魔を斬り裂く閃光! ~ Lightning Sword ~
聖剣を一振りするごとに閃光が走り、数多くの妖魔や魔物達を斬り裂いていく。疾風の如き体裁きに追い縋れる者などいない。
禍々しい魔物の群れを一刀のもとに斬り払い、空から強襲してくる妖魔達を振り上げた聖なる刃が閃光となって斬り落とす。大地を蹴って舞いながら魔力を開放させて忌むべき存在が飛び交う中を触れずして葬り去り、着地を狙って取り囲んで迫る邪悪な者達を薙ぎ倒して突き進む。
白銀の鎧に傷一つ負わすこともなく聖剣を構える私に立ち塞がれる存在はいない。駆け抜けた大地に魂の抜け殻となった醜い屍だけが四散していく。
足を止めても鋭い眼光でひと睨みすれば、妖魔達は怖気づいて近寄ろうとしない。この聖なる刃の前では知性を持たぬ魔物ですら慄いて後ずさり、本来の凶暴なまでの残忍さが鳴りを潜めている。
剣気と魔力を合わせた結界が全身を守るように包み、一歩踏み出した先にある妖魔と魔物の屍が触れると蒸発して消えていく。
本来の聖騎士の姿となった今、もはや群れをなした下級妖魔や魔物など敵ではなかった。
「させるかっ!」
横一線に薙いだ刀身から繰り出した閃光がジェグニーの足を止める。
自分の配下の者共を相手にしている隙に乗じてイスマリア皇女を奪い取ろうとしたのだろうが、鋭く研ぎ澄まされた神経はその姿を捉えずとも、邪悪な気配を決して見逃さない。
「こ、これが聖騎士の力だというのですか……。道理で数多の同胞達が彼方達に敵わなかった筈だ。お、おのれぇーーーっ!!」
先程までの余裕なまでの笑みが消え失せたジェグニーが怒りに震え、再び黒く巨大な光の玉を放ってくる。
一度は死を自覚させられた禍々しい輝きを前にして、些かも恐怖を感じない。この肉体を一瞬にして消滅させてしまうであろう恐るべき脅威であっても避けようとは一切思わず、ただ沸立つ闘志を切っ先に込めて刀身を振りあげる。
「ハァアアーーーーッ!!」
気迫を一擲となさんとばかりに振り下ろされた一刀が眩しいまでに煌めく閃光を放ち、巨大な死の玉を造作もなく両断していく。割れた二つの黒い半球が私を挟むように過ぎ去り、制御を失って空中を彷徨った後に落下していった。
地表を抉り取って爆風が猛威を奮い、近くにいた妖魔を飲み込んで爆散していく。
原型を失った肉片が辺りに散らばって落ちていく先に怒りの矛先を向けると、そこには唾棄すべき元凶が驚きと憎悪が入り混じった眼光で私を見ていた。
「な、なにっ! あれを避けずに斬り捨てたというのですか!」
「あんな物、避けるまでもない」
「なるほど、聖騎士という大層なお名前は、その実力通りに伊達ではないというわけですか」
「私など、まだまだ未熟だ。だからこそ、その未熟な心が大切な兵達を死なせてしまった。見殺しにしてしまったとは言え、皆の仇は討たせてもらう。無論、イスマリア様には指1本触れさせはしない。お前とはここで決着をつける、いくぞ!」
怒れる戦神と化した今、巨大な妖気を放つ者に脅威を感じない。散っていった仲間達と守るべき人の為に、聖剣を構え直して再び大地を蹴って駆ける。
