彼女は容易く勝利する
勝利
男は満面の笑みを作る。
「惜しかったなあ」
これはすべての客に言う言葉だ。目の前の少女には、初めての客には常に僅差で勝負をつけるようにといいつけてある、圧勝では相手の食いつきが悪いからだ。
「まあ、今回は練習ってことで金は勘弁してやるよ」
これもいつもの言葉だが、手下はいつも文句を垂れる。相手を引っ掛けるには時に引くことも大事だということを、何度言っても理解しない。
「もうちょっとだったね。後少しで私の方だった」
女魔術師は目尻を下げて困り顔だ。
そう思わせることが重要なのだ。「金を払わなくて良い」「もう少しで勝てそう」そういう思いが警戒心を和らげる。安心するのだ。
そしてそれが大きな隙だと、男はよく知っている。そういう思いに囚われた客は
「じゃあ本番もこの調子で」
と、そう言うのだ。
「望むところだ」
まず行うのは、この勝負における金の賭け方だ。ただ勝った時にいくら、負けた時にいくらと払われるのではなく、少しばかり特殊なやり取りが行われる。
「まずあんたがやる事は、手札のうち一枚の相場を決める事だ」
男は無作為に目の前の札から一枚を拾い上げる。星の札だ。
「例えば札一枚につき小銀貨一枚だとすると、一枚差で勝てば小銀貨一枚が儲け、二枚差で負ければ小銀貨二枚の損になる」
つまり、最大で賭け金の四倍までの差し引きが発生するという事だ。
女魔術師は腕を組んでううむと唸る。
賭けが小さすぎて配当が少ないのも味気ないが、もし大きく賭けて四倍の支払いがままならないとなれば目も当てられない。賭けた金額の一倍から四倍の金が動くわけだが、その倍率は選べるわけではなく、実際に勝敗が決した時点でようやく決まるのだ。その不確定さが、この賭けを難しくしている。
だが、そんな心配に意味などない。なにせこの賭博は、絶対に負けないのだ。
その遊戯は、変わり者の行商人がたった一つだけ取り扱っていたものを、こちらが本当にそれで良いのかと困惑するほどの格安で譲り受けたものであった。商人曰く、西の国で細々と知られている伝統の遊びらしい。
折角なので、その遊戯を賭場の賭博に組み入れようと何度目か試行をしていたのだが、およそ論理的思考とは程遠い生活をしていたために、男達にはとても向いているとは言えなかった。
そもそも通常は胴元が稼ぎを出すようにできている賭博遊戯と、一対一を想定した公平な遊戯では、根本的なあり方が違うのだ。数日がかりでそのことに気がついた時、男は自らの愚かしさに呆れ返ったものだ。
その後はお蔵入りにもならずに適当なところに放っていた。
そんなことも忘れかけたある日、奥の小部屋の隅に群がっている人影に気がついた。
慰み者として囲っていた女達が産んだ子供だ。本当なら子供などという面倒なものは産まれたその瞬間に川に流してしまうところだが、ほんの気まぐれで育てることもある。女ならば将来手をつけ、男ならば力仕事に回すつもりである。
その幾人かの子らの中心に居たのが、今この賭場で稼ぎ頭となっている少女である。
稼ぎの悪い日ならば、あたかも金がないのは子供のせいだと言わんばかりに暴力を振るうところだが、その日は奮発した金で娼館に行ったばかりで機嫌が良かった。普段からは考えられないほどの温厚な口調で何をしているのか尋ねると、彼らは口を揃えて言うのだ。
こいつが面白えことしてんだ
この時下らないことだと聞きながさなかったのは、男にとってまさしく僥倖であった。
どれどれと子供を押しのけ目の前に座り、少女が何をしているのかとまじまじと眺めた。
——その時受けた衝撃を表現する言葉を、男は持ち合わせていない。
もし男が宗教家であったなら、その感覚を天啓とでも呼んだのかもしれない。もっとも、その本質に関して言えば煩悩の塊に他ならないが。
少女が行なっていたのは、ごく簡単な手品だ。伏せられている札を触らずにそのオモテ面に書かれた柄を当てるという、見慣れた者ならば特に驚くことのないようなありふれたものに過ぎない。
だが、それに使われていたのは男が捨て置いていた「あの札」だった。
男は周りの子供を追い立てる。大部屋で大人しくしていろ、できなければ追い出す。物事をよく知らない子供にとって、「殺す」などという実感の湧かない言葉よりも、「追い出す」という差し迫った事実の方がいい脅しになるのだ。少女一人をその場に残し、意図して鬼気迫る表情で問う。
一体どうやったんだ?
