彼女は観戦する
ユニークPVが200超えてる!
やったね
水を球体状に形成するということは、実はそう難しいことではない。
水は表面張力によって常に引き合っているため、真球とはいかないまでもある程度までなら意識しなくても丸くなるものだ。これは水滴が球状である事からも想像しやすい。
それをさらに回転させて遠心力を加えれば、魔法を習い始めてたったの二ヶ月であるライラ達でも、形成と維持を充分な余裕を持って行えるほどに容易になる。
つまり、制御を誤って水球を崩してしまうことはないということだ。
「どうしましたの? まるで怯える子猫だわ」
紛れもなく、そして隠す気もなくライラを挑発するリスリーの言葉に、しかしライラは微動だにできない。
油断ならないと、知っているからだ。
イスマイル
それはこの国で最高峰の魔術師の名だ。当然、その家の長女であるリスリーも、将来比類無き魔術師となることが約束された天才だ。同学年の中に、彼女に匹敵する成績を持つのはリリアしか居ない。
ライラにとっては、明らかに格上。
「子猫、私は可愛くて好きですわ」
そんな軽口を叩くので精一杯だ。
「周りをご覧なさいな」
ライラとは対照的に、リスリーは微笑を浮かべて余裕であることを強調している。
「皆さんとっても楽しそうにしているわ。私達も、楽しみましょう。これは勝負ではなく、魔法“競技”の授業ですもの」
リスリーが一歩近づくのに合わせて、ライラはわずかに後退する。
しかしと、ライラは考える。全く勝機がないというわけではないはずだ。
現にライラは、リスリーに匹敵する才能を持つリリアに勝ち越している。第三属性に限って言うならば、天賦の才を持つリスリーにも肉薄することが出来ると、自信を持って言える。
手のひら大に形成した水球を、反利き手である左手に維持する。手のひらから僅かに離れた位置に浮いているそれは、まるで水晶のようにも見える。
左腕を伸ばし、出来うる限りリスリーよりも遠くへ。手の甲を相手に向けて少しでも狙い難く。右腕は前に構える。握るわけでもなく、手刀を作るわけでもなく、相手の挙動に素早く魔法を行使するために自然体を意識する。腰は落とし、魔法のみで対応できない場合に動きやすい体勢をとる。
全てはレア達との試合で経験した故のことだ。負けも、勝ちも、ライラは余すことなく学んでいる。
対してリスリーはどうだ。今までの挙動からおそらくは右利きだろうが、水球を形成しているのも右手だ。当然無手なのは反利き手となり、ライラと比べて対応力に劣ってしまうだろう。
その腕を胸の前に掲げ、それ以外を自然体としている。左手を力無くダラリと下げ、腰を落とすわけでもなく、構えるわけでもない。
隙だらけだ。
強者故の驕りか、或いは経験不足。そこに付け入ることが出来る。
「あらぁ?」
意思を強く持ち、その表れとして前へ進む。たった一歩。それだけだが、それは「勝つつもり」の証明にほかならない。
「もう可愛いのはお終いなのね?」
リスリーの挑発には、無言を答えとする。それが伝わったのかは分からないが、その瞬間が真に開戦となった。
「…………!」
先んじたのはライラだ。
第三属性:辛—九等級《スプラッシュ》
何処からとなく現れた荒波が、リスリーを飲み込もうと殺到する。その白い衝撃を受けたのなら、さすがのリスリーといえども平然とはいかないだろう。
ライラが軽口を叩くので精一杯だったのは、決して気圧されていたからではない。意識を集中していたからだ。
ライラの実力では、詠唱の破棄に大きな集中力を必要とするため、その様子がリスリーには怯えているように見えたらしい。
不意を打てた
先日、エイブルという先輩がレアに対して行っていた正面からの不意打ち。あの時は惜しくも失敗した形となったが、今回はどうやら上手く働いたらしい。視界を覆うほどの水が二人の間に存在するこの一瞬のみ、リスリーの視界にライラはいない。
しかし、そんな時間が長く続くはずもなく、何よりもリスリーが許しはしない。
無詠唱での魔法行使には確かに驚いたリスリーだが、それでも対応が遅れたり、おざなりになったりはしない。
一見すると、空いている左手をただかざしただけだ。その場を動かず、避けようともしない。当然だがたったそれだけのはずはなく、事実、ライラの放った水流はリスリーを避けるようにして別れ、後方へ流れる。リスリー自身には水滴の一つも当たらない。
好機……!