その先に生き残った下級の妖魔達が刺し違えんばかりに襲い掛かってこようが、白銀の刃を振るえばいとも簡単に斬り裂いてゆく。
血走った形相で襲い掛かってくる者達は、もはや狩る者と狩られる者の立場が入れ替わっているのを分かっていない。背後から群がって不意を突こうとしても、自らが放つ妖気で動きを教えてくれる。
ただ感じるまま聖剣を振るうだけだ。振り向き様に切っ先で弧を描きながら薙いだ一閃がそれを物語るように、妖魔達の首や胴を瞬く間に両断していく。
もはや残す敵は目の前にいる下級妖魔達と、その背後からこちらを見ている上級妖魔のみ。ならばここで一気に畳み掛けるべく呪文を唱えた。
「火の精霊よ、日輪の神による浄化の刃を召喚し、我が力となって敵を討ち果たせ!」
詠唱が終わった刹那、刀身に炎が巻きついて燃え盛る。
爆炎を宿したその聖剣を強く握り締めて天高く舞い、慄いて動けない妖魔達に振り下ろす。
「フレア・ソーーード!!」
幾重に重なった炎の渦が火竜の如き姿となって切っ先から放たれ、凍てついた形相の妖魔達に襲い掛かる。
まるで意思を持ったかのように燃え盛る刃がうねり、炎に包まれた妖魔達を焼き尽くすと巨大な妖気を纏いし者にまで牙を剥く。
「こんなもので、私を他の屑達と一緒にしないで頂きたい!」
火竜の牙を受け止めて消し去ったのは、さすがに上級妖魔と称されるだけのことはある。魔法剣を放って動きが止まったこちらの隙を突き、禍々しい形状をした剣を構え、振り降ろされた切っ先から漆黒の閃光を放ってきた。
灰になった屍の跡に燃え広がる紅蓮の炎の壁を飛び越えて黒い刃から逃れなければ、今頃は身に纏った鎧ごと斬られていたかもしれない。
揺らめきながら高くそびえる爆炎を一瞬で消し去ったことからして、その破壊力の凄まじさが窺い知れよう。
だがこのまま続け様に放たれる魔の閃光から逃げ回るつもりなど毛頭ない。イスマリア皇女を奪い去ろうと辺りを探すジェグニーとの間合いを詰めて眼前に立ちはだかり、横薙ぎの一閃で足を止める。
たとえ忌まわしき者達を焼き尽くす業火を凌いだとしても、百虎の紋章が刻まれたこの聖剣は邪悪なる者が滅び去るまで追い続けるだろう。
「イスマリア様には指1本触れさせないと言った筈だ、お前に渡しはしない!」
「ならば貴女を先に殺すまで!」
「死んでも渡さん!」
聖と邪の刀身が反発しあって金属の音が幾度もなく鳴り響く。拮抗する力が押し合い、互いの意地がぶつかって一歩も退けない状況が長く感じてしまう。
少しでも気を抜けば一気に切り伏せられそうだ。細身の体躯からは想像し難い力で押し込んでくる。
力勝負では不利とみて咄嗟にジェグニーの斬撃を受け流しつつ斬りつけてみたが、この妖魔は無理な体勢からでも弾き返す腕力があるようだ。
剣技など不要と言わんばかりの剣撃が僅かな隙すらも与えてくれない。必殺の間合いへ踏み込めず、剣響だけが乾いた大地に響き渡る。
――このまま長引いてしまえばイスマリア様が……くっ!
