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異なる世界で見つけた○○!  作者: 珈琲に砂糖は二杯
第三章《ワカシとセイゴとメジマグロ》
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第15話 『○○→無償!』

 

「んーーっ! なんで寝てるのっ!! もぅ、カトったらっ!ねぇ、約束したでしょー! お出掛けっお出掛けっ!!」


 獣人の少女は、種族の証とも言える尻尾を真っ直ぐに伸ばして、感情を表す。

 加藤を布団の上から軽く叩いて催促するが、加藤は寝返りを打ってそれを拒否することを伝える。


「あー、分かってる……だけどごめん……。もーちょい……もーちょいだけ寝かせて……というか出来たら明日にしてくれ」


「うぅー……アタシと約束したのにっ! カトの馬鹿っ! もう着た所見せたげないからねっ!」


 そう言うとラルは扉を勢い良く閉めた。その音ですら頭に響いたのか、それとも不味い事をしたと思ったのか加藤は顔を顰める。

 その加藤へと、言葉を掛ける存在が2つ。


「まったく……情けない、オレはそんな風に育てた覚えはないがな?」


「キュウー」


「なんでルクータは平気なんだよ……。俺より飲んでただろう? ったく、ずるいっての……」


 布団の中へと顔を埋めたためだろうか、若干聞こえにくい、篭った声でそう言う。


「まぁ、オレ達も少し飲ませすぎてしまった……。ついつい楽しくてな? ラル嬢にはオレからも言っておく、今は休んでおけ」


 そう告げると、ルクーツァも部屋から出て行く。

 残っているのは、布団の中で丸まっている加藤と、それを見つめる小動物せんぱいだけになった。


「あー、やっちまったよなぁ……。途中から完璧に忘れてたから飲みすぎて……、あの事が解決したと思ったら今度はこれか」


「キュッキュウ」


 小動物せんぱいの鳴き声をどう取ったのか、加藤はそれを認めるように言葉を紡ぐ。


「だよなぁ、今回は俺が悪いよなぁ……。ってか先輩はあの事知らねーだろ、あぁ、どうでもいいか」


「……キュウ?」


「あー、あー……。 無理してでも……いや無理、無理だわ。ちょっとこれはきつい……ラルには明日にでも……きっと許してくれるだろ」


 ――――

 ――――

 ――――


 そう言い残すと、陽が高い内に、再度眠りの世界へと旅立つ事にした加藤。

 起きたのは夕食時になってのことだ、そして腹も空いた事もあり、急いで女将達と夕食を食べている下の階へと降りていく。


「ちょっと寝すぎたな……頭痛はしなくなったけど、なんかモヤモヤする……。んー、まぁ飯食べるとしよう、皆が食べ終わっていても、いつも通り残してくれてるだろうし」


 そう呟いて、いつもの部屋へと続く扉を開いた。

 そこにいたのは女将だけであり、ルクーツァとラルの姿は見えなかった。


「あっれ? ルクーツァはいいとしても、ラルは?」


「まったく、カトーの坊やは……。ちょっと出掛けているよ、なんかお屋敷でお泊りなんだとかはしゃいでいたね? 帰りは明日以降だと思うね、それよりも、食べるんだろう?」


 加藤の様子を見た女将は頭を押さえながら、ため息を吐くように疑問に答える。

 どうやらルクーツァは彼女の機嫌を直すことを、自分ではなく、同じ歳若い女性達に任せようという魂胆なのだろう。

 それを悟った加藤は、なんともいえない顔をした。


「まじかよ……うわぁ、しばらく屋敷には行きたくないな……。エイラは言わずもがな、エリアスールさんにニーナ、レイラはこういう事になると煩いのは以前に分かってるし……。アージェは、頼りないし……、うん、暫く行かない事にしようっ!」


「なに言ってるんだい、帰りは明日、以降って言ったろう? あんたが迎えに行かないと戻らないって駄々こねてるんだよ、あの娘は。ったくもう、しゃんとしとくれよ、坊や?」


 女将は加藤の様子を見つつも、重要な事を教えた。

 それは加藤に取ってかなり厳しい事だったようで、決めた事を覆さざるを得ない情報だった。


「えぇ……、迎えって。まじか、明日にでも行くべきなんだろうけど、そうするとあの恐怖がっ!?

