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1:予兆

放課後の喧騒が遠ざかるにつれて、渡辺慎二は特別棟の薄暗い教室に満ちる沈黙の重みに息苦しさを感じていた。窓の外では、まだ夕焼けの残る空の下、校庭の砂埃が舞い上がっている。

彼を含め、この場にいるのはたった三人。しかし、その顔つきは、部活動に興じる他の生徒たちとは明らかに異なっていた。


「で、どうなの、慎二。具体的な計画は固まったの?」


最初に口を開いたのは、篠塚彩だった。彼女の言葉は、まるで研ぎ澄まされた刃物のように、空間の静寂を切り裂いた。

彩は、帝都高校の生徒会長を務める秀才であり、その切れ長の瞳には常に理知的な光が宿っている。しかし、今の彼女の眼差しは、普段の冷静さとは裏腹に、強い焦燥と期待が入り混じっていた。

慎二は、手に持っていた日本地図から目を上げ、二人の顔を順に見つめた。

彩の隣に座る佐倉聡は、いつも通りの飄々とした表情で、頬杖をつきながら慎二の返答を待っている。聡は、情報処理部に所属する凄腕のハッカーで、その気怠げな雰囲気とは裏腹に、頭脳は常にフル回転している。彼らの間には、言葉にはできないほどの信頼と、ある種の共犯意識が渦巻いていた。


「ああ、概ねな。だけど、これを口にするのは、まだ勇気がいるな」


慎二は自嘲気味に笑った。彼の脳裏には、数ヶ月前から彼らを突き動かしている、あまりにも壮大で、あまりにも危険な計画の全貌が描かれていた。日本という国家に対し、彼らは深い絶望を抱いている。少子高齢化、経済の停滞、政治家たちの腐敗、そして何よりも、未来に対する明確なビジョンの欠如。彼らの世代にとって、この国はもはや希望を抱ける場所ではなかった。


「勇気って何よ、今さら。私たちがここまで来たのは、その『勇気』とやらがあったからじゃないの?」


彩が苛立ちを隠さずに言った。彼女の言葉は正論だった。彼らが抱いている感情は、単なる反発や若さゆえの過ちではない。それは、日本という国に生まれたことへの、ある種の諦念と、それでも自分たちの手で未来を切り開きたいという、純粋なまでの渇望だった。


「わかってるさ。だけど、現実離れしていると思われても仕方ない。俺たちは、国家を作るんだ。この日本の中に、俺たちの理想郷を」


慎二の声は、震えていた。しかし、その震えは恐怖からくるものではなく、計り知れない重圧と、それでもやり遂げたいという強い意志からくるものだった。

聡が口を開いた。彼の声は、いつもと変わらず抑揚がない。


「感情的になるな、慎二。冷静さを欠けば、全てが終わる。俺たちはもう引き返せないんだ。クラウドファンディングの準備は最終段階に入った。残るは、その『大義名分』と、具体的な土地の選定だ」


聡の言葉に、慎二は深く頷いた。彼らがこの計画の第一歩として選んだのは、クラウドファンディングだった。表向きは、若者たちによる「未来の地域活性化プロジェクト」。しかし、その真の目的は、南房総の広大な土地を買い取るための資金集めである。彼らは、日本の法律、特に山林開発に関する規制の穴を巧妙に突くことで、彼らの「国家」の基盤を築こうとしていた。


「大義名分は、『次世代型コミュニティ創設プロジェクト』。これはもう固まっている。高齢化が進む地域に、若者が移住し、IT技術を駆使した新しい農業や、自給自足の生活を営むモデルケースを作る。将来的には、全国の過疎地域にも展開できるような、持続可能な社会の実現を目指す、と」


慎二は説明した。彩が鼻で笑う。


「聞こえはいいわね。まあ、私たちがターゲットにするのは、希望を失いかけている、でもまだ何かを信じたい、そんな大人たちだけど」


「そうだな。そして、その『大義名分』に共感した人々が、俺たちの国家建設の足がかりとなる。彼らの資金で、俺たちは南房総の土地を手に入れる。そこからが本番だ」


聡は淡々と続けた。彼の言葉には、一切の感情が乗っていないように聞こえるが、その奥には強い決意が秘められていることを、慎二と彩は知っていた。


「土地の選定だが……いくつか候補を絞り込んではいる。南房総の、特に山林が多いエリアだ。法規制が緩い上に、まとまった土地を比較的安価で手に入れられる。そして、何よりも、アクセスが悪い場所が多い。それが俺たちにとっては好都合だ」