目の前のジェグニーという上級妖魔を一刻も早く倒さねばならない。岩陰に寝かせたままのイスマリア皇女の容態が気になり、彼女に万が一の事があってはならないと心が急かしてくる。
それはカイン王子やランガーナ王国とアステルベルク皇国の両国の為だけではない。イスマリア皇女はご自分を危険な目に合わせてしまった愚かな行動を一切責めもせず、それどころかご自身に負担が掛かるのを省みることもなく助けてくださった。
そして幼き頃から大切にしていた想いまでも温かく汲み取ってくださったのだ。
ならば心優しき姫君の想いに応えねばならない。ただ純粋に守りたいという一心が駆け巡って私を突き動かす。
「何か焦っておられるようですね。勝負を急ぐ理由などないでしょうに」
剣捌きが僅かでも鈍っているというのだろうか。ジェグニーの問いかけは私の心情を見透かしたように思えてならない。
だがイスマリア皇女を理由にしての焦りとまでは見抜いていないようだ。とは言え、ここで悟られては弱みを握られてしまうかもしれない。
法力による衰弱をこの妖魔が知ってしまえば隙を与える切欠になる恐れがある。それだけは絶対に避けねばならない。
「ランガーナへの帰還にあまり遅くなってはカイン王子に申し訳ないからな。ならば勝負を急ぎもしよう」
「フッ、そんな心配など無用ですよ。貴女はここで死に、イスマリア皇女は妖魔王ルキフェール様復活の生け贄になるのですから」
「だから言っただろう。死んでもイスマリア様は絶対に渡さないと!」
上下左右と無差別に繰り出してくる剣撃を受けては返し、突きを受け流して胴を薙ぎ払う。
互いに己の主張をもってつばぜり合う最中でも、今は目の前の妖魔を倒すことに全力をつくすだけだと自身に言い聞かす。焦ったところでこの勝負に負ければ意味などないのだ。一擲をなす最後の一撃を繰り出す為にも、無想の剣にて挑まなければならない。
「そんなにご自分の命よりも、イスマリア皇女の方が大事なのですか? それともご自身の名声に傷が付いてしまうのが怖いとでも? どちらにせよ、私にはまったく理解し難いですがね」
「下衆なお前に人の心は分かるまい。一つの想いが時には大きな力を与えてくれるのを!」
「フッ、戯言をよくも恥ずかしげもなく言えますね。これから死にゆく貴女が哀れでなりませんよ」
「黙れ! イスマリア様は私の心まで救ってくださった。そして、その想いが私をより一層強くしてくれている。今戦っているのは私一人だけではない。イスマリア様の想いも一緒に戦っているのだ! この二つの想いが合わさった力を……それを、その身をもって知れぃっ!!」
「小賢しい、クソ生意気な小娘がいい気になりよって! この私をそう簡単に倒せると思ってかっ! 貴様のような小娘にこの私が負ける筈がないわ!! ただでは殺さん。その鎧を剥ぎ取り、無防備になった肉体を無残なまでにじわじわと斬り刻んでやる。それとも血を一滴も残さずに啜り、骨と皮膚となった骸を魔物達の餌にしてやろうか。どちらにせよ、貴様には無様な死に方だけが待っている。私に舐めた口の利き方をしたことを、あとでたっぷりと悔やむがいい!!」
憎しみに包まれた鋭い眼光で私を睨むジェグニーがついに本性を現し、激しいまでの斬激を浴びせてくる。
だが激情に駆られて振るう剣には隙が生じるというもの。打ち下ろしてくる渾身の斬撃を受けることなく身を捻って避け、半身の態勢から手首を返して突きだす一撃はジェグニーの横腹を切裂いた。
たとえ治癒力で傷口を塞いでも、精神にダメージは与えた筈だ。後方に飛び跳ねて間合いをとった妖魔の表情に動揺が走る様からそれが伺えよう。
「この私の身体に傷を負わすとは!」
「狙いを少しばかり外したか。だが、次はその程度では済まさん」
突き出した聖剣をやや前傾気味に上段の構えでジェグニーを見据える。全身に巡る血の流れを感じ、魔力の燃焼を高めつつゆっくりと息を吐く。
ふと、またしてもイスマリア皇女のことが気になったが、その心配は妖魔を倒してからだ。まだ疲労を感じないのであれば、あと半刻は全力で戦えるだろうと意識を目の前の敵にむけて剣気を一気に解放させた。