リスリーが行ったのは魔力への干渉だ。
魔法攻撃に対しては、ただ魔法をぶつけ合うよりも効率的な防御手段とされているが、難度が高いために実用するには高い適性が必要となる。リスリーの教養と自力の高さを伺うことが出来る一瞬だったが、これを近距離での魔法戦で行うことは愚策とされている。
何故なら——
「ッ……!」
リスリーの裂いたライラの魔法は、確かに一滴分の染みすら残すことは出来なかった。しかし、その後はリスリーの予想外だ。魔法を目隠しとして、ライラが眼前に飛び出してくることは考えもしなかった。
そう——何故なら、魔力を相手の魔法に干渉させる以上、肉体が無防備とならざるを得ないためだ。自らの魔法を障壁とする時と違い、リスリーが防御に使うべき魔力は今、後方に流れたライラの魔法に使われている。
魔術的な防御を取れない以上、懐に入り込んだライラの猛攻は受けざるを得ない。
——そう思っていた。
「ぅ………!」
今度はライラが驚く番だ。
三つ、体に衝撃が走り、足は浮き、着地したのは後方一メートルの位置だ。痛みはなく、ただフワリと押し出されるという不可思議な感覚は、ライラの記憶の隅に僅かだが覚えがある。
第八属性:丁—十等級《リペル》
魔法実習が始まる前に習った簡単な魔法の中の一つだ。
「まさか……」
無意識にそう言っていた。
まさか、そんなはずは。頭の中はそればかりだ。
「何が、かしら?」
リスリーは笑う。優雅に、上品に。
「魔力に干渉しながら更に魔法を行使する。その若さで、驚きですわ」
言うならば、本来両手で行うような作業を片手で行い、それを左右で別々にするようなものだ。例えば二桁台の魔法だからといって、言葉ほど簡単ではない。
「まあ! 若さでなんて、貴女だって同じ歳でしょうに」
鈴の音のような笑い声はとても上品で見る者を魅了する。
どうしたものかと、ライラは頭を悩ませる。
リスリーの実力は、ライラの想像を間違いなく超えている。おそらくまだまだ余力もあることだろう。
ライラは構える。さっきとはまた別、水球を守るためのものではなく、攻めるためのもので。
腰を落とすのは変わらない。瞬時に行動に移れるように、体のバネを活かせるように。しかし今度は逃げるためのものではないため、僅かに膝を曲げる程度だ。反利き腕は相手へと伸ばし、魔法を待機させることにより牽制とする。そして利き手は掌を上に、つまり自分へと向け、身体能力を向上させたり、傷を癒したりといった補助を行う。
これが、魔導具を持たない場合の魔術師の戦闘姿勢。
それと同時に『リスリーへの挑発』となる。
「……おやぁ」
リスリーが首を傾げた。
その反応を見て、ライラは笑う。
感情を隠すのは貴族の心得だが、しかし、あえて表すこともある。相手が自分の想定通りの反応を見せたのなら、こちらはそれだけ余裕であると煽ることが駆け引きに繋がる時だって存在するのだから。
「左手の水はどうしたの? 維持ができていないのなら私の勝ちだけど」
そう、ライラは今、両手で構えを行っているが、そのどちらの手にも水球を保持していない。
「まさか、それこそまさかですわ。私はまだまだ戦いますとも」
できる限り不遜に、相手の神経を逆なでしようと、それを意識しての言葉だ。未だ笑顔の崩れないリスリーのその表情は、裏側で一体どんな感情を抱いているのだろうか。もしここで、奥歯を噛み締め悔しがってくれたなら、どれほど良いか。
そう上手くいくはずもないが。
「あらあらぁ」
余裕
ライラはその声からはっきりと感じた。
一流の貴族である両親から処世術をよく学んでいるだろうリスリーの声音から、下級貴族のライラがはっきりと感じたのだ。
それが偽りでないならば、これはライラが感情を晒したのと同じ理由。自分が余裕であるという煽り。
