第29章 能力が引き換えられるものなら
リオンが無意識に抱いた同情の波動に気づかず、レナはこの男があまり深く考えない性質で良かったと内心ほっとした。
今回の提案には、元友達を助けたいという本心が確かに含まれていた。口に出す直前、突然の申し出に裏の意図を疑われるかと一瞬ひやひやしたのだ。
今の彼は、少しばかり駆け引きも覚えたようだ。
正直なところ、一度転生を経験したとはいえ、レナもリオンも恋愛経験という点では大差なかった。互いに未経験の領域である。
食事を終え、昼間にレナを置いて行った後ろめたさに囚われていたのか、リオンがスマホをちらりと見ながら提案した。
「