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彼女は落としてしまう

 レア・スピエルは現在、危機に陥っている。

 窓の外を眺めるその顔は、一見して憂鬱な雨空を憂う感傷的な情景にも見えはするが、実際レア本人の心内を思えば、その様な美しさは幻想であると理解できるだろう。

 同室しているライラとリリアは言葉も発しない。それどころか身動きすら。




「拝啓レア・スピエル様


 暑い日が続きますが、其方は御変わり御座いませんか。

 この度、文月の中頃から葉月にかけて其方の街を訪ねることと相成りました。

 其方も勉学に勤しむ中、忙しいこととは存じますが、久方振りに顔を合わせられれば幸いです。

 厳しい暑さです。健康にはくれぐれも御留意下さい。


 水無月の十二

 アドミナ・スピエル


 追伸

 御返事は自宅ではなく、其方の街にある別宅宛に御願い申し挙げます。」




 その手紙が届いたのは、どうやら今朝方のことだったらしい。

 らしいと言うのは、その時間レアは授業中であり、放課後までの間、事務所で預かっていたので、レア自身、正確にいつ届いたのか把握していないためだ。

 手紙は入学から何ヶ月も会っていない義母からの物で、差出人を見たレアは柄にもなくはしゃいでしまった。

 二人の友人が夕食を摂る中、一足先に食べ終えたレアは急ぎ足で自室へと戻り、早速その手紙を開封した。

 内容は普段の言葉遣いからは想像もできないほどに修飾されてはいるものの、無駄嫌いの義母らしく挨拶もそこそこに用件を告げた短い手紙であった。つまり、夏の間に面会がしたいと言うことらしい。

 現在はもう文月であり、返事を書くのなら急がなくてはと慌てて筆をとった。

 紙は高価な代物であり、貴族でなくてはそうそう買えるようなものではないが、それ故に手紙を送る際には白紙の紙を同封するのが礼儀だ。義母もレアが学園内で紙を用意できるとは思っていなかったのだろう。手紙の裏には同じ大きさの白紙の紙が一枚重なっていた。

 部屋に机が無いため、ベッドの布団をめくって机代わりとする。上流貴族にあてがわれるような一人部屋ならば、用意されているベッドは特殊なばね仕掛けが施されていたり弾力性の高い素材が加工されていたりして机の代用になどできないし、そもそも机くらいは大層立派な物が用意されているが、残念ながらレア達の部屋ではそうもいかない。

 書き出しはどうしようか、言い回しに失礼はないかなど何度か確かめているうちに、どうやらそれなりの時間が経っていたらしい。ライラとリリアが夕食を終えて部屋に戻ってきた。

 二人で雑談を交えて帰ってきた様で、扉の前で楽しげな話し声が聞こえてきた。レアはイマイチ行き詰まったところなので、二人が帰ったのなら明日にしようかと手紙から目を離して筆をインク壺に立てたその時だ。