相変わらずの隙を晒した体勢のままで、上品に口元を押さえている。
「貴女だって大したものじゃない? 魔法の遠隔維持なんて、その歳でそうそうできることじゃあないでしょう?」
魔法の遠隔維持
彼女が、あたかも何気なく言った言葉は、正しく真実に違いなかった。
ライラの表情が引き攣る。今度はわざとなどでは無い。純粋な焦燥からだ。
「でも、その遠隔化した水はどこにあるのかしら?」
リスリーは悠長に話し始める。敵であるライラを目の前にしながら、視線すら離して周りをキョロキョロと見回す。
「見る限り、私の視界にはいないわ。当然、死角なんて無数にあるけれど」
リスリーは水球を右手から離し、地面から垂直に上昇させ、ほぼ身長ほどの高さに維持した。
「貴女が最初に魔法を使った時までは持っていたわ。私、記憶力には自信があるの。でも今は持っていない。と、なると……」
水球を空中に維持することによって空いた両手を合わせる。
「そうだわ! きっとあの魔法は私を狙ったものではなくて、姿を隠すためのものだったのね!」
わざとらしいその言動は間違いなくライラを煽るためのものだが、ライラ自身はそれどころではない。小馬鹿にした口調でありながらも真を射た言葉に、焦りを感じずにいられないのだ。
「だったら話は簡単よ」
相手に見つからずに移動させるには、逐一死角を縫う必要がある。たった一時でも視界に入ってしまうと、発見されるかもしれないからだ。
だが、相手の目線を確認し、障害物を認識し、その場所が死角であると確信し、それを縫うように水球を移動させるのは手間がかかるどころの騒ぎではない。
だから魔法を利用した。
わざわざ死角を探さなくとも、魔法で障害物を作ればその影が死角だ。さらに死角同士を縫うようにせずとも、その障害物が動けば死角も動く。
「貴女が私に向けて放った魔法は、一体どこへ行ったのかしら?」
言うまでもない、リスリーの後方へと流れて行った。当然、死角もそのように動いている。
「…………!」
「ッ……!」
合図があったわけでも、示し合わせたわけでもなく、二人は同時に動いた。リスリーは背後に潜んでいるだろうライラの水球を狙って右回転で振り向き、ライラは先んじてリスリーの水球を破壊すべく駆け出す。
ライラは勝算を感じる。
いくら天賦の才を持つリスリーといえど、振り向き様に水球を破壊するのは至難だと思えた。それは反応速度と動体視力に関するもので、魔法的な実力とは無関係だからだ。
間に合うか
そう考えると同時に、ライラは疑問を感じていた。どうしようもない違和感を、拭い去ることができずにいた。
ライラが建てた策を看破したとライラに伝えるのは、あまりに非合理的だと感じたからだ。問答などせずに行動に移っていれば、少なくとも一手、先んじることができたはずなのに。
自分と相手の素早さ比べとなった現状で、一見してリスリーは、余裕を見せてなお充分にライラに勝てるつもりのようには思えない。
怪しみながら、それでも行動を改めることなどできず、全力でリスリーの水球へと飛び込む。
水球を崩した後の減速など考えず、リスリーが避けることができなければ、そのまま衝突してしまうだろうという思いきりで駆け、精一杯に左腕を伸ばす。
そして——
「とど……!」
届いた
先んじて相手の水球に手を触れさせたのは、ライラの方だ。手にはすでに魔力が付加されており、軽く力を込めればすぐにそれを砕くことができる。
しかし、その左手が水球を掴むことはなく、指先が軽く表面を削る程度に収まる。息が詰まり、声は途切れ、自分の体が地面を転がっているのだと認識するのに、数秒の時間を有した。
顔を上げると、そこにはリスリーがいる。
その脚を振り抜いた体勢と腹部に走る痛みに気付いて、ライラはようやく自分が蹴り飛ばされたのだと実感した。




