彼は数える
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ブラックジャックという遊戯は、ディーラーの行動が単純な法則によって定められているその性質上、客の行動には確率的な最適解が存在する。
17以上の時は必ず手番を終了する。
Aか8のペアは分ける。
ディーラーの数字が21を越える確率は約三分の一である。
その他様々な定石。情報。これらを常に遵守し、最も勝率の高い手を取り続けることによって、この賭博の控除率は最高で0%にまで下がる。
相手が不確定な行動を起こすポーカーではこうはいかない。
ブラックジャックがしたいと願い出て、アストがこの規則を提示した時のカルの高揚は、きっと誰にも悟られなかったけれど、しかし彼は勝利を確信していた。
勝率が六割の勝負を一回しても、四割の確率で負けてしまう。だが、それを十回続けたらどうだろうか。百回なら、千回なら。
確率を積み重ねれば、それはいつか確実の近似値となるのだ。ただの幸運で越えられるものではない。賭け金はアストと同じ額を提示し続ければ、勝ちの大きさで差をつけられることもない。
勝てる。それもほぼ確実に。
ディーラーが札を配り、第二回戦が開始される。ディーラーの開示されている札はダイヤの6。カルの手札はクラブの4とダイヤの3で合計が7。これは——
「……ヒット」
それが最善だ。
そしてダイヤの8を引き、合計で15になったところで手番を終了する。カルは、どの札を引いた時にどのような行為に出れば最善なのかを正確に記憶している。
ディーラーはクラブの6を引き、合計がまだ少ないためもう一枚引いたところでクラブのQが出て21を越えた。再びカルの勝利だ。
どうやらアストも勝ったらしいが、同じ賭け金を提示している限り上回られる事はない。実質的な勝利と言える。
その後も、最大限の勝利と最小限の敗北を繰り返しつつ、確実にカルのチップは増えていく。
勝てる、勝てる。
カルの心は高鳴り、チップ数は早々に150を越えた。
勝っている、勝っている。
生まれながらに明瞭な記憶力によって、全ての最適解を完璧に記憶している。
勝つ、勝つ。
勝利が既に決定しているかのごとく、彼にはあたかも確実に思えた。
第十四回戦。6枚の利益。
第十七回戦。3枚の損失。
第二十一回戦。9枚の利益。
何のつもりか最低賭け金を選択し続けるアストのせいで細々とだが、その積み上げられた軌跡は間違いなく勝利に続いているのだと。カルは笑う。その口元が、弧を描くのを抑えることができない。
だが
カルはおかしいと思わなくてはならなかった。
そもそもチップを二倍にするというこの規則に、疑問を持つべきだったのだ。賭博とは、常に胴元が有利に設定されているものだというのに、まさか勝ち越すことを前提とした勝利条件など不自然ではないかと。そう考えるべきだったのだ。
もしかしたら、と
ひょっとすると、と
気がつくべき事だったのだ。
第二十三回戦。その変化は訪れた。
「スタンドすべきだ」
アストがそう発言したのだ。
現在カルの手札はスペードの3とスペードの9で、合計は12だ。ディーラーの開示されている札がハートの7なので、ここは引くのが最善である。
一体何のつもりの発言なのか。下らないカマかけで、自分を翻弄するつもりなのか。少しばかりの思考を挟むも、その答えは出ない。
「……ヒット」
結局信じたのは、カル自身の記憶だ。情報に基づいた最適解に間違いなどありようもない。
この勝負はカルが新たにスペードの8を引き、ディーラーのハートの7、クラブの4、クラブの6の手札に勝利した。3枚の勝ちだ。
やはり、アストの発言はハッタリの類いなのだろう。何か不正でも仕掛けられたのかと警戒したが、全くの杞憂だ。カルは胸をなでおろす。
「あぁ……」
だから、カルはアストの言葉を聞き逃した。その安堵は完全に裏目だった。
「運なんてそうそう続かないのに……」
そこから、カルの勝負は転がり落ちる。
第二十五回戦。20枚の損失。
第三十回戦。40枚の損失。
第三十三回戦。25枚の損失。
明らかに不可解。確立に対して周到に情報を整理して挑んだカルルエル・マイアーが、まさか有象無象の賭博中毒者と同じ様にチップをすり減らし続けてしまっているのだ。
賭け金をアストに合わせるのも完全に裏目だ。まるで見計らった様に、アストは賭け金を上げ始めた。
「そんな……は……?」
そこから崩れるのはあまりにも早い。
折れた心はアストと同額を賭けさせない。賭けられるはずはない。チップが50を切ってから先は全ての勝負で3枚、3枚、3枚、最低賭け金を提示し続ける。
