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《完結》辺境聖域(わがや)の再生ごはん ~追放聖女と訳アリ料理人の、あやかし専門スローライフ~  作者: ひより那


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第16話 赤い糸の『真相』と、聖域への『帰路』

 玉座の間が、しんと静まり返った。先ほどまであれほど激しく荒れ狂っていた魔瘴の気配は、セレスティアが放った最後の《浄化》の光と共に、完全に消え去っている。

 残されたのは、呪いの氷から解放された玉座と、そこで深く座り込んだまま、意識のない「北の氷帝」陛下。そして、自分たちの目の前で起こった奇跡を信じられない、といった表情で立ち尽くす、帝国の魔導士たちと、私たちを案内してきた使者だけだった。


「……消えた……のか?」

「あれほどの魔瘴が……嘘だ……」

「あの料理人と聖女様が、たった二人で……」


 魔導士たちの呆然とした呟きが、やけに大きく響く。

 私は、全霊を出し切った体を引きずるようにして、隣に立つリュウさんを見上げた。彼もまた、あの神懸かり的な「調理」で全神経を使い果たしたのか、額に玉の汗を浮かべ、荒い呼吸を繰り返していた。けれど、その紅蓮の瞳は、トラウマを克服した者の、力強い光を宿していた。


「……リュウさん」

「……ああ。終わったな」


 彼がそう短く答えた、その時だった。

 私は、自分の左手の小指に起きた、決定的な「変化」に気づいていた。


(……あ)


 ズキズキとした痛みが、ない。あれほど私を縛り付け、北の帝都まで引っぱってきた、あの忌まわしい《運命の赤い糸》が。氷帝陛下と私を繋いでいたはずの「運命」が、魔瘴が消え去ったのと同時に、その役目を終えたかのように、ぷっつりと、切れていた。もう、私には、彼と繋がる糸は見えない。私は、運命から、本当に解放されたのだ。


「……う……」


 その声に、私たちはハッと玉座に目を向けた。呪いの氷から解放された氷帝陛下が、ゆっくりと、その(まぶた)を開こうとしていた。


「陛下! おお、陛下!」

「意識が、お戻りになられた!」


 魔導士たちが一斉に玉座に駆け寄る。ゆっくりと目を開けた氷帝は、状況が飲み込めないといった様子で、自分の手を見つめ、そして、私たち――この場にいるはずのない、見慣れぬ二人――を、その蒼い瞳で捉えた。


「……君たちは」


 その声は、私が想像していた「冷酷非道」な響きとは程遠い、理知的で、けれど深く疲れ切った、青年の声だった。

 使者が、涙ながらに彼に駆け寄り、事の次第を説明する。パーティーを追放された聖女が、噂の「辺境の聖域」にいたこと。自分が陛下を救うために彼女を連れてきたこと。そして、私たちが、魔導士たちですら匙を投げた呪いの魔瘴を、信じがたい方法で浄化したことを。


 氷帝は、使者の報告を黙って聞いていたが、やがて、リュウさんの持つ包丁と、私の「聖女」の気配に気づくと、すべてを理解したように、深く息を吐いた。


「……そうか。予言は、正しかったのだな」


「予言、ですか?」


 私が問いかけると、氷帝は、玉座からゆっくりと立ち上がった。呪いが解けたばかりで、まだ足元はおぼつかないようだが、その立ち姿は、一国の王としての威厳に満ちていた。

 彼は、私たち二人に向き直ると、深々と、頭を下げた。


「無礼を、許してほしい。帝国皇帝、アークティック・グラキエス。君たちに、心からの感謝を捧げる」

「陛下! おやめください!」


 魔導士たちが慌てるが、氷帝は頭を上げない。


「私は、君たちを『道具』として、ここに呼び寄せようとしてしまった。……特に、聖女セレスティア殿。君の『運命』を、我が国の都合で利用しようとしたことを、謝罪する」


 私は、その言葉に驚いた。彼は、知っていたのだ。私と彼が、赤い糸で結ばれていたことを。


「……陛下。あの、私と陛下を繋いでいた『糸』は、先ほど、切れました」


 私は、恐る恐る、その事実を告げた。すると、氷帝アークティックは、顔を上げ、驚いたように目を見開いたが、すぐに、心の底から安堵したような、穏やかな笑みを浮かべた。


「……そうか。切れたか。……ならば、それこそが、予言が成就した証だ」

「え?」


 彼は、私たちに玉座の間のテラスに出るよう促した。凍てついた空気の中、彼は、魔瘴が消え去った帝都の空を見上げながら、静かに「真相」を語り始めた。


「まず、誤解を解かねばなるまい。聖女殿。私が君に求婚したのは、君という人間にではなく、君が持つ『運命』そのものにだった」

「……」

「この国には、古い予言があった。『北の地脈に溜まりし古き魔瘴は、やがて目覚め、帝国の氷を喰らい尽くす。その時、南の辺境より現れる《聖女》と、彼女が連れ添う竜の者だけが、その魔瘴を『喰らい』返し、帝国の冬を救うだろう』……と」


 私は、リュウさんと顔を見合わせた。竜の者……予言は、リュウさんのことまで示していた。


「私は、この国を襲った魔瘴……君たちの故郷(ふるさと)を襲ったものと同じものだろう、料理人殿……この魔瘴を、長年、私自身の魔力で抑え込んできた。だが、ついに限界が来た」「……」


