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辺境聖域(わがや)の再生ごはん ~追放聖女と訳アリ料理人の、あやかし専門スローライフ~  作者: ひより那


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第9話 猫又の『噂』と、翡翠の『客人』

 タマちゃんたち猫又の一族を送り届けてから、数日が過ぎた。あれほど騒がしかった宿屋は、ガノスさんたちドワーフの『リノベーション』がひとまず完了したこともあり、嘘のように静かになった。


「……静か、ですね」

「……ああ」


 私とリュウさんは、朝一番に収穫した「聖女野菜」をカゴに入れながら、綺麗になった宿を見上げていた。

 ガノスさんたちが完璧に修復・強化してくれたおかげで、建物は見違えるようだ。屋根裏にはエルフ族が好むという「天上の間」が、地下にはドワーフ族が狂喜した「飲む温泉(源泉)」が、そして一階にはヴォルグさんのための「黒曜石の部屋」が完成している。


「これだけ立派になったのに、お客さんがいないと、ちょっと寂しいですね」

「……贅沢な悩みだ」


 リュウさんはそう言うと、私が収穫したばかりの、瑞々しいハーブを手に取った。私の《浄化》の力を吸った菜園は、今や「奇跡の菜園」と呼ぶにふさわしく、どの野菜も生命力に満ち溢れている。

 リュウさんは、この食材を前にすると、まるで新しいおもちゃを与えられた子供のように(……本人は絶対に認めないだろうけど)目を輝かせる。


「このハーブなら、前回の『月露の実』の酸味を抑えられるかもしれん」

「あ、あのエルフさんが持ってきてくれた……」


 私が、あの不思議な行商人さんのことを思い出していた、まさにその時だった。 宿の入り口から、澄んだ、鈴のような音が「チリン」と鳴った。

 ガノスさんが「客が来たのがすぐわかるように」と入り口に設置してくれた、ドワーフ製の小さな呼び鈴だ。


「……ごめんください」


 入り口に立っていたのは、私たちが噂していた、まさにその人。翡翠(ひすい)の瞳を持つ、美しいエルフの行商人さんだった。


「! エルフさん! いらっしゃいませ!」

「これは、聖女様。……いやはや、驚きました」


 彼は、美しくリノベーションされた宿の中を見渡し、感嘆の息を漏らした。


「数日前に、『風』が運んでくる噂を聞きまして。……どうやら、猫又の一族が『吉兆の風』に乗せて、この聖域の噂を大陸中に流してくれたようですな」


「ええっ!? タマちゃんたちが?」

「ええ」


 エルフさんは、楽しそうに目を細める。


「『辺境に、聖女が清めた奇跡の湯あり』」「『地脈を知るドワーフが、人外のための宿を建て』」「『そして、竜の炎を操る料理人が、魂を癒す食事を出す』……と」

「りゅ、竜の炎!?」


 私が驚いてリュウさんを見ると、彼は「……猫又のガキ、余計なことを」と、顔をそむけていた。どうやら、タマちゃんは、リュウさんが「月露の実」を焼いた、あの《神の火加減》のことまで、しっかり一族に報告していたらしい。


「おかげで、この聖域は、今や『癒し』を求める人外たちの間で、一番の『希望の地』となっておりますよ」


 エルフさんはそう言うと、「私も商売敵に遅れるわけにはいきません」と、リュックから様々な品物を取り出した。


「ヴォルグ殿が好む『黒森の干し肉』、ドワーフ殿が泣いて喜ぶ『地底の火酒』。そして……これは、料理人殿へ。前回のお礼です」


 彼がリュウさんに差し出したのは、一本の「銀色の笛」だった。


「これは?」

「『静寂の笛(サイレント・フルート)』。エルフの里に伝わる魔道具です。……それを吹けば、どんなに騒がしい場所でも、一瞬だけ『音』を奪うことができます」


 リュウさんは、その美しい笛を、不思議な顔で受け取った。なぜか、その紅蓮の瞳が、笛に刻まれた模様を、懐かしむように見つめている気がした。


「さて」


 エルフさんは、そこで居住まいを正した。


「実は、今日は『客』として、ガノス殿が作られたという『天上の間』に泊めていただきたい。……それと、もうお一方、お客様をお連れしております」

「え?」


 エルフさんがそっと扉の外へ合図を送ると、そこから、ボロボロの分厚いローブをまとった、一人の人影が、おどおどと入ってきた。顔はフードで隠れて見えないが、とても小柄な人だ。


「……この方は、ライラ様。……少々、事情がおありで」


 ライラ、と呼ばれたその人は、ローブの下でカタカタと震えていた。私は、彼女が「音」に対して、ひどく怯えていることに気づいた。

 ガノスさんたちドワーフの、賑やかだった足音。リュウさんの厨房の音。そういった、私たちにとっては「日常」の音が、彼女にとっては「苦痛」であるかのように。


「……ライラ様は、ハルピュイア(ハーピー)の一族。その『歌声』で天候を操るお方ですが……」


 エルフさんの説明でわかった。彼女は、王都の近くの森に住んでいたが、人間の立てる「戦争の音や、無秩序な喧騒」によって『音の呪い』にかかってしまい、歌えなくなるどころか、自分の翼の羽ばたきの音すら苦痛になり、飛べなくなってしまったのだという。


「……うるさい、の、いや……。静かな、場所……」


 ライラさんは、耳を塞ぐようにして、小さくうずくまった。私は、すぐにガノスさんが言っていたことを思い出した。


「リュウさん! ガノスさんが作った『天上の間』、一番静かな部屋です!」

「……ああ」


 リュウさんは、即座に状況を理解した。彼は厨房に戻ると、いつものように鍋を火にかけるのではなく、静かに、音を立てずに、何かを準備し始めた。


 私はライラさんの手を引き、ガノスさん自慢の「天上の間」へと案内した。屋根裏にあるその部屋は、厚い壁と、ドワーフの防音技術のおかげで、嘘のように静かだった。


「……ここなら、大丈夫ですよ」


 ライラさんは、恐る恐るフードを取り、その部屋の静けさを確認すると、ほっ……と、涙を流さんばかりの安堵の息を漏らした。


 しばらくして、リュウさんが、お盆を持って部屋にやってきた。乗っていたのは、スープでも、肉料理でもなかった。菜園で採れたハーブを使い、エルフさんにもらった「月露の実」の甘露で仕上げた、音のしない「温かいムース」だった。 噛む必要がなく、音も、匂いも、ひどく穏やかな、彼女のための「処方食」だ。


「……!」


 ライラさんは、その静かな食事を口に運び、そして、静かに泣き出した。それは、苦痛の涙ではなく、安堵の涙だった。


 聖女の『癒しの湯』、ドワーフの『静かな客室』、そして料理人の『音のない食事』。私たちの「聖域」は、この宿でしか救えない、初めての重いお客様を、全力でもてなそうとしていた。



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