消えゆく命の尊厳 ~ Dignity ~
無数の屍が広がる荒野の中をミックと共に無我夢中で走った先には、イスマリア皇女が寝かしたままの格好で今も動けずに横たわっていた。瞼をかたく閉ざして眉間に深い皴を寄せ、震える唇は潤いを失って乾き、痩せ細った頬や目の下の隈が先程よりも酷くなっている。
あの可憐なまでの美しい姫君が、ここまで無残なお姿に成り果ててしまっているのがあまりにも不憫に感じてならない。ミックが慌てながら治癒魔法で治療をはじめたのと同時に声を掛けて容態を確かめてみると、声は発せずとも意識はあった。
しかし呼吸が激しく乱れた息遣いが只事ではないことを物語っている。抱き起こして握り締めた細くしなやかな手から温もりが失われつつあり、衰弱の進行具合が命に関わる深刻な状態にまで酷くなっているように感じてしまう。
長い歴史を誇るアステルベルク皇家の血筋の中でも類稀な法力の持ち主であると言われているイスマリア皇女が、何故ここまでご自身を酷使してしまわなければ法力を扱うことが出来ないものだろうか。
武甲聖装とは違った聖なる力についての詳しい知識がないといっても、まるで命を吸い取らんばかりに術者が掛かる負担が尋常ではなく、これには疑問を感じずにはいられない。苦しまれる姫君を抱いたまま見つめていると、法力を使ったことによる一時的な現象であると信じたいのに嫌な予感を拭うことができず、今はただ祈るばかりだ。
「ち、ちょっと……ちか、ら、を……使い……すぎ、ま、した……わ……。いつも、こんなに……疲れ……たり……し、しな……いの……に……」
息が乱れて苦しげなイスマリア皇女が瞼をゆっくりと開き、私の無事な姿を見て安堵の笑みを浮かべる。
傍にいるミックが治療を続けても、まだ衰弱症状の進行が治まる様子が一向に現れない。ますます酷くなるばかりで苦しまれるお姿が痛々しく感じてしまう。
ずっと見つめる眼差しを前にして言葉が何も浮かばない。早く元気なお姿に戻られることを祈りつつ、黙って見守るしかなかった。
「で、でも……リアナ様が……ぶ、無事で、なにより……です……わ……」
本当は息苦しくて呼吸すら満足にできない筈なのに、イスマリア皇女は微笑みを絶やさずに私の目を見つめたまま途切れ途切れになった言葉を懸命に紡ぐ。
自分は大丈夫だと仰りたいのであろうが、その瞳から生気が失われいくような気がしてしまう。ミックが悲痛な形相で治療を施しているのだから尚更だ。
「こ、これで……カイン、お、王子、に……こく、は、く……が……でき、ます……ね……」
やはりイスマリア皇女は何もかもお見通しだったようだ。
心の中でいろんな感情が複雑に絡まり、何を言っていいのか分からない。ただ熱いものが込み上げてくる。
「わたく、し……王子、に……」
「もういいんです! もういいですから、何も仰らないで下さい!!」
健気なまでに思ったことを伝えようとするお姿に、大粒の涙を堪えることが出来ない。
ミックの治癒魔法が効いてくれるのをひたすら願い、心優しき姫君が助かって欲しいと神に縋るしかなかった。
「ちょ、直接……お、お断り……する、つもり……でし、た……の……」
途切れ途切れに聞こえる言葉に耳を疑った。
イスマリア皇女の手を握り締めた私の手に、このお方はご自分の意思を告げようと弱々しくもう一方の手を重ねてくる。
――そ、それって、どういうこと!?
