9:焦燥
「長官、彼らの活動は、我々の予想をはるかに上回る速度で拡大しています。南房総の山林は、もはや『里山』と呼べる規模ではありません。簡易的な宿泊施設、共同生活施設、独自の電力供給施設まで建設され、数百人規模の人間が生活している模様です」
内閣情報調査室の室長、藤原啓介は、西条一馬官房長官に、最新の報告を行った。執務室の窓からは、秋の爽やかな風とともに陽光が差し込んでいるが、二人の顔には、焦燥の色が濃く浮かんでいた。
「数百人だと? まるで、一つの村ではないか」
西条は、思わず声を荒げた。彼らは、あの高校生たちのプロジェクトを「地方創生のモデルケース」として利用し、その動きを監視するつもりだった。しかし、彼らの成長速度は、政府の想像をはるかに超えていた。
「はい。全国各地のオンラインコミュニティで、彼らの理念に共感する人々が、続々と集結しているようです。特に、若者や、定年後の生活に物足りなさを感じている層からの流入が顕著です。彼らは、単なるボランティアではなく、この『コミュニティ』を、自らの理想郷と捉えている節があります」
藤原は、潜入捜査官からの報告書を読み上げた。彼らの「未来の里山」は、もはや単なるプロジェクトではなく、確固たる実体を持ち始めていた。
「しかも、彼らは独自の通貨システムまで導入しようとしているようです。ブロックチェーン技術を利用した電子通貨で、コミュニティ内でのみ流通させる計画とのことです」
藤原の言葉に、西条は目を見開いた。独自の通貨システム。それは、まさに国家が持つべき機能の一つだ。
「通貨システムまで……。彼らの目的は、やはり国家独立だと見るべきか」
西条は、机に広げられた南房総の山林の地図に目をやった。かつては手つかずの自然だった場所に、今や彼らの「国家」の基礎が、静かに、しかし着実に築き上げられている。
「その可能性は極めて高いと判断しております。彼らは、独自の法律や規律も策定している模様です。しかし、詳細な内容はまだ掴めておりません」
藤原は、顔を曇らせた。彼らが、国家の基本的な枠組みを構築しようとしていることに、政府は強い危機感を抱いていた。
「彼らの背後に、何らかの過激派組織が関与している可能性は?」
西条は、最後の希望を尋ねた。もし、彼らがテロ組織と繋がっている証拠でも掴めれば、一気に彼らを潰すことができる。
「現時点では、その兆候は確認されておりません。しかし、彼らの活動を支援する国際的なNGO組織や、一部の反政府勢力との接触が確認されています。特に、某国の反政府勢力幹部と、国際的な人権保護団体に所属する弁護士が、彼らの『里山』を訪問していたという情報も入っています」
藤原の報告に、西条は舌打ちをした。国際社会の介入は、彼らにとって最も避けたい事態だった。彼らが武力を行使すれば、たちまち国際社会からの非難の的となり、日本の外交に深刻な影響を及ぼすことになる。
「国際社会の目を、何としても逸らす必要がある。彼らをテロリスト集団として認定する準備を進めろ。ただし、証拠を固めてからだ。安易な認定は、逆効果になる」
西条は、慎重な姿勢を崩さなかった。彼らの活動が、国際的なムーブメントになりつつある以上、政府の動きは、より一層慎重である必要があった。
「承知いたしました。現在、彼らのオンラインコミュニティに対して、大規模なサイバー攻撃を仕掛ける準備を進めております。彼らの情報網を寸断し、活動を孤立させるのが狙いです。同時に、彼らの個人情報を特定し、身柄を拘束するための準備も進めております」
藤原は、冷徹な表情で言った。政府は、彼らの活動を水面下で妨害し、彼らの力を削いでいく戦略を取ることにしたのだ。
その日の夜、西条はテレビのニュースを見ていた。彼らの「次世代型コミュニティ創設プロジェクト」が、地方創生の成功事例として、再び大きく取り上げられていた。笑顔の国会議員が、彼らの活動を賞賛し、視察に訪れることを検討していると発言している。
「……愚か者め」
西条は、画面に映る国会議員に、内心で悪態をついた。彼らは、自分たちが利用されていることにも気づかず、この危険なムーブメントを、自ら後押ししているのだ。
西条の心には、ある種の焦燥感も募っていた。彼らがこれほど急速に勢力を拡大しているということは、彼らの真の目的が、もはや隠しきれないレベルにまで達していることを意味する。そして、その時が来れば、国家は、容赦なく彼らを潰しにかからなければならない。