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《完結》辺境聖域(わがや)の再生ごはん ~追放聖女と訳アリ料理人の、あやかし専門スローライフ~  作者: ひより那


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第26話 聖女の『目覚め』と、竜の『誓い』

 どれほどの時間が、過ぎたのだろうか。リュウは、腕の中で、まるで羽のように軽くなったセレスティアを抱きしめたまま、静かに息を整えていた。

 地下空洞を満たしていた、あの忌まわしい魔瘴の気配は、完全に消え去っている。代わりに、足元の《黄金の源泉》から、新しく生まれ変わった、清浄で、力強い魔力が溢れ出していた。それは、セレスティアの《浄化》の白金(プラチナ)と、リュウの《炎》の紅蓮が、完璧に溶け合った、祝福の光だった。


 ▶◇リュウ


 俺は、腕の中で安らかな寝息を立てるセレスティアを見下ろした。

 彼女の顔色は、まだ蒼白い。あの、最後の「調理」。彼女は、自らの「魂」を、俺という「包丁」に、一切の躊躇(ためら)いなく差し出した。俺は、料理人として、その「食材」のすべてを、一滴たりとも無駄にせず、魔瘴という最悪の「皿」に叩きつけた。

 結果は、俺たちの、完全な勝利。……そして、俺自身の、完全な「再生」。


(……温かい)


 俺は、自分の胸の奥……竜核に意識を集中させる。何年も、何百年も、俺を縛り付けていた、あの忌まわしい「古傷」が、ない。

 セレスティアの魂と融合したあの瞬間に、彼女の《浄化》の力が、俺の傷そのものを、内側から、完全に修復してしまったのだ。力が、満ちてくる。故郷の谷で、空を支配していた、あの全盛期の力が。俺は、再び、「竜」として、飛べる。


 彼女は、魔瘴を倒しただけじゃない。俺の「過去」も、「傷」も、すべてを救ってしまった。彼女は、俺の、本当の「聖女」だ。


 ゴゴゴ……と、地下空洞が、源泉の力に耐えきれずに揺れ始めた。地上に戻らなくては。


 俺は、セレスティアを横抱きに抱え直すと、床を蹴った。力が戻った体は、この地下空洞の天井まで、一瞬で到達する。食堂だった場所に開いた、あの忌まわしい「穴」から、俺は、光と共に、地上へと飛び出した。


 ▶◇◇◇


 地上は、朝の光に包まれていた。だが、私たちが知る「辺境の聖域」の姿は、そこにはなかった。

 食堂だった場所は、巨大なクレーターのように陥没している。宿屋の壁は、泥の津波の直撃を受け、半壊していた。ガノスとヴォルグが、その瓦礫の山の中で、ボロボロになって座り込んでいるのが見えた。


「……! リュウ! 聖女様!」


 ふたりが穴から飛び出してきたのを見て、ヴォルグが、折れた剣の柄を支えに、立ち上がった。ガノスさんも、ハンマーを杖代わりにして、安堵の息を吐いている。


「……チッ。聖女様、眠ってるだけか?」

「……ああ。ただの、働きすぎだ」


 リュウは、二人の無事を確認すると、それ以上は何も言わず、宿屋の中で唯一、無傷で残っていた「客室棟」……セレスティアの部屋へと、まっすぐに向かった。

 不思議なことに、あれだけの激戦だったにもかかわらず、私たちが寝泊まりしていた部屋だけは、生まれ変わった源泉の《浄化》の光に守られ、傷一つ負っていなかったのだ。


 リュウは、セレスティアを、ベッドに、そっと横たえた。

 その顔色は、まだ戻らない。だが、その寝顔は、ここに来た、あの日とは比べ物にならないほど、穏やかだった。

 リュウは、固く絞った布で、彼女の額の汗を拭う。彼は、料理人だ。だが、今、彼が感じているこの感情を、どう「調理」すればいいのか、わからなかった。ただ、この寝顔を、永遠に守り続けたい、と。そう、強く、思った。