当たり前だが、賭博で、消極さが効果的に働く場面は少ない。負けを少なくするか、あるいは時間稼ぎとしての役割ならあると言えるが、どちらも勝利を見据えてのものではない。
3枚。
勝てたとしてもそれだけなのだ。それだけでは、負けを取り戻すには至らない。
大胆さを持たず、なけなしのチップをゆっくりとすり減らすだけのカルと比べれば、まるで思考ができないかの様に大量のチップを吐き出す賭博中毒者の方が、勝負師としての本質により近いとすら言える。
山札が残り少なくなり、使用済みの札を混ぜて山札が本来の厚さに戻る。これを後もう一度行った直後に、勝負はついた。
「240枚ちょうど、僕の勝ちだね」
カルのチップは残り11枚という有様であった。
何が起こったのか。
全く勝てなかったわけではない。何度かに一回という頻度で勝利はしていた。しかし、それは完全にまぐれというものだ。確立によって割り出された最適解からくるものでは断じてない。
「なんで……」
カルは首を垂れる。なけなしに残ったチップと最後の手札を乱雑に散らばらせて、カルはその場に力なく崩れる。
「何も分かっていないんだね」
アストはそれを見下し、冷たい眼差しを向ける。その表情には先ほどまで取り繕われていた友好的な雰囲気はすでにない。
ため息を交えて、アストはカルの未熟さを指摘する。
「カードカウンティングを知らないらしいね」
ブラックジャックは、使用済みの札をすぐには山札に戻さない。これによって、次第に山札の内容には偏りが生じていくのだ。。カルの思考など実は当たり前のことであり、その対策として行われている事だ。
その上で行動の最適解を導く技術こそが、「カードカウンティング」である。
「第四十五回戦では、すでに8の札が全て使用されている事に気がついていたかい? 第五十二回戦では山札のほとんどは絵札だったけど、それは知っていたかい?」
使用された札が正確に記憶できているのなら、その都度の最適解を把握する事は不可能ではない。
「例えば、Aがもうない状態で、合計が10の手札をダブルダウンするべきではない。山札に絵札の比率が高いのなら、ディーラーのバースト率が高くなる」
その程度の考えにも至らず、井の中を見回したのみで、あたかも奥義にたどり着いたかのように思い上がっていた。その驕りに、アストはこれ以上にないほどの苛立ちを覚えるのだ。
「君のようなヘボは先月から数えて五人目だけど、誰一人として僕を満足させられなかった。やはり君もそうなったね」
札に触れるたびに思い出すのは先月のあの日、レア・スピエルとの一戦だ。後二回、たった二回をふいにされて終わってしまったあの時間に対する熱さは、今でもアストの中で燻り続けている。
初めて現れた挑戦者に対しては、正直なところ期待していたのだ。この不完全な燃焼を、どうにか解消してくれるのではないかと。
しかし
「期待はずれも甚だしい!」
そう、ただの一度も、レアに期待したほどの勝負となる事はなかった。思い上がった未熟者の頭を叩くだけにとどまる勝負は、言いようもなく退屈であった。
「自惚れもいい加減にしてほしいよ! そんな……そんなんで必勝法がとか、楽勝だとか、笑わせないでくれるかなぁぁああ」
終始全く、相手ではなかった。
馬鹿な、と
そんな言葉はもう浮かばない。
自らが自信を持っていた記憶も、論理も、全ては細事に過ぎなかった。
入学したての一学年に敗れたと聞いて、これは好機であると思った。懐を温めている貴族が、実際には強者の姿を偽っていたのだと知って、それを崩してやろうと思ったのは思い上がりだった。なにせアストは疑う余地もない強者だ。さらなる上位者に敗れたからといって、彼の自力に違いなどない。きっとその一学年が、カルの想像をさらに絶する化け物なのだろう。
もはや悔しがる事すらバカバカしいと、カルは力無く立ち上がる。そのまま、フラフラとした足取りで退室していく様は、アストにとって七度目になる光景だった。
自らを賢人であると錯覚して、愚かしさを悟った者の様子だ。しかしそういった手合いが一晩打ちひしがれた後、翌日にはいつもの調子に戻っている事を、アストはよく知っている。人はそうそう学ばない。そうでなくては賭博に収入などあるはずもないのだから。
現に、今まで挑戦してきた五人のうち二人は二度目の挑戦に現れている。当然その都度完勝であるが、呆れるなという方が土台無理な話だ。
だから、今日もアストは聞こえないほどの小さな声で、退室する彼らの背に向かってこう言うのだ。