少女の答えは簡潔で、音を聞いているのだと、ただそれだけ口にした。
札自体には特に何かしらの仕掛けが施されてなどいなかったが、少女が手を触れ、力を加えると、不思議なことに音が変わったのだそうだ。札同士をぶつけた音、札を床に落とした音、札を木に叩きつけた音。それぞれは力を込める前と後で違っていたのだと、少女は主張する。力の入れ具合を調整して出す音の変化を記憶すれば、札の表など見なくても音から判断できるのだと。
その後幾度か確認のために試してみたが、男にはその音の違いを判断することはできなかった。
寡黙な少女との会話はいまいち要領を得なかったものの、男にとってそれは間違いなく有益なものであった。
完璧だと
男は過信ではなくそう思った。これを勝負に組み込めば、それは誰にもわかるはずがない。勝敗の主導権は、常にこちらが持ち続けるのだ。
負けるはずがない。バレるはずがない。
男は先ほどまでその場にいた子供はもちろん手下の一切に至るまで、この事実を全てひた隠しにした。少女が触れるだけで音が変わったという言う事実も、鋭敏な耳のことも、知っているのは三年経った今でも少女と男の二人だけだ。
「……決めた」
ニヤついた女魔術師が、いかにも余裕綽々とした様子で顔を上げた。
「全賭け。一発逆転を狙わせてもらおう」
驚くべき思い切りだ。なぜか彼女は、ほぼ確実に勝てるつもりでいるらしい。
「それはそれは……」
最高の答えだ。もちろん彼女にとってではないが。
「もちろん手札四枚で全額って事だよな?」
「おかしな事を聞くね? そっちが言ったんだろ? 手札一枚に対しての賭けだってね」
平然と、当たり前だろうと、彼女はそんな様子で答えた。
本当なら、これは断るべき発言だった。男に学がなく、金に目が眩んだとしても、決して受けてはならない事だった。
返済限度を超えた賭けなど受けるべきではない。
あまりに自信過剰すぎる。
怪しむべきことなどいくらでもあったというのに。
「なるほど構わねえよ」
男はそう返答してしまうのだ。
男の平静を装った返事を合図として、少女が勝負の用意を進める。
十四枚の札を混ぜ、四枚ずつを手札、三枚を公開、残りの三枚を非公開。この非公開の札を退ける時に、わざとパチンパチンと音を立てるのだ。床板を用意しているのも、この音がより小気味好く響かせるために他ならない。男にはさっぱりだが、少女は正確にその音を聞き分けているのだ。
「くふふ」
不意に、そんな笑い声が聞こえた。もし初見の者ならば、目の前にいてもその出所に見当がつかないだろうというその豹変は、間違いなく今勝負を始めようとしている少女のものだ。女魔術師はどうやら面食らったらしく、キョトンとして先ほどまで無表情だった少女を見つめ返している。男は背後に立っているために死角となって見えないが、きっと満面の笑みを浮かべているに違いない。
いつもそうなのだ
不正を働いて相手を喰らう時、この世の何物にも興味を示さないかのような態度を取っていたこの少女は、相手を刈り取る事に悦を感じる快楽殺人者となるのだ。
不気味この上ないその癖は、正直なところ褒められたことではない。つまり相手に、こちらが自信を持っていることを伝えるようなものだからだ。勘の良い者なら、必勝の手を控えている事を看破してしまうかもしれない。
しかし、こればかりは何をどうしても治らなかった。殴りつけて脅しても、菓子を与えて賺してもダメで、ならばと時間をかけて言い聞かせても、首をかしげるだけで分かっているのかそうでないのか判断がつかない。仕方がないので諦めるしかなかった。
「ずいぶん機嫌がいいね」
案の定、相手は怪訝な顔で疑い始めている。
「あぁ、まぁ……」
言葉少なに愛想もなく、たったそれだけの言葉だというのに、鼻先で笑うのをこらえているような声色は非常に腹立たしい。悪い癖だという自覚がないようなのが余計にタチが悪い。
最低限、多くを語るなと言った事だけは守っているようで、少女はそれ以上何かを語ろうとはしない。ならば、わざわざ叱りつける必要もないだろうと、男は関せずを貫いた。なにせ、少女のその癖が出た以上、まず負けはないのだから。
