極私的仏教考察 Extreme private Buddhist consideration その8 (安全無害な宗教って?)
仏教、、
特にいわゆる原始仏教、
阿含経典
などの肉身の、ゴータマシッダルタの肉声?に近いといわれる
初期の諸経典などを読むと、
仏陀の教えは、、人として守るべき、モラル、、倫理の範囲内のものでしかありませんね。
節度を守り
欲望を捨てて
コトバを慎み
苦行や増慢のどちらにも偏ることなく、中庸を守りなさい、
とか
諸行無常の理をサトリ、
瞑想で、涅槃寂静に至りなさい、
そういう八正道の実践である、正しい生活を送りなさいよ、
という、
それだけです。
それだけなんですよ。
ほんとに、それだけです。
そこには、、、絶望者が、、難病者が、傷つき人が、期待するような
いわゆる宗教というと、これだろう?、、というような
迷える魂への救済への神秘的な御言葉もありませんし、
絶対神への熱烈な帰依なんて全くありませんし
神との、接神による、魂の火花、、もありません。
まして、こうすれば、超能力が得られるなんて皆無です。
つまり、、初期の仏教、、というか
仏陀の教えって、、ただのモラル?
実践倫理?でしかないという、
ある意味、哀しい事実ですね。
これは、果たして宗教なのだろうか?
悩める者への仏陀の言葉は、
正しい生活をしなさい、八正道を守りなさい、諸法無我を悟りなさい、
それだけ?です。
わたしも、以前は、真剣に悩みましたものね。
こんなものが仏教だったのか?
心ふるえるような神への絶対帰依もない。、
神の啓示もない。
魂の火花もない。
霊的な救済のメソッドもない。
いわゆるそういう、宗教的なものが持ってるだろう惑溺感がゼロである、
仏教って一体?
宗教なんだろうか?
それとも単なるお説教、人生訓?道徳の勧め?
仏陀の肉声に近いといわれる「スッタニパータ」なんか読んで、
私は真剣に、失望したことを覚えています。
「食欲や、性欲に囚われて道を誤ってはいけない」
「正しい生活をしなさい」
「怒りはいけません」
「姦淫はいけません」、、、
そんなこと言われなくっても、わかってるわい。
そんなモラルじゃなくって、俺の求めてるのは、啓示であり
神の火花であり、超越的な法楽だよ、
そして、、何よりも、、悩める魂の救済だよ、
でも?
そんなの、原始仏教のどこにも、皆無です。
あるのはつまらない?お説教的な日常モラル、道徳のおすすめだけです。
俺はそんなの宗教に求めてないっちゅうの。
俺が宗教に求めるのは、
この現実世界の不条理への神の、霊的な啓示だけだよ、
「神様、私はなぜこんな乏しい世界にいるのでしょうか?
なぜ私はこんなみすぼらしい虫けらのような私なのでしょうか?
なぜ私は。病み、老い、苦しみ、そして死んでいかなければならないのでしょうか?
神様
教えて下さい。」
私の知りたいのはそれだけです。
ところが?
仏陀は、、つまらない日常倫理をただ、説くだけ。
これじゃあ、「孟子」でも読んでた方がマシだろう?
相田みつを、でも読んでたほうが100倍マシだろ?