 ……けど遅すぎると、あれ以上の地獄がありそうだし」


 何かを思い出したのか、急速に枯れていく草花のように言葉がしぼむ。


「あっはっは、色々と大変なようだねぇ坊や? だけど、そう構えるものじゃーないさ。あの娘もそんなに気にしちゃいない、ただ少しあんたに甘えただけさね」


 加藤の言葉をどう解釈したのか、女将はラルの事を細かく伝える。

 その言葉には若干、何かに対する恐怖が混じっているようにも見えた。

 それが何かは加藤にも気付いていたが、そんなものは加藤とは縁が無いものだ。

 女将も分かってはいるのだろう、それでも気になってしまう、母親とはそういうものなのだ。


「いや、ラルはいいんだけどさ? 他の面々がさ、色々とね? っく、ルクーツァめ! 行くしかなくなったじゃねぇかよっ……あーもぅ、ラルも仕方の無い奴だなぁ」


 加藤はなんだかんだで、ラルに悪い事をしたと悔いているのだろう。

 言葉を若干荒立てながらも、優先するのは獣人の少女のことだった、その事を女将に伝えようと、ラルがいるために、と強調して女将へと自分の意思を伝えた。


「そんなになのかい? レイラちゃん達がねぇ……。あぁ……ほら、夕食は煮込みだよ? 温め直したから、冷めない内に食べちゃいな」


 そこまで屋敷に行く事を拒絶している感じの加藤に、若干驚きながらも、若干の笑みを浮かべながらも、女将は料理を机の上に置く。

 寒くなりつつあるサックルでは、最近こういった暖かい料理が領主の屋敷でも、斡旋所などの飲食店でも食卓の上にあがる事が多くなっていた。


「あ、ありがと、女将さん。おぉ、美味そう! それじゃ、頂きます!」


 余程空腹だったのか、加藤は勢い良く料理を食していく。

 しばらくして、全てを食べ終わる、その時を見計らったように、女将がまた声を掛けてきた。


「あっはっは、美味しかったかい? そんな風に食べてくれると作り甲斐があるってものさ。……本当にありがとうねぇ、あんたが傍にいてくれるようになってから、あの娘も明るくなって……。以前、気にしていた時があったろう?」


「……ん? 気にしていた事? そんな事あったっけか、いつの事だろう」


 加藤はそれでは分からなかったようで、それを問う。

 女将はその時の事を教えた、しかしやはり加藤は思い出せなかった。


「ここに来てすぐの頃さね……。あたしが口を滑らせたのに、気付いていっていただろう?」


「ん?…………あー、あれ?ちょっと待って。…………うん、思い出せないわ、なんか言ったっけか、俺」


 加藤に取っては、さほど気にすべき事では無かったのだろう。

 そんな様子の加藤を見た女将は嬉しいような、落胆したような声を出す。


「まったく……こっちは真剣だっていうのに坊やと来たら……。あたしがね、らしいって言っちゃったのさ、そこを聞いてきたんだよ、あんたはね?」


「ん? あー、そんな事もあった、か? うん、それがどうかしたのか? 別にどうでも良いように思うけど」


「本当に一丁前に言うようになったねぇ……。だが、そうなのかもね? でもあたしは知ってもらいたのさ、だから聞いてくれるかい?」


 その声は、真剣であり、切実なモノを秘めていた。

 加藤は満腹になった事で格好を崩していたが、それを直した上で、若干硬い、強い声で自分の意思を伝えた。


「……あぁ、分かった。っても、聞いた所で何も変わらないぞ? 可愛そうだとか優遇したりしないし、そんな事をしていたなんて!とかいって他のやつを嫌いになったりはしないと思う。……それでも良いなら聞くよ」