「まあ良いけど」
良い、と言いはしているものの、その言葉は納得していない事をひしひしと感じさせる。しかし、少なくとも食い下がる気はないらしく、一瞬後には本当に気にもとめていないような態度となった。
「ところで、先攻はさっきみたいに私で良いのかな? 何か特別な決め方がある?」
その口調はまさしく何気なく、警戒心などまるで感じないものであったが、しかしすぐ今の言葉とあまりにも一転しているために、それが逆に不自然が過ぎる。
男は少し、ほんの一秒か二秒ほど思考する。本当なら先攻だろうと後攻だろうと負けることなどあり得ないが、かつて先攻一回目で幸運にも全ての手札を当てたものがいたのだ。手札はたった四枚しかないのだから、確かにあり得ないと言えるような確率ではないだろう。
「……なら、硬貨投げでもするか。ちょうどあんたの手元には投げやすそうな大きさの貨幣がザックザクだ」
女が今日稼いだ大量の銀貨と銅貨は、手垢にまみれていながら人の金欲を強く刺激する存在感を放ってそこに積まれている。
「なるほど、確かにこの中の一枚を指で弾くくらいで文句を垂れるほど私の心は狭くない。それが河原に捨てるのではなく、ただ裏と表のどちらが上を向いているか確かめるだけならば尚更」
女は回りくどい言葉と大袈裟な動作で硬貨の山から中銀貨を一枚取り出す。硬貨を手の中で器用にクルクルと転がす様は中々に見ものであった。
魔術師は様々な形状の魔導具を持つ関係上、小物の扱いにはある程度覚えがある。知識のある者ならば「彼女くらいの年齢の魔術師ならば誰しも同じようなことができるだろう」と言うだろうが、学というものに触れたことすらない男達にそんなことがわかるはずもなく、ほんのわずかに目を奪われてしまった。
「裏か、表か」
人差し指と中指で硬貨を挟み、それを少女へと向ける女はどうにも気障ったらしくて、男が心なしか引いてしまうほどである。
男は目の前の少女の背中を小突いて答えるよう促す。別に男が答えても良いが、直接の対戦相手である少女が答えた方が自然だろうと思ったためだ。
「じゃあ、ウラ」
「なら私は表だ」
ヘラヘラとした少女の言葉を受けて、女は銀貨を指で弾く。銀貨は真上に浮き上がり、女の目線ほどの高さを頂点として降下する。その間も絶えず回転を続け、どちらが上になるか目で追うのは不可能だ。
落下した銀貨は女の右手にピタリと収まり、その右手は左手の甲に伏せられる。その動作はまたも大袈裟で、男は思わず苦笑いを漏らしてしまった。
ただ手をどければそれだけでいいと言うのに、女はわざわざもったいつけて間を長く取っている。
「……さて」
などと言って格好をつけているが、男にとっては苛立ちが溜まるだけの言動だ。あと三秒も長ければ手が出ていただろう。
「はっ! 表だ!」
彼女の手の甲に乗る銀貨は、確かに王国の国旗が描かれた面を上にしている。国法において「全ての硬貨はその面を表とする」と定められていることは、誰もが知っているような常識だ。学のない男は当然のように法に関して明るくはないが、そのあたりで迷子になっている子供でも知っているようなことが分からないほど愚かでもない。
「ほうら、表だよ。表!」
中銀貨を手の甲から離さず、それが偽りではないと言うことを周りに見せびらかしている。たった二分の一を当てただけのことがそんなに嬉しいらしく、周りがそのノリに戸惑っていることなど御構い無しだ。
「先攻はもらっていいんだろう? な?」
「構わねえよ。構わねえからさっさとやってくれよ」
何がそんなに楽しいのかと
何がお前をそうさせるのかと
そう思わせるほどに彼女の様子はおかしい。
ただ、このとき邪険に扱って、返事がおざなりになってしまったのは、後から考えれば愚かしいことであった。
「じゃあ、私の番だね」
早く手番を終えてしまえと、男はそんなことを考えていたが、ほんの十数秒後にはそんなことはすっかり忘れてしまう。それは本来、相手の方が悔しさで身を震わせているはずの瞬間だったはずだが、女の次の言葉は、そんなことは御構い無しに、平然と紡がれる。
「三角と星が二枚ずつだね。はい私の勝ち」