 リュウさんは、黙って氷帝の言葉を聞いている。


「私は、予言に示された『聖女』を探させた。だが、世界はあまりに広く、聖女は見つからない。……唯一の手がかりは、『運命が、その聖女の居場所を示す』という一文だけだった」


 氷帝は、そこで、苦しそうに目を伏せた。


「……私は、禁忌とされる、古代の『運命干渉』の魔術を使った。私の『王としての責務』……国を救いたいという『願い』を、魔力に変換し、予言の聖女へと無理やり『運命の糸』を結びつけたのだ」

「!?」


 私は、息を呑んだ。あの赤い糸は、私たちが結ばれる「運命」だったんじゃない。彼が、国を救うために、私を「見つける」ためだけに、無理やり結びつけた、魔術の「糸」だったのだ。


「私と君との『政略結婚』の話は、君を安全に、確実にこの帝都へ導くための『口実』に過ぎなかった。……だが、君は、その運命から逃げた」

「あ……」

「結果として、それが良かった。君は、予言の通り、辺境で、最高のパートナーと出会い、そして、自らの意志で、この場所に来てくれた」


 氷帝は、私に、そしてリュウさんに、再び深く頭を下げた。


「魔瘴を浄化してくれたこと。そして、私の歪んだ『運命』の呪縛から、君自身を解放してくれたこと。……感謝の言葉もない」


 私は、すべての謎が解け、力が抜けるのを感じた。私を縛っていたものは、なかったんだ。


 その時、ずっと黙っていたリュウさんが、口を開いた。彼は、氷帝に向き直っていた。


「……陛下。一つ、聞きたい」

「何かな、料理人殿。……いや、リューディアス殿、と呼ぶべきか。その気配、竜族の中でも、相当な高位とお見受けする」

「……」


 リュウさんは、その指摘を肯定も否定もせず、ただ、低い声で尋ねた。


「あんたは、この魔瘴が、俺の故郷を襲ったものと『同じ』だと言った。……あんたは、俺の故郷の『場所』を、知っているのか」


 リュウさんの声には、彼が必死で抑え込んでいる「焦燥」が(にじ)んでいた。彼は、トラウマは克服した。けれど、彼が見捨ててきてしまった「故郷」の安否は、まだ知らないままだ。


 氷帝アークティックは、その問いに、静かに首を振った。


「……申し訳ない。私は、この魔瘴が、大陸の遥か西……『竜の谷』と呼ばれる場所から流れてきた、その残滓(ざんし)であるとしか知らない。……本体は、今も、君の故郷で燻っているのかもしれない」

「……そうか」


 リュウさんは、それ以上、何も聞かなかった。だが、彼の中で、新しい「目的」が生まれたのを、私ははっきりと感じた。いつか、自分の故郷の安否を確かめに行く。そのために、彼は、もっと強くならなければならない、と。


「……聖女セレスティア殿。料理人リューディアス殿」


 氷帝が、私たちを「国の恩人」として、最高の歓待をしたいと申し出てくれた。けれど、私は、リュウさんと顔を見合わせて、丁重に、しかし、はっきりと首を振った。


「お気持ち、感謝いたします。ですが、陛下」


 私は、もう「運命」に縛られた聖女の顔ではなく、この旅で得た、自信に満ちた笑顔で言った。


「私たちは、『辺境の聖域』の女主人と、料理番です。……あんまり長く留守にすると、お腹を空かせたお客様たちが、宿屋の扉を叩いてしまいますから」


 私の答えに、氷帝は一瞬驚いたが、すぐに、心からの笑顔を見せてくれた。


「……そうか。違いない。それでは、せめて、これを持って行ってほしい。帝国の、そして私個人からの、心ばかりの『宿代』だ」


 彼が差し出したのは、美しい氷の結晶でできた、小さな箱のような物だった。


「……それは、帝国の『氷結魔法』の粋を集めたものだ。中に、君の菜園の『聖女野菜』を入れておけば、どれだけ時間が経っても、採り立てのまま鮮度を保つだろう。……最高の料理人殿への、贈り物だ」

「……!」


 リュウさんの目が、わずかに輝いた。最高の「冷蔵庫」を手に入れた、料理人の目だった。


「……ありがたく、頂戴する」


 そして……帰路は、ガノスさんの魔導列車で、あっという間だった。帝都の喧騒が嘘のように、懐かしい辺境の、穏やかな風が私たちを迎えてくれた。宿の扉を開けると、ガノスさんと、どこからか噂を聞きつけたヴォルグさんが、「遅え!」とばかりに待ち構えていた。


「おお、帰ってきたか! 飯だ、飯! 約束の肉だぞ、リュウ! まったく、聖女様も人使いが荒いわい! 留守番代は高くつくぞ!」


 その、いつもと変わらない騒がしさが、私には、どんな帝国の歓待よりも、温かく感じられた。


「ただいま、戻りました!」


 私は、私の本当の「居場所」に、心の底からの笑顔でそう言った。小指の「赤い糸」は、もうない。私は、私の意志で、隣に立つ、この「糸のない」料理人さんと、明日もここで、お客様を迎えるのだ。




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