 話を聞いて貰える了承を貰った女将は、しかしその言葉を楽しそうに笑いつつも話しを続けた。


「あっはっは、そうかいそうかい。まぁ聞いとくれ……あの娘はねぇ、小さい頃に両親を亡くしていたんだよ。あぁ、昔はあたしもこの街にはいなくてね? ちょっと国に近いとこを転々としていたのさ」


「へぇ、そうなんだ? 今度、他の街の事とかも聞かせて欲しいなぁ……。あ、嫌ならいいんだけどね?」


「あたしは構わないさね、まぁラルが居ない時になら構わないよ。さて続きだね? 昔はあたしもそりゃー綺麗でねぇ、色々大変だった、本当にね? ヒトってのは、いや男ってのは面白いもんでね……美人であれば気にしない節があった、暴言なんてのも同姓からの嫉妬程度で可愛いものさ。だからあたしは何処の街でも楽しんでいたもんさ」


 しかし、その話の始めはいつもの、女将の話と何処か似ていた。

 加藤は頬を引き攣らせながら、それを問う、若干逃げ腰の声で。


「えぇっと……真剣な話かと思ったけど、いつもの昔話だったり? それなら遠慮しようかなぁ、なんて」


「そうじゃないから安心おしっ!まったく、まぁ美人だったのは本当だがね、街を転々としていたのは理由があるんだよ。あたしは医者を目指していてねぇ、あの頃は怪我したヒトのためにって、いやぁ若かったね。それを繰り返していく内に、色々と気付く事があったのが最初さね」


 それを女将は強い口調で否定した。が、余計な一言も付ける。

 そして、今まで加藤は知らなかった事を教えたのだ、それに加藤は若干の驚きを身体の揺れで表現した。


(医者? 女将さんってそんなヒトだったのか。ただの宿の女将だと思ってたけど、そう言えば時々いなくなったりしてたな。今でもちょくちょくそういうのしてるのかな?)


「それはね、モンスターどもに傷つけられたヒトじゃないヒトがいた事さ。見ればすぐに分かる、これはヒトにやられたものだってね。そこでだよ、今まで自分には関係なかった、そういうものに触れたのは……。あたしは在るってのは知ってた、でも知らなかったんだねぇ」


 女将はそう言い切ると、目を閉じて、顔を上に向ける。

 それを静かに見つめつつ、加藤はそれに言葉を重ねた。


「知ってたけど、知らなかった……か。うん、それは俺もそうなのかもしれないなぁ」


「いや、坊やはきっと知ってるさ。知識とか経験云々じゃなくてね? きっと……いや良いだろうさ、どうだろうが坊やは坊や、そうさね。……まぁ、話の続きだがね」


 女将は、思い出すように、ゆっくりと語り始めた。

 どのような傷を受けていたのか、そして医者として、それをどうしようも出来無い事に絶望してしまった事を。医者として立ち続ける限り、それをどうしても目の当たりにしてしまう事、それが続いた事で、逃げたいと思うようになった事を。

 そして、ようやくという感じで、少女の事について触れた。

 今までの自分を責めるような、助けを求めるような声色ではない。優しい、暖かい響きに変わる、それだけで女将のラルに対する想いは全て分かると言っても過言ではないほどだ。


「あたしはね、そんな風に逃げたいって思ってから結構な時間が経った時に、もうどうしようも無いって感じた時に出会ったのさ。あの娘、ラルにね……、そしてラルもそうした事で傷つけられていた……。後から知った事だけど、親が亡くなってからは街の偉いヒトが助けようとしてくれていたそうなんだよ。だからあたしが会う前でも、そんな事に遭っていても、生きていたんだね。……だけどね、そのヒトは竜人だった。 今まであの娘を傷つけてきた、その街の主要種族だったのさ。だからあの娘は拒絶し続けていた、その竜人は、困っていた。 その現状に、それをどうにも出来ない自分にね」