「きゃっ!」


 扉が大きな音を立てて、金具が軋む様な勢いで開いたのだ。あたかも蹴破られたかの様な様子だったが、当然ライラとリリアはそんな下品な行動はしない。

 同時に窓も同じ様に開き、外の風が部屋の中へと入ってくる。どうやら留め具が壊れていたらしく、外の嵐の様な暴風に耐えられなかったようだ。

 たったそれだけならば、窓と扉を閉めて事務所に修理を依頼すれば済む話なのだが、その時は不幸なことに()()()()とはならなかった。


「あぁ!」


 レアの声が部屋に響く。轟々とやかましい風の音を押しのけるほどの大声をレアが出すのは、ライラとリリアが知る中では初めてのことだった。

 レアは大雨の中に身を乗り出そうとして、二人に抑えられる。雨でなかったとしてもここは二階だ。頭から落ちたのならば充分に命に関わってしまう。


「紙が……!」


 リリアが慌てて閉めた窓の外は、とても落ちた紙などを探しに行ける様子ではない。見つかったとしても、使い物になどならないだろう。


「手紙が……」


「紙……?」


 リリアは状況が理解できないらしく、キョトンとしてベッドに腰掛ける。

 しかしライラは使われた形跡のあるインク壺を見て察したらしく、ハッと息を飲んでレアから手を離す。

 自由になったレアは呆然と窓の外を眺め、事情を察したライラはリリアに耳打ちでそれを伝える。その後は誰も微動だにしない。

 これが冒頭までの経緯である。


「レアさん……あ、あの……」


 数分ほどもそうしていただろうか、ライラが控えめに声をかける。


「いや、別に気にしなくていいです」


 いつもと変わらない表情のまま、しかし内心はその限りでなくレアは言った。

 ベッドの布団を整え直し、着替えを持って湯殿へと急ぐ。その日はそれで終わりだ。会話らしい会話もなく、気を落としたレアは翌日まで生き絶えたように眠りについた。

 朝、いつも通りに起きて支度をしたレアに対して、ライラとリリアがいつも通りに対応できなかったことなど、言うに及ばないことだろう。





 その日も実習の内容は魔導具についてだった。前回の授業で分解と組み立てを覚えた生徒達に、次は掃除などの整備を覚えさせるのだ。

 レアはこれについてもすでに経験があると言い、実際にその通りだったので授業のほとんどは暇だ。仕方なしにライラとリリアに授業内容を教えることにした。


「この部分が拭き取れていません。古い潤滑油(オイル)を綺麗に拭き取らないと、不衛生な上に手に油がついて使いにくいです」


 いつもと変わらないレアの様子に、友人二人はむしろ平常を保てなくなった。どこか挙動不審で、落ち着きというものが感じられない。


「……リリアさん、いつまで同じところを拭いているんですか? そこはもう綺麗ですよ」


「あ! いやいや、ホントですね。ありがとうございます余所見をしていました」


 迂闊迂闊とはにかむリリアは、照れているのか恥ずかしがっているのかよく分からない。

 授業は滞りなく進む。全ての生徒が自分の魔銃(マガン)を清潔に保てるようになった頃、満足そうに魔銃(マガン)を眺める生徒の中には、たった二人だけ精神をすり減らして妙に疲れている者がいる。言うまでもなく、ライラとリリアである。


「今日の授業はここまで。みんなよく頑張っていたようなので、驚くほど順調に授業が進んでいます」


 マクミランが笑顔で終了を宣言し、今日一日の授業過程は全て終了となった。あとは昼食を済ませ、湯浴みを終えたら就寝まで自由時間だ。

 レア達三人は急ぎ足で贔屓の校内喫茶店「ニイチ」へと向かう。人気ですぐに満席となってしまう「ニイチ」だが、幸い第二廊下の一階で授業を行なっていたためだいぶ近い位置にいる。


「……レアさん、すごく不機嫌ですわぁ」


 ライラがレアに聞こえないように小声でつぶやく。


「……こっちまで悲しくなりませんか? 今にも泣き出しそうに思えます」


 リリアがやはり小声で返す。

 ズカズカと前を歩くレアの様子は、知らない者から見ればいつも通りに違いない。急いで「ニイチ」に向かうこと自体は、確かにいつも通りなのだから。しかし、二人にとってはそうではない。たった数ヶ月のみだが、寝食を共にしていたのだ。いつもと変わらない表情から、声から、態度から、その心象を感じ取れることもある。

 その二人から見て、レアはひどく落ち込んでいる。誰からも賛同を得られないだろうというくらいわずかに、それを感じている。

 しかし出来ることなどなく、二人はただため息をつくだけだ。レアに見えないように、背後でそっと、ただただ小さく。





 どうにか紙を手に入れることはできないだろうか。

 ライラはどうにかその方法を考える。リリアでは金銭的に不可能だが、自分ならば出来るのではないかと思ったのだ。

 しかし、校内にある購買に紙は売られていない。授業内容を書き留めることに使うように思うかもしれないが、その用途ならば実際に用意しなくてはならない紙の量は膨大となる。消耗品でありながら高価な紙を子供の教育などに使うとなると、貴族なら誰でもというわけにもいかない。そしてそれほどの者ならば、わざわざ自分で足を運ぶことなく、簡単に取り寄せてしまうだろう。もちろんライラには学園にまで届けてくれるような伝手はない。

