第28話 新生の『厨房』と、世界一の『朝食』
ガノスさんが、その巨大なハンマーを肩に担ぎ直し、満足げに、それはもう、心の底から満足げに、その「傑作」を見上げていた。
「……どうだ、リュウの旦那。聖女様」
彼の視線の先には、朝日を浴びて堂々とそびえ立つ、真新しい「厨房」……いや、もはや「城塞」と呼ぶべき建築物が鎮座していた。
魔瘴に破壊された食堂の跡地、生まれ変わった《黄金の源泉》の真上に、それは築かれていた。ドワーフ族が誇る『金剛石』を土台とし、エルフの里から送られた『霊木・ユグドラシル』を大黒柱に使った、この世に二つとない「厨房」だ。
リュウさんは、私や、いつの間にか戻ってきていたヴォルグさん、タマちゃんたちが見守る中、その新しい「自分の城」の扉に、そっと手をかけた。霊木を使ったという扉は、重厚な見た目とは裏腹に、滑らかに、音もなく開く。
中は、まだ火が入っていないにも関わらず、不思議な熱気と、清浄な木の香りに満ちていた。ガノスさんたちドワーフ族の「魂」が、ここにある。
「……」
リュウさんは、その厨房の中心……彼のためだけにしつらえられた、巨大な「竈」の前に立った。それは、私の目から見ても、ただの調理台ではなかった。
ドワーフの『高炉』の技術が応用され、彼の「竜の炎」を、一滴たりとも無駄にせず「調理」の熱源に変換するための、魔術的な配管が張り巡らされている。
「リュウの旦那。……『火入れ』を、頼む」
ガノスさんが、固唾を飲んで見守っている。リュウさんは、静かに頷いた。彼は、マッチや火打石には手を伸ばさない。そっと、竈の火口に、彼自身の手をかざす。
(あ……)
私は息を呑んだ。彼の右手に、あの、紅蓮の炎が灯る。魔瘴と戦った、あの荒々しい「炎の包丁」ではない。故郷の燻製を作ってくれた、あの、繊細で、温かい、《《料理人の炎》》。彼が、竜核の力を、そっと流し込む。
ゴウッ、と。竈が、まるで喜びに打ち震えるかのように、その炎を「吸い込んだ」。炎は、配管を駆け巡り、竈全体が、均一な、美しい「紅蓮色」に輝き始めた。
「「「おおおおお!!」」」
ガノスさんの弟子たちから、歓声が上がる。
「すげえ……! 旦那の炎が、炉と『融合』してやがる! これでこそ、俺たちの仕事の『完成』だ!」
新しい厨房に、命が宿った瞬間だった。リュウさんは、その完璧な熱源を前にして、初めて、心の底から満足そうに、笑った。
「……最高の『厨房』だ、ガノス。……約束通り、最高の朝食を、ご馳走しよう」
彼は、私たちが運び込んだ食材の籠へと向き直った。
タマちゃんが届けてくれた、懐かしい『竜涙茸』。私が歩いた場所に、新しく芽吹いた「聖女ハーブ」。そして、ヴォルグさんが「腹の足しに」と、どこからか調達してきた、巨大な「岩猪」の新鮮な肉。リュウさんの目が、一瞬で「料理番」の目に切り替わる。
「ヴォルグ! 肉を捌くのを手伝え! ガノスは、そこの『飲む源泉』の樽を開けろ! タマは、ハーブの選別だ!」
「お、おう!」
「にゃにゃ!? タマも!?」
厨房が、一気に「戦場」になった。リュウさんの指示が、矢のように飛ぶ。
ヴォルグさんが、自慢のナイフで、岩猪を豪快に解体していく。ガノスさんが、地下から引いたばかりの「新生・黄金源泉」を、大鍋に注ぐ。
タマちゃんが、二本の尾を器用に使い、私のハーブを種類ごとに仕分けていく。私は……私は、その光景を、ただ、見ていることしかできなかった。
(……すごい)
私は、その熱気に、圧倒されていた。私の《浄化》の力は、もう、あの頃のように、直接、奇跡を起こせない。私が今できるのは、ガノスさんが言うように、この場所に「いる」ことだけ。
私は、また、「役立たず」に戻ってしまったんだろうか……。私が、そっと、厨房の入り口で立ち尽くしていると、リュウさんが、肉を捌く手を止めずに、私にだけ聞こえる声で、言った。
「セレスティア」
「は、はい!」
「……突っ立ってるな。邪魔だ」
「あっ……ごめんなさ……」