「いや、それが貴様の限界だ。冷静さを失ったところへ不条理な偶然が重なっただけにすぎん。身をもってそれを教えてやる」
妖気を高めるジェグニーが不気味な笑みを浮かべている様子からして、おそらく何かを仕掛けてくるつもりなのだろう。
ならばこちらから動かず、神経をより研ぎ澄まして待ち構えるのみ。如何なる斬撃や妖気を放とうとも、後の先を取って必殺の一撃を繰り出すだけだ。
「死ねぇーーーーぃ!!」
叫ぶジェグニーが紅いマントを靡せながら浮き上がり、姿を消したと思った矢先に眼前に現れて刃を振り下ろしてくる。
だが妖気が辿った軌跡までは消せない。この身を斬り裂こうとする禍々しい形状の刀身を聖なる刃で受け流しつつ柄を握る手を返し、刀身を跳ね上げて逆袈裟に斬りつけ、更なる追撃の刃を振り下ろす。
「な、なにっ!?」
眼をかっぴらいて驚くジェグニーを聖剣から放たれた二つの閃光が斬り裂いてどす黒い血が夥しいまでに噴出す。同時に弾き飛ばした剣が弧を描いて大地に突き刺さる。
致命傷こそ避けたのはさすが上級妖魔といったところだろうか。だが血飛沫が噴き出す傷口は塞がりきらず、どす黒い血を溢れさせたままだ。
倒しきることは出来ずとも、治癒が追いつけない程の深いダメージを負わせたことには間違いない。
「言った筈だ。想いが私を強くしてくれていると。もはやお前に残された道は唯一つ、暗い闇の世界へ還るしか……ないっ!!」
気迫をこめた眼光で睨むと剣を失ったジェグニーが怯み、気後れして一歩づつ後退していく。
さしもの上級妖魔といっても恐怖を感じたのだろうか。自慢の妖術が通じず、剣の勝負でも負けたのだから退かなければ己の死は免れないと自覚したのかもしれない。
ただジェグニーがこの後どのような策を講じようとも、次の一撃を繰り出せばこの勝敗が決することだけは確信できる。
「いくら聖騎士が相手だったとはいえ、イスマリア皇女を連れ帰らず、ましてこのような小娘一人に負けたとあってはルキフェール様に顔向けが出来ん! フ、フフ、フフフ……こうなれば奥の手を使うしかないか」
「やってみせろ。だが、お前の死が覆ることはない!」
慄く相手に向かって刃を突き出しながらゆっくりと歩を進める。やがて間合いが詰まり、切っ先が血に染まったジェグニーを追い込んでいく。
ところが妖魔は脂汗を流しながらも、引き攣った表情の中に下卑た笑みを浮かべて視線を逸らそうとしない。
――この期に及んで何がある!?
危険が迫っていると本能が告げてくる。
ならばこの切っ先を突き刺して最後の一撃を加えるのみと聖剣を強く握り締めたその時――。
ジェグニーの声が聞き覚えのある声に変わっていく。
ずっと幼少の頃から聞き慣れた想い人の声に、そして姿も虚ろになって変わっていった。
あと切っ先を目の前の妖魔に突き刺すだけで終わるのに、手が震え出して思うように動いてくれない。心を激しく揺らされてしまい、思考が止まっていくように感じてしまう。
「これで私を倒すことは出来ない。そうだろう、リアナ……」
「カ、カイン様!?」
均整のとれた顔立ちにしなやかな金色の髪。見間違うことないその姿はカイン王子そのもの。
想い人の姿を目の前にして肩の力が抜けてしまい、思わず聖剣を引いてしまった。
「そんな物騒な物を向けないでくれ。それとも君は僕を殺そうとでも思っているのかい?」
仕草や穏やかな口調まで同じだ。
まるで本物のカイン王子が目の前に現れたような錯覚に陥ってしまう。
「君に僕を殺せはしない。だってそうだろう、リアナは僕のことを好きなんだから……」
優しい笑みを浮かべたカイン王子が聖剣を握る私の手に触れてきた。
そのまま見つめられながら顔を寄せられていくだけで身体が思うように動けない。頭では理解していても、心が想い人の姿に吸い寄せられていく。
――あ、あぁ、惑わされちゃダメ! 目の前にいるのはカイン様じゃない、これは妖魔が化けた偽りの姿なのよ!