そんな事が出来る筈もない。
これはランガーナとアステルベルク両王家の掟によって決められたことだ。有史以来の長きにわたる血の交わりを絶つことなどあってはならないのに、このお方は何故掟に背くというのだろうか。
「あ、あなた……リア、ナさ、ま……の……おこ、ころに……ふ、ふれて……決めまし、たの……」
「そんな、私なんかの為に……。私はカイン王子のことで貴女に嫉妬するような卑しい女なんですよ! 貴女を危険な目に合わせてしまったし、兵達を見殺しにしてしまった私なんかをどうして!」
私の想いを叶えんが為に法力を使って痛々しいまでのお姿になってしまわれたのが耐えられない。その為に血の掟に背かれようとなさっているイスマリア皇女の思いやる気持ちが胸を深く抉ってくる。
思わず本音が出てしまった。
いや、この優しすぎる姫君に心を偽れない。胸の内をすべて晒し、己を責めて叫けなければ心が壊れてしまいそうになる。
「ウフ、ウフフ……何もかも、分かって……いましたわ。ご自分のこと……責めては、だめ……。お気持ち……わか、り……ますから……」
「イスマリア……さま……」
「私、には……ナスターシャしか……お、お友達……い、いなかった。だから……リアナ……さま、と……お友達に……。あ、貴女と……もっと……ぅ、ぅぅ……」
目尻から涙を流して微笑むイスマリア皇女の言葉に自分が如何に愚かだったとつくづく思い知らされる。昨夜私に向けた笑みはそれなのだ。
このお方はあまりにも純粋で優しすぎる。純粋すぎるが故に私の心の奥底まで見えてしまい、優しすぎるが故に想いを叶えようとしてくれた。
そしてご自身が望むたった一つの願いを叶えたいばかりにこの愚かな私を救おうとしたのではないだろうか。
「ミック、なんとかならないの!? お願い、このままじゃイスマリア様が! ねぇ、なんとかして。このままじゃ死んじゃうじゃない! お願いだからイスマリア様を助けて……助けてよぉーーーーっ!!」
掛け続けた治癒魔法が全く効力をもたらさず、もう助からないとばかりにミックが悲しみと悔しさを滲ませた表情で首を横に振る。治癒魔法を身につけていない自分自身が何も出来ず、ただ泣きじゃくって取り乱し、涙を流すだけなのが歯がゆくて堪らない。
その間にもイスマリア皇女の手が冷たくなっていく。
まるで残された命の灯火がゆっくりと消えていくように――。
「も、もう、いいのです……。わた、くし……は……もう……。だ、だから……リア……ナ…………あ……た……くし……の…………」
「イ、イスマリア様……イスマリア様ぁっ! 目を開けて下さい、お願いだから……お願いだから目を開けて……起きてよ! いや、死んじゃいや、死んじゃいや、死んじゃぃやぁぁーーーーっ!! うゎぁあああぁぁーーーーっ!!」
何もできない無力なこの腕の中で、イスマリア皇女は微笑んだまま静かに潤んだ瞳を閉じて息を引き取られた。このお方は事切れる前に何を言おうとしていたのだろう。
痩せ細った頬に流れおちる涙は、いったい何を伝えたかったのだろうか。
血の匂いが混じった風がイスマリア皇女の髪を靡かせて冷たくなった顔に吹きかかる。戦場となった数多くの屍が横たわる大地に、悲しみの絶叫だけが虚しく響き渡っていた。
* * *
「ぅ、ぅぅ……ご、ごめ……なさい……ごめん、なさい……イスマリア、さ、ま……。わ、私……私が……イ、イスマリア様を……こ、殺したような、ものだ……。と、とり……かえしの……ぅ、ぅぅ……つ、つかない、こと……を……わ、私は……私が……ぅ、ぅぅ……イスマリア様ぁぁ……イスマリア様ぁああーーーーぁっ!!」
息を引き取られた後も、冷たくなったイスマリア皇女を抱きしめて泣き叫んだ。悲しみが懺悔と後悔となって押し寄せ、とめどもなく溢れる涙が止まらない。
優しく微笑んだ表情が今もただ眠っているだけのようだ。苦しみから解き放たれて安らいだお顔が私の心を居た堪れなくしてしまい、胸を更に締め付けてくる。
――妖魔の術に掛かったりしなければ守れた筈なのに……。大切な人すら守れないのなら、こんな力なんてもういらない。私さえ、私さえもっとしっかりしていれば!