つまり、、
原始仏教には、宗教的な、惑溺感がゼロなんです。
要するに、つまらないんですよ。
魂が震えないんですよ。
高揚感もゼロ。
陶酔感もゼロ。
奇跡もゼロ。
神癒もゼロ。
救済感もゼロ。
あるのは、、
ただひたすら、、
「欲望を捨てなさい。かたよらず、まっすぐに、まともに生きなさい。」
それだけ、、、。
全く宗教の体を成してないですよ。
というかこんなの宗教じゃないですよ。
私はそうして、、原始仏教には深く絶望しただけでした。
そうしてこういう、
ただ倫理の押しつけだけの原始仏教に対する絶望感は当時の古代インドの仏教徒にも
当然あったようで、そうした信者たちはやがて
宗教的な奇跡や、高揚感や、陶酔感を求めて、次第に原始仏教を霊的に変質させてゆくのです。
それがとりもなおさず「大乗仏教」なのですね。
大乗仏教に至って初めて、仏教はいわゆる「宗教」らしくなってゆくのです。
そんなさまざまな大乗仏教運動の中でも
特に法華経が、いわゆる霊的な神観に満ちていて、これこそが宗教的ですね。
法華経とは、ハッキリ言うとですね。
あのお釈迦様が説いた「原始仏教」ではないです。
というか全く別のモノです。
極言すれば、仏教じゃないです。
法華経という、新興宗教です。
ですからこれを仏教という風に、単純に、くくらないほうが良いでしょうね。
法華経というお釈迦様とは無関係の?3世紀インドに起こった「新興宗教」なんだと
そう思ったほうが良いです。
ま
それはともあれ法華経こそ庶民も帰依しうるいわゆる信仰の対象としてのほんものの宗教でしょう。
原始仏教はそもそも宗教じゃないですからね。ただの実践倫理道徳です。
そういう意味で、いわゆる宗教的な概念で、宗教らしい体裁が整った仏教と言えば
法華経しかないんです。
ほかにも大乗運動では
まあ浄土教とか、
華厳教なども、大いに霊的であり、宗教的ですが、
ここはもう、その点では法華経のすごさ?にはかないませんよ。
法華経はずば抜けて神がかっています。
そういう意味で法華経こそが全仏教の最高到達点、、であると断言できるでしょうね。
まあほかには
密教という、とんでもない?オカルト系仏教もあるんですが、密教は、、いろいろ問題がありすぎで、私は、一般人にはお勧めできません。
密教は法華経以上に、トンデモ?仏教ですが、これは相当、善知識がないとキケンでしょうね。
まあ、そういってしまうと、法華経も同様に相当危険性をはらんでいますけどね。
でも、密教か?法華経か?と言われれば
一般的な庶民?向けには「法華経」でしょうね。
密教はですね、玄人?向けです。
いずれにしても
宗教って、そもそも、危険なんですよ。
安全無害な宗教ってないです。
(安全無害ならそれは倫理道徳でしかないです)
宗教は、たとえば、よく効く新薬みたいなものです。
効果もあるが、副作用もひどい、ってことです。
そういう意味では法華経は、、効果抜群の新薬でしょうね。
今でも、それは不変です。
法華経ができてから、1800年以上たっても、効果が全く薄れないって、
すごくないですか?
法華経には庶民が求める
神癒があり、
霊知があり
奇跡があり
法悦があり
涅槃があり
陶酔感があり
帰依があり
啓示があり
救済があり
いわゆる宗教が提供できる、すべてがあるのです。
そういう意味で素晴らしい経典です。
ということは?その副作用も、激甚でしょうね。
扱い方によっては危険な経典でしょう。
ところで、
禅宗なんてのも、解脱や、頓悟要門で、
肉身で即仏という
奇跡の?法門ですが
あくまでも俗物生活に根差してその俗物性を離れないという点が
奇跡や神癒を公然と称揚する、法華経とは違いますね。
俗気が即、サトリ?っていうのは、、どうも、宗教というよりは
自己啓発?みたいなもんでしょ?
禅宗って?
やはり、いわゆる宗教的な、総合商社?は法華経をおいてありませんよ。
霊験があり
奇跡があり
幻視があり、
魂の救済があり
人知を超えた悟りの法楽教がある
これこそ宗教です。
当たり前の人生訓だけでは、宗教じゃないんですよ。
人知を超えた、超越世界、
霊的な楽園
それを暗示出来なかったらそれは宗教じゃないです。
というわけで
仏教に、もし法華経が無かったら、
仏教って、とってもつまらない、、高揚感の皆無な、、モノに終ったでしょうね。
まあ
浄土教が、カルト的に
ファナティックに
厭離穢土
欣求浄土を
叫んでるから
これも相当、神がってていいでしょうけどね。
でもやはり、法華経でしょ。
これは、、、相当、、、はまったら、、、やばいですから。
そもそも、
宗教って、合理的であったり、科学的であったりするはずがないですよね。
1たす1が2なら、それは科学です。
ところが1たす1が、、1000になったり、、
或いは10000000になったりするのが
宗教ですよ。
そういう意味では宗教ってすべてカルトです。
カルト要素ゼロにしたら、
それはもう宗教じゃなくって、「人生訓」「処世術」ですよ。
人知を超えた霊的な悟りの世界、
奇跡的な治癒
魂の霊的救済
それこそ宗教です。
つまりそれは科学であるはずがありません。
科学に絶望するから人は宗教に走るのです。
そういう人々を救済できるの宗教とは?
まさにカルトそのものです。
そういう意味で、
安全パイ的な、人畜無害な宗教って、、ありえませんよ。
宗教って
常に
狂的であり
カルトであり
トンデモ系であり
だからこそ
科学的には救えないような人々も
霊的に
救済できるのです。
それが宗教です。
非合理の極み
それが宗教です。
科学的だったり
合理的だったら
それは宗教じゃないです。
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