「それって……?」


「そう、あたしに似ていた。そのヒトは竜人だ、差別されてるわけじゃあない、傷つけられているわけじゃーない。だけど、傷つけられるヒトを見続けていた、それを知っているのに変えられずにいたのさ。

 まったくあたしに似ていた、ただ違ったのはその竜人は決して逃げなかった。ずっと、長い、長い間それに立ち向かい、向き合い続けて戦っていた」


 その竜人は女将がラルに気付いてからというもの、毎日のようにラルの元を訪れていたと言う。

 しかし、不幸というモノは重なるものなのかもしれない。

 ようやくラルがその竜人だけは信頼出来る事に気がつき、時折ながら今の彼女のような笑顔を浮かべるようになっていた時の事だ。


「あたしは、希望を持ってきていた。こういうヒトもいるのか、ってね。 なのにあたしは……って思い始めていた。ラルもあの竜人の事だけは信じて、うん……だけどね、その竜人は死んでしまった。偉いヒトってのは、冒険者ってのはモンスターなどの大事があれば、その場へと赴く、それはそうだ。だけどね、死んじまうなんて、しかもあの娘がようやくって時に、ずっと見てきたあたしは、もしかするとラル以上に絶望していたかもしれないね」


 その時の事を思い出してしまったのだろうか、実に苦しそうだ。

 しかし加藤は何も言わない、何の心配もしない。ただじっと話の続きを待つだけだった。


「それからだ、あの竜人の加護に気付いた街のモノはあの娘には手出ししないようになっていた。だけど、そのヒトはもう居ないと気付いたら、以前よりマシとは言えまた始めた……。別に命に関わるような事じゃーない、ちょっとはたいたり、悪口を言ったりするものさね。だけど、あの娘には……、そしてあたしにはね。だけど、誰も見ていない場所で、静かに涙を流していたあの娘を見て、あたしは決めた。逃げようと、だけどあの娘のためになる事ならば、決して逃げる事のないようなヒトになろうってね」


「それで? だからどうかしたのか?」


 加藤は、何処か冷たい響きの声を出して言う。女将に対して初めて、いやこの世界で初めて出した音色だ。

 燃え滾る何かを、無理やり押さえ込んだ蓋から洩れてきた、熱すぎる、蒸気のような熱くも冷たく感じる声だ。女将に対してでは無いだろう、今となっては自分の可愛い、今回は失敗してしまったが、大切な、大事な妹なのだ。

 その境遇に腹を立てているのかもしれない、一番最初に言った言葉は早くも崩れそうだ。その変化を女将が感じたのだろう、それを見た女将は今までの苦しそうな顔を消した。

 苦笑いを、いつもの女将の顔を、そう。母親の顔を彼女は作り上げる、そして母親として言葉を続けはじめる。


「まぁ、そんな事があってねぇ。あたしはやっぱり我慢できずにあの娘をひっつかんで街を出た、色々と移動しながら最後には此処さ。あの娘はここにきてしばらく経っても、あたし以外には懐かなかった。

 今でこそ、か……母さんって呼んでくれているがね? 最初はあたしですら、本当によく動く子でねぇ……特に水浴びが嫌いで……あっはっは、いやぁ苦労したんだよ」


 過去の女将は痩せていて、美人だと常に彼女は加藤達に笑い話として語っていた。

 それを加藤は今の今まで信じてはいなかった、が。今の彼女はどうだろう、女性としては若干太っている、恰幅のいい女将。

 しかし、ラルの事を嬉しそうに、時に恥ずかしがりながら思い出して笑う彼女の横顔のなんと美しい事か、加藤はそれと似たものを以前に、見た事があったのだ。それは、今はもう、二度と、会える事は無いだろう1人の女性の横顔。それはある意味で加藤の、理想の女性像でもあった、そしてその女性と同じ笑顔を女将はしているのだ。

