5:静かなる圧力
クラウドファンディングが目標額を大幅に上回る資金を集め、南房総の山林の購入が完了したという報告を受けた西条一馬は、苛立ちを隠せずにいた。首相官邸の執務室で、彼は藤原啓介と向かい合っていた。窓の外では、夏の刺すような日差しが降り注いでいるが、室内の空気は重く沈んでいた。
「結局、彼らの手中に収まってしまったか。彼らは、この土地を『次世代型コミュニティ』と称して開発に着手するだろう。その過程で、我々は彼らの本当の目的を探る必要がある」
西条は、慎重な表情で指示を出した。彼らが最も警戒しているのは、この「地域活性化プロジェクト」という美名の下に、何か危険な思想が隠されていることだった。
「はい。現在、彼らの活動拠点となっている山林周辺に、公安の人間を潜入させています。ボランティアを装って潜り込ませ、彼らの内情を探らせるつもりです」
藤原は淡々と答えた。公安の捜査官は、すでに彼らの「未来の里山」に潜入し、日夜、彼らの動向を監視している。
「環境保護団体からの反発は?」
西条は、別の懸念を口にした。大規模な山林開発となれば、通常、環境保護団体からの強い反発が予想される。しかし、現時点では、彼らの活動に対する目立った批判は上がっていない。
「それが、奇妙なことに、むしろ彼らのプロジェクトに賛同する声さえ上がっています。彼らは、環境破壊ではなく、『荒廃した山林の再生』や『持続可能な社会の実現』といった、環境に配慮した開発を前面に押し出しています。巧みなプロパガンダです」
藤原は、どこか皮肉めいた口調で言った。彼らのPR戦略は、政府の予想をはるかに上回るものだった。
「国民の不満を巧みに利用し、美辞麗句を並べて支持を集める……まるで、詐欺師の手口ではないか」
西条は苛立ちを募らせた。しかし、彼らが法の抜け穴を巧妙に突いている以上、政府としては表立った介入が難しいのが現状だった。
数週間後、内閣情報調査室から新たな報告が届いた。公安の潜入捜査官からの情報と、オンラインでの監視から得られたものだった。
「長官、彼らは独自の通信システムと、電力供給システムの構築に着手しています。外部のインターネット回線に依存せず、独自のネットワークを構築する意図が見られます」
藤原の報告に、西条は強い危機感を覚えた。独自の通信システムと電力網。それは、国家からの独立を意図する、明確な兆候だった。
「彼らは、何を企んでいる? まさか、本当に国家でも創ろうとしているのか?」
西条の声に、焦りの色が混じった。もし、彼らが本当に独立国家の樹立を目指しているのだとすれば、それは日本の主権に対する重大な挑戦となる。
「現段階では断定できませんが、その可能性は否定できません。彼らは、オンライン上で全国の若者たちと連携を深めており、彼らの理念に共感するコミュニティが各地で形成されつつあります。彼らは、既存の国家体制に対する不満を共有し、新しい社会のあり方について議論を交わしているようです」
藤原は、彼らが形成するネットワークの広がりを説明した。それは、もはや単なる学生の自主活動の域を超え、まるで全国的なムーブメントになりつつあった。
「彼らの活動を、テレビで取り上げさせろ。政府が、彼らを『地方創生のモデルケース』として支援していると喧伝するのだ」
西条は、ある戦略を思いついた。彼らの活動を積極的に評価し、政府が関与しているかのように見せかけることで、彼らの真の目的を曖昧にする。そして、彼らが独立を宣言するような事態になっても、世論の支持を得られないように、あらかじめ手を打っておくのだ。
「しかし、それは彼らの目指す方向とは逆行するのでは?」
藤原が疑問を呈した。
「ああ。だが、それこそが狙いだ。彼らが政府の支援を受けたと世間が認識すれば、もし彼らが独立などという愚行に及んだ際、彼らの主張は『政府の支援を裏切った』と見なされるだろう。彼らの大義名分を、我々が潰すのだ」
西条の目は、冷徹な光を放っていた。それは、国家の存続を脅かす者に対し、決して容赦しないという、彼の強い意志の表れだった。
数日後、公共放送を含む複数のテレビ局が、彼らの「次世代型コミュニティ創設プロジェクト」を、地方創生の成功事例として大々的に取り上げた。番組では、慎二や彩が、真剣な表情でプロジェクトの目的を語り、その裏で、政府関係者が彼らの活動を賞賛するコメントが紹介された。
「これで、彼らは我々の手の上で踊ることになる。彼らの真の目的が明らかになるまで、静かに見守るのだ」
西条は、テレビに映し出された慎二たちの姿を見つめながら、藤原に言った。
しかし、西条の思惑とは裏腹に、テレビ報道は、彼らの活動をさらに加速させることになった。
彼らの理念に共感する人々は、政府の承認を得たプロジェクトであると認識し、さらに積極的に彼らの活動を支援し始めたのだ。それは、西条たちが仕掛けた静かなる圧力が、彼らの計画を、さらに巧妙に、そして大胆に進めるための、思わぬ後押しとなってしまったことを、この時の西条はまだ知る由もなかった。