彼女は脅される
「——ところで」
それは、あまりにも長い話を聞くのに飽き飽きしたレアが、「はい」と「なるほど」を一定の周期で繰り返すだけとなって随分と時間が経った時だった。今までよりも強くはっきりとした口調に、脳内で教科書の内容を反復させていたレアの意識は再びナターシャに向いた。
ようやく本題か
その時に安堵のため息が出なかったのは、ひとえにそれがレアだったからだ。もしもこれがライラやリリアであったならば、この辟易とした感情を隠すことは容易ではなかっただろう。
「貴女、なかなか頭が回るようじゃない?」
ナターシャはあくまで何の気なしにという風を装いながら、しかしその強い視線と口調を隠しもしない。
「人並みですよ」
とレアが軽く否定するも、
「謙遜だわ」
と食い下がる。
——そして
「じゃないとアスト・アイナスには勝てないでしょう?」
そう言って笑うのだ。
「彼はあの後四人の生徒に勝負を挑まれたけれど、その全てで勝利したようよ?」
全く、ナターシャの真意が掴めない。
一つだけわかるのは、アイギスは無関係だと言っていたが、やはりあの賭場にも何らかの関係があるのだということのみだ。わざわざ話を出したのは、それを強調するためだろうか。どういう意図かはまだ分からないが。
レアは返事を返さずに押し黙る。
「警戒しないで? 私は貴女と仲良くしたいの」
その笑顔は貼り付けられているようなものではなく、確かに彼女はレアに不快感を与えたいわけではないのだと感じられる。だが、本人の意思とは裏腹に、レアの警戒心は着々と高まっている。
「話の趣旨がつかめません」
平坦な口調は、その警戒の表れだ。しかしナターシャはそれを気にした様子もなく、平然と返すのだ。
「私なりの順を追って話を詰めているのよ」
「ならば続きを早くお願いします」
だったら最初に無駄話なんかするな、とは言わない。ただ口調にトゲをもたせているのは意図したものだ。
「そうね」
と一言、端的に。
ナターシャは続ける。
「貴女が帰った後、使用されていた山札に何枚か足りない札があったのよ。知らないかしら?」
ナターシャは笑う。
「らしい」ではなく「あった」と断言したということは、関係者なのは確定だろうか。
確かに、その札についてなら心当たりがある。すり替えに使用して、誤ってそのまま持ち帰ってしまったものだ。ナターシャはそのことについて言っているのだ。
「知りませんね」
とシラを切る。
不正についてなら、そもそも賭場側も仕掛けていたのだから、言うならばお互い様だ。何の後ろめたさもなくしらばくれる。
「そう。もし貴女が持っているのなら、それは窃盗に違いないから、何らかの責を取らせなくてはならなかったわ」
あくまで笑顔で、ナターシャは言う。
なるほど、もしも不正について言及しても、それを言質として別の物事を引き出すつもりだったというわけだ。シラを切って正解だった。
しかし不思議だ。代表会とは決して生徒会執行部でも風紀委員でもないのだから(そもそもこの学園にそんなものは存在しないが)、生徒の不祥事などは管轄ではないはずだ。何なら、他人事だと見過ごしても問題はない。それをわざわざ呼び出してまで言及することに、レアは深い意味を見出せないでいた。
やはり賭場との繋がりだろうか。
代表会が、あるいは彼女個人が賭場と繋がっており、先日の件に関するお礼参りと言ったところか。
そんな予想は、瞬間で砕かれる。
「エイブル・B・アルフも、優秀ではないけれど、決して愚かしい生徒ではなかったわ」
賭場とは全く関係のない話となったからだ。
一瞬、一体誰だったかと忘れかけていたが、『ニイチ』で声を掛けてきた上級生だったと思い出した。確か、レアの持つ魔導具を譲ってほしいと声を掛けてきた生徒だ。
「そう、ですか」
レアはわずかに眼を細める。
ナターシャが何を言いたいかなど皆目見当もつかないが、まさかそんなレア自身が忘れかけているような事柄まで調べているとは思わなかった。
「エイブルの事は知っているわよね?」
わかって言っているのだ。小首を傾げ、疑問系にしてはいるが、それは間違い無く明らかなことをあえて口にしているに過ぎない。
「そうですね」
あえて反抗する意味もないため肯定するが、レアとしては意味も無く反抗的になってみたくもあった。
「そして貴女は、実習室で彼と軽い勝負のようなものをしたのよね?」
