第9話 『○○→心情!』
「それは以前にも言っていたでしょう。必要です、絶対に、えぇ。そうです、絶対に必要なんですよっ!」
「むぅ、でもさっでもさっ! やっぱり最初から運動場を作るよりも病院を作る方が絶対に良いってばっ!」
ここは領主の屋敷、その広場である。だが何時もよりも声が響く、それは加藤、エイラ、エリアスール、ルクーツァがいないためであろう。
しかし、いなくても。いや、いないからこそこの場にいる彼らが行わなければならない、進めなければならないものというものもあるのだ。
今、アージェとレイラが言い争っている論点は防壁という第一目標を建造した後の着工順についてである。
「ですから、治療所は必要最低限は作る事は以前にも言っていたはずです。街として大事なのはそこではなく、スポーツというものがあるという事を大勢のヒトに知って貰う事。ならば国軍が未だ残留している時期にこそ、その存在を見せるべきでしょうっ!?」
アージェが重視しているのは、国軍である。とはいえ、それとの協力体制云々という事ではない。国軍は当たり前ではあるが一定期間滞在した後、街として一定の体裁が取られたとあれば国へと帰還する。
その帰還した後の事が重要である、と彼は声を荒げる。そう、それは土産話とでも、それを聞いた家族なりが知人に対しての雑談という形であってでもいい。とにかく広い範囲で、確かな情報として広まるのである。
それにこそ、加藤が理想としている差別という問題の緩和に繋がる第一歩であると言っているのだ。彼にしてみれば聊か強引な語り方ではあるが、それほど重要な問題なのだ、差別というものは。今まででは足掻く事すら難しかったソレに手が届くのだ、どうしても暑くなってしまうのだろう。
「でもっ! 病院は絶対に必要だよっ、防壁を重視するっていうのはわたしも賛成だよ? 差別についてだってそうっ、確かに大切! でもねっ、それ以上に大事なのはそこに住むヒトを守るって事なの、心の安全よりもまずは命の安全っ! 考えるまでもなく当然の事でしょう!?」
レイラはアージェの言う事に理解を示しつつも、現実として当然の理論を述べる。
そう、現実としてレイラの意見は正しいと言える。街を造る過程でも病院より防壁を重視するという方向性こそ認めたものの、やはり緻密な医療行為を可能とする治療施設、病院というものは必要なのだ。アージェの言う必要最低限、これではそれらを行えないだろう。
しかし、その施設には多大な資金を必要とする。はっきりと言えばそれを作っていまえば運動場の建設は厳しくなってしまう。いや、出来るには出来るのだが国軍という名の広告塔が消えてしまっている事だろう。
新たな概念と、昔ながらの、しかしだからこそ大事な基本。これらの折り合いを着ける事は今の彼らには難しい事なのかもしれない。
そう。彼らにならば、である。
「アージェの言う様に運動場が必要ってのはボクも思うなぁ。けどさ、ヒロが言ってたじゃない? スポーツってのは簡単に出来るんだーってさ。要はスポーツが楽しいってのを知って貰いたいんであって、新しい街にそれが出来る凄い施設があるってのを知って貰いたいわけじゃないんでしょう?」
言い争う2人の間に、焼き菓子を頬張りながら口を挟むのはニーナである。いつものように、特に考えずに軽く言い、続けて言うのだ。
「スポーツってさ、なんだか身体を動かすやつらしいじゃない? 追いかけっことかも一応スポーツなんだって! だからレイラの言う通り病院を作ってからの、なんだっけ? リハブリ? とかのでソレをやらせればいいんじゃない?」
彼女は続けてそう言う。そう、最初に着工するのはやはり病院であるべきだ、と。しかし更に言うのだ。
「でさでさっ、ちっちゃくても良いから病院に運動場を作ろうよ。国の大きな病院には大きな庭があったけど、それみたいな感じでっ! 運動場を作る職人さんにも、こんな感じのをでっかく! って感じで良い練習にもなると思うしさぁ」
その意見は実に纏まっていた。少なくともアージェとレイラ、この2人に取っては。
アージェからしてみれば、それでも運動場という目玉があった方が効果的なのは変わらない。しかし医療の一環としてソレを組み込める、という新たな要素が出てきたのだ。妥協するには申し分ないと言えよう。
同様に、レイラとしても元々スポーツ、そして運動場自体には賛同している立場だ。それ自体を否定などしてはいない、防壁の後の着工順として病院は第一であるべきだという意見だっただけなのだから。
