彼女は嗤う
今年はこれで終わり!
「イカサマだァ!」
男が叫ぶ。いや、喚くと言うのが正しいだろうか。
「イカサマぁ?」
「そうだろう。一発で、不自然だろうが!」
男の言葉に、周りの客たちも同意の意を示す。確かに、一枚ずつではなくいっぺんに手札の内訳を全て言い当てるとなると、それは幸運ではなく不正によるものなのではないかという疑心も湧く。
「イカサマねぇ……」
「ああそうだ! しらばっくれる訳じゃあねえよな!」
言い逃れることはできない。場は徐々に沸いて行き、そういう空気というものが出来上がっていくはずだ。その場にいる全員、覚えたのはあくまで違和感どまりでありながら、すでに出来上がった空気というものは得てして大袈裟だ。それを崩すのは骨だ。
だから、煽る、煽る。少しずつ上がる同調の声を煽る。少しずつ増える野次の声を煽る。
負けを完全に踏み倒し、あわよくば逆にむしり取ってやろうと。
煽る、煽る。際限なく。そのつもりだ。
——しかし
「そうだね、その通りだね」
その言葉を前に、沸くはずの客達はしんと静まってしまう。
男が望むのは、慌てふためいて声を荒げる反応だ。目が泳ぎ、声が上ずるような反応が望ましかったのだ。だと言うのに、なぜ落ち着きを崩さないどころか肯定すらしているのか。
「でも、厚顔無恥とはこの事だね」
その瞬間的な静寂。不意の一言に面食らってしまったその刹那に、言葉は続けて畳み掛けられる。
「イカサマだとか、おかしいだとか! 本当なら言えるはずないけど!」
思考とは、多かれ少なかれ行動を鈍らせるものだ。だから、断言はしても思考の余地を残す。どう言うことなのかと言う疑問は、つまり行動の抑制につながるからだ。
どう言うことだと、一体何だと
そんな声が周りから立ち始める。それが好ましいことでないことは、学のない男にも良く理解できる。
「まるで自分が清廉潔白の様な言い分だものね!」
その言葉はトドメだ。雰囲気というものはすでに出来上がり、周りの客は騒ぎ立てるどころか成り行きを見ようと二人を観察している。声はほとんど上がらない。理詰めの論争なら、確かそうである魔術師に対して万一にも固めなどあるはずがない。
「違うっていうのか?! 何を根拠に……!」
「根拠ときたか!」
苦し紛れの反論は、あっさりと遮られてしまう。普段であったならばまさかそんな主導権を握られる様なことはさせないが、言葉では勝てないという自信のなさからくる消極さが、相手の反論を許した。
「今、根拠があるのかって言おうとしたのかい? 何を根拠にそんなことを言うのかって、そう言おうとした様に思ったけれど、それは間違いないだろう?」
回りくどいその話し方に、男はどうにも気持ち悪さを感じていた。正直な感情をぶつけ、最後には殴り合いとなる無法者とは全く違う話し方だ。
「それが何だってんだ!」
「そんなものは必要ないだろう? だって君達は分かっているだろうし、お客達に説明は不可能だ。それにここは司法の場って訳じゃあないんだから、感情を度外視した理屈の塊で善悪が決められたりはしないじゃないか」
感情
それはこの場において重要なことだ。
「極論すれば、君を論破する必要なんてないんだよ私には。確固たる規則で決められた討論会や裁判じゃあないんだから、もっと感覚的な部分が重要視されてしかるべきだろう」
「何を言っているのかさっぱりだ。お前は何が言いたい」
「単純だよ! 「札に魔力が付加されていた」と言うのは簡単だけど、それは周りのお客には判断できないだろう? だって魔法が使えないんだから。でも、「君達が魔法を使って札を透視していた」事ぐらいなら理解できるじゃあないか。裁判なら「それは証明できない」で却下されてしまう言葉だけど、この場には「もしかしたら本当なのかな?」って思う人がたくさんいる。そしてその人達は、理が詰められていないからと言って「だったら暫定無罪だな」と大人しくしている様な人物ばかりじゃあないと言うことさ」
