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《完結》辺境聖域(わがや)の再生ごはん ~追放聖女と訳アリ料理人の、あやかし専門スローライフ~  作者: ひより那


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第33話 死の谷の『スープ』と、再生の『一滴』

 私、セレスティアが、リュウさんの父君……竜王陛下の「瘴気の後遺症」を、この手で浄化した、あの瞬間、死んでいた谷の空気が、ほんの少しだけ、変わった。それは、絶望に凍りついていた何かが、ピシリ、と音を立てて、微かに「動き出した」ような、そんな気配だった。


 翌朝。私たちは、竜王陛下の計らいで、王の洞窟の一室を「仮の拠点」として借り受けた。リュウさんは、夜明け前から、ガノスさんに作らせた「携帯コンロ」を岩棚に設置し、彼自身の「厨房(キッチン)」を、この死の谷に、作り上げていた。

 私は、カバンから、大切に運んできた「聖女ハーブ」の種と、ガノスさんにもらった「聖域(ふるさと)の土」が入った、あのお守りの革袋を、強く握りしめた。


「……イグニスさん。谷の『大地』が、一番、ひどい場所はどこですか」

「……聖地の主よ。……すべてだ」


 イグニスさんは、私たちを洞窟の外へと案内した。朝の光が、その「現実」を、昨日よりも、さらに容赦なく、私たちの前に突きつける。

 空は、鉛色にくすんでいる。大地は、黒く、ひび割れ、草木一本ない。川は、ヘドロのように濁り、死んだ魚の腹が、あちこちに浮いていた。そして、生き残った竜族たちが、人間の姿……そのほとんどが「老人」の姿で、自分たちの「ねぐら」である洞窟の前で、ただ、虚に、座り込んでいた。

 彼らは、私たち《来訪者》にも、イグニスさんにも、何の反応も示さない。生きる「意志」そのものを、魔瘴に喰われて、失ってしまっている。


「……ひどい」


 リュウさんが、低く、呟いた。彼の「料理」は、魂を癒す。けれど、その「料理」を、口に運ぼうとすらしない相手を、どうやって癒せばいいのか。


「……私は、私のできることをやります」


 私は、意を決して、谷の中心部……かつては、この谷の「オアシス」であっただろう、枯れた泉の跡地へと、歩みを進めた。ここが、一番、瘴気の「呪い」が、深く、濃く、残っている場所だった。

 私は、ひざまずくと、ガノスさんにもらった、あの「聖域(ふるさと)の土」を、革袋から取り出した。黒く、死んだ大地の上に、その、温かい「土」を、そっと、置く。


(……お願い。目を、覚まして)


 私は、その「土」を「媒体」にして、あの日、再覚醒(しんか)した、私の《浄化》の力を、注ぎ込んだ。「《聖女の浄化(サンクチュアリ)》!」


 手のひらから、白金の、温かい光が溢れ出す。光は、「聖域の土」に吸い込まれ、そこから、蜘蛛の巣のように、周囲の「死んだ大地」へと、広がっていこうとする。

 ジジジ……!瘴気の呪いが、私の光に触れ、焼け焦げる音がする。効いている!私は、ありったけの力を、その一点に、集中させた。光が、広がる。一メートル、二メートル……五十メートル。だが、そこまでだった。


「……っ、はぁ、はぁ……!」


 私の光は、この、あまりにも広大で、あまりにも深く「死」に侵された谷の「呪い」の前には、あまりにも、微力すぎた。

 聖域(わたしのいえ)であれば、私は、この土地だいちそのものだった。けれど、ここは、違う。ガノスさんのお守りは、あくまで「繋がる」ためのものであり、この谷全体を「聖域化」するほどの力は、なかったのだ。

 私が浄化したのは、ほんの、直径十十メートルの、小さな円だけ。その円の外では、変わらず、黒い大地が、私たちを嘲笑(あざわら)うかのように、広がっていた。


「……セレスティア。もう、いい。無理だ」


 リュウさんが、私の肩を抱き、立ち上がらせてくれる。イグニスさんも、その光景を見て、顔を伏せた。


「……やはり、聖地の主(あなた)の力をもってしても、この『死』そのものは……」

「……いいえ」


 私は、首を振った。


「……無理じゃ、ありません。……『足りない』だけ、です」

「足りない?」

「はい。……この谷には、『命』そのものが、足りなすぎるんです」


 私は、リュックから、あの、大量に持ってきた「聖女ハーブ」の「種」を、一粒、取り出した。そして、私が、今、たった今、命懸けで浄化した土の、ど真ん中に。その「種」を、そっと、植えた。


「……!」


 イグニスさんが、息を呑む。私は、その「種」に、再び、両手をかざした。今度は、瘴気を「祓う」ための、荒々しい光じゃない。聖域(いえ)の菜園で、野菜たちを育てた、あの、優しく、温かい、「(はぐく)む」ための《浄化》の光を。


 光を浴びて、種が、震えた。そして、黒い大地(やみ)の中で、確かに、小さな、小さな「緑の芽」が、顔を出した。


「……おお……!」


 イグニスさんが、その場に、膝から崩れ落ちた。何百年ぶりに、この「竜の谷」に、新しい「緑」が、生まれた瞬間だった。


「……イグニスさん」


 私は、汗を拭いながら、笑顔で言った。


「……これが、私たちの、最初の『聖域(きょうてん)』です。この谷の『再生』は、ここから、始まります。……でも、この子が育つには、水が、必要です」


 ▶◇◇◇


 その頃、リュウは、別の「絶望」と、戦っていた。

 彼は、父である竜王陛下の「回復」を祝うため、そして、生き残った同胞たちに「生きる力」を取り戻させるため、聖域(いえ)から持ってきた、最高の「食材」……『黒イノシシの燻製肉(りゅうえんくん)』や、『氷河海老』を、彼の「携帯コンロ」で、調理していた。