「二度と来るなクソザコ」
その声は賭博の賑わいに紛れ、カルの背には届かなかったことだろう。アストはカルを見て何となく、「あいつはまた来そうだな」と、そう思った。
どうやら、規定の選択を間違えたらしい。アストがそう思ったのは、カルを追い返したその瞬間だった。
「もうこんな時間だったのか……」
間も無くお客は全て返してしまう時間であり、いくつかの卓はすでに片付けを始めている。廊下の方を見れば紅色の光が漏れており、勝敗が決するまでに時間がかかり過ぎた事がよくわかる。
チップの枚数を半分にした方がよかっただろうか。いや、それではまぐれで負けてしまうかもしれない。ならば根本的に規定の見直しを行うべきだろうか。
その場で唐突に立ち尽くし、考え事に耽ってしまうのは悪い癖だと、アスト自身も自覚する所だ。
「……おい」
ああでもない、こうでもないとアストが頭を悩ませていると、トランプを片付け終わったアイギスが声を掛けてきた。
「お前、さっきのは嘘だろ?」
その言葉は、あるいはアストでなかったなら理解出来なかったかもしれない。アストの何が嘘だったのか、第三者では何のことが頭を悩ませることになったのかもしれない。しかし、当事者であるアストには疑うまでもない。なにせ、カルに言った言葉には間違いなく嘘が混ぜられていたのだから。
「おや、バレバレだったかな」
何のことかと嘯くのは難しいことではないが、アストは簡単に白状した。特にとぼける利点はないし、アイギスならば話しても問題はないだろうと信用している。
「バレバレも何も……」
アイギスは肩をすくめて首をかしげる。仕方のないやつだとでも言いたげだ。
「言っていることがめちゃくちゃだったからな。よくもまああれだけ適当なことが次から次へと出てくるものだ」
その言葉は、当然関心からくるものなどではないが、しかし間違いなくアストを評価している。レアに敗北してからというもの、アストの駆け引きの上手さは向上傾向にある。
「第四十五回戦時点で8の札は半分以上残っていたし、第五十二回戦は山札を使用済みの札と混ぜたばかりだから、山札がほとんど絵札なんてことはありえない」
「……怖いなぁ、そう言うの。嫌だなぁ。これだから天才って言うのは怖いんだ」
正直のところ、何試合目にどんな札が出ていたかなんてものは少しも覚えてはいない。先ほどのあれはカルを適当にあしらい、追い払うための方便のつもりでの発言だ。どうせ覚えることなどできないと踏んで、口からでまかせを言ったに過ぎない。しかし、聞く限りアイギスはそれを行えているらしい。その記憶力はまさしく驚異的というに相応しい。
「君のその特技にしてみれば、僕がやったことなんて大したものではないさ。カードカウンティングは、そんな超人的な技術じゃあない」
例えば山札に絵札が多く残っていれば、当然絵札を引く確率は高くなる。引く数字が大きいということは、それだけディーラーのバースト率も増えるというわけだ。なので、絵札は山札に残っていて欲しい札。
そして、逆に数字の低い札が山札に残っていたならば、ディーラーに有利とも言える。それだけバースト率が低くなるからだ。
これを考慮し、絵札が使用されるごとに(絵札が山札から無くなるごとに)一点を引き、低い数字が使用されるごとに(低い数字が山札から無くなるごとに)一点を足す。その合計の数字で、山札の絵札の比率におおよその目安をつけるのだ。
あとは現在の合計に応じた賭け金と行動を対応させていけばいい。
「嫌な奴だな、あえて隠すようなことを言うなんて」
「違うよ、あえて言うような事でもないだけさ。見ず知らずの人間に、僕はそこまで親切じゃあない」
嫌だ嫌だと、アイギスは手を払う。あたかも埃を前にしたような反応だが、アストはいちいち腹を立てたりはしない。いつもの事だからだ。
誰よりも早く、アイギスは早々に部屋を後にする。学園の職員である彼は、どうやらこの後も何か仕事があるらしく、いつも忙しなく部屋を出て行く。
「また明日ね」
その挨拶は毎日行っているものだが、返事が返ってきた事は一度もない。アイギスはちらりとわずかに振り返り、手を細かく振るだけだ。それが彼なりの挨拶なのか、声をかけるなと邪険にしているのかは、正直アストにも分からない。
ブラックジャックはそんなに勝てるゲームじゃない
カードカウンティングを使っていたとしても無理
今回魔法ないじゃん……
今後も魔法ない話しは出てきちゃうと思います。
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