 ◇


 あれから、三日が過ぎた。聖女が眠り続ける中、聖域は、驚異的な速度で「再生」を始めていた。


「おい、ヴォルグの旦那! ぼさっと突っ立ってねえで、そこの瓦礫を運べ!」

「うるせえ! 俺は怪我人だ! ……と言いたいところだが」


 ヴォルグは、自分の肩の傷が、もう跡形もなく消えていることに、首を傾げた。


「……なんだか、わからねえが。あのデカい戦いの後から、この辺りの『空気』、おかしくねえか?」


 ガノスも、ハンマーを振るう腕に、いつも以上の力がみなぎっているのを感じていた。


「ああ。……源泉が、生まれ変わった。聖女様の『力』と、リュウの旦那の『炎』。あの二つの力が、源泉そのものになっちまったんだ」


 二人が見上げる空は、魔瘴に汚されていた森が嘘のように、青く澄み渡っていた。

 ハルピュイアのライラがかけてくれた「守護の風」が、新しく生まれ変わった聖域の「力」を、大陸中に運び始めている。

 猫又の一族が、森の奥から、傷ついた動物たちを連れて、この聖域(やど)を目指し始めていた。魔瘴は消え、この場所は、真の「聖地」となったのだ。


「……だが、こりゃ、ひでえ」


 ガノスは、完全に「更地」になった食堂跡地を見て、ため息をついた。


「これじゃ、聖女様が目を覚ましても、リュウの旦那の『まかない』が食えねえな」

「……」


 その声に、ずっとセレスティアの部屋に付きっきりだったリュウが、姿を現した。その紅蓮の瞳は、決意に満ちていた。彼は、ガノスの前に立つと、深く、頭を下げた。


「ガノス」

「……お、おう。なんだ、改まって」

「……『厨房』を、作ってほしい」

「は?」

「あいつが、目覚めた時。俺は、あいつに、最高の『まかない』を食わせてやりたい。……そのためには、俺の『炎』に耐えられる、大陸一の『厨房(キッチン)』が、必要だ」


 リュウの、初めての「本気の依頼」。

 ドワーフの棟梁は、その言葉に、満足げに、ニヤリと笑った。


「……へっ! 任せとけ! 今、俺の弟子たちが、大陸中から、最高の『素材』をかき集めてる! 聖女様が目覚めるまでに、リュウの旦那の『竜の炎』に耐えられる、世界最高の『厨房(しろ)』を、建ててやらあ!」



 そして、ガノスたちの、怒涛の「再建」が始まった、その日の午後。セレスティアの部屋で、リュウは、変わらず彼女の手を握っていた。その時、セレスティアの指が、ぴくり、と動いた。


「……ん……」


 リュウの紅蓮の瞳が、見開かれる。セレスティアの瞼が、ゆっくりと、開いていった。


 ▶◇セレスティア


 重い。体が、鉛のように重い。最後に見た光景は、リュウさんの、私を受け入れてくれた、あの力強い瞳と、すべてを飲み込む、白と紅の、光。


(……私、生きてる……?)


 ぼんやりとした視界に、見慣れた天井が映る。私の部屋だ……。そして、私の手を、温かい何かが、強く握りしめている。


「……リュウ、さん……?」


 掠れた声で呼ぶと、目の前に、ずっと、ずっと、会いたかった顔があった。その紅蓮の瞳が、安堵に、揺れていた。


「……ああ。おはよう、セレスティア」

「……よかった。リュウさんも、無事で……」


 私は、笑おうとした。けれど、その時、私は、自分自身の「異変」に気づいた。体の中に、あれほど満ちていた「力」が、ない。《浄化》の光が、あの温かい感覚が、まるで空っぽの器のように、感じられない。


「……あ」


 私は、慌てて、自分の(てのひら)を見つめた。


(お願い、光って……!)


 私は、ありったけの力を込めて、念じた。けれど、私の掌から生まれたのは、魔瘴を(はら)った、あの神々しい光ではない。今にも消え入りそうな、小さな、小さな「光の粒」が、一つ、ぽん、と浮かんだだけだった。

 私は、すべてを、使い果たしてしまったのだ。私は、もう、聖女では、ない……?


「……ごめんなさ、」(い。私、また、役立たずに……)。そう、謝ろうとした、私の唇を、リュウさんの無骨な指が、そっと、塞いだ。

「……馬鹿野郎」


 彼は、私の手を、彼の両手で、包み込んだ。その手は、信じられないほど、温かかった。


「……『ごめんなさい』じゃないだろ」

「……え?」

「お前は、この聖域(いえ)を、俺を、守ったんだ。……お前の力は、失くしたんじゃない。お前は、その力のすべてを、この『土地』に、あの『源泉』に、与えたんだ」


 リュウさんは、窓の外を指差した。そこには、ガノスさんたちが、新しい宿の「土台」を、楽しそうに築いている姿が見えた。


「……見てみろ。お前の力が、そこら中に、溢れてる」


 彼の言う通りだった。

 空気が、きらきらと光っている。ヴォルグさんの傷を癒し、ガノスさんを元気にしている、この土地の「空気」そのものが、私の《浄化》の力に満ちていた。私は、力を失ったんじゃない。私は、この「聖域」そのものに、なったんだ。


「……セレスティア」


 リュウさんが、私を、まっすぐに見つめた。


「……お前は、もう、『聖女』として、無理に光らなくていい」

「……」

「お前は、ただの『セレスティア』として、ここで、俺の隣で、笑ってろ」


 その言葉は、どんな「運命」よりも、強く、私を、未来へと結びつけてくれた。


「……はいっ……!」


 私は、涙でぐしゃぐしゃになりながら、最高の笑顔で、頷いた。


「……だが、問題がある」

「え?」

「……腹、減ってないか?」


 リュウさんの言葉に、私のお腹は、きゅるるる~! と、この三日間の空腹を訴える、盛大な音を立てた。私は、顔を真っ赤にする。リュウさんは、満足そうに、立ち上がった。


「……ガノスが、新しい『厨房』を作ってる。……それができたら、お前に、世界一の『まかない』を、食わせてやる」


 彼は、料理人としての、最高の笑顔を、私だけに見せてくれた。私たちの、新しい「日常」が、瓦礫(がれき)と希望の光の中から、また、始まろうとしていた。




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