最終章:from your seabed
パチパチと音がして、時折焚べられる記憶の燃え残った煤が舞い上がり、光のない真っ黒な背景に同化して見えなくなる。
「待ってたよ」
そう声がするが、声の主の姿は見当たらなかった。
どこからか記憶が火に投げ込まれ、ぼっ、と刹那的な像を結んで、燃えて無くなっていく。
その記憶の持ち主は私ではなかったが、その記憶を私は知っていた。
「・・・いいんですか?」
「いいよ、どうせ、出会う前の、いらない記憶だし」
「そうですか」
私も一つ、いらない記憶を投げ込んだ。
・・・声が聞こえたような気がした。
「これがいわゆる”中心火”ってやつなのかな」
どこからか発せられた私でない声がそう呟く。
炎の揺れが辺りを照らすことはなかった。
「ここはどこなんですか?」
「さあ、わからないけど、新しい宇宙が始まる前じゃないかなあ」
「わたしはどうしてこんなところに・・・、宇宙が始まる前なんかにいるんですか?」
「それは多分、私にとって強い意味があったからだと思う」
「じゃあ、あなたがいるのは」
「うん。それも同じで、あなたにとって強い意味があったからだと思う。多分だけど」
「そうですか」
私はまた見えない手でいらない記憶を投げ込もうとしたが、なぜか意図しない抵抗があって、少し遅れるようにして、それは火の糧となった。
「姿が見えないのですが」
「うん、身体に意味はなかったのかもね」
「それもそうなんですが、あなたの・・・」
「ああ、それは多分、今は重ね合わせの状態にあるからじゃないかな。まあ、ここに空間があるのかはわからないし、そもそも身体がないわけだから、重ね合わせでなくとも見えるかはわからないけど」
「そうですか・・・」
私は無い目で火を眺める。
周りに比べるものが何もなく、大きいのか小さいのか、それすらもわからなかった。
「いらない記憶がどうしてあるんですか?」
「多分、意味のあるものが生まれた時に、一緒に生まれてしまったんだと思う。だから燃やしてる」
「私のも、火に焚べていいですか?」
「・・・うん、好きにしたらいいよ」
私はまた一つ、いらない記憶を火に投げ込んだ。
俯いた私の像が瞬くように浮かび上がり、燃えて、消えた。
「私たち、やっぱり似ていたんですね」
「そうだね」
「・・・酷いこと言われたり、怒鳴られたり、外じゃそんなのばかりでした」
「いつも一人だったね」
「そうですね」
いらない記憶が燃えて消えるのを見て、私は、ここに来る前の最後の記憶のことを思い出した。
「・・・だから、ひかれあって一つになった時、消えてしまったんでしょうか」
「うん、そうだと思う」
「すみませんでした」
「ううん、私もそれを望んでたから」
火は、煌々と燃えている。
それは対消滅した時に生まれたエネルギーかも知れなかった。
「今もまだ、私たちは一つのままなんでしょうか」
「どうだろう、二つが重ね合わさってる状態を一つと呼んでいいなら、そうかもしれないね」
「考えてること、わかりますか」
「うん、わかるよ」
「じゃあ、一つかもしれませんね」
「うん。あるいは、輪郭がなくなっただけなのかもしれないけど、それもまた一つの形なのかな」
それなら、私たちの望みは叶えられたということになるのだろうか。
「どうだろう、他のもの全部、無くなっちゃったよ?」
「今、ここに生まれていないのなら、それらに意味はなかったということなのでは?」
確かにね。
私は、中心にある火が、あの人の影かもしれないと思った。
「確かに、灯台みたいな人だったから」
「・・・あるいは、意味にも、生成に限界があったのかも」
それもあるね。一人が持てる意味は、一人分だけだろうから。
・・・。
私は、このままでもいいかもしれないと思った。
同じだよ。それが望んだことでもあったし。
「時間も消滅しちゃったから、し・・・、飽きたりも、しない」
「時間がないとどうなるんですか?」
「過去も、現在も、未来も、同時に、永遠に存在する」
それはこうなる前も一緒だったかもしれないけどね。
「じゃあ、もし、触れた時に・・・」
「・・・うん、考えてる通りになると思うよ」
・・・。
・・・。
「名前・・・」
「うん、一つになったら、もう意味がないから」
覚えてませんか?