 あの、リュウの故郷(ふるさと)の、懐かしい「炎」の匂い。その香りが、谷に、満ちていく。


 だが。虚な目で座り込んでいた、竜族の生き残りたちは、その「匂い」に、気づきもしない。リュウが、その、完璧に調理された「一皿」を、彼らの前に、差し出しても。彼らは、それを見ようともせず、手を、伸ばそうとも、しなかった。


「……食え」


 リュウが、低い声で、促す。だが、老竜の一人は、ゆっくりと、首を振るだけだった。


「……《《……もう、よい。……味など、わからぬ》》」

「……《《ただ、静かに、この谷と、共に、眠るだけだ》》」


 心が、死んでいる。瘴気の「後遺症」は、彼らの「五感」と「生きる意欲」そのものを、奪い去っていたのだ。リュウの、心がこもった「料理」は、あまりにも「高級」すぎて、強すぎて、今の、彼らの弱りきった「魂」には、届かなかった。


「……っ」


 リュウは、何も言わず、その皿を、下げた。彼が、料理人として、これほどの「拒絶」を受けたのは、初めてだったに違いない。

 リュウの元に来たイグニスは、悔しそうに、岩壁を殴りつける。


「……なんと、いうことだ……。王子、直々の料理を……!」

「……イグニス」


 リュウは、静かだった。彼は、イグニスに向き直る。


「……この谷で、一番『マシ』な水は、どこだ」

「……水、ですか? ……川の水は、この通り、濁って……」

「どこでもいい。一番『マシ』な場所だ」

「……そ、それなら、谷の最奥部。……魔瘴の『本体』が消えた、あの『源泉』の跡地……。あそこだけが、かろうじて、泥水ではない、ただの『真水』が、湧き出ていますが……」

「案内しろ」


 リュウが案内された場所。そこで、か細く湧き出る「真水」を、手ですくい、口に含んだ。……そして、顔をしかめ、吐き出す。


「……ひどい味だ。鉄臭く、土気(つちけ)くさい。……だが」


 彼は、持参した大鍋に、その「真水」を、汲み始めた。


「……『ダシ』には、なる」


 彼は、その大鍋を、自分の「携帯コンロ」にかける。そして、彼が、谷中(たになか)を探し回り、イグニスと二人で、ようやく見つけ出してきた「食材」……岩肌に、かろうじて、しがみつくように生えていた、一握りの「黒苔(くろごけ)」を、その鍋に、入れた。

 彼が、聖域(いえ)から持ってきた、どんな高級食材でもない。この「死んだ谷」で、それでも、生きようとしていた、一番、か弱い「命」。


 鍋が、静かに、煮立ち始める。リュウは、その鍋に、炎を注ぎ込む。だが、それは、肉を焼くような、荒々しい炎ではなかった。弱りきった食材(こけ)の、その、か細い「生命力」だけを、壊さないように、そっと、スープに、溶け出させる。彼が、聖域(いえ)で、私に作ってくれた、あの「ミルク粥」よりも、もっと、もっと、繊細な《神の火加減(ゴッド・グリル)》。



 ▶◇セレスティア


 私はリュウの元に駆けつけた。大地に植えた、「最初の一本」の、聖女ハーブの「芽」。その、先端の「葉」を、一枚だけ、摘み取って。


「リュウさん」

「……ああ」


 私は、その「葉」を、リュウさんが作る、その「スープ」に、そっと、落とした。

 私の、再覚醒した《浄化》の力が、スープに、溶け込んでいく。死んだ谷の「水」と「苔」。聖域(わたしのいえ)の「ハーブ(いのち)」。そして、リュウさんの「(たましい)」。すべてが、溶け合った、一杯の「スープ」が、完成した。それは、黄金色でも、白金色でもない。ただ、透明な、温かい、湯気(ゆげ)だけが、立ち上っていた。


 リュウさんは、その「スープ」を、小さな器によそい、再び、あの「心が死んだ」老竜の、元へと、運んだ。そして、無言で、差し出す。老竜は、また、拒絶しようと、顔をそむけた。だが。その「香り」に、気づいた。瘴気の「呪い」が、ほんの少しだけ、薄らいだ。老竜の、虚だった瞳が、その「器」を、捉える。


 彼は、震える手で、その器を、受け取った。そして、その、透明な「命」を、一口、すする。


「…………」


 何十年も、何百年も、忘れていた「感覚」。「温かい」という、ただ、それだけの、感覚。その「温かさ」が、彼の、凍りついた「魂」を、内側から、そっと、撫でた。


「……あ……」


 老竜の、乾ききった目から、一筋、涙が、こぼれ落ちた。それは、「絶望」の涙ではなかった。「生きている」という、実感の、涙だった。


「……《《……温かい……》》」


 その、か細い「声」を聞いて、虚に座り込んでいた、他の竜族たちが、一人、また一人と、その「スープ」の周りに、集まり始めた。リュウさんは、何も言わず、ただ、黙々と、その「命のスープ」を、彼らに、配り始めた。


 竜の谷の「再生」は、この「最初の一杯」から、今、確かに、始まった。




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