どんなに後悔してもこの純粋なまでの心優しき姫君が瞼を開くことはもう二度とない。
すべて私が悪いのだ。
これは醜い嫉妬に駆られただけではなく、自分の感情を抑え切れなかった事が招いた結果――。
ただそれだけだった。
悲しみと自分への怒り、それが混じり合わさって心の中で渦巻いていく。己の不甲斐なさを呪い、感情に流されてしまう自分自身を責めたてるしかなかった。背後に佇む気配を先程から感じても、振り返る気力すら湧いてこない。
「リアナよ、いつまで取り乱しておる。さあ立て、立つんだ!」
呼び掛けてくる聞き慣れた声にイスマリア皇女を抱いたまま振り返ると、全身傷だらけの父ファンヴェルが何事もなかったかのように見下ろしている。
違う道のりで同時刻にアステルベルクを発った父に、いったい何の目的があってここに足を向かわせたのだろうか。
いや、疑問に思うことはない。このお方こそがイスマリア皇女なのだから当然だ。
なのに私は父が援軍に駆けつける間もなく死なせてしまった。自分だけがのうのうと生き残った詫びの言葉が浮かばず、どう懺悔していいのか分からない。ただ深い悲しみに涙するしかなかった。
「お、お父様……。わ、私……私、イスマリア様を、守れなかった……私の所為で……私が……」
取り返しがつかない結果を招いて嘆き悲しむあまりに、父に許しを請う自分自身があまりにも見苦しく感じてしまう。辛い現実を忘れられるのなら、腰に携えたその剣で今すぐ斬り捨てられてもいい。
この罪をこのまま背負っていくにはあまりにも辛すぎる。何か罰を受けなければ心が耐えられそうにもなく、ただ父を見上げているだけで言葉が続かない。
「ああ、よくやった。よくぞ父の期待に応えてくれた。それはイスマリア皇女ではない。本物のイスマリア皇女は今もご健在で我々が来るのを待っておられる。こんな場所に長居は無用だ。ぐずぐずしている時間はないぞ」
父は何を言っているのだろう。
イスマリア皇女が死んだというのに、言っている言葉の意味が分からない。
それとも悲しみと罪の意識で頭の中を掻き毟られて聞き間違えただけなのだろうか。
――イスマリア様が生きているって、どういうこと!?
――この人は本物のイスマリア様じゃないの!?
――だったらこの人は誰!?
――お父様は何をしに来たの!?
麻痺した思考を強引に働かせてようやく父が言った言葉を理解し、目の前に現れた疑問を感じられるようになった。
しかし父が本物のイスマリア皇女を護衛していたのなら、こんな場所に現れるのはあまりにも不自然すぎる。たった一人でここに訪れる意味がなく、まして護衛の任務を放棄することなどあってはならない。
衣服が所々破れて血まみれの姿が何かと戦ったことを物語っているだけに新たな疑問が沸いてくる。父にここまでの手傷を負わすのなら、やはり向こうが本物だった筈のに何故だ。
いつも一緒にいる玄武の神聖獣の姿が見当たらないのはどうしてだろう。本物のイスマリア皇女と思われる人物は今、何処にいるのだろうか。
一つの疑問が浮かぶ度に別の疑問が浮かび上がって幾重にも重なる。
「ではお父様が一緒にお供していた方が本物の……だったら何故!?」
「我々が護衛したそれぞれのイスマリア皇女が二人とも本物ではなかったというだけの話だ」
「そ、そんな!!」
二人とも本物ではないのであれば、本物のイスマリア皇女はいったい何処にいるのだろう。
アステルベルク城を出発の際に馬車は2台しかなかった。まだ城から出ていないとでもいうのだろうか。我々に彼女達が影姫だった事実を秘密にしてまで囮にした理由がまったく分からない。
目の前の現実を受け入れられない最中に叩きつけられたこの事実――。
いったい我々がしてきたことは何だったのだろう。
腕の中で眠るこの人はいったい誰なのだ?
