心を見透かす声 ~ Voice ~
ランガーナ城へ向かう道中、イスマリア皇女は馬車の窓を開けては何度も馬上の私に話しかけてくる。素性を隠すための変装もこれでは意味がないと注意しても、このお方はまったく聞き入れてくれない。
長い黒髪を風で乱されぬよう手でおさえながら無邪気な笑顔をみせる姫君は、ご自分の立場というものを理解されていないのか。
お一人で馬車の中にいるのが退屈で心細く、とても不安に感じていようとも、これでは彼女を護衛する我々の任務に支障がきたす。
隣国といっても、カイン王子が待っているランガーナ城までは3日も費やさなければならない。この調子がずっと続くかもしれないと思うだけで気分が滅入ってくる。
――確かイスマリア皇女はまだ19歳になられたばかりだと聞くが……。
これから顔も知らない隣国の王子の妃とならねばならない身の上だからこそ、少しでも不安になったお気持ちを誤魔化そうとしているのだろう。
ご自分の立場がどうであれ、年頃の女の子が好きでもない男に嫁がなければならないのだ。そう考えると同じ女性として同情もするし不憫に思えてならない。
彼女は私より年上とはいえまだ若いのだから、ここまでの言動に納得もしよう。会話で気分を紛らわせたいお気持ちがよく分かる。
だがイスマリア皇女にいつまでも自由な振る舞いをさせるわけにいかない。素性を隠しての行動は彼女を狙ってくるであろう妖魔の目を欺くためのものだ。もちろん両国民に此度の出立を教えていない。
「イスマリア様、もうよろしいでしょう。軽はずみにお顔を出されるのは控えていただけないと」
「そう仰らず、もう少しだけお付き合いなさってくださいな。せっかくお城から出られたんですから、外の景色を見ながらお話をしていたいですわ」
先程からずっとこの調子だ。お顔を出される度に諌めてもまったく聞き入れてくれない。
いや、それすらも会話の一つとして楽しまれているご様子だ。挙句には窓枠に手をついて身を乗り出してくる始末。噂で聞いたとおり、このお方は世間知らずなお姫様のようだ。このご様子では妖魔という恐ろしい存在すら知らないかもしれない。
「ウフフ、まさか貴女のような可愛らしくてお美しい方が、ご高名なランガーナの聖騎士のお一人だったとは思いもしませんでしたわ。お若い女性の方がいらっしゃるとはお聞きしていましたが、もっと猛々しいまでの大柄な女性だと思っていましたの」
ご自分で思い描いていたイメージを、無邪気な笑顔でイスマリア皇女が突拍子もなく投げつけてきた。彼女にお供する者は私を除けば皆男ばかりだからこそ、年齢が近いのもあって話しかけるのには最適な相手だと思ったのだろうか。
しかし己に課せられた使命を顧みれば、同情はしても会話の相手などしていられない。
「四神の称号をお持ちになられている聖騎士と呼ばれる方々は、この世にたった4人しかいないとお聞きしています。ですから想像していたイメージと随分違っておりまして、少しばかり驚いてしまいましたの。でも良かったですわぁ。怖そうな方じゃなくて」
馬車と寄り添うように絶えず離れなかったのは、あくまでもイスマリア皇女の御身を守ることを優先しただけに過ぎない。妖魔の襲撃が今すぐあってもおかしくないのを少しは理解して欲しいものだ。なのにこのお方はまったく分かってくれない。
「ところで他の聖騎士の方々はどちらにいらっしゃるのでしょう。皆さんリアナ様のようにお若いのでしょうか? できればその武勇をお聞かせ願いたいものですわ」
それにしてもよく喋るお方だ。
今まで敢えて聞き流していたが、ずっとこのまま窓からお顔を出されていては妖魔共にいずれ見つかってしまう。これでは気が気でならないし、いい加減うんざりしてくる。
「イスマリア様、いい加減になさって下さい! ここが既にランガーナ領内といっても、婚礼の儀を控えて出立されたことはおそらく妖魔共に知られております。どうか馬車からお顔を出されるのは、もう控えて頂けませんか?」
自分がどう思われようが気にしていられないと、つい声を荒げてしまった。
今は課せられた任をやり遂げる。ランガーナ城まで無事にお連れする事を考えれば、たとえ彼女に憎まれても別に構わない。
――下手に懐かれるより、嫌われた方がまだ気が楽だ……。
屈託のない潤んだ瞳で見つめられると、ふいにそう思ってしまう。
ましてこのお方は今の自分にとって恋敵同然といえる女。たとえ私なんかと身分が比べられない高貴なお人であっても、そんな女性に馴れ馴れしく話しかけられるのが迷惑に感じてならない。
自分がカイン王子とイスマリア皇女の関係に嫉妬しているだけなのは分かっている。だが間違ったことは何一つ言っていない。護衛を任された立場を弁えれば、当然のことを言ったまでだ。