「やはり、ニーナ様は頼りになりますね。いや、まだまだ未熟なようです。ロレン様にも広い視野を持てと言われたばかりだというのに……」
「そうだねぇ、こっちが良い! っていうだけじゃなくて、相手の意見を聞いて、それを纏めないといけないのに……、わたしもまだまだだなぁ」
「ん? あははっ、何いってるのさっ。ボクはレイラ達が言った事があったから言えたんだよ?」
そう、ニーナに専門的な知識は未だ無い。これから得たとしても他の面々を凌駕するモノを得られる事はないかもしれない。
あるのはただ、示された事柄を想像し、それについて自分なりに考えるというだけだ。やるべき事を1から創造し、それを誰かに伝える手法を取る事は行えない。彼らが2つの事柄を怒声混じりとは言え、説明するように、説得するように口に出していたからこそ彼女はそれが出来ただけなのだ。
しかし、これは簡単な事であろうか。いいや違う。これは自分の思想を1から形作るよりも遥かに難度が高い場合が多いのだ。
何故か、それは相手の話を理解できなければ行えるモノではないからだ。異なる理想、つまりソレは異なる知識、経験によって形作られたモノだ。それを理解するにはその両者のソレを有していなければ本来は行えないのだから。
しかし、ニーナにはそれらは無い。では何故ソレを行えたのか。
それは彼女はモノではなくヒトという視点で見ているためだろう。何故それを言うのかという物理的な根拠ではなく、何故このヒトがそう言いたいのか。それを考えるためだ。
ヒトと接し、それと共に生きていく。これはほぼ全てのヒトが経験し、時に苦悩するほどの問題であり、時に歓喜するほどの幸福だ。
彼女はソレらの怖さ、そして優しさを知っている。前者を必要以上に恐れる事の愚かさも、後者を頼りに頼ることの恥もまた知っている。
だからだろうか。彼女は良くヒトを見る。良くヒトの話を聞く。それを理解できずとも、ただただ目を向け、耳を傾ける。それだけだ、ただそれだけだ。
それはある種、レイラの長所と似ていると言えるだろう。違う点はその焦点だ。レイラはモノで考え、ニーナはヒトで考える。
当然ながらヒトで考えるだけでは何も進まない、小事であればまだしも大事であれば周囲を納得させる理由が必要なためだ。自分は知っている、だから良い。これでは誰も首を縦に振るまい。振りたくとも振ってはいけないのだから。
ただし、モノとモノがぶつかる時にヒトという視点を挟む事は納得させ得る強き理由となる。
ニーナは良く仲間の名前を口にする。加藤という発案者が口にした切欠、アージェという智恵者が言うからという信頼、レイラという領主の娘が口にした歴史に基づく根拠。
そう、彼女はヒトを知っているからこそ、理解できずともそれを信じられる。ヒトを知っているからこそ、このような提案を口に出来た。
スポーツというものを広めるために、どのような方法が効果的なのかは彼女には分からない。しかし街を造るという視点であればレイラ、アージェ双方ともに信頼できるのだ。どちらの意見もきっと素晴らしい、誰もが納得できるモノなのだと。だからこそ、どちらも選びたい、選ぶために頭を働かせる。
それらの両方を成り立たせるための根拠、説明を探すのではない。それら別のモノを掲げるヒトとヒトが歩み寄る、仲直りさせるための理由を探すのだ。結果的には同じなのかもしれない、だが違う。決定的に違うのだ。
この方法は汎用的ではないのだから、良く知っているヒト相手でなければ通用しない。またその相手に自分という緩衝材が同様に信頼されていなければ効果を発揮しないモノだ。
誰もを納得させられる知識を、根拠を有するヒトに、貴方ならば信じられる。そう言われなければヒトという根拠は強くなれない、少なくとも大事を運ぶ場合であれば。そして、ニーナという存在はこのような立場となってなお、ヒトという視点を重視できる人材、いや正確にはそこしか見れないと言うべきだろうか。
ともかく、彼女はロレンが言っていた通り重要な人材となっていた。子供が大人に変わる時期、どうしようもない変化が訪れるものだ。それは切り捨てなければならないモノもあるだろう。それは見捨てなければならないヒトもいることだろう。
その時、ただの一言で良い。それをどうしても捨てたくないと、どうしてもと言ってくれるヒトがいれば。きっとソレは試練だろう、きっとソレは苦難だろう。
――――しかしソレこそが彼女達の。