ごめん。
・・・すみません。
私は、ここで意味を見出すことはできないだろうか、と考えた時にはもう悟っていた。
「他に何かが生まれることは、もうないみたい」
「そう・・・、みたいですね」
もう、名前を呼ばれることもないのだということが、自分の名前すら覚えていないのに、すごく悲しかった。
うん、同じ気持ちだよ。
かといって、また二つに戻るのも、怖かった。
うん、それも同じ。ここならずっと一緒にいられるし、どっちかがいなくなっちゃうこともないし・・・。
「自分がこんなに弱いなんて思わなかったよ」
「・・・同じです」
酷いこと言われたり、受け入れてもらえることもなかったから、どこにいるのも怖かった。
ずっと、怒られてばかりでしたので、何をするにも怯えていましたし。
・・・初めてだったから、ずっといたいと思える場所も、ずっと一緒にいたいって思うことも。
私も、初めてでした。私のものにしたい、一つになりたいと思ったのは。
私は、もし二人に戻ったら・・・、と考えた。
「・・・もし私をなくしても、ちゃんと生きていってくれる?」
私は、無理だろうなと思った、考えたくもなかった。
体が動く限り、その面影を探し続けるだろうと思った。
生きている限りは、思い出し続けるだろうと思った。
「・・・もし私をなくしても、ちゃんと生きていってくれますか?」
・・・。
彼女は何も言わなかった。
私は、最後のいらない記憶を火に焚べた。
それは、まだ幼い頃の私が目に手を当てて泣きじゃくっている姿を映して、消えていった。
・・・。
「記憶、燃やすの嫌でしたか?」
・・・うん。
「すみません」
「ううん、・・・先に燃やしたの私だから」
・・・昔の、嫌な記憶は全部消して、大事な記憶だけ残して、ずっと一緒に、それにだけ浸っていたかった。
「もしかしたら、私が燃やした記憶は、あなたにとって意味があったから、ここにあったのかもしれませんね」
いらない最後の記憶を燃やした後になって、私はそう考えた。
「私のも同じだったかもしれません。あなたのいらないと思った記憶は、私にとって意味があったからこそ、ここにあったのかも」
・・・ごめん。
いえ、私も燃やしてしまいましたし。・・・もしかしたら、私たちは、その記憶が、その過去があったからこそ、一つになりたかったし、一つになることができたのかもしれませんね。
・・・。
最後の記憶を燃やした火は、燃え残った煤を吐き出して揺れた。
「・・・私に向けて作ってくれた唄、嬉しかったです。とても、幸せでした」
私は、揺れるその火は、彼女の作った唄なのではないかと思った。
私は、世界が彼女でできていたことを思い出した。
宇宙を調和する星々の動きが、彼女の唄の中の、音の一つ一つだったことを思い出した。
潮の満ち引きや、あの丘の大きな木の揺れが、彼女の心の動きだったことを思い出した。
世界を構成する最も小さな粒子の一つ一つが、彼女から流れ出したものでできていたことを思い出した。
私は、遥か遠い昔から続く、あの大きな流れは、彼女の唄だったのではないかと思った。
そう思った時、火が少しだけ大きくなったような気がした。
「辛くても、怖くても、取りに戻らないと、いけませんね」
・・・。
「もし、また会えたら、その時は、また名前呼んでくれますか?」
・・・。
「また、名前、呼ばせてくれますか?」
・・・・・・
・・・
・・・
私は、自宅のリビングのソファで目を覚ました。
テレビは消えていて、開かれたDVDのパッケージと、斜めになったリモコンが、机の上に無造作に置かれていた。
コースターに置かれたマグカップにはもう、湯気は立っていなかった。
窓の外、曇で覆われた空の下に、一本の、古い、大きな椚の木が見えた。
無数に伸ばした枝を風に揺らしている。
彼女は、隣で私に肩を預けるようにして眠っていた。
私たちは、寄り添うようにして眠っていたようだった。
二人の肩を包むようにして、毛布がかけられている。
私の頬をつたった涙の跡は、もう乾いていたようだった。
彼女の頬をつたう涙の跡には、まだ世界が反射していた。
私は、彼女の甘く焦げたような茶色の髪を、少しだけ撫でた。
瞼が少しだけ動いた。
地を這う風は枝を揺らし、まだ少しだけ残っていた枯葉を攫って行った。
椚も、ないているようだった。
肩が動き、彼女は目を覚ました。
「・・・ごめん、寝てた。映画、終わっちゃった?」
「途中で止めてありますよ」
「そっか」
「ええ、続き、また一緒に見ましょう」
彼女は身じろぎして肩を寄せ、ずれた毛布をかけなおした。
触れた肩の温もりが、確かに感じられた。
私は、少し考えて、また、声をかけた。
「唯さん。おはようございます」
「・・・うん。まーちゃん、おはよう」
窓の外では、また一つ、季節が終わろうとしていた。




