第9話 『○○→会話!』
場面は少し変わって、彼らのテントから然程離れてはいない、しかし話し声程度ならば届かないくらいには遠い場所。
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『さて、上手い具合に出て来れたが、どうしたものか……。野犬が吼えているのが聴こえたので思わず駆けてしまったが。あの青年は本当に捨て子からの野生児なのか? いや、有り得ない』
ルクーツァは加藤の前では見せていない険しい顔色で何かを考える。
〈野生児でそういった例が発見されているのは幼子や幼児の場合のみ……、自然の動物達はある程度年月が経てば仔を独り立ちさせる。それはヒトの子を仔として見てしまった場合も同じ。そしてヒトはそうなってしまえば普通の仔とは違い、生きていけない……だから幼子のみ。彼ほどでは無いが、10代くらいのも例はある……死体として〉
『だが、それは発見例が無いだけ……そうとも言える。しかしあんなモノを作れるようになるものか? そもそもあの年齢まで親となる動物が付いていてくれたとして……あの跳ねリスがか? 有り得ない……、どうやっても跳ねリスではここらに生息している敵に、それどころか野犬にすら敵わない。逃げる事は出来るかもしれないが、彼を護る事は不可能だ』
自分が知っている知識を思い出しながら、それと照らし合わせて見るものの、どうしても納得がいくものは出ない。
それを深く考え込もうとしようとした時。
〈だが現実、彼は生きていた。どれほどの幸運だ?捨てられてから護ってくれたのはあの跳びリス……? どうやって? そしてその幸運を持って今日まで生き残ったとしても、あの住処……〉
『あの住処の近くにあった小屋を参考にして作ったとでも? いやだが……、っと結構経ったか』
〈そろそろ戻らなければな……。折角警戒を解いて貰えたと言うのにまた要らぬ警戒を抱かせてしまうかもしれない……〉
今はそれを深く考えるべきではないと今更ながら気が付いたのだろう。そうしてゆっくりとテントへと戻っていった。
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「んー、どう表現すれば伝わるか? それが問題なんだよ、先輩くん」
「キュ~……」
加藤が小動物に向けて、何かを言っていた時。ルクーツァは戻って来た。
『すまないな、なかなか途切れなくて……いや年は取りたくないものだな!』
ルクーツァは言った事が恥ずかしくなったのか、顔を少々赤らめた。しかし当然ながら加藤にはその言葉の意味が分からない。
そのために首を傾げるという、加藤のような青年には少しばかり似合わない所作を用いながらも疑問を投げ掛けた。
「あ、と? ……おかえりなさい? えっと、何処行ってたんですか?」
〈……んっ! しかしやはり分からんな……、だが、先ほどから聞いた限りでは何度か同じような言葉、いや単語か? それを口にしている……、やはりなにかしらの言語〉
『さて、カトー。君に質問がある。言葉は通じないだろうから……。先ほど君がやったような感じでね。…………ん?』
〈先ほどカトーがやったのはどういう事だ!? 名前は分かる……動物でもソレに反応するし、それに対して声を上げることがあるらしいが……。……言葉が通じないと分かったら、アレで意思疎通を取ろうとした? ならば……〉
先ほどまで、目につくもの、それも形として残っているものを疑問を解消するための材料としていたルクーツァ。
そして気が付いた、それよりも重大な事実。それを確認すべくルクーツァはぎこちなく体を動かし始める。
『カトー、きみは……、どこから……、来たんだ……?』
「え? えっと俺を指差して? 色んな所を指差して? 歩く真似をして? 首を傾げる……? あぁ! ボディランゲージ!? ってことは……」
〈これで通じればいいのだが、例え通じなくともオレからも意思疎通を試みてるってのは分かってくれるはず……〉
ルクーツァの動作によって、加藤は今までとは少しばかり違う声を出す。何処か必死ささえ垣間見えるほどに。
「……、……っそうなんです! 俺はこれからヒトを探そうと思っていたんですよ! だからこうやって準備してたんです!」
〈反応したか……今の動きで言いたい事が通じたとは思えないが。だが、これはもしかすると〉
「それで、その……、出来れば俺も一緒に連れて行って欲しいんです! その、えっと……、だめですか!?」
『おいおい、そんなに興奮して言われても、何を言っているのか分からないんだ。まずは、落ち着いて……身体の動きで……教えて……くれないか?』
「あっ、すいません、分かりませんよね。っと? 胸を指して……どうどう? んで……腕と足を動かしたのを指して……ルクータさんを指す……耳を傾ける真似をして……頭を下げた?」
〈どうだ? 出来る限り、動作を分けて試してみたが……〉
「どうどうってのは興奮した動物を落ち着ける動作のどうどうってのに似ているというかソレだ……。腕と足を動かして……動作か? んでルクータさん……さっきは俺を指してたから自分にってことか? そして耳を……聞く? んで頭を下げるったらお願い?」
加藤はルクーツァが行った動作を、軽く腕を動かしながらその意味を想像していた。
それらの様子を見ながら、いやそれしか考えてはいないのだろう。ルクーツァは真剣に加藤を見つめる。
〈何かを言ってるな……、先ほどと同じ単語が聞こえた。なにやら考え込んでいるようだから……、オレの言いたい事を理解しようとしてくれているのか?〉