 美しいと感じてしまう事に、加藤はなんの疑問も恥も抱けない。


「はいはい、ってか女将さんの話ばっかでラルの事はほとんど聞けてないと思うんだけども? まったく、結局女将の昔話じゃないか」


 それを顔に出さず、声に出さずに、加藤は軽く言う。

 だが、母親の笑顔というものは偉大だったようで、それまでの熱は冷めている。触れる者を無用に傷つけるようなモノでは無くなっていた。


「あっはっは、そうだったかい? まぁ、あの娘にとっては、あのヒトは颯爽と現れて、ラルを守ってくれた、ラルの街を守ってくれた英雄ヒーローなのさ。そしてね……覚えているかい? あの娘と初めて会話した時の事を……」


「ん? あぁ、名前の言い合いっこか? 覚えてるよ、初めてラルと話した時だからね」


「そうかい、それと同じ事をあのヒトも言っていたそうだよ。守ってくれた、英雄はね? それと同じ事を言ったあんたを重ねてた、だけど違うって事はあの娘も知っているのさ。最近になってあんたが特に優しくなってるもんで、それをまたやっちまって恥ずかしいってのもあるんだろうねぇ、まったく」


「へぇ……ラルの、だけの英雄が……ねぇ。ま、俺はそんな大層なやつじゃーない、それは残念ながら違う、けども」


「ふふっ、けども。なんなんだい? やけに照れているじゃないか、ほれ言ってみな、あたししか居ないんだ」


 女将は楽しくなってきたのか、笑いを抑えずに声を挙げる。

 加藤は、照れながらも、あっさりと言う。しかし篭められたものはとても、とても重たく、しかし暖かいもの。


「はいはい、けどラルだけの、兄ではあるって言えるよ。あぁ、俺の妹だ、ラルは大切な妹さ。今はまだ弱い、その英雄みたいにはなれないけど、でも守るさ。一丁前にと言われても、格好付けるなと言われても、無駄だと言われても、守るさ。あの時、俺はそう決めたんだ」


 その言葉は、その気持ちは、いつか何処かで加藤が見た誰かのものにほんの少しだけ、似ていた。


「あの時? あぁ、初めての時かい。それがどうしてそうなるのかね?」


「ははっ、ただのこじ付けさっ! だけど、あの時確かに街を守るために必要な事は何かを、そのために自分が出来る事を考えた。だから、もし俺が剣を取らないと守れないような時が来たら、俺は剣を抜く」


 加藤の言葉を、女将は優しい眼差しで待つ。


「今までは不安だった、抜けないかもと思っていた。強く、鍛錬を積めば積む程、自分の弱さ、モンスターの脅威ってのを知っていったから、余計にね。あぁ、だけど今は言える。俺は妹を、女将さんを含めた家族を守るためにならいつだって剣を抜けるよ」


「そうかい……、それは、あの娘も喜ぶだろうね。そうだ、どうだいラルが妹だって言うんだったら、あたしの事を母さんって呼んでもいいんだよ?」


 女将は良い事を思い付いたという感じを装って、そう言った。

 しかし、顔はそうではない、いつも思っていた事をようやく口に出せた事の喜びに溢れている。


「へ? あ、いやその……それとこれは別でさ? さすがに恥ずかしいというか、ほら、あれだよ」


「なに言ってるんだい、あんたくらいの歳なら、まだまだ母親ってのは必要なんだ。言ったろう、あたしは逃げたけど、だけど今は、子供のためにだけは逃げないってね? ほら、あたしは分かってるから、……だからお呼び?」


