第六章:最果てのトゥーレより(その一)
アイスランドの南西に位置する首都レイキャビクの空港に着いた頃、辺りはまだ暗かった。
この時期は日照時間が短く、日の出は午前10時ごろ、日の入りは午後5時ごろと、7時間程度しかないらしい。
私は、極寒の地を予想して飛行機を降りたのだが、外は思っていたよりも寒くはなく、冬の気温に関しては、もしかしたら私たちの住む地域の方が低いかも知れなかった。
それを彼女に言うと、レイキャビクは西岸海洋性気候で、偏西風が暖流である北大西洋海流によって温められた空気を運んでくるから、冬でも比較的暖かいのだと教えてくれた。そういえば、昔そんなことを習ったなぁと、淡い記憶が現実とリンクして、少し感動した。
ただ、冬の降水量、ことアイスランドに至っては、おそらく降雪量であろうが、は比較的多いらしく、オーロラの観測に支障が出るのでは、と少しだけ不安になった。
入国手続きを済ませ、ゲートをくぐる。
空港内には、当然、日本語の案内表記はなく、平均程度の高校の平均弱程度の英語能力しか有さなかった私は、イラスト付きの看板がかろうじてわかるぐらいだった。
そんな私の手を取った彼女は、すいすいと歩いて行き、とりあえず目についたカフェの一角に腰を落ち着けた。
私は席についてからもしばらくは寒さで張り付いたかのように彼女の手を離さなかったのだが、注文をとりに来た店員の生温かい微笑を受けて、やっとそれを剥がした。
彼女は店員に対し、”Góðan daginn”とアイスランドの言葉で挨拶し、英語で注文を続けた。
メニューを開きながら、ところどころ聞き返したり、逆に聞き返されたりしながら、彼女は注文を終え、店員はカウンターの奥の方へと戻っていった。
まさみ「英語できるの、すごいです」
ゆい「いやいや、心臓どきどきだったけど、案外いけるもんだね」
まさみ「私からすると、全然、話せると言って差し支えないレベルですよ」
ゆい「そうかなぁ。頑張ってもらった、って感じの方が強いかな」
と彼女は苦笑した。
ゆい「話すのは全然経験ないから」
まさみ「そうでしたか」
ゆい「うん。読む方は割といけるんだけどね。卒論とかで英語文献も使ってたから」
まさみ「すみません、頼ってしまって」
ゆい「ううん、気にしないでよ」
私は彼女に倣って、挨拶の部分だけでもアイスランドの言語でできるようにと、旅行パンフレットを開いた。
彼女曰く、現地の言葉で挨拶すると色々といい感じ、らしい。
確かに、外国人の観光客が辿々しくも、まず日本語で挨拶をしてくれたら、それだけで何か手助けしようという気になるかもしれなかった。
彼女が注文してくれたのは、スモークサーモンと、スキールというギリシャヨーグルトに似たチーズの一種をベーグルで挟んだものだった。
スキールはアイスランドでよく食べられているものらしく、サーモンと合わせて、非常に北欧風の吹く爽やかな味わいだった。
それを知ったのは食後になってからで、自然にその土地の生活を味わった感じが心地良く、これも彼女の言っていたことに繋がってくるのかな、などとなんとなく考えていた。
空港を出た私たちは、隣接するレンタカーで、四駆のSUVを借り、北の方角へとそれを走らせた。
三泊五日、ないし六日の旅程は彼女が立ててくれて、私たちは地方の村にコテージを借りて、そこで三日を過ごすことになっていた。オーロラを観測できるチャンスはその三晩で、今夜が一晩目だった。
まさみ「すみません、運転任せてしまって。ほんと頼りきりで・・・」
ゆい「さっきも言ったけど、ほんとに全然いいよ。私、まーちゃん乗せて走るの好きだしね」
まさみ「私も、もう一度、運転免許に挑戦してみようと思うこともあるのですが・・・」
ゆい「・・・まーちゃん。今のこの、パートナーの片方しか運転免許を持ってないっていう状態はね、”結婚”と同じなんだよ」
まさみ「え」
ゆい「確かに、結婚というものは、財産だったり、子供だったり、いろいろ法的制約で縛られるものではあるけど、そうした制約を自らその関係に課すという一種の通過儀礼を経ることによって、それを根拠にその愛を証明してるんだよね。運転免許もおんなじ。パートナーの片方しか運転免許を持っていない状態っていうのはね、もう片方にとっては、いつでも自由に車を活用することができないという制約を課されるわけだけど、その制約を受け入れ続けるということによって、パートナーへの愛を証明し続けてるわけ」
