第8話 猫又の『恩返し』と、狼の『道案内』
翌朝。ガノスさんが「天上の間」と名付けた屋根裏部屋は、雨上がりの柔らかな日差しに満たされていた。
タマちゃんは、私たちが用意した寝台……というより、リュウさんが「猫はこういうのが落ち着く」と言って、毛布を丸めて作った即席の「巣」の中で、すやすやと眠っていた。
「……ん……にゃ?」
私たちがそっと部屋を覗き込むと、タマちゃんは小さな耳をぴくりと動かし、ゆっくりと目を開けた。琥珀色の瞳が私たちを認めると、恐怖ではなく、安堵の色が浮かぶ。
「……あ、聖女様……お料理の人……」
「おはようございます、タマちゃん。よく眠れましたか?」
「はいっ!」
元気よく返事をしたタマちゃんのお腹が、きゅるる~、と盛大な音を立てた。その顔が、みるみるうちに赤くなる。リュウさんが、ふい、と顔をそむけて言った。
「……厨房に来い。朝飯ができてる」
食堂に下りると、リュウさんは小さな木製の器をカウンターに置いた。中に入っていたのは、ほかほかのミルク粥と、リュウさんが《神の火加減》で骨まで柔らかく焼いた、香ばしい川魚のほぐし身だった。
「わ……! お魚、だぁ!」
タマちゃんは、昨日とは打って変わって、目をキラキラさせながらスプーンを握りしめた。そして、夢中になって朝ごはんを口に運ぶ。その様子を、私とリュウ、そして「腹が減った」と起きてきたガノスさんが、揃って見守っていた。
「……で」
ガノスさんが、酒臭いため息をつきながら言った。
「このチビ猫、どうするんだ。家族の元へ帰さねえと、泣かれるぞ」
「そうなんです。タマちゃん、おうちの場所、わかりますか?」
私の問いかけに、タマちゃんは魚を頬張りながら、こてん、と首を傾げた。
「……森の奥の、大きな滝の近くだって、父ちゃんが言ってたにゃ。でも、どっちかわからにゃい……」
泣きそうになるタマちゃんの頭を、ガノスさんが無骨な手でわしわしと撫でる。
「森の道、か。……なら、あいつの出番だな」
ガノスさんはそう言うと、宿の外に出て行き、ドワーフ族が使う「音爆竹」のようなものを空に向かって放った。 キィン! という甲高い音が、辺境の山々に響き渡る。
「……ヴォルグさん、でしょうか?」
「ああ。あいつは傭兵だ。森の地理なら、この辺りで右に出る者は《《いねえ》》」
ガノスさんの予告通り、それから二時間もしないうちに、あの狼獣人のヴォルグさんが「また美味い飯が食える匂いがした!」と言いながら宿にやってきた。
「……なんだ。今度は猫又のガキか。ここは託児所になったのか?」
「ヴォルグさん、お願い! この子の家族を探すのを手伝って!」
事情を説明すると、ヴォルグさんは「やれやれ」と肩をすくめながらも、懐から古い羊皮紙の地図を広げた。
「滝、ねえ。この辺りには大小合わせて三つあるが……」
ヴォルグさんがタマちゃんに森の様子や特徴を聞き取り調査している間、タマちゃんは、自分も何か手伝わなくては、と思ったらしい。私が食堂のテーブルを拭いていると、二本のふさふさした尾が、私の後ろをついてくる。
「タマもお手伝いするにゃ!」
そして、私が拭いた後のテーブルを、二本の尻尾で器用に磨き始めたのだ。
「わあ、ありがとう、タマちゃん! すごい! 聖女の《浄化》みたいに綺麗になります!」
「えへへ!」
褒められて嬉しくなったタマちゃんは、次に厨房へと向かった。リュウさんが高い棚の上にあるスパイス瓶に手を伸ばそうとしているのを見て、タマちゃんは得意げに二本の尾を伸ばす。