 女将は随分前から口には出さずとも母親として接してきていたからだろうか、何かしらに気付いているようだ。

 その事は恐らく加藤の本当の秘密では無いだろう、しかし当たらずも遠からずな事は確かだった。


「え……分かってるって。あぁ、いや……うん、その、あー、か……母さん」


「……なんだい、坊や。そんなに照れるほどじゃーないだろうに、あっはっは」


 呼ばれた事に、加藤には見えないが、彼女の尻尾は激しく揺れた。髪に隠れてあまり見えない耳も、大きく動いた。

 声に出して、大きすぎる喜びを表現しないのは、母親としての意地か何かか。

 しかし、加藤はその言葉に激しく反論をした。


「っく! やっぱ女将さんって呼ぶからなっ! たく、でもまぁ……俺もなんだか軽い奴だなぁ……。その話を聞いただけで、思ってるだけじゃなくて言葉に出しちゃうなんてさ」


 そう言われた事に若干の寂しさを浮かべながらも、彼女は母親としてそれを包む。


「良いのさ、それで良い。軽いだって? とんでもない、大事な事を、悩まなけりゃいけないような事を。

 あんたは簡単に言ってのけられる、それはね? 軽くなんてないのさ、あんたがちゃんと強くなってきたからこそ、軽く感じるだけ。本当の重さは何一つとして変わっちゃいない、だから大丈夫だよ」


「そういうもんかねぇ。あーでも、うん……、ラルの過去とかはどうでも、良くはないけど良いとして。ラルを妹だって口に出したら楽になったわ、明日はすぐに迎えに行くかなっ」


「あっはっは、レイラちゃん達が怖いんじゃなかったのかい?」


 昔話を聞かせる前の憂鬱な気配は微塵も感じられない。

 そんな加藤を、新しい息子を目尻を下げながら、彼女は問う。


「ん? あぁ、別にいいさ。 それより今はラルにお前の兄貴だぞって言ってやりたくて堪らないんだよ。あー、今まで寝てたのもあるけど、今夜は眠れないかもな! どうしようかなぁ、あーちょっくら鍛錬でも、いや疲れて寝坊したらコトだな。やっべ、どうしよ!」


 最早、いつもの加藤だ。

 いや、少し違う……、以前にデイリーが言っていたものを確かに加藤は得たのだ。今まででのモノでも十分すぎたと言える、しかしそれを常に持っていられるくらいに、軽く感じるようになったのだ。それは、とてもとても重く、ヒトが一生掛かっても、そうは簡単に持てるようになるものではない、大事な宝物。


「まったく、仕方のない坊やだね。ほら、暖かいミルクでも作ってあげるから、ちょっと待ってな」


「マジで!? やった、俺あれ好きなんだよね、いや待ってる! あれを飲めばなんか眠くなるんだ、俺」


「あっはっは、分かってるさ。いつも飲んだら眠たそうに目を擦っていたからねぇ、っと」


 以前と同じような会話を、しかし篭められたモノが若干だけ変わった会話を加藤達は楽しむ。

 加藤は、暖かい牛の乳を飲むと、いつものように眠くなってしまい、その後すぐに眠りに着いた。その加藤が居なくなった部屋、居間で女将はため息を吐く。

 嫌なものを吐き出す類のではない、幸せなものが溢れすぎて出てきてしまったものだ。実に勿体無いが、今の彼女にはそれが有り余るほど感じられているのだろう、気にした風はない。


「あのラルの兄さん、か。ふふっ、あたしも嬉しくて堪らないね。あの時、頼んで正解だった、逃げずに言って良かった……、あぁ本当に」


 だが、どんな夜であろうと、朝はやってくるのだ。

 いつもと違うのは、朝に起こすヒトがルクーツァではなく、女将になっているだろう事くらいなものだろう。その時の事を楽しみにしつつ、女将も眠りにつく。明日の夜は、娘と息子と一緒に寝てみるのもいいかもしれない、などという事を思い描きつつ、笑顔を浮かべて寝るのだ。きっと、今夜の女将の夢は、幸せなものになるだろう、それを確信できるくらいに、今日の彼女は幸せだったのだ。

 我が娘のために話をしていたというのに、母親である彼女が幸せを感じていた。後日、母として少々落ち込む女将の姿が見られる事になる。

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