その言葉は単純だと始められた割に、結局男には理解し難かった。裁判も、討論会も、暫定無罪も、馴染みのない単語で語られた言葉はいまいち頭に入ってこない。ただ、怪しい奴は痛めつければ自白すると言う行動を何度もとっている男にとって、この場で理屈がどれほど役に立たないのかは実感できる。罪を証明できなくても、疑わしい者は拷問にでもかければ確かめられるのだから。
しかし、男の興味を一番引いたのはその部分ではない。
どう言うことかと問いただし、その答えを聞かなくてはと駆り立てられたのは、また違う場所なのだ。
「魔力? 魔法?」
そこは間違いなく、全く覚えのないものだった。
「お前が一体何を言っているのか、俺には全く分からねえ。この店の誰かが魔術師に見えたのか? 魔術師がこんなところにいる訳ねえだろう」
「誰が魔術師かなんて知らないけれど、その札に魔力が付加されていることは間違いのない事実だろ? 私はその札に一切の小細工を行なっていないけど、その付加された魔力はとってもいい目印だ」
「何を……」
それはどう言うことなのか、男の言葉は一瞬止まる。
目に入ったのは賭けに使った道具である床板と札、そして目の前の少女の背中だ。
その背中は、とても小さく見えた。それは十にもならない少女に対しては当たり前の感覚ではあるが、しかしこの時はいつにも増してそう思えた。賭博中の絶えず笑みを浮かべていた昂りは影を潜め、体を丸めた状態で微動だにしていない。
まさか——
男は生唾を飲み込む。そんな筈はと、思い当たりがあるために。
「お前……」
唾を飲み込み、手を握り、考えが完全にまとまる前に足が出た。
抵抗しない少女は、そのままゴロンと前に倒れこむ。受け身も取らず、頑丈な木製の板に頭を打ち付け、それでも呻き声を上げもしない。板の上に乗っていた札は倒れた少女の体に弾かれてしまった。
「お前か! お前がか!」
少女の背を踏みつけ、男は続けて怒鳴りつける。
男は知らない。その少女にも、全く覚えなどないことを。
魔力を扱うということは、魔術師なら誰でも分かることだが非常に感覚に依存する行為だ。頭でその原理を理解していてもそれができるとは限らないというのに、原理など知らなくても簡単に行う者もいる。腕を動かすためにその原理を気にする者がいないようにだ。
少女が行ったのも、言って見ればそんな程度のものだ。
少女はその力の正体はおろか名前すら知らなかったわけだが、それでも微弱に扱うことができたのだ。それは多くの人間には全く無意味なほど小さくではあるが、奇跡的に少女の優れた才能と噛み合うことによって此度の不正を可能としていた。
だから少女も、アドミナの言っていることなどこれっぽっちも理解できてなどいないのだ。
「お前しか居ねえ! 何をしやがった? 舐めた事をぉ!」
そんなことなど知らない男は、手加減など知らぬという風に少女を踏みつける。
男は普段慣れない頭脳労働を任されているためか、不意に暴力は訴えることがある。それはこの賭場にいる者は誰でも知っている事で、誰でも気をつけている事であった。男はひどい癇癪持ちであった。
その暴力は体力のある子分たちよりも、むしろ女や子供に向けられる。本人としては当然の事だ。そろそろ年を取ってきた自分は、若く力のある大の男には反撃を受けるかもしれない。あまりバカなことをする子分には拳の一発くらいはくれてやるが、癇癪を起こして殴りつけ続けるような場合はより力の弱い相手を選ぶ。
そんなことが日常的にある者は、男の気が収まるまで抵抗せずにじっとしていることしかできない。何をしても嵐が早くすぎたりはしないように、例え何を思おうと、何を感じようと、男の怒りが静まるのは早まったりはしない。
