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辺境聖域(わがや)の再生ごはん ~追放聖女と訳アリ料理人の、あやかし専門スローライフ~  作者: ひより那


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第7話 猫又の子供と、温かい『まかない』

「……お湯、ありますか。寒くて、もう、動けにゃい……」


 ずぶ濡れの小さな体で、二本の尾を必死に隠そうとしながら、その猫又の子供は私たちを見上げていた。

 私とリュウさんは、一瞬、顔を見合わせる。次の瞬間、先に動いたのはリュウさんだった。


「……」


 彼は何も言わず、その小さな体を、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと抱き上げた。  子供は「ひっ」と短く悲鳴を上げたが、リュウさんの腕が温かいことに気づいたのか、驚いたように目を見開いている。


「セレスティア!」

「は、はいっ! お湯の準備ですね! すぐにタオルを!」


 私は慌てて宿の中に戻ると、ガノスさんがリノベーションで新しく設置してくれたリネン庫から、一番分厚くて清潔なタオルを数枚掴んだ。そして、そのタオルにそっと手をかざす。


聖女の浄化(サンクチュアリ)!」


 力をごくごく弱く、温かさだけをイメージして使う。ただのタオルが、ふかふかの陽だまりのように温かくなった。私たちが大浴場に駆け込むと、リュウさんはすでに、その子を抱えたまま湯船の縁に座り、冷え切った手足を黄金色の湯で温めてやっていた。


「……よかった。ガノスさんが調整してくれた後で。お湯、とっても穏やかです」

「……この子、女の子みたいです」


 私が温かいタオルを差し出すと、リュウさんはこくりと頷き、子供の体を慣れた手つきで拭いていく。その子は、私たちのやり取りを、大きな瞳で、ただ呆然と見つめていた。よほど怖かったのか、声も出せないようだ。


「大丈夫ですよ。ここは誰もあなたをいじめたりしませんから」


 私は、その子の体をタオルで優しく包み込むと、湯船の浅い場所にゆっくりと入れてあげた。  黄金色の湯が、冷え切った体を包み込む。


「……にゃ……」


 その子の喉から、ようやく安心したような、小さな音が漏れた。二本あった尾も、隠すのをやめて、湯の中ですい、と揺れている。


「……あったかい……」

「よかった。ゆっくり浸かってくださいね。私はセレスティア。あなたは?」

「……タマ」


 タマ、と名乗った彼女は、この辺りの森に住む《猫又》の一族だったらしい。  今日の激しい雨風で、一族の住処(すみか)からはぐれてしまい、帰り道がわからなくなってしまったのだという。

 さらに、森の中で運悪く野犬の群れに遭遇し、必死で逃げているうちに、微かに感じた「清浄な気配」を頼って、ここまでたどり着いたらしかった。


「……怖かった、にゃ。みんな、タマのオバケしっぽ、怖いって……」


 そう言って、彼女は自分の二本の尾を、悲しそうに撫でた。


「そんなことないです!」


 私は、タマちゃんの濡れた髪を優しく撫でた。


「とっても綺麗で、素敵な尻尾ですよ。このお湯みたいに、キラキラしてます」

「……ほんと?」

「本当です!」


 私の言葉に、タマちゃんは、ようやく泣きそうな笑顔を見せてくれた。



 タマちゃんがすっかり温まった頃合いを見て、私は彼女をタオルで包み上げ、リノベーションされたばかりの食堂(ロビー)へと連れて行った。そこは、ガノスさんが新しく作ってくれた「ドワーフ式暖炉」に火が入り、雨の日でも、まるで陽だまりの中にいるように暖かかった。


「……うわぁ」


 タマちゃんが、暖炉の火に見惚れていると、厨房からリュウさんが出てきた。その手には、ドワーフたちに出していたような武骨なシチュー皿ではなく、小さな木製の椀が乗せられていた。


「……食え。熱いから、ゆっくりだ」


 カウンターに置かれたのは、湯気の立つ、真っ白なスープだった。私の菜園で採れた「聖女カモミール」の香りがする、温かいミルクのスープ。中には、リュウさんが、いつの間に用意した、柔らかくほぐした鶏肉と、小さく刻んだ野菜が入っている。冷え切った子供の体に、一番優しい「まかない」だった。


 タマちゃんは、恐る恐るスプーンを手に取ると、スープを一口、口に運んだ。その琥珀色の瞳が、驚きで大きく、大きく見開かれる。


「……おいしい……」


 あとは、夢中だった。小さなスプーンで、しかし懸命に、タマちゃんはスープを口に運ぶ。体が温まり、お腹が満たされていく安堵感に、彼女の緊張が完全に解けていくのがわかった。


「……あったかくて、おいしい……にゃ……」


 語尾に、猫又らしい愛嬌が戻ってきた。そして、スープの最後の一滴まで飲み干すと、タマちゃんは、こくん、こくん、と船を漕ぎ始めた。安心しきって、暖炉の温かさと満腹感に包まれ、カウンターに座ったまま、すうすうと寝息を立て始めたのだ。


「……寝ちまったか」


 ちょうどその時、ドワーフ用の黒曜石の部屋から、ガノスさんが大きなあくびをしながら出てきた。


「おお? なんだ、今度はチビ猫か。……こりゃ、本格的に保育園だな」

「ガノスさん! この子、迷子で……」


 私が事情を説明すると、リュウさんが眠ってしまったタマちゃんを、再びそっと抱き上げた。  そして、ガノスさんに向き直る。


「……ガノス。お前が作っていた『天上の間』は、どうなってる」

「あ? ああ、屋根裏のやつか。あそこが一番静かで、暖かいぞ。なんでぃ、このチビ猫、あそこに寝かせるのか?」

「……猫は、音に敏感だ。|お前らドワーフのいびきがうるさいからな」

「うっせえ!」


 リュウさんはガノスさんの怒鳴り声を背中で受け流しながら、眠るタマちゃんを抱えて、新しくできた客室へと消えていった。ガノスさんは、ぶつぶつ文句を言いながらも、タマちゃんのために一番寝心地の良い寝台を整えに、後を追っていった。


 私は、空になったスープ皿を片付けながら、暖炉の火を見つめた。

 追放されて、運命から逃げてきたこの場所が、今、小さな命を守る「居場所」になっている。私は、この「聖域」の女主人として、次にやるべきことを、静かに決意していた。


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