慎二は地図を指差した。千葉県の南端、深い緑に覆われた広大な土地が、彼らの「国家」の候補地として記されている。


「アクセスが悪いのは、開発を進める上で障害になるんじゃないか?」


彩が尋ねた。


「いや、むしろ好都合だ。最初の段階で、俺たちの活動を外部から目立たなくするためには、人里離れた場所が最適だ。それに、将来的には、独自のインフラを整備していくつもりだから、最初は多少不便でも問題ない」


慎二は自信を持って答えた。彼らはすでに、電力、通信、水資源といったインフラについても、ある程度の計画を立てていた。太陽光発電、小型風力発電、そして地域住民と協力しての地下水脈の確保。すべては、自給自足の、独立した社会を築くための布石だった。


「しかし、山林の開発には、環境保護団体からの反発も予想されるわ。そこは大丈夫なの?」

彩の質問は核心を突いていた。

「それも計算済みだ。俺たちは、環境に配慮した開発を前面に押し出す。例えば、既存の森林を伐採するのではなく、荒廃した土地を再生し、新しい植生を導入する。地元の生態系を破壊するのではなく、むしろ共生を目指す。そうすれば、彼らも俺たちの味方につけることができるかもしれない。それに……」


慎二は言葉を切った。そして、二人の顔を真っ直ぐに見つめた。


「俺たちは、この『国家』を、誰でも自由に、そして平等に暮らせる場所にするつもりだ。既存の国家に失望した人々、新しい生き方を模索する人々、そして、何よりも、未来に希望を抱けない若者たち。彼らが集い、共に新しい社会を築いていく。それが、俺たちの最終的な目的だ」


その言葉に、彩の表情が和らいだ。彼女の瞳には、ほんのわずかだが、希望の光が灯ったように見えた。


「そうね……私も、今の日本にはうんざりしている。このままでは、私たちに明るい未来はない。だからこそ、この計画に賭けている。私たちの手で、新しい世界を創り出す」


彩の声には、強い決意が込められていた。彼女もまた、この国の未来に絶望し、そして自らの手でそれを変えたいと願う一人だった。


「俺は、正直、そこまで壮大なことには興味がない。ただ、今の腐った社会を変えたい。それだけだ」


聡はそう言いながら、パソコンのキーボードを叩き始めた。彼の指は、まるで生き物のように滑らかに動き、ディスプレイには無数のコードが羅列されていく。クラウドファンディングサイトの最終的な調整に取り掛かっているのだ。


「でも、聡もこの計画に本気で乗ってくれているじゃないか。そうでなければ、こんな危険な橋は渡らない」


慎二が言うと、聡はちらりと慎二を見た。


「危険だからこそ、面白い。それに、俺の腕の見せ所でもある。既存のシステムをぶっ壊して、新しいものを創り出す。ハッカー冥利に尽きるね」


聡はニヤリと笑った。彼の言葉は冗談めかしていたが、その眼差しは真剣そのものだった。彼にとって、この計画は、自らの技術を限界まで試す、究極の挑戦なのだ。

沈黙が再び教室を包んだ。しかし、それはもはや息苦しいものではなく、来るべき未来への期待と緊張が入り混じった、心地よい静寂だった。

彼らは、たった三人の高校生。しかし、その心の中には、日本という国家を変え、新しい世界を創り出すという、途方もない野望が燃え盛っていた。


「よし、準備は整った。明日から、クラウドファンディングを開始する」


慎二が力強く宣言した。その言葉に、彩と聡は深く頷いた。彼らの壮大な計画は、今、まさに始まろうとしていた。南房総の山林に、彼らの夢と希望が詰まった「国家」が、芽生えようとしていた。しかし、その道がどれほど困難なものになるか、そして、その先に待ち受ける運命がどれほど過酷なものになるか、この時の彼らはまだ知る由もなかった。


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