まさみ「・・・?なんだか私、レトリックの狐に摘まれている気がするのですが」
ゆい「いや全然、そんなことないよ」
まさみ「それに、私たちの国では同性婚はまだ認められてませんよね?」
ゆい「あのね、結婚なんてものはね、ただその二人に一定の関係性や、あるいは極端な話、利害の一致があることを法的拘束を根拠に示唆しているに過ぎず、愛の度合いや関係値を示すものじゃないんだよ。だから法的婚姻関係にあるからといって、一概に法的婚姻関係にない二人より深い関係にあると言えるわけじゃないの、わかる?」
まさみ「すごい早口」
ゆい「・・・」
車は火山地帯の雄大な溶岩肌や、透き通るような間欠泉に少しずつ足を止めながら、次第に荘厳な雰囲気を醸し出す台地に差し掛かった。大きな丘や岩がごろごろと転がっており、文明の手がつけられていない異星へと訪れたかのような気分になった。
まさみ「すごい景色ですね。あの岩なんて、この車ぐらい大きいんじゃないでしょうか」
ゆい「うん、そうだね。あれ、見たことあるよ。”妖精の教会”とかって、パンフレットで紹介されてたかな」
まさみ「妖精?」
ゆい「うん、”フルドフォルク”とかって言って、隠れた人々っていう意味があるらしいよ。私たち人間には見えない、裏の世界みたいなところで、人間と同じような姿で、人間と同じような生活をしてるんだって。私たちには、その家や教会が岩に見えてるって感じかな」
まさみ「北欧神話とかにも出てくるんでしょうか」
ゆい「あー、私が調べた限りだと多分、この土地固有の文化だと思うよ」
まさみ「なるほど。トゥーレの話とか、アイスランドって、何か神秘的な雰囲気が漂ってますよね」
ゆい「そうだね、あ、あれ見てよ」
彼女は車のスピードを落とし、後ろを確認してから路肩に止めた。
車を降りると山間の風が吹きつけた。
私はコートの襟を掴み、首元を覆う。
ゆい「ほら、これ」
彼女が指差した足元には、小さな家が自然に隠れるように並んで立っていて、子供がおままごとに使ったのを片付け忘れたようなメルヘンチックがそこに残っていた。
ゆい「これとかは、”エルフの家”って言って、北欧神話っぽさがあるかな?家の玄関前とか、庭とかにもあるらしいね」
まさみ「これは、可愛らしいですね」
ゆい「うん。さっきのフルドフォルクはそのまま人間サイズらしいけど、エルフは小さいらしいからね。私たちからすると、こっちの方が”妖精”って感じがするかな?・・・でもね、”エルフ”と”フルドフォルク”と”妖精”って言葉、文脈によって使われ方がまちまちで、これがまた厄介なんだよ」
そこは、いたずら好きな妖精っぽいかな?と彼女は巻いたマフラーをいたずらに持ち上げた。
ゆい「今回は行けないけど、朝の光に当てられたトロールが変化した岩なんかもあるらしくてさ、他にも、ユールラッズとかっていう、アイスランドのサンタさんがいて、実はその正体が13人のトロールで・・・」
車が走り始めても、彼女はもう少しアイスランドの文化について説明してくれて、道中も退屈することはなかった。
まさみ「アイスランドの人たちは、妖精や神話など、神秘を信じる人も多いんですね」
ゆい「ん〜、それはどうだろう。国民の8割ぐらいは、ルター派のキリスト教を信仰してるらしくて、そういう意味では私たちの国より、信心深く見えやすくはあるかもしれないけどね。さっき言ったみたいに、クリスマスとトロールが繋がってたりとか、フルドフォルクのはじまりがキリスト教的なナラティブで説明されてたりとか、まあこれはそう考えない人もいるんだけど、結構寛容なところがあってさ。だから、どっちかと言うと、神秘を信じている、っていうよりかは、文化としてそれを大切にしてるって、私は思うかな」
私たちの国にも、そういう部分、あると思わない?と彼女は付け加えた。
まさにその通りで、私の世界の見方も彼女みたいであれたらなぁ、と私は思うのだった。