故に私を含めた兵達全員が旅の商人に扮している。イスマリア皇女が乗っている馬車も商人らしく装っているのもその為だ。
当然ながら彼女の衣装も出発前に旅をする商人の娘らしいものに着替えを済ませている。金品目当ての野盗相手ならまだしも、妖魔相手に僅かな兵だけではイスマリア皇女を守る手立ては身分を偽るしかない。
旅の商人一行として成りすまし続けるには、自分の身を守る鎧兜が邪魔になる。誰一人として防具を身に纏っていない。武器になる物は各自が隠し持った短剣と僅かな火薬玉、それと私だけがこの中で唯一扱える魔法のみ。
アステルベルク城へ入城を前に合流した神聖獣ミックですらも、本来の翼が生えた銀毛の猛獣のような姿から今は愛らしい猫の姿に変え、馬車の中からイスマリア皇女を守る役目に徹している。
「そうは申されましても、馬車の中が私独りではとても退屈ですもの。少しだけでもお話相手をして下さる方が欲しいだけなのに。はぁぁ、せめてナスターシャだけでもお供に加えさせていただくのを許して下さっていれば……」
私の嗜める言葉にイスマリア皇女がつまらなさそうに溜め息を漏らした。
ナスターシャとは、おそらくこのお方に仕える侍女の名前なのだろう。
常に身の回りの世話をする侍女達が片時も傍から離れた事がないであろうイスマリア皇女にとって、たった一人で窮屈な馬車の中に乗っているだけでは退屈な時間でしかなく、牢獄の中へ閉じ込められているように感じているのかもしれない。
アステルベルク城を出発して以降、彼女を今日一日馬車の中から出していなかったのであれば尚更だ。このような不自由の経験がないであろう姫君は相当堪えているに違いない。
しかし辛いお気持ちを察しても、イスマリア皇女を妖魔達から守るための処置なのだから仕方がなかった。今夜泊まる宿に到着するまでは、外の空気を吸うことすらも我慢してもらうしかない。
「それは我々も重々承知しております。どうか不自由をかけるご無礼をお許し下さい。しかしお言葉ですがイスマリア様、我々が旅の商人に扮している意味をよくお考えなさって下さい。貴女は今、ご自分で御身を危険に晒そうとなされている。これがどういう事態を招くということを」
「はい、よく存じておりますわ。その為に私だけでなく、リアナ様達もそのような格好をなされているのでしょう?」
言葉では分かったように言っておきながら、やはりこのお方は自分が置かれている状況を分かっていないようだ。
ようやく得た話し相手を逃がすまいとでも思っているのか、イスマリア皇女の表情に反省の色が伺えない。無邪気なまでにはしゃいでいるご様子からして、いくら咎めても逆効果のようだ。
普段からこのような調子では、いつも世話をしている侍女達の気苦労が絶えないような気がしてしまう。ずっと彼女の相手をしなければと思うと同情してもしきれない。
もしも私が彼女達と同じ身分なら、すぐに暇を頂戴して城から逃げ出していることだろう。
「分かっていらっしゃるなら、宿に到着するまではどうかご辛抱を。出発の折にも申し上げましたが、妖魔はいつ襲ってくるか分かったものではありません。ですからそんな風にお顔を出されては元も子もないのです」
「そこを何とかならないものでしょうか? このままでは気が滅入ってしまいますわ」
「ご心中はお察ししますが、御身に何かあってはならないのです。ですから窓を開けるなんて軽はずみな行為は以後謹んでいただかないと!」
「でも、少しぐらいは……」
「駄目です!! どうかお許しを!」
怒鳴るように言い放ち、イスマリア皇女の背後にいるミックに無言で相鎚を打つ。
するとミックは猫の鳴き声とは思えぬ大きな奇声で彼女の気を引き、振り向き様に疾風の如き身の軽さで飛び跳ね、一瞬のうちに窓を壊さんばかりの勢いで閉めた。
一見、銀色の毛並みをした猫のように見えるミックは人の言葉を理解して話もできる。しかしイスマリア皇女を驚かせてはならないからと一言も喋るなと言いつけてあった。
あくまでも護衛が目的であり、彼女の退屈凌ぎという意味も兼ねて馬車へ乗せているだけにすぎない。
「初日からこの調子とは……。本当に困ったお方だ」
イスマリア皇女が誰かと会話がしたいお気持ちはよく分かる。常に侍女達がお相手をしていた城の中とは違い、狭い馬車の中で誰とも会話がなく独りでいるのは不安で、とても心細いことだろう。
だが、いちいち我がままを聞いてはいられない。
辺りは草原が広がって妖魔が襲い掛かってきても身を隠す場所がなく、ここで襲撃を受ければ万が一のことが考えられる。
ランガーナ領内の辺境にある小さな町まではもうすぐだ。今しばらくは辛くとも我慢をして頂かねばならない。
たとえ冷たい女だと思われようとも、彼女を守るにはこれが一番の得策だと思う。
――日が暮れてしまうまでに急がなければ!