謝ろうとした私に、彼は、信じられない言葉を続けた。
「……『試食』しろ」
「え?」
リュウさんは、竈の炎でさっと炙ったばかりの、『竜涙茸』の、一番いいところを、串に刺して、私に差し出した。
「……お前の『舌』は、この聖域そのものだ」
「……!」
「お前が『美味しい』と感じるものが、こいつらが、一番『癒される』味だ。……料理人の、最後の『仕上げ』は、女主人の仕事だろ」
彼は、私を「役立たず」だなんて、微塵も思っていなかった。彼は、私に、この新しい厨房での、一番大切で、一番名誉ある「役目」を、与えてくれたのだ。
(……私、の……役目)
涙が、溢れそうになるのを、ぐっとこらえる。
私は、その串を受け取ると、ゆっくりと、口に運んだ。キノコの、芳醇な香りが、鼻に抜ける。そして、リュウさんの「竜の炎」が、その旨味を、一滴たりとも逃さず、内側に封じ込めている。
「美味しい」
……ただ、美味しいんじゃない。私の体……この「聖域」そのものになった、私の魂が、喜んでいる。
「……すごく、美味しいです! でも、リュウさん! もう少しだけ、私のハーブの……『風』の香りを足したら、ヴォルグさんたちも、もっと……!」
「……ふん。わかってる」
リュウさんは、満足げに笑うと、タマちゃんが仕分けたハーブを、絶妙なタイミングで、スープの大鍋へと散らした。これが、私たちの、新しい「戦い方」。二人で一つの、「厨房」。
それから、一時間後。まだ瓦礫の残る、青空の下の「食堂」に、とんでもないご馳走が並んだ。
『岩猪と竜涙茸の源泉スープ』
『聖女ハーブを纏った、丸ごとロースト』
リュウさんが、新しい厨房の性能を、惜しみなく発揮した、まさに「世界一の朝食」だった。
「「「いただきます!!」」」
ヴォルグさんが、骨付き肉に、獣のようにかぶりつく。
「ぐおおお! なんだこりゃ! 炎が、炎が、肉の中で《《生きて》》やがる! 美味え! 傷が治るどころか、力がみなぎりすぎらあ!」
ガノスさんが、スープを、樽ごとあおる。
「馬鹿な! 聖女様の力と、旦那の炎が、このスープの中で『調和』してやがる! こりゃ、どんな『地底の火酒』よりも、魂に効くわい!」
「おいしいにゃー! お魚じゃないけど、これ、最高にゃー!」
タマちゃんも、口の周りをスープだらけにして、尻尾をぶんぶんと振っている。みんなが、笑っていた。破壊された聖域が、今、この「食卓」を中心に、また一つに、再生していく。
私は、その光景を、お茶を配りながら、幸せな気持ちで見つめていた。すると、リュウさんが、騒ぎの中心からそっと抜け出し、私を手招きした。
「セレスティア」
彼が、私のためだけに、別の「一皿」を差し出した。それは、ヴォルグさんたちのための、荒々しい肉料理ではなかった。彼が、故郷を思い出して、私にだけ振る舞ってくれた、あの『竜涙茸』。それを、私の「聖女ハーブ」で新しく作った、優しいミルクのスープに浮かべた、繊細な一皿。
「……約束の、『まかない』だ」
「……」
「お前が、魂を使い果たした。……だから、今度は、俺が、お前の魂を、満たしてやる」
彼は、料理人として、ぶっきらぼうに、でも、真っ直ぐに、そう言った。
私は、その温かいスープを、一口、口に運んだ。優しい。キノコの旨味と、ハーブの香りと、リュウさんの「炎」の温かさが、私の、空っぽだったはずの体に、ゆっくりと、満ちていく。
失ったはずの《浄化》の力が、ではない。それよりも、もっと温かく、もっと力強い、「生きる力」そのものが、私の魂に、再び、灯っていくのがわかった。
「……美味しい、です」
私は、今度こそ、涙をこらえることができなかった。
「……世界で、一番、美味しいです……リュウさん」
リュウさんは、私の涙を、見ないふりをして、そっぽを向いた。その耳が、照れているのか、彼の炎のように、真っ赤に染まっているのを、私は、見逃さなかった。私たちの、新しい「日常」が、世界一の朝食と共に、今、本当の意味で、始まった。