カイン王子のことを諦めようとしても想い慕う心が揺さぶられていく。妖魔が化けた姿と分かっていながら刀身を下げたまま振り上げることが出来ない。
無防備のまま頬を撫でられていると全身の力が抜けていき、弱々しく握っていた聖剣が手からこぼれ落ちていく。乾いた土に突き刺さった聖なる刃を掴もうと意識しても、理性より感情が上回って拒む。
抱きしめてくる偽りの姿の胸に顔を埋めてしまい、跳ね除けようとする意思が削がれ、気がつけば両手を冷たい背中に回していた。もはや身体を預けていないと立っていることさえ出来ない。
「カイン……さま……わ、たし……」
「そう、それでいい……。その褒美を取らせてあげるよ。さあ、力をもっと抜いて。この僕自ら君を楽にしてあげるからね。苦痛なんて感じないよ。血を吸われる快楽を感じながら深い眠りに堕ちていくだけだから。そう、二度と目覚めぬ永遠の眠りの中にね」
見上げるとカイン王子の姿をしたジェグニーの眼が怪しげに光り、大きく開かれた口の中から鋭い牙が見える。
あの優しい顔立ちだったカイン王子の表情が冷酷なものに変わっていくのに、身体が金縛りにあったかのように指1本すら動かすことが出来ない。昂ぶる心が蕩けていくように感じてしまう。
目の前で大きく開かれた口から覗く2本の鋭い牙が首筋へ触れ、突き刺さった痛みより心地よさを感じてしまう。脱力を伴う開放感に包まれて視界が霞みだしたその時――。
意識の中に別の何かが入り込んできた。
『そこまでです!! その方を傷つけるのは、この私が許しません!』
イスマリア皇女の声が頭の中に響いてくると、聞きなれない厳しいまでの声音が蕩けそうになった心を現実に引き戻してくれる。
その声はジェグニーにも届いていたのだろうか。突然なまでに苦しみ出すと、元の姿に戻って私から離れていく。蹲って頭を抱えた矢先、今度はのた打ち回って悶えだす。
いったい何が起きたのか分からない。どうやら妖魔の呪縛からは解放されたらしいが、支えを失った身体が崩れて視界がぶれると地面が目の前に迫ってくる。
「イ、イスマリア……さま……!?」
倒れまいと片膝をついて踏ん張った途端、身体に力が戻りはじめていく。まだ思うように動かせない手で二つの小さな傷口を押さえているうちに、失った本来の力が漲るように蘇ってくる。
大地に突き刺さったままの聖剣を支えにゆっくりと立ち上がって振り向くと、魔力とは違う優しく温かな光に包まれた何者かが近づいてきた。
「その妖魔はカイン王子の姿に成りすましただけではなく、リアナ様の心の中までも覗いていたのです。そして貴女に触れた時に身体の自由までも……奪って……いた、の……です。で、ですが……こ、これで術は……もう、解け、た……で、しょう……」
今にも倒れそうな弱々しい足取りで、イスマリア皇女が苦しげな表情で私を見ている。
彼女が近寄ってきた気配にまったく気がついていなかった。
ジェグニーもまた私から血を啜って妖気を高めようと躍起になっていた為なのか、本来の獲物であった筈のイスマリア皇女が姿を現したことに気がつかなかったようだ。法力によって術を封じられて苦しみ藻掻き、まだ立ち上がることすらできない。
「ぐああーーーっ! あと少し、あと少しだったものをっ!」
「イスマリア様!」
叫ぶと崩れ落ちるように倒れていくイスマリア皇女のもとへ駆け出していた。
うつ伏せに倒れた彼女の傍に駆け寄ると聖剣を足元に置いて抱きかかえる。
「イスマリア様、イスマリア様っ!」