少女はただ無感情に、男の怒りを受け続けている。それがただ一つの対処法だったのだ。何かをして怒らせるよりも、何もしないことが唯一の対処法だったのだ。
——そう、だったのだ。
「よせよ」
それはとある民族庭園に見られる「シシオドシ」の様に、よく響きながら騒がしさのなく品のある声だ。
「やめろよ」
威厳のある声はその場の誰もが耳を傾ける。その言葉を聞くに及ばずと断じる事は出来ないと、なぜか心で理解したのだ。
「私の名はアドミナ『魔導具師』。現在、この国で最年少の第八属性魔術師。私が術師名を名乗った以上、私の機嫌を損ねる行為は全て、死へと一歩近づく行為だと思いなさい」
アドミナは目の前に倒れる少女を抱き寄せる。
「…………」
少女の瞳に力はなく、先ほどまでの生き生きとした笑みは表情から消えている。だが、その虚ろな目は彼女がまだ生きていることをハッキリと知らせている。
それは生命としてではなく、心が
生物としてではなく、人として
彼女がまだ死んでいないと言うことをアドミナに感じさせる僅かな光を、確かに宿しているのだ。
「……教えて?」
瞳を覗き込み、まるで母が子にそうするような温かい声で聞いた。
「おい、おい待て!」
男は一つ思い当たり、慌ててアドミナを止めようとする。しかし、その足が一歩以上近づく事はない。何せ相手が魔術師で、例えこの賭場にいるすべての人間を相手取っても難なく皆殺しにできる強者であると理解しているからだ。今自分が生きているのも、そもそも賭博が成立していることさえ、全て相手の気まぐれによるものである事は疑うべくもない事実なのだ。
彼女が少しその気にならば、この賭場に入る前に建物を破壊し、その後に、その残骸の中で硬貨を拾い上げても良かったのだから。
「————」
アドミナの次の言葉は、周りには聞こえなかった。少女の耳元で、少女のみに聞こえるように呟かれた言葉だ。その言葉はきっと少女にとって重要で、否が応でも反応してしまうような、そんな言葉だ。
「……ぁ」
案の定、少女がわずかばかりの声をあげる。今までただ賭博をするだけの存在であり、名前すらつけられていなかった少女が、今まさに真の意味での産声をあげたのだ。それは一人の人間として、弱々しくも大きな意味を持つ第一声だ。
「喋れる?」
アドミナの優しい声に、少女は恐る恐るうなづく。
「じゃあ教えて? 貴女はこの賭博でイカサマをしたの?」
まずい
そう思った男がアドミナの魔術を恐れながらもたった一歩前に進む勇気を振り絞ったのはわずか二秒の間であったが、少女の口を塞ぐにはそれではあまりに遅すぎた。震える足で歩くのは、男の想像以上に難しい。二歩目をどうにか踏み込む時は、少女の声が上がるのと同時だった。
「した」
賭場中の視線が集まる中、少女の声は誰一人聞き逃すことなくハッキリと紡がれる。
「私はイカサマをしてた」
少女の言葉は簡潔で、それだけに勘違いや聞き違いを疑う余地もない。その場にいる全員が、正しくその意味を理解している。
そして、それが面白く無い者がその場に一人いる。
「クソガキィィィイイ!!」
男が拳を振り上げる。つい今までの口を塞ごうとしたような生易しいものでなく、それは渾身というに相応しいだけの力が込められている。そのまま少女の頭に振り下ろされたなら、まず間違いなく絶命してしまうことだろう。その時は男の手も見るに耐えないほどに傷ついてしまうだろうが、彼の頭はそんなことを気にとめる余裕がないほどに沸騰してしまっている。
ドン、と鈍い音がした。
それは言うまでもなく男の立てた音で、しかしその場に予想された無残な少女の姿はない。代わりとして、背後に半回転して地面に後頭部を打ち付けている無様な男の姿があった。
「お前は今、死に二歩も近付いたよ」
良いお年を!