それは疑問でありながら、妙に具体的だ。
「そうですね」
これについても肯定。どうせ調べた上での言葉だろうから。
「そして——」
ナターシャの口元が弧を描く。
「貴女はそこで第二属性の魔法を使ったわね」
「…………」
レアの表情がわずかに歪む。その言わんとしている事を察して、言葉に詰まる。
第二属性。それは火の魔法だ。
この学園において、昼休憩などの空いた時間に使われていない実習室で自主練習などは日常の光景だ。比較的不真面目なレアでも経験がある。しかし、そんな練習時間で、第二属性の練習を行う者は極々少数だ。というのも、それが火である関係上危険が伴うため、第二属性のみは規則によって教師監督のもとでしか行使を許されないものと定められているからである。
隠れて行う者も少なくないが、それは確かに規律に違反する行為である。特に、レアは練習のためなどでは無く、ただ手巾を燃やすために行っている。咎められたなら、弁解の余地はない。
「何の、ことか……」
わかりませんね
そう言おうと口を開いて、自覚できるほどの動揺が口から出たことにまた動揺して口を紡いだ。まさか残っている生徒のいない教室の出来事を、そこまで詳しく把握しているとは思いもしなかった。
どうしたものか。
繰り返すようだが、生徒の不祥事は代表会の管轄外だ。それは通常教師が行う。当然、生徒を罰する権限などあるはずもない。彼らは飽くまで生徒の模範であり、学園の代表に過ぎないからだ。学園側から優遇を受けることも多いが、当人らが強い権限を持つということはない。
さて、その学園の生徒であれば誰もが知っているような事実は、果たして安心材料となりうるだろうか。
レアは否だと結論付ける。当然のことだ。ナターシャ自身が罰せなくとも、単純に教師に報告するだけでいいのだから。
これは明確な弱みだ。
——しかし、それがどうしたというのか。
レアはナターシャを強く睨み返す。
確かに、咎められるだろう。確かに、弁解の余地はない。しかしたったそれだけだ。レアが使った魔法は高い等級のものではないし、出た実害はレアの手巾だけだ。例え咎められようと、そう重い厳罰が下るとは思えない。
「足りないかしら?」
レアの視線を受け、ナターシャがそう発言する。
「ならもう一押し」
その顔の何と穏やかなことか、それに対し、相手の思惑もわからないままに弱みを突きつけられるレアはたまったものではない。
「今この時間は、授業中よね?」
「そうですね」
その通りだ。今この時、ライラやリリアはどこかの教室で授業を受けているはずだ。たしか第三属性の実習だったと記憶している。
「あなたに呼び出されましたからね」
至極当然の事実。加えて言うならば、ナターシャの長話のせいで一時限に追加して二時限目まで欠席となってしまった。
そんなことはわかりきっている。なぜ今そんなことを確認するのか、レアが計り兼ねていると、ナターシャはしゃあしゃあというのだ。
「それはどうかしら?」
「……は?」
「いやね? 私なら貴女がどれだけ授業を休もうと、何なら授業になんて出なくても進級させてあげることが可能だわ。でもね? 私が「そんなの知らないわ」と言うだけで、貴女はどうなるのかと思っただけよ。実技成績最下位のレア・スピエルさん」
なるほど、確かにそれは効果的かもしれない。
アイギスに「問題はない」などと言わせておきながらの不意打ちとは、いささか卑怯なのかもしれないが、実際レアには言い訳が思いつかない。
第二属性の件と合わせればどれくらいの罰が予想されるだろうかと思考するレアに、ナターシャは追い打ちと言わんばかりに発言する。
「最後にもう一押し」
何か、少し嫌な予感がした。数秒で的中する予感など何の意味もありはしないが、確かに感じた。
「貴女の友達の二人の事だけど」
「! 二人は関係——!」
ないでしょう
そう続けようとして、ナターシャに言葉を遮られる。
「貴女が第二属性を使用した際、彼女たちは一緒に居たと聞いているわ。一緒にいながら、それを黙認していたとも聞いているわ」
「だから共犯だと? 話が飛躍しすぎてやしませんか?」
慌てるレアに対し、ナターシャはこれでもかというほど冷静だ。
「分からないの?」
その言葉は、あるいは煽りも含まれるのかもしれない。
「私が学園側に今の話をするとして、全て正しく話す必要なんて何もないのよ?」
「——!」