悲痛な呼び掛けに薄っすらと微笑むお姿がはあまりにも痛々しい。先程よりも顔色が青白くなって衰弱具合が酷くなっているのが見るに耐え難い。
なのにこのお方はご自分の苦しみを訴えようとしない。震えながら微かに動く唇は別の何かを伝えようとし、弱々しく私の手を掴もうとしてくる。声にならない小さな吐息が乱れ、呼吸すらままならないご様子からして命の灯火が今にも消えそうだ。
「何も仰らないで下さい、お身体に障りますから」
懸命に差し出された震える手を握り締め、それ以上のことが何も言えなかった。
――私なんかを助けるために、貴女ってお人は……。
声にならない震えた声で呟いていた。
イスマリア皇女はまたもご自分の命を削ってまで法力を使い果たしたのではないか。
可憐で美しいお顔立ちが見る影もないぐらいに頬が痩せ簿そり、目の下の隈がより黒ずんでいるお姿からして、強大な妖気を封じ込む為に無理をなさったのではないかと胸が痛む。
「ここでもうしばらく待っていて下さい。すぐに戻ってきますからね」
イスマリア皇女をその場に寝かすと、色白いその手にもう一度触れた。
少し冷たくなった彼女の手から慈愛に満ちた優しさを感じる。
それが私に更なる強い力を与えてくれるように思えてならない。足元に置いた聖剣を握り締めて立ち上がると力が漲ってくるようだ。
苦しみから解放されたジェグニーはイスマリア皇女が傍にいるにも関わらず、再び禍々しいまでの黒く巨大な光の玉を放ってくる。
もはや冷静な判断が出来なくなっているのだろう。
だが、そんなものは今更この私に通じるものではない。聖剣を軽く払うだけで打ち返し、ジェグニーの真横をすり抜けると弾けて拡散していく。
咄嗟に身を挺して爆風からイスマリア皇女を守り、もう一度立ち上がると砂塵が舞う中を見据える。そこには驚愕の表情を浮かべるジェグニーの姿があった。
「人の心を弄ぶ貴様だけは……貴様だけはっ!!」
激しく怒りが燃え上がり、ジェグニーに向かって駆ける。続け様に禍々しい刀身から黒い刃を放ってこようが、そんなもので疾風怒濤の刃と化した私を止められるものではない。
黒い閃光を薙ぎ払って憎むべき妖魔に迫りながら刀身を少し引き気味に構え、そこから蓄えた力を一気に解放させる。そして切っ先が煌めくと斬撃が幾条もの閃光となって四方へと走り、ジェグニーを包み込むように無数の刃が襲って切り刻む。
「奥義、百華乱舞の陣!」
驚愕の表情に凍てついた上級妖魔の傍を駆け抜けた後に吹き上がった土煙の中、繰り出した剣撃の勢いを踏ん張って止まり、前屈みの姿勢を正しながら振り返って聖剣を構え直す。
憎き敵を見据えた先では煌めく斬撃に遅れて生じた衝撃がジェグニーを弾き飛ばす光景が目に入ってくる。
地に伏して倒れたジェグニーが全身からどす黒い血を噴き流してよろめきながら起き上がってくるもの、頭部の夥しい出血具合からして致命傷は確実に与えた筈だ。傷口が塞がっていく様子がまるでない。
無数の斬り口から噴き出す血にまみれ、もはや戦う力は残っていないように見えたが、最後のあがきとばかりにふらつきながら立ち上がってくる姿には執念すら感じてしまう。いや、苦渋と憎しみが篭った双眸で睨みつけてくる形相は怨念の塊だと言えるのかもしれない。
「これで終わりだ!」
とどめの一撃を加えんばかりに振り上げた刀身の前から血まみれの妖魔が消えた。
気配を追って見上げると、瞬く間に空高くへと逃れたジェグニーの姿がある。頭上から襲い掛かろうとでもしているのだろうか。