どうして自分の命を懸けてまで私を守ろうとしてくれたのだろうか。
もはや何が真実で嘘なのか分からない。
この人の死を受け入れられないばかりに、これはすべて悪い夢であって欲しいという心からの願いを、父は事の真相を無表情のまま淡々と語って無残にも打ち砕いてくれた。
それは悲しみに包まれた心を奈落の底に叩き落とす衝撃的なまでの真相――。
決して犯してはならない“人の尊厳”を踏み躙る行為を意味していた。
私達が護衛をしたのは本物のイスマリア皇女に仕えていた二人の侍女だったらしい。彼女達はアステルベルク城出発前に魔法で記憶を消され、その後にイスマリア皇女の記憶と人格を植えつけられたそうだ。
私が守ろうとしたこの人が本来ならアステルベルク皇家の血を受け継いでいなければ使えない筈の法力という神秘を扱えたのは、植えつけられた記憶と人格に原因があるらしい。
つまり極限の状況下で本物のイスマリア皇女ならするであろうという行動を植えつけられた人格通りに行動した結果、命を代償にして扱えたということになる。もちろん本人達は命を削っているという自覚はなかったのだろう。
だが記憶と人格を植えつけられただけで法力を扱えるとは考えられないとも父は語った。常にイスマリア皇女の傍を離れず、身の回りの世話をして法力という聖なる力に常日頃から触れていたからこそ扱えたとのではないかと推察したようだ。
これは予期せぬ出来事だったと言っているが、果たして本当にそうなのか?
もう一人の侍女も自分がイスマリア皇女だと思い込まされた挙句、同じ末路を辿ったという事実が本当ならば確かに筋は通っている。しかし命を削れば彼女達が法力を扱えることを初めから知っていたからこそ、妖魔の襲撃に備えて影姫に選んだのではないかと思えてならない。
今回の護衛計画の立案から指揮までも父がすべて揮っていただけに、全て計算通りだったのではないかと疑ってしまう。偽りの姫を用意してまで妖魔の目を欺いている間に本物のイスマリア皇女をランガーナへお迎えするという計画を聞かされてしまえば当然だ。
まして影姫が本物であると真実味を持たせる為に記憶を弄ったのは紛れもない事実。ただでさえこの許すまじ非人道的な行為を平然とやってのけたのだから、嘘を言っているとしか思えない。
「分かったのならもう行くぞ。いつまでそんなものを大事そうに抱きかかえておる。さあ、早く立て! 我ら親子は今度こそ本物のイスマリア皇女を守らなくてはならないのだからな」
「その前に何か言うことはありませんか?」
「ん、他に何があるというのだ? 結果的に生き残ったのは私とお前達だけだが、我々は十分に囮の役目を果たせたではないか。こんな下らぬ話をするだけでも時間が無駄になるのはお前にも分かる筈。この話はまた後だ。我々は急がねばならんのだからな」
本物のイスマリア皇女の護衛なんて今は関係ない。そんな事よりも天に召されたこの人に詫びる言葉が先にあると思う。
この人は自分がイスマリア皇女だと思い込まされ、そして自分自身を失ったまま私を守ろうとして死んだ。ただ植えつけられた記憶と人格に従って、私の心まで助けようとして逝った。
こんな理不尽な死に様があっていいのか!
他人の記憶のまま、本当の自分が誰なのか知らずに死んでいい筈がない!!
一言も謝罪の言葉がなく、まして亡くなった人を物呼ばわりする父が許せず、堪えがたい怒りが沸々と込み上げてくる。
「お、お父様はイスマリア様を……いえ、この方を弔うこともなくこのまま捨て置けと仰るのですか!? 死んだみんなを弔わないとでも仰るのですか!?」
「くどい!! そんな時間は無いと言った筈だ! それにリアナよ、それはイスマリア皇女ではない。そんなものと一緒にしては無礼ではないか、言葉を選べ!!」
なんて言い草なのだろうか。
死んだ人をまた物呼ばわりする目の前の人物が自分の父親だとはとても信じられない。まるで妖魔が偽った姿のように思えてしまう。
厳格で厳しい人に変わりはないが、こんな暴言を吐く人ではなかった。それがどうしてこんな非情な事をいとも簡単に言えるのだろう。
私にとっての“イスマリア皇女”を強く抱きしめ、見上げた拍子に思わず父を睨みつけた。
「どうか行くのはこの方を弔わせてからにして下さい。それに死んでいった兵達も、このままでは死んでも死にきれないではありませんか! お願いです。せめて土に還してあげる時間だけでも私に下さい」
