはそんな下世話なことはしない。


「……ところで」


 リリアが怯えているので早々に立ち去ろうと歩みだしたその瞬間に、アイギスはさらに声をかけて来た。リリアはもう少しで飛び上がってしまっただろうということを、体を密着させているライラははっきりと感じられた。


「女生徒は皆こんなに帰りが遅いのか? もう湯殿が開いている時間だぞ」


「……他生徒のことは分かりませんが、(わたくし)達はいつもはもっと早くに部屋へ戻りますわ。御勉強をしなくてはなりませんもの」


 職員と言うだけあって、生徒の動向を気にしているのだろう。アストの付き人のような振る舞いも、あながちその辺りに理由があるのかもしれない。


「今日遅かったのは偶然ですわ。『ニイチ』で会った先輩と、少し遊戯(ゲーム)をしていましたの」


遊戯(ゲーム)……?」


 顔は見えないが、アイギスの表情が少し曇ったを感じた。おそらくは怪訝な。これはライラの貴族としての感性によるものでなく、リリアですらはっきりとわかるほどに明白なものであった。


「お前達はいつもそんなことをしているな……」


 嘲笑ではなく、疑問。

 前に痛い目を見かけたと言うのにまだ懲りてはいないのだろうかと言う、理解不能に対する感情だ。

 しかしまさか、好んでそうなのかと思われるのはライラとしても心外だ。


(わたくし)から誘った訳ではありませんわ。本当なら交渉のつもりだったのです。遊戯(ゲーム)に勝てたら無償で御譲り頂けると仰ったので、御言葉に甘えただけですの」


 言い訳がましくならないように、努めて平然とライラは語る。


「自分からではないと?」


「自分から殿方を誘うなど破廉恥ですわ。御誘いは殿方から行うのが作法ですもの」


 少し冗談めかしてライラが言うと、アイギスは肩を竦めながら「なるほど」と返す。


「女生徒を誘おうなどとは軟派な奴だな」


 貴族が多く通うこの学園で、異性を誘おうなどというものはほとんどいない。家同士で交流のある者くらいだ。力関係や派閥、その他様々なものによって、子供ですら振る舞いに気を配らねばならないのが貴族という生き物である。よく知りもしない相手にやすやすと声をかけるなど、頭の軽い愚か者以外には居ない事だろう。

 しかし、アイギスの言葉はそれを蔑んでのことではない。ライラはその言葉の端に見える人物に思い当たり、微かな笑いを零した。


「確かに軟派な方ですわ。そんな事をするのは賭場(カジノ)の胴元くらいですもの」


「中々言うじゃないか」


 アスト・アイナス

 リリアとしては、二度と会いたくない人物だ。


「カルルエル・マイアーという二学年の先輩でしたわ。思えば、少し雰囲気が似ていたかもしれません」


「マイアー……?」


 話し好きは年頃の娘の悪い癖だと、レアがよく言っている。ライラは全く気がつかないが、リリアはそのことを深く実感した。あまりアイギスと近づいて居たくないと、その視線はライラの体を素通りしているようだ。


「リバーシという、彼の作った盤上遊戯(ボードゲーム)を遊んで居ましたの」


 結局、会話は終始を細部まで説明するまでに至る。リバーシの遊び方(ルール)も、その問題点も、アイギスは疑うべくもなく完璧に把握することが出来た。

 余談ではあるが、カルがアストへの再戦を申し入れた際、どうやら手の内が全て知られてしまっていたらしい。手番の順序で勝敗が決まってしまうと言い当てられ、泣く泣く道具を持ち帰っていくカルの背中には、なんとも言えない哀愁が漂っていた。

 36マスのオセロは、人工知能の解析によって後攻必勝である事が判明しています。

 リリアちゃんの頭どうなってんだろう……?

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