決定的なダメージを与えたとはいえ、一瞬で空高く飛べる力があるのならまだ油断はできない。僅かな動きを見落とすなく聖剣を握りなおして上空の妖魔へと構えた。
「ク、ククク……お、お前達人間とは違って、私はこの程度では死なん。傷が癒えたら真っ先に貴様を殺し……こ、今度こそイスマリア皇女を奪って……やる。か、必ず……な!」
ジェグニーが言ったことが本当なら、致命傷と思われる傷であっても回復してしまうのだろう。ならば今ここで奴を仕留めなければ、ランガーナ城へ到着する前にまたイスマリア皇女を狙ってくるかもしれない。
それを物語るようにジェグニーは下卑た笑みを見せて遠ざかってゆく。
如何なる一撃を加えようにも天と地と離れたこの位置からでは何も出来ないと思っているのであろうが、憎き存在をこのまま逃がすつもりはない。
散っていった者達の恨みを晴らすために……
イスマリア皇女の想いに応え、その御身を守るために……
そして幼き頃から大切にしていた想いを踏み躙られた怒りを叩き込むために……
妖魔ジェグニーだけは己の全てを賭して倒さなければならない!
その為にも百虎の聖騎士としての力を今、すべて解き放つ!
様々な想いが駆け巡る中、すべての魔力を解放させると聖なる鎧が百虎の咆哮をあげた。
聖剣の切っ先を震える大地に突き刺し、両手を合わせながら怒れる心を鎮めつつ念を込め、指を複雑に絡まして“印”を結びはじめると全身が白銀に光り輝く。
「夢想心眼・天魔滅却……臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前……西方の守護神の名において、百虎が生み出せし破邪の牙よ、闇を切り裂く光の刃となれ!」
印を結び終えて聖剣を右手で掴み様に高々と天へかざすと同時に、鎧の背の部分から白銀に輝く翼が生えてくるのが実感できる。
足元から砂塵が吹き荒れているのを気にも留めず、刀身を振り降ろし様に両膝を折り曲げて力強く飛んだ。百虎の翼を羽ばたかせながら天高く空を駆け上がり、神々しいまでに輝く翼を大きく拡げて上昇を止めると光の羽が周囲に舞い散っていく。
遥か遠くのジェグニーを正面に捉えた時に全身から発する光が聖剣に集まり、光となった刀身を振り上げると天高くそびえたつ。
「ハァァアアアァァーーーーッ! ――――斬っ!!」
己の全てを賭けて振り下ろす最後の一刀――。
巨大な光の刃がしなりを帯び、遠く離れた上空で逃れようとしていた憎き妖魔に迫る。
そして恐怖に慄くあまりに動きを止めたのであろうジェグニーを、天までも覆い尽くさんばかりの閃光が押し潰していくように斬り裂き、白銀の輝きが飲み込んで塵一つ残さずに消滅させていく。揺らめく光の羽が舞い落ちる中、妖魔の最期を見届けながら地上に降り立つ。
「妖魔……覆滅……!」
片膝をついた状態から立ち上がった時には巨大な光の刀身と翼は既になく、聖剣の刃に燻っている光の粒を振り払うと霧のように消えていった。
周囲にはもう邪悪なる気配が感じられない。立っている場所から周囲を見渡せば、無数に散らばった屍だけが広がっている。
ようやく妖魔達の追撃を絶ったことに安堵を感じても、それ以上に言い知れぬ不安が過ぎって急激に膨らんでいく。
イスマリア皇女の手を触ったときに感じた少しばかりの冷たさが、今になって何か嫌なことが起こる前触れではないのかと感じてならない。そして踵を返すとそのまま無我夢中に姫君のもとへ駆け出していた。