「リュウさん! タマが取るにゃ!」
「危ない!」
リュウさんが止めるのも聞かず、タマちゃんの尻尾はスパイス瓶を掴み……そして、バランスを崩した。
ガシャン! と音を立てて、貴重なスパイスの瓶が床に落ちる寸前。
「……!」
リュウさんが、信じられない速さでその瓶を受け止めていた。
「……厨房に入るな、と言ったはずだ」
リュウさんの低い声に、タマちゃんの琥珀色の瞳が、みるみるうちに涙で潤んでいく。怒られる、と思った瞬間。リュウさんは大きなため息をつくと、タマちゃんをカウンターの椅子に座らせた。
「……お前は、そこで待ってろ」
彼はそう言うと、昨日エルフさんにもらった「月露の実」のジャムを取り出し、小さなクッキーに塗って、タマちゃんの前に差し出した。
「……おやつ、だ」
「……!」
タマちゃんは、涙目でそれを受け取ると、小さな口でかじりつく。甘くて美味しいおやつに、タマちゃんの顔が、ぱあっと明るくなった。リュウさんは、その顔を満足そうに見届けると、また厨房の奥へと戻っていった。
◇
「……よし。その話なら、心当たりがある」
聞き取りを終えたヴォルグさんが、地図の一点を指差した。
「一番奥にある『白糸の滝』だ。あそこは昔から猫又の一族が聖域にしてる。……よし、案内してやる」
「本当ですか! ありがとうございます、ヴォルグさん!」
「その代わり、帰ってきたら、あの肉料理、大盛りで頼むぞ」
こうして、ヴォルグさんを先頭に、私とリュウさん、そしてタマちゃんの四人で、森の奥へと向かうことになった。
ヴォルグさんの案内は完璧だった。獣道を抜け、険しい山道を登ること一時間。私たちは、水しぶきが陽の光に輝く、美しい滝の前にたどり着いた。そして、滝壺の近くで、憔悴しきった様子でうろうろしている、タマちゃんと同じ耳と尻尾を持つ《猫又》たちを見つけた。
「父ちゃん! 母ちゃん!」
「タマ! ……ああ、タマ! 無事だったのか!」
両親らしき猫又が、泣きながらタマちゃんを抱きしめる。感動の再会に、私も思わず目頭が熱くなった。
「この方たちが、タマを助けてくれたにゃ! あったかいお湯と、美味しいご飯をくれたんだ!」
タマちゃんが私たちを紹介すると、猫又の一族の長らしき、立派な三毛猫の長老が、ゆっくりと進み出て、私たちに深々と頭を下げた。
「……聖女様、そして竜……いや、料理人殿。このご恩は、なんと申したらよいか」
「いえ、私たちは、宿屋として当たり前のことをしたまでですから」
「いいや」
長老は、穏やかに首を振った。
「我ら猫又の一族は、『吉兆』を運ぶ者。そして『ご縁』を繋ぐ者。この《辺境の聖域》に、必ずや良き風が吹くよう、我ら一族がお力添えをいたしましょう。……聖域の『噂』は、我らが風に乗せて、必要な方々にお届けいたします」
それは、この宿にとって、何より心強い「広告」の申し出だった。
「リュウさん、聖女様、ありがとう! リュウさんのご飯、また食べに来るからにゃ!」
タマちゃんは、泣きながらも、元気いっぱい手を振ってくれた。
宿への帰り道。ヴォルグさんが「さて、約束の肉だ!」と先を急ぐ中、リュウさんがぽつりと呟いた。
「……静かになったな」
「ふふ。そうですね」
私は、彼のぶっきらぼうな横顔を見上げた。
「……でも、少しだけ、寂しそうですね?」
「……! そんなことはない」
ぷい、と顔をそむけてしまったリュウさん。私たちは、また一つ、この宿で「温かい思い出」を共有することができた。そのことが、私の胸をいっぱいにしていた。