散っていった者達へ、せめてもの慈悲を与えて欲しいと願って父に食い下がった。
ミックも同じ思いなのだろうか、ひと時も私の傍から離れようとしない。影姫となって死んだこの人や兵達の死を悲しみ、叩きつけられた非情なる言葉に従えないのだろう。
「犠牲になった侍女と彼等には感謝しているよ、囮の役目を十分に果たしてくれたのだからな。だが、弔ってやる時間はない」
「そ、そんな……あんまりですわ! この人をこのまま置いていくなんて酷い、酷すぎます!」
「感情に流されおって、この愚か者め! それこそ彼等の死を無駄にしてしまうとなぜ分からん!! 彼等をこのまま無駄死させるつもりなのか!?」
「でも遺体をそのままにするなんて、お父様には亡くなった人を弔う気持ちがないのですか!? それで亡くなった人の尊厳はどうなるんです!」
「そんなもので人は救えん! まして国を守ることなど出来るものか!」
「お父様っ!!」
これから本物のイスマリア皇女を護衛する為に急いで合流しなければならないのは分かる。妖魔はおそらく我々を襲った以上の手勢でくるだろう。
だからと言って私には遺体をそのままに捨ておくなんて出来ない。情に流されているだけであっても、父みたいにそこまで非情になんてなりきれない。
言葉を持たない人形ではないのだ。まして機械仕掛けのからくりでもない。
物事を単純に割り切って本来の務めに殉ずることが使命だとしても私は嫌だ。血の通った人間ならば人としての情があって当たり前であり、それこそが人としての正しい在り方ではないのか。
人としての感情があるからこそ、腕の中で永遠の眠りについたこの人を自分自身の手で弔ってあげたい。
父が何と言おうとも、自分の考え方は間違っていないと思う。それこそが人として最後に残された尊厳を守ることではないのかと信じている。
ならば父は国を守る為になら人としての情愛だけではなく、すべて棄て去ったとでもいうのか。
――そんなの絶対に間違ってる!!
厳しくて怖い人であっても、今まで不器用なりに愛情を注いで育ててくれたことに感謝している。
好きで尊敬もしていた。
それが私の中から音を立てながら脆く崩れ去っていく。
「お前がそこまで愚かだとは思わなんだ。リアナよ、今のお前には聖騎士たる資格がない。ミック、お前もだ! それで神聖獣とは片腹痛いわ! 揃いも揃ってもういい。イスマリア皇女の処へは私一人で行く。お前達はそこで勝手に泣いておれ! その代わり、せめてその者達を丁重に弔ってやることだな」
無情なまでに言い放って立ち去る父の背を何も言い返せず黙って見送った。
一瞬だけ悲しげな表情に見えたのは目の錯覚なのだろうか。
死んだ人達の尊厳を踏み躙らんばかりに非情に徹しきれる人が、最後になって見せるとは思えない優しさを含ませていたような気がする。
「イスマリア様……あっ!? ううん……姫様、そろそろ行きましょうか」
このお方は私にとって紛れもなき大切な姫君だからこそ誰にも弔わせたくない。父や今回の件に関わった者達の目に届かない静かな場所で安らかに眠らせてあげたくてならなかった。
せめて母国が見渡せる場所ならば寂しがることもないだろう。慣れ親しんだ祖国の空気を感じられる場所で安らかに眠って頂きたい。
「私、とても綺麗な景色を見渡せる静かな場所を知っているんです。少しばかり殺風景ですけど、アステルベルクを一望出来るのですからきっと気に入ってもらえますよ。そこで昨夜の話の続きでもしましょう。貴女が聞き飽きるまでずっとお傍にいさせて頂きますから」
このお方から感じた想いは決して偽りでない。言葉のすべてに純粋なまでの優しいお心を感じた。
この無垢なる姫君が望まれた想いを心から受け止めたい。それこそが仕えるべき忠臣の務めであり、かけがえのない“友”としての唯一残された手向けだと思う。
こんな事になるのなら、昨夜もっと話をしておけば良かったと悔やんでも悔やみきれない。あれほど流しても枯れなかった涙がいつしか流れなくなり、長い黒髪や冷たくなった頬を撫でていると悲しみだけが心に広がってゆく。
もうすべて流し尽くしてしまったのだろうか。泣きたくても泣けない私を優しく慰めてくれるかのように、腕の中で眠る大事なお人が微笑んで下さっている気がしてならない。
いや、確かに微笑んで下さっている。
そしてこれからも永遠に微笑んでくれるだろう。
私だけの姫君にお仕えする限り……。