 どうしたものか、そもそも購入する手段がないとは。

 ライラが頭を悩ませていると、手早く食事を済ませたレアが席を立つ。


「今日は早めに寝たいので、先に失礼しますね」


 昨日も同じことを言って席を立ったレアだったが、なるほどそれは手紙を書くためだったのだな、と遅れて理解したライラはこれまた昨日と同じように笑顔で見送る。昨日と違うところといえば、「なら(わたくし)達は少しお勉強をしてから戻りますわ」と言ったその言葉が偽りであるということくらいだ。これから始まるのは、ライラとリリアのたんなる相談なのだから。


「……どうしましょうか」


「さて、どうしましょうか」


 レアが見えなくなったところで、二人は顔を見合わせる。


「見てくださいな。レアさんったら、中銅貨が一枚多いですわ」


 レアが自分の分だと置いて行った代金を指差してライラが言った。その数は確かに、実際のものよりも多いようだ。


「らしくないですね」


 紅茶とチョコレートケーキを値段を足すだけの簡単な四則演算という意味でも、金勘定と言う意味でも、レアが間違うようには思えない。


「リリアさんは、何か紙を手に入れられるような伝手はありますか?」


 ダメ元でそんなことを言うが、その答えは想像どおりだ。リリアはため息まじりに首を振る。


「そもそも紙という物を入学して初めて触ったくらいです。実家はパン工房ですが、生活する上で必要の無い物なので……」


「そもそも、試験のたびに全校生徒分の紙を用意するこの学園が異常なのですわ」


 二人の前に置かれている皿は一向に空になる気配は無い。そうして十数分、新しい注文もせずに席を占領する客は、店側としては非常に迷惑だろうことを二人は知らない。


「むしろ先生の誰かに頼めば、紙の一枚くらい分けては貰えないでしょうか?」


 妙案。リリアはそう思った。


「事情を話せば聞いてくれる心優しい先生がいるかもしれません」


 リリアは笑顔だが、ライラの表情は優れない。


「それは……どうでしょう」


 対するライラの表情は優れない。


「学園では試験をするために大量の紙が必要になるじゃあないですか?」


「はい、ですから一枚くらい余った物を頂けないかと……」


「余らないでしょう。試験は一回じゃありません。試験のたびに、大量の紙が必要になりますわ。今回が少しくらい余ったとしても、それはいらないわけではないのです。だって、きっと次回も使いますもの」


 リリアは再び頭を抱える。ライラの言葉は、言われてみれば当たり前の正論だ。反論の余地などない。


「生徒の中には、持て余しているような人はいないでしょうか?」


「どうでしょう……高価なものですから……」


 ライラの困った様子を見て、難しそうだと察したリリアは三度頭を抱える。


「……どうしましょう」


「さて、どうしましょうか」


 話が振り出しに戻る。

 そのあたりでようやく店への迷惑に気がついた二人が、申し訳程度に追加注文をとる。運ばれてきたケーキの皿を置く動作の洗礼さには、毎度のことながら感心するものがある。(テーブル)には注文した商品の名前が書かれた木札が一枚ずつ置かれる。これが支払い時に必要となるのだ。

 考え事をしながら食べる甘味は、いつもほど美味しくはなかった。気が付けば飲み込むことすら忘れて、口の中で味がしなくなるまで咀嚼していた。


「あぁ、くそ!」


 間も無くあまり美味しくないケーキを食べ終わろうかという時、貴族や商人が生活する学園内にはあまり似つかわしくないような、粗暴な声が二人に届いた。


「ライラさん、あれ」


 リリアが指す先にあるのは、(テーブル)に向かって頭を抱える二学年の男子生徒だ。


「放っておきましょう」


 積極的に関わるようなことじゃない。育ちの悪さを取り繕うつもりもなく、致して乱暴な態度を周知させようとしているのなら間違いなく愚者だ。そして無自覚なのだとしたらそれ以上の愚者だ。どちらにしても無視するのが得策だろう。


「いえ、そうではなく」


 しかしリリアは食い下がる。執拗に指差し、そちらを見るように促している。


「紙ですよ。彼、大量の紙を持っています」

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