レアは奥歯を軋ませる。
例えばナターシャが「三人が第二属性を使っていた」と報告したならば、レアは当然否定する。「私だけがやりました! 二人は何もしていません!」。その様はあたかも二人を庇っているように見えることだろう。ライラとリリアがどういう反応を見せるかはわからないが、そうなれば、学園から二人への心証が悪くなってしまうのではないだろうか。彼女たちが我が身可愛さにレアを売ったように見えてしまうのではないだろうか。
レアは思考する。
被害妄想が過ぎるか。大袈裟だろうか。実際、規則違反としてそこまで大きなものではないはずだ。罰則も相応に軽いものなのではないか。
いや。その考えをすぐさま否定する。
ただ発覚したのならそうだろうが、今はナターシャからの告発ということになる。正直、何を言われるのか想像もできない。代表会の第四位と一般生徒のレアでは、その言葉の重さに大きな差がある。信用勝負なら必敗だ。
自分だけのことならば、特に気にかけることなどない。そもそもレアはこの学園が好きではないし、できることなら早めに去りたいとも思っている。しかし、二人はそうではない。夢を見て入学した彼女たちの不利益となることは、レアもひとえに辛いことだ。自分の何らかを賭けさせられるよりも、そのことが比較にならないほど辛い。
レアは両手で顔を覆う。
普段、あまり表情の変わらないレアが、うつむいて唸るほどに打ちのめされている。
卑怯であると。
卑劣であると。
「彼女たちに何かをすることは許しません……!」
その声は震えている。
自らが友人を巻き込んでしまうかもしれないという嘆きに。
友人を出しにしようという相手への怒りに。
「え……? あ、いや……」
ナターシャは慌てた様子で両手を振るう。
「勘違いしないで? 言ったでしょ? 私は貴女と仲良くしたいの」
そこまで感情的になるとは思わなかったのだと、のちの弁解だ。当然許すはずもないが。
ただ、その態度に一時的に毒気が抜けてしまったのも事実。わずかに冷静な判断を取り戻したレアは、まず肺の空気を吐き出して、再び思考の海へと飛び込んだ。と言っても、そこまでの深さではない。そもそもわずかな理性で、深みまで潜ることなどできはしないのだから。
「…………」
問答無用で教師に報告しないということは、おそらくは何らかの要求があるということだ。そのための脅し。そうで無くては、わざわざ会話をすることに利点などない。レアにとって、提示された弱みは確かに覆せない事実ではあるが、その後の要求に関していえばまだ交渉の余地があるかもしれない。
「……本題をお願いします」
そう判断しての発言だが、
「話が早くて助かるわ」
などと言うナターシャとの会話を早く終わらせたいという目的もある。そもそも、一時間も無駄話をしていたのは彼女だ。それを棚上げにする言葉に思えてならなかった。レアの中の彼女の好感度が地についた。
ナターシャはひどく嬉しそうに手を叩く。目は細められ、口角は上がり、声も幾分か高い。
さて、わざわざレアを呼び出してまで、更に半ば脅してまで聞き入れさせたかった要件を、彼女は砂糖漬けの菓子のような甘ったるさで宣言するのだ。精神を研いでピリピリと待ち構えるレアとは対照的に、彼女の心はまるでふわふわの綿菓子なのだ。
「代表会に入って欲しいの」
そうで無くては、そんな重要案件を笑いながらなど話せるはずがない。
「……?」
代表会は、七人中五人が全学園生徒の成績順で選出される。つまり彼らは間違い無く学園で最も優秀な生徒であり、例外無く生徒の羨望を集める秀才たちである。
ならば、残り二人は何なのか。学園六番目と七番目の秀才を押しのけて、いったい誰がその枠に入り得るというのか。
結論から言えば推薦枠だ。学園の代表として宣伝なども行う代表会は、ただ勉学が優秀なだけでは務まらないことも多い。ゆえにたった二枠だけ、最適と思われる人材が推薦されることとなっているのだ。推薦は多くの場合教師からのものだが、代表会に所属する生徒からのものも珍しくはない。
つまりは、レアを代表会に推薦すると言っているのだ。
「頼めるかしら?」
その声は疑問系でありながら、レアが断ることができないことを知っている。彼女は言った、「話を詰める」と。確かにレアは今、ナターシャの手の平の上で詰んでしまっている。
この日、レアは学園の顔となった。