「えへへー、まぁ。褒めてくれるのは嬉しいなっ! で、えっと? 壁でしょ? 病院でしょ? 小さいけど運動場でしょ? 順番はいいけど、どういう風にするんだっけ、壁はヒロが色々言ってたのを領主様がもう準備してるらしいけど」
「病院については、そうとなれば力を入れるべきでしょう。運動場を作る予定地さえ確保できるのであれば、国軍がいない時期に力を注ぐべきではありません。そうなりますと、専門家の意見が欲しいところですね?」
「それは後でわたしがお父様とかに掛け合ってみるよ。重視するって事だけど、それってどの程度で……」
レイラが道筋を作り、アージェがそれを組み上げ、ニーナがそれを支える。時にぶつかる意見をニーナが纏め、纏められたソレをアージェが見直し、レイラが更に進める。
智の方面での各々の役割というモノがうまく機能し始めていた。自分に出来る事に全力で取り組む、それが形となってきていたのだ。
――――
――――
あれこれと、時には先ほどのように口論を行いつつも最初期の事柄について細かな点までも纏まりだした頃。アージェは一息つくように口を開いた。
「そうですね、主要な用件についてはひとまずこの程度でいいでしょう。後々細かい修正は必須ですが、うん。いやぁ、資金を調達しなくても良いので楽ですねぇ、これが後ではそれらに走り回らなければならないと考えると頭が痛くなります。領主様方には当分の間、頭が上がりそうにありませんよ」
そう、あれをしたい。これをしたい。それは子供であっても言えるモノなのだ。今、彼らが行っているモノはそれをしたい、だからこれをしないといけない。という考え方、同時にそれらを動かす方法、それらがどのように動くのかという事を実体験するというモノである。
そもそも大衆を納得させるための理由にしても、最初から難易度が低いと言えよう。先にも挙げた通り、納得させるための理由を、納得させうるヒトが言えばその効果は飛躍的に上がる。
今回、彼らが納得させる相手とは大勢のヒトではない。彼らの親と呼べるヒトが相手であるのだ。それゆえに多少甘い所が無いとは言えない、多少の欠点があっても親がソレを補う事だろう。
子供が言った所で信頼されぬ意見であろうとも、それを聞いた親が、ロレン達のような実力者が言うのであれば、という事である。
街を作り上げ、一定の成果を挙げたのであれば、子供たちにもそれなりの実績が生まれることだろう。それを元手に、今度は本当の意味で1から大勢のヒトを納得させていかなければならないのだ。その時には親の加護に頼る事はそうそう出来なくなるだろう。
その時のために、今から全力でいかなければならない。必要なときに努力を始めるのでは遅いのだ。個人としてならともかく、彼らは大勢を背負わなければならなくなるのだから。
「そういうものなの? まぁ、その辺はアージェとかエイラに任せるよっ! ボクは……、なんだろ? うん、いつでも相談に乗るからね?」
「ははっ、それは心強い。頼りにさせてもらいますよ? 冗談ではなく、本当にね。それはそうと、今頃は彼らも予定地に到着した頃でしょうかね」
アージェは今までの硬い話の流れを切るように、思い出した風にそう漏らす。それにいち早く反応を見せたのはレイラだった。
いつも傍にいたエリアスールが居ないということもあるのだろう、慌てるように言葉を繋いだ。
「そうっ! もう着いてるよねっ!? 大丈夫かなっ、ルクもヒロもいるし、なんか凄いヒトも一緒だから大丈夫だってお父様とデイリーは言ってたけど、2人はともかく、ヒロがいるからって!? ヒロだよ? ヒロっ!?」
「お、落ち着いて下さいレイラ様っ! それにですね、ヒロ君はもう既にかなりの実力者です。貴女も知っているでしょう? あの時、中型相手にギョッセさんと共に生き残った程の冒険者なんです。エリアスール様とエイラ様もきっと守ってくれると思いますよ?」
アージェは加藤の実力を現す具体的な例として、ソレを挙げた。挙げてしまった。確かに、中型相手にただの2人で対抗し、また生き残る事は普通の冒険者では考えられず、相当の実力を有している事の証左になる。
だが、その時にレイラを始め親しいヒトらは大いに動揺したのだ。そして酷い怪我を負っていたギョッセ、それ程ではないにしろ同様に負傷している加藤を見て更に慌てに慌てた。
そもそもが、レイラが心配している相手とはエリアスールだけに留まらない。マナという少女もそうなのであろうが、やはり気になって仕方が無いのはお目付け役の姉のような女性と、加藤、エイラなのだろう。