「えっと、俺は……もう落ち着きました……大丈夫です……?」
〈自分を指指し…お、これは俺がやったのと同じ、そして両手で円を頭の上に作った?〉
『あぁっ、カトーは……落ち着いて、まる……大丈夫ってことか!?』
ついつい、ルクーツァは大声を上げてしまう。その声に小動物が驚いたように首を左右に振っているが、気にする事もなく喜びに浸る。
「キュッ?」
〈すごいぞ! まさか完璧に通じるなんて!〉
思わず握りこぶしを握りながら目を瞑ってしまっていたルクーツァ。
しかし、そんな様子のルクーツァへと加藤がおずおずと声を掛けてくる。
「えっと……通じたんですかね? まるってこっちでもオーケーとかそういう意味になってるのかな?」
それは常の彼らしくない感情表現方法だったのかもしれない。
ルクーツァは若干顔を赤くしながらも、声を掛けたというのに無視する形になっていた事で、不安そうな声を発した加藤へと謝罪する。
『あ……、んん。すまないな、どうもオレが興奮してしまっていたようだ』
〈やはりカトーは普通の野生児とは決定的に違う。野生児はそもそも庇護する動物によって気性も行動、知能も変わるが……。いくら跳びリスが賢いとは言え、これは出来ないだろう。これは彼が何処かココじゃない場所で得た能力だ……、きっと彼は野生児だが野生児じゃないだろう……〉
『君は、カトーは人間か? 姿が似たようなモノとはいえ違う場合があるからな……。本当に、なんでだろうな……。だが、君は人間だとオレは思う、思いたい。だから言おう』
〈カトーは普通の人間だ。ならこのままココにいるのは危険だろう、野犬の件もそうだ〉
ルクーツァはいろいろな事を思い出す。それは先ほどの事か、それとも別の事か。
しかし共通しているのは守らねばならないという感情のみだ。
『カトーに、お願いがある……オレと……一緒に……来ない……か?』
「んと……俺で。頭を下げる。自分を。自分の両手で握手。そのまま歩く。首を傾げる……か」
〈出来るだけ今まで使われた動きでやってみたが……我ながら首を傾げるのは厳しいモノを感じるな〉
「っと? 俺…いやカトー。お願い。ルクータさん…いや逆で自分、か。握手。移動。疑問。か?」
『…………』
何かを考えている加藤、それを静かに待つルクーツァ。しばらく経っただろうか。
いきなり加藤が何かに気が付いたように、大きな大きな声を上げた。
「っ! 本当ですか! 合ってるか分からないけど。カトーにお願い、自分と来ない? でいいんですよね!?」
『うぉ!? ……落ち着け。オレに……身体の動きで……教えて……くれないか?』
「あっ、えっと。俺は……ルクータさん……と、行きたい……お願い……」
〈これは、カトー。オレと。一緒にっ! これもさっきと同じ! ……行く。お願い!〉
これは可能性ではなく、確実に会話が行える、つまりは人間であるという事をルクーツァに認めさせる事を決定付けたと言っていいだろう。
少しの疑問すらも解消できたのか、ルクーツァは顔に似合わないほどの満面の笑みで大きく語る。
『そうか、来てくれるかっ! 良し、そうと決まればこの身体の動きでの会話じゃ色々と不便だからな……ゆっくりとでいい。オレが旅の途中で言葉を教えていこうか! そうだな、まずは単語からになるな!』
「うわっ! ルクータさん、いきなり驚かせないで下さいよ……。それにボディランゲージじゃなくなったからさっぱり分からないし」
『ははっ、不思議なものだ。言葉はさっぱりだが、君は私が大声を出した事に怒ってるのが分かるよ』
〈野生児はヒトでは無く動物だと考えていたからか? カトーがヒトと同じくらい頭が良い、いや普通の、ただ言葉が通じないだけの人間だという事を確認できた途端にまたコレか……。まったく俺は……〉
『すまないな、許して……くれないか?』
ルクーツァはお願いの動作よりも深く頭を下げるのを2回、そしてそれよりも浅いのを1回行った。
「んと? あぁ……、大丈夫。これだけでいいですよね?」
『ははっ、そうか。私の最低な考え事そのものに対してでは無いだろうが、それでも有り難いものだ』
「ってもう真っ暗じゃないか……。一応の約束? みたいなの取れたし、何より今日はどっと疲れた。ルクータさん……俺は……もう……寝ますね?」
〈ふむ、カトーは、空を指して……暗い? そして住居……目を瞑る?〉
『あぁ、そうだな。そうしようか、オレはあちらに馬を止めているのでね? あいつをこちらに連れてきてから寝かせてもらうとする』
加藤はルクーツァの言葉が分からなかったが、それとなく分かったのだろう。
軽く頭を下げると、小動物と共にテントへと向かっていった。
〈ふぅ、しかし……。出来るだけあの辺りを通らないために、こんな遠回りをしたが……。おかげでやり直せる……いや、この考え方じゃダメだな。うむ……楽しくなりそうだ〉
ルクーツァは過去に思いを馳せながらも今後の事を想像し、今までの加藤を安心させるための演技とは違う、本当の笑みの形のそれを口元に軽く描いた。
〈いや、しかし行くとは言っても、スグに移動をするほどでも無いか? もう少し遣り取りを出来るように……。いや……まぁ、今夜はもう寝るとしようか……〉
そして、この時からルクーツァの受難の日々が、幸せという名の苦労を背負う日々が始まるのだ。
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