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《完結》辺境聖域(わがや)の再生ごはん ~追放聖女と訳アリ料理人の、あやかし専門スローライフ~  作者: ひより那


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第29話 聖域の『兆候』と、竜の『使者』

 あれほど激しかった戦いの痕は、今や、ガノスさんたちドワーフ族が再建してくれた、新しい聖域(いえ)の温かい日常に、完全に溶け込んでいた。

 魔瘴が消え去った辺境の森は、生まれ変わった《黄金の源泉》の力に満たされ、初めての、豊かな「実りの秋」を迎えていた。

 宿屋は、もはや「辺境」などと呼べないほど、大陸中からの訪問者で賑わっている。エルフの行商人、北の帝国の使者、獣人族の傭兵団、そして、癒しを求めてこの地を目指す、あらゆる人ならざる者たち。彼らの往来が、「聖域」と「世界」とを結ぶ、新しい「道」を作っていた。


 私は、その活気あふれる食堂のカウンター席で、厨房のリュウさんを手伝っていた。と言っても、私の仕事は、彼が作る料理の「試食(テイスティング)」が主だったけれど。


「……リュウさん。この、秋野菜のスープ……すごく美味しいです」


 私は、試作の小さなスープ皿を傾け、その深い味わいに目を閉じた。私がこの聖域(とち)そのものになったことで、私の「舌」は、聖域そのものと、同調していた。

 私が「美味しい」と感じるものは、この聖域の「力」を高めるもの。私が「足りない」と感じるものは、お客様の「魂」が、今、求めているもの。


「でも……なんだか、ほんの少しだけ、『寂しい』味がします」

「……寂しい?」


 リュウさんが、包丁を止めて、私を見る。私は、言葉を探した。


「……はい。この野菜たち、森に、もっと《《仲間》》が欲しいって、言ってる、かも……。一人ぼっちで、ようやく芽吹いた、みたいな……」

「……」


 リュウさんは、何も言わずに、厨房の棚から、あの日、帝都から持ち帰った『氷結の宝箱』を取り出した。

 彼は、その中から、氷帝陛下が贈ってくれた『氷河海老』を数匹取り出し、その殻で、素早く「出汁」を取った。そして、その「海の仲間」の出汁を、私の「森の仲間」のスープに、そっと注ぎ入れた。再び、私が、試食する。


「……!」


 口に含んだ瞬間、まったく違う「景色」が広がった。

 森の恵みと、海の恵み。孤独だった(いのち)が、互いを引き立て合い、完璧な「調和(ハーモニー)」を生み出している。


「……美味しい、です! リュウさん、すごい! これなら、みんな、幸せになります!」「……ふん。お前の、その訳のわからん『舌』のおかげだ」


 リュウさんは、満足げに頷くと、そのスープを大鍋に移し始めた。


 これが、私たちの、新しい「日常」。私は、もう、自分の「力」の有無に、悩んだりしない。この場所に「いる」こと。リュウさんの隣で「味わう」こと。それが、私の、最高の「仕事」なのだから。



 そんな、活気に満ちた、けれど、穏やかな日々が続いていた、ある日の夕暮れ。聖域の再建が完了して、初めての「満月」が、東の空に昇ろうとしていた。

 厨房の「火入れ」も終わり、ガノスさんやヴォルグさんたち、常連たちとの、賑やかな夕食(まかない)も終わった。私は、リュウさんが、厨房の奥……彼専用の「燻製窯(スモークピット)」で、何かの作業をしているのを、そっと見守っていた。


(……また、作ってる)


 彼が、故郷を思い出しながら、私にだけ、こっそり食べさせてくれた、あの「燻製肉」。ガノスさんが、リュウさんのために「故郷に帰るため」に設計した、あの、特別な竈。リュウさんは、あの日、私と交わした「約束」を、忘れていなかった。

 彼は、この聖域での「日常」を完璧にこなしながらも、同時に、いつか、自分の「過去(ふるさと)」……竜の谷(りゅうのたに)へと帰る日のために、着々と「準備」を進めていたのだ。


 『氷結の宝箱』には、彼が「故郷への土産」と称して、この聖域(とち)でしか採れない食材が、少しずつ、保存されていっている。

 彼の傷は、癒えた。彼の力は、戻った。……彼が、この聖域(いえ)を、発つ理由は、もう、何もない。あるとすれば、それは、彼自身の「意志」だけ。


(……いつか、リュウさんは、行くんだ)


 その「いつか」が、明日なのか、一年後なのか、わからない。その時、私は……。私は、この「聖域の心臓」としての役目を捨てて、彼についていけるんだろうか。それとも、私は、ここで、彼の「帰る場所」として、待っているべきなんだろうか。

 《《力》》を失った私に、彼の「故郷」についていく、資格が、あるんだろうか。私が、答えの出ない問いに胸を痛め始めた、その時だった。


 チリリ……ン。 


 宿屋の入り口に、ガノスさんが設置してくれた呼び鈴が、静かに、澄んだ音を立てた。

 ヴォルグさんのような乱暴さでも、タマちゃんのような慌ただしさでも、エルフさんのような軽やかさでもない。迷いながらも、確かな「意志」を持って、扉を開けようとする、初めての「音」だった。


「……お客さん、でしょうか? もう、夕食の時間は……」


 私が、カウンターから立ち上がり、入り口へと向かおうとする。だが、それよりも早く。燻製窯の前で作業をしていたはずの、リュウさんの手が、ピタリ、と止まっていた。


「……!」


 彼は、包丁を置くと、まるで、信じられないものを見たかのように、ゆっくりと、入り口の方を、振り返った。その紅蓮の瞳が、驚愕に、見開かれている。


「……リュウさん?」

「……この、匂い……」


 彼が、絞り出すように、呟いた。それは、私の「聖女ハーブ」の匂いでも、帝国の「氷河海老」の匂いでもない。彼が、今、まさに作っていた、「燻製肉」の匂い。


「……故郷(ふるさと)の、『炎』の匂い……?」


 ゆっくりと、霊木の扉が開かれる。そこに立っていたのは、人間ではなかった。それは、旅装束で深くフードを目深にかぶり、しかし、その端々から、高貴な「気配」を隠しきれない、一人の「人影」だった。

 その人影は、フードの奥から、リュウさんを見つめ、震える声で、言った。その「言葉」は、私たちが使う「大陸共通語」ではなかった。リュウさんだけが知る、あの、太古の「竜の言葉」だった。


「……《《……お見つけ、いたしました》》……」


 その人影は、リュウさんの前で、ゆっくりと、フードを取った。その(ひたい)には、リュウさんと同じ、紅蓮の「鱗」が、一枚、輝いていた。


「……《《リューディアス・イグニート……紅蓮の、王子》》」


 リュウさんの「過去」が。彼が、いつか帰るべき「故郷」が、今、彼を、迎えに来た。私たちの、穏やかだった「日常」が、今、静かに、終わりを告げようとしていた。




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