第31話 聖域の『餞別』と、新たなる『往診』
イグニスさん。リュウさんの故郷から来た、使者が、私たちの聖域に現れた、
あの衝撃の夜から、三日が過ぎた。その三日間、聖域は、慌ただしくも、どこか誇らしげな「熱気」に包まれていた。
私とリュウさんが、「竜の谷」へ「往診」に行く――。その報は、イグニスさんがもたらした「魔瘴本体の完全消滅」という吉報と共に、ガノスさんやヴォルグさん、タマちゃんたち、聖域を「我が家」と呼ぶ、すべての仲間たちに知れ渡っていた。
そして、今日が、旅立ちの朝。
「……セレスティア。それは、本当に持っていくのか?」
私は、新しくなった客室で、旅支度の最終確認をしていた。
リュウさんが、私の手元を見て、少し呆れたように言う。私が出発用のカバンに詰め込んでいたのは、着替えや薬草ではない。あの「奇跡の菜園」——私がこの土地そのものになったことで、新たに芽吹いた「聖女ハーブ」や「聖女野菜」の、「種」だった。それも、リュックがはち切れそうになるくらい、ぎっしりと。
「当たり前です!」
私は、リュックの紐をぎゅっと締めながら、リュウさんに向き直った。
「リュウさんは、故郷の皆さんに、あなたの『料理』を振る舞うのでしょう?」
「……ああ。そのために、ガノスに『携帯コンロ』まで作らせた」
「だったら、私も、私の『食材』を持っていかないと! 死んだ大地で苦しんでいる人たちに、この聖域の『生命の味』を、届けないと! ……それが、私の『往診』ですから」
私の《浄化》の力は、あの日、「再覚醒」した。イグニスさんが持ってきた「竜の鱗」を癒したように、私自身の「手」で、奇跡を起こせる。でも、それだけじゃ足りない。瘴気に汚れた大地を「再生」させるには、その土地に、新しい「命」を、植えなければ。
「……ふっ。違いない」
リュウさんは、私の覚悟を見ると、満足げに頷いた。
彼の荷物は、私よりもずっと、コンパクトに見えた。……彼専用にガノスさんが魔改造した、ドワーフ鋼の「携帯コンロセット」。愛用の包丁。そして、帝都でもらった、あの『氷結の宝箱』。宝箱の中身は、ここ数日で、リュウさんが「故郷への土産」として、完璧な火入れをした「燻製肉」や、この聖域でしか採れない食材で、満杯になっていた。
「準備は、いいか」
「はいっ!」
私たちが、ロビーへと下りていく。まだ、早朝だというのに、そこには、仲間たちが、全員、勢ぞろいしていた。
「……おう。来たか、聖女様、リュウの旦那」
一番前に、ドワーフの棟梁、ガノスさんが、巨大なハンマーを肩に担いで、仁王立ちになっていた。
「……ガノスさん。ヴォルグさんも、タマちゃんまで。皆さん、どうして……」
「へっ! 馬鹿野郎。俺たちの『心臓』と『厨房』が、揃って、家を空けるんだ。……見送りに来ねえわけが、ねえだろうが」
ガノスさんは、ぶっきらぼうにそう言うと、私に、小さな「革袋」を、乱暴に押し付けた。ずしり、と重い。
「……これは?」
「……お守り、だ」
革袋の中に入っていたのは、黒く、汚れた「土」だった。……ううん、違う。これは、あの魔瘴との戦いで、一度「死んだ」はずの、この聖域の、地下の「土」。それを、ガノスさんが、生まれ変わった《黄金の源泉》で、練り清めたものだ。
「聖女様よぉ。あんたの力は、この『土地』そのものだ」
ガノスさんは、私の目を、まっすぐに見た。
「だが、万が一、竜の谷で、力が弱まったら……そいつを、握れ。そいつは、この聖域の『核』そのものだ。どれだけ離れていても、そいつが、あんたと、この『故郷』を、繋ぎ続けてくれる」
「……ガノスさん……!」
涙が、溢れそうになる。私は、その「土」が入ったお守りを、首から、しっかりと下げた。これさえあれば、私は、どこにいても、「私」でいられる。
「……リュウの旦那には、これだ」
ガノスさんは次に、リュウさんに、ピカピカに磨き上げられた「包丁ケース」を渡した。
「お前さんの『竜の炎』に耐えられるよう、俺の弟子たちが、徹夜で鍛え直した、『金剛石鋼』のケースだ。……お前さんの『商売道具』を、絶対に守ってやらあ」
「……恩に着る、ガノス」
リュウさんが、静かに、それを受け取った。
「おう! 次は、俺だ!」
今度は、狼獣人のヴォルグさんが、前に進み出てきた。彼は、傷一つない、完璧なコンディションで、ニヤリと笑っている。
「俺からは、これだ」
彼が広げたのは、古い、古い羊皮紙の「地図」だった。そこには、私たちがいる辺境から、大陸の西の果て……「竜の谷」と呼ばれる、人跡未踏の地までの、最短ルートが、赤線で記されていた。
「イグニスとかいう、竜の使者サマも、久しぶりの『下界』で、道がわからねえかもしれねえだろ?」
ロビーの隅で、旅装束を整えていたイグニスさんが、その言葉に、ぐっ、と顔をしかめたのが見えた。
「これは、俺たち獣人族が、代々、風の匂いと星の動きで受け継いできた、『獣道』の地図だ。……これさえあれば、どんな帝国の軍隊よりも早く、谷にたどり着ける」
「……助かる、ヴォルグ」
「……だが、リュウ」
ヴォルグさんは、地図をリュウさんに渡すと、その肩を、強く掴んだ。
「……無事に、帰ってこい」
「……」
「……そして、戻ってきたら、俺に、食わせろよ。お前らの故郷の、『竜の肉』の、フルコースをな!」
「……ああ。最高の『岩トカゲ』の燻製で、よければな」
リュウさんも、ヴォルグさんの拳に、自分の拳を、ゴツン、と合わせた。
「聖女様! リュウさん! タマからは、これにゃ!」
最後に、タマちゃんが、泣きそうな顔で、私たちに飛びついてきた。彼女が、私の手に握らせてくれたのは、猫又の一族が「お守り」にするという、川底で見つけた、丸く、綺麗な「|幸運の石」だった。
「タマ、待ってるから! 聖域は、タマが、守ってるからにゃ!」
「ありがとう、タマちゃん。……留守番、お願いね」
私は、タマちゃんの頭を、力いっぱい、撫でた。
仲間たち、全員の「想い」を受け取った。
ロビーの隅で、イグニスさんが、立ち上がった。彼もまた、この聖域の湯と、リュウさんの料理で、すっかり元気を取り戻し、額の鱗も、本来の輝きを取り戻していた。
「……王子。聖地の主よ。……準備は、よろしいか」
イグニスさんが、懐から、竜の鱗でできた、コンパスのような「魔道具」を取り出す。
「……これは、竜の谷にのみ通じる、『転移門』だ。……これを使えば、一瞬で」「待て」
リュウさんが、イグニスの言葉を遮った。
「……転移門は、使わない」
「……は? 王子、何を……」
リュウさんは、ヴォルグさんがくれた「地図」を、懐にしまった。そして、イグニスに、きっぱりと言い放った。
「……俺は、この聖域から、『逃げた』わけじゃない。俺は、この聖域から、『往診に行く』んだ」
彼は、私の隣に並び立つと、私に、手を差し伸べた。あの日、私を「相棒」として、選んでくれた、あの手だ。
「……一瞬で『飛ぶ』旅に、意味はねえ」
「……リュウさん」
「……この地図で、俺たちの『足』で、歩いて行く。道中で、セレスティアの『種』を蒔き、お前の『力』を、大陸中に広めながらな」
それは、ただの「復興支援」ではなかった。私とリュウさんが、二人で、この世界を「癒して回る」、壮大な「旅」の始まりだった。
私の力が、この聖域だけのものではなく、世界中に、希望を届けられるかもしれない。
「……《《……なんと。……なんと、強き、お方だ》》」
イグニスさんは、リュウさんの「覚悟」と、その隣で輝く私の「力」を見て、涙を流して、ひざまずいた。
「……《《御意のままに。王子。……いいや、我が『王』よ》》」
リュウさんは、イグニスに「案内しろ」と頷くと、私に向き直った。私は、迷うことなく、その手を、強く、強く、握り返した。
「ガノス、ヴォルグ、タマ」
リュウさんが、仲間たちを、振り返った。
「……ここは、俺たちの『聖域』だ。俺たちが留守の間、しっかり、守ってろ」
「へっ! 誰に言ってやがる!」
「さっさと行って、さっさと帰ってこい! 腹が減る!」
「いってらっしゃいだにゃー!」
仲間たちの声援を、背中に受けて。私、セレスティアと、私の相棒、リュウさんは。私たちの「聖域」から、世界を「癒す」ための、新しい「往診」へと。太陽が昇る、東の扉を開け、今、二人で、歩き出した。