その心配するヒト達を守るのが心配しているヒトだというのだ。それも守れたとしてもまた大怪我を負うかもしれないと考えてしまう、思い出さずにはいられないヒトなのだから、レイラの心配振りにも頷けるものがあるだろう。
それを理解できたのはやはりニーナであったようで、苦く笑いながらも口を挟む。
「あはは……ヒロかぁ。けどさレイラ、ヒロはともかく。ルクーツァ様やなんて言ったっけ? その強いヒトがいるんだし、大丈夫じゃないかな? 少なくとも、中型の1匹や2匹なら問題ないって思えちゃうなぁ」
ルクーツァという名はこの場にいるヒト。特にレイラには大きな意味を持つ言葉だ。自身が尊敬して止まない父親と祖父のような彼らと同様、いやそれ以上の武を持つ存在のためだ。
「そっそうだよねっ。ルクがいるし、大型が出ても逃げるくらいは出来るよねっ!」
「いや、流石に大型は分からないけど……。でもそうかもねっ! マナちゃんだっけ? あの娘が言うにはヒロだって凄いんだって嬉しそうに言ってたし、うん。それにさ? エリさんもすっっごく強いでしょ? というかエリさんがヒロを守る側じゃない?」
「あははっ! だよね、そうだよねぇ。エリは凄いもんねぇ……」
「そう言えば、エリアスール様は武人なのでしょうが。あの武は冒険者として磨いたモノなのですか? それにしてはレイラ様と旧知の間柄、いえそれ以上のモノに見えますが」
何やら安心したのか、レイラとニーナで先ほどまでの話全てを忘れたかのように雑談を始めようとしていた2人。そこにアージェが軽く疑問を口にする形で間に入る。
それに首を傾げながらレイラも同じく、軽く言い放つ。
「エリは冒険者じゃないよ? いや、冒険者としてもやってたけど、武はデイリーから教えられたんだよ。わたしと同じでお父様から教わったんだよ?」
「お父様? というと領主様から?」
「違うってば、デイリーから。あれ? エリの父親がデイリーって知らなかったの?」
「知りませんでした。 なるほど、道理でデイリー様があの時、エリアスール様の……」
あの時、というのはデイリーの家での酒盛りの事だ。
あそこでの談笑は、酒の力もあってか気兼ねすることなく、思いのままにそれぞれが語り合う。
ロレンはレイラとアイラという家族自慢に終始し、ルクーツァは加藤の武について長々と説教を始め、デイリーは加藤の色恋沙汰で笑いに笑う。
加藤がそれら全てに反論なりをし、その加藤の愚痴をアージェが聞くというのがいつもの流れであり、アージェが加わってからも定期的に行われている彼らの大切な息抜き、いや充電の時と言えるモノだ。
その時、デイリーはなにかにつけてエリアスールの秘密を言っていく事が度々あったのだ。基本的には本人の前で言えば怒るであろう内容を。
ロレンがレイラのそれらを口にするのは理解できるとしても、デイリーが何故エリアスールのそれを、と何処と無く引っ掛かっていたモノが綺麗に理解できたアージェはうんうんと何度も首を振った。
「んー、なーんか気が抜けちゃったなぁ。アージェが変なこと聞くからだよー? っていうか、なんでそんな事を気にしてたのさぁ」
「ははっ、それは失礼しました。おっと、もう暗くなっていたんですね、そろそろ夕食時ではありませんか? エリアスール様やエイラ様がいないと忘れがちになって困りますねぇ。ささっ、移動しましょう」
ふと外を見たアージェは時間がかなり経っていた事に気付く。なんとなくアノ酒盛りの事は話したくないとでも思ったのか、慌てたように、わざとらしくそう言う。
レイラは何処となく不満気であったが、ニーナが声を上げた事で頬を膨らませながらも思考を変えたようだ。
「わぁ、ほんとだ。ねぇねぇレイラ? 今日はなんだろうねぇ。やっぱりお魚かな? それともパン包み焼きかなぁ?」
「うーん、わたしは野菜な気分っ! サラダがあると嬉しいかもっ」
レイラとニーナはそれぞれ思う事を口にしながら、部屋を移動しはじめる。レイラは心配だと零しながらも夕食が楽しみなのか顔色は明るい。ニーナに至っては夕飯が楽しみでならないのか、とにかく笑みを浮かべている。
そんな彼女達を見ながら、後ろを着いて行くアージェはふと、窓から空を眺める。
「大丈夫でしょうか……。やはり心配ですねぇ、何事もなく終わればいいのですが」
そう零すと、少しばかり置いていかれた事に気付いて早足でレイラ達を追った。アージェの眺めていた空、暗くなりはじめ星がちらほらと自己主張し始めたところのソレは、何も言わずにただソコにあるだけだった。