遠くに連なる山々の向こうで太陽が今にも沈もうとしていた。空が茜色に染まり、微かに星の輝きがちらほらと見える。
あれからイスマリア皇女が馬車の窓を開けることはなかった。強く言い過ぎたかもしれないが、これで気を散らされることもなく神経を張り巡らせて辺りの様子を伺う事が出来る。
そう思った時だ。胸のペンダントが赤く点滅しだす。
『おやおや、女の嫉妬とは怖いものじゃな。リアナよ、恋敵といってもあの言い様はいくらなんでも冷た過ぎるのではないか? あれではイスマリア皇女が可哀想じゃ。もう少し優しく言ってやれんものかのう』
私の心に直接問いかける老人のしわがれた声が唐突に皮肉を込めて言い放ってくる。
この声はミック以外の他の者には聞こえない。人間で聞こえるのは私だけだ。
ミックも馬車の中では流石にしわがれた声の言葉は聞こえてはいないだろう。
老人の声は私が肌身離さず身に付けている真紅のクリスタルが埋め込まれたペンダントから発せられた声であり、それはただ胸元を飾るものではなく、聖騎士の証でもあった。
聖騎士に選ばれた者は、神の力が宿ったと言われる秘法をランガーナ国王から与えられる。私が与えられたのが四つの秘法の一つであるこのペンダントであり、ランガーナの守護獣と称される神聖獣を従える事も許された。
聖騎士になった私にこのペンダントの声がいつも助言してくれる。如何なる苦境に陥ようとも、与えられし大いなる力をもって切り抜けることができた。
しかし常日頃は感謝していても今は違う。先程の言葉を聞いてからは言いし難い心の痛みと怒りを感じずにいられない。心の奥底を見透かした挙句、皮肉を込めた言葉を投げつけてきたことに対して憤りを抑えきれなくなる。
――だ、黙れ! 私はただ、イスマリア様を無事に!
反論しようにも取り繕う言葉を選びきれず、そのまま黙り込んでしまう。この声には心が筒抜けだから何を言っても無駄なのだ。
しかし自分の想いは私だけのもの。裸を見られる恥辱以上の屈辱を感じてしまう。
この愚弄に対して黙っていられないのに、何一つ言い返す言葉が見つからないのがもどかしい。
『そう剥きになるのが認めているようなものじゃよ。イスマリア皇女に八つ当たりするのは筋違いじゃて』
――だ、黙れ! 言うな、もう何も言うな!
咄嗟にペンダントから発する言葉を遮っても、それは認めてしまったと言っているようなもの。顔が羞恥に染まっているのを自覚してしまう。
これ以上自分の心の中を穿り返されるのは耐え難い。思わず声に出してしまいそうになる。
どうにか唇を噛み締めて堪えていると、気がつけば胸元のクリスタルを握り潰さんばかりに強く握り締めていた。
『クッ、ククク! ワシにまで八つ当たりするのは良くないぞ。身体つきが女らしくなっても、やはり精神の方はまだまだじゃわい。いくら剣才があって魔法に長けていようが、聖騎士たる者がそれではこの先も思いやられ……』
――き、貴様っ! もういい加減にしろ!!
『――分かった、もう喋らん』
しわがれた老人の声が言った通り、いくら屈強な男達よりも剣の腕が優れ、誰よりも魔法に秀でていると言われようが私の心は未熟なのだ。
身体が子供から大人の女になりつつあっても、精神がまだ子供のまま成長していないのは承知している。父の目が届かない場所で女性らしい振る舞いや言葉使いをしてみせようとしても、所詮は見真似て覚えた上辺だけの姿。
イスマリア皇女や兵達の前で毅然とした言動をしている今も、ただ未熟な自分を晒したくないだけなのかもしれない。
ランガーナの聖騎士というには、私の精神はまだ幼すぎるようだ。
何故かそう思わずにいられなかった。