表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/90

彼女は脅迫する

今年はこれが最初!

「さて……」


 アドミナは辺りを見回す。小汚い、などとはお世辞にも言えない。当然綺麗だと言う意味ではなく、小汚いどころか随分と汚いということだ。賭場ということもあり見た目よりは小銭を溜め込んでいるようだが、それでもアドミナの価値観で言えば端金にもならない。


「私が貰うべき勝ち金の用意ができそうには見えないね」


「ぐ……ぁ!」


 ようやく体勢を直し、起き上がろうと呻き声を上げている男の頭は、アドミナよりも低い位置にある。アドミナは座った状態であっても男を見下すことができた。


「ねえ? どうしてくれるのかな?」


 少女を大切そうに抱き寄せ、男を睨む。自分の体が少女と男の間に入るようにしてはいるものの、それは警戒からではなく不快感を示すだけの態度だ。アドミナにとって、貧民区に住むならず者など物の数では無いのだから。

 それを理解している男は、声を上げることもできずにただ視線を彷徨わせている。当然貯金などなく、金に代えられそうな物も皆無。アドミナの言う通り、男に掛け金を払うことはできない。

 何をどうしても解決などできないと言う答えが出ていながら、男はなけなしの頭を働かせて震えている。しかし彼の頭脳は悲鳴を上げ、今にも火を噴くような錯覚を覚え始める。


「……手ぐらいあるよねぇ?」


 いっそ舌を噛んで死んでしまおうかと思い立った時、アドミナがそんなことを言い始めた。


「手段、方法、良いやつがさあ……あるじゃないか」


 それがどう言う意味なのか、男には理解できない。

 いや無いよとすぐさま否定したかったが、あまりに自信満々に言うものだから、あるのだろうかと考えて見るも、やはり男にそれは浮かばない。

 何のことかと問う前に、アドミナはその答えを言った。


「君達が売れる」


 それ自体は、決して珍しいことではない。体で払うと言うのは、別に色めいた事ばかりではない。労働力としての役割ならば、むしろ成人男性の方が好まれるのは当然だ。

 ほんの少し、男に希望が見えた気がした。払えない分は莫大な借金となるが、そんなことはアドミナも理解している。身売りの相場など男には分からないが、わざわざそんな提案をしたということは、それでも足りないような二束三文の話ではないのだろうと考えられる。

 しかし残念、そううまい話があるはずがない。


「君達みたいな荒くれ者でも、命ともなれば(・・・・・・)それなりの金になる」


 戦慄した

 奴隷商というものは、法律上禁止されているわけではない。むしろ少し大きな街には意外に目立つ場所に奴隷市場が開かれていることも珍しくない時代だ。男の父親の時代には法の外側にあった悪辣な商売だったらしいが、数十年前にあった改革で法が整備され、合法の奴隷というものが生まれたのだ。

 そして当然のことではあるが、奴隷に対する待遇に、命に関わるようなものはあってはならない。その用途は基本的に労働目的でなくてはならず、見目麗しい者ならば性の別に関わらず夜の相手として買われることもあるが、あらゆる目的において基準というものが定められており、まかり間違っても使い潰すようなことは許されはしない。

 にも関わらず、こともあろうに目の前の女は、初めから命を金に変えるつもりで言葉を発しているのだ。

 たしかに、何事にも例外があるように、そういう奴隷を扱う違法の商人もいるだろうが、まさか身なりを整えた魔術師が平然とそのようなことを言い始めるとは思わなかった。


「ま……待って……」


「体格のいい大人の男なら、薬や魔術の人体実験にはちょうど良いし、人を殺したいなんていう猟奇趣味の旦那は結構居るものだよ」


 声が重なったのは意図的か否か。どちらにせよ、アドミナに彼の言葉を聞く様子はない。


「……ふふ」


 少女を抱き上げ、不敵な笑みを浮かべるアドミナは、男たちにとって悪魔の化身にも思えた。いや、正しくそうに違いない。人の命をすり潰して、そこから金を搾り取る所業は、まさしく邪悪に他ならないのだから。


「恐いかい?」


 他ならぬアドミナが、震える男を見下ろして問いかける。恐怖の権化の本人が、聞くまでもない問いかけを投げかけている。


「恐いだろう? 恐いよな?」


「恐くて恐くて仕方ない……」


 得体の知れない魔術師という職業と、言動によって煽られた恐怖が、男の口からいとも容易く弱音を吐かせた。弱さを見せることなど自殺行為であるとわかっていながら、それでも不意に口をついて出てしまった。


「そうだろうとも」


 笑顔のアドミナは大仰にうなづく。


「だから助けてやろうとも」


 それが悪魔の囁きであると、直感的に理解した。

 何をさせられるかなど想像もつかないが、今からアドミナの言う言葉は、天秤の反対側に死が乗せられているのだ。喜べる余地などほんの寸分もありはしない。ともすれば、殺してほしいと懇願するような地獄が待っていることすらも考えられる。

 男の予感が最大限の警告を鳴らし、自分の身以外の全てを犠牲にしてでも逃げ出さなくてはならないと告げている。

 ——が


「代わりにこの子を貰うよ」


 アドミナは少女を抱き上げ、打って変わって優しげな笑顔を向ける。抱きすくめられる少女はキョトンとして笑顔を返すことはないが、アドミナがそれを気にする様子もない。


「ビビってやんの」


 男を指差すアドミナの顔は、まるでイタズラを成功させた子供のようだと感じた。

 その後一度も振り返らずに、アドミナはその場を後にする。翻る外套(ローブ)に施された金糸の刺繍が、角度による光の反射で細かく煌く。


「……あぁ」


 粗末な戸に手をついたところで、振り返りもせずに言葉を残す。


「ここにいる荒くれ者どもは、どうやら君を八つ裂きにしたいようだね。そんなこと知ったことじゃあないけど」


 何がそんなに楽しいのか、はたまた嬉しいのか、そんな声を合図としたかのように一歩前に出てくるのは、日頃からこの賭場を楽しんでいた常連の客たちだ。皆一様に青筋を立て、その心境などあえて語らなくとも瞭然といえる。


「俺は三回も挑戦したぜ」


「俺は五回だ」


 豪快に手や首の関節を鳴らし、握り拳には渾身の力が込められている。手の届く範囲に入った瞬間にどうなるかは想像に難くない。


「俺なんか金額まで覚えてる」


「えらく強えって思ってたがよ、そりゃ当たり前だったんだな」


 アドミナが外に出て戸が閉じたまさにその瞬間に、賭場の中は阿鼻叫喚の有様となった。それはアドミナの憐情(れんじょう)に触れる事はなく、彼女はただ面白そうにケラケラと笑うだけで振り返ることすらもなかった。




 賭場から離れて十数分、アドミナは大きな賑わいを見せる通りを堂々とした面持ちで直進している。

 産まれてこのかた貧民区どころかあの建物すら出たことのない少女は、煌びやかな景色と流れるような人通りに怯えるようでありながら、しかし好奇心を抑えられない様子だ。ビクビクと震えながら、あちらこちらと視線が迷子になっている。


「ねえ?」


 足を止めずに、目も合わせずに、どこへ行くのかも分からないが、全く迷いを見せないアドミナが、不意に少女に話しかけた。


「貴女は一体何故、魔術を使えるの?」


 その質問に、視線を漂わせていた少女が顔を上げる。

 魔法

 それは魔力を糧とする現象全般につけられた名であり、多くの場合人間を始めとする知的生命体が引き起こすものだ。魔力の元となる魔素(マナ)が地上に有り触れるものである以上、自然発生の可能性はいかなる場所であろうとも皆無では無いが、それは竜巻や地震といった大規模で大雑把な災害となる。これを「厄災魔法」と呼ぶ。

 対して賭場で使われていた札に付加された魔力は、明らかに何らかの制御を受けた代物だった。たまたま偶然でできたものというにはあまりにも不自然であるし、頭の男の反応を見る限り術者はこの少女と見て間違いはないだろう。

 しかし


「まじゅつ……て、何……?」


 帰って来たのは、そんな言葉だ。

 考えてみれば、彼女は貧民区の出身であり、繁華街まで来た反応を見るにおそらくまともに街中を歩いたことすらもないのだろう。たった十数分歩けば着く距離にある街を知らないとなれば、ともすれば外に出たことがあるのかすら怪しい。なるほどそれならば、魔術の手ほどきを誰かに受けた経験があるとは思えない。

 魔術

 魔法を操る(すべ)の事。最も広く使われるのは「呪文」だ。それは魔素(マナ)から魔力への転化、そしてそれの制御などを手助けし、魔法の行使を行う役割を担う。魔法陣、呪歌、呪符などもこの一例である。


「そっかぁ、知らないのかぁ」


「……?」


 アドミナは考える。

 彼女が行なった不正(イカサマ)は、十中八九魔力の目印(マジックマーキング)だ。ならばそれに必要な魔法として、付加の他にもう一つ、欠けさせることのできない魔法がある。

 第八属性:(かのと)—七等級《見通しの魔法(シースルー・マジック)

 本来不可視である魔力や魔法を看破するための魔法だ。つまり彼女は、誰の教えも受けず、読むべき本もなく、あの悪辣な環境において七等級の魔法を行使するまでの実力をつけているのだ。それは人類史上始まって以来と言っても過言ではない程の鬼才に他ならない。

 それならば、魔術という言葉を知らなくとも無理からぬことだろうと納得するアドミナであったが、その予想が誤りであることは翌日になってようやく気がつくことになる。天才アドミナ・スピエルともてはやされる彼女であったが、ただ聴力が優れているのみという至極単純な可能性は見落としてしまっていた。


「……そうだ!」


 これは良い拾い物をしたと気分良く歩いていたアドミナは急に立ち止まる。その際に後ろを歩いていた男性が危うくぶつかるところだった。


「名前を聞いてなかったね? 今日から私が君の母親だっていうのに、それじゃああまりに馬鹿みたいだね」


「……なまえ」


 少女の口に手が当てられる。アドミナがなぜそんなことをするのか理解できず、少女はそのつぶらな瞳でまっすぐと見返す。


「やっぱり言わなくていいや」


 アドミナは歩き出す。再び堂々とした面持ちで、迷う様子もなく。


「君に名前を与えよう。君がこれから歩く道のりに、少しでも幸の多いことを願うお祝いとして、異国の言葉で「希少」を意味するこの名を贈ろう」


 それは、八歳のこの時点から、残りの人生全てで少女がこれから名乗り続ける名前。


「レア。このアドミナ・スピエルの娘である貴女は、これからレア・スピエルと名乗りなさい」


 アドミナは手の中で硬貨を転がし、やがてその美しい指で弾いた。硬貨は空中で幾度も回転し、再びアドミナの手の中に落ちる。それを何度繰り返しても、硬貨は常に表を上にして落ちるのだった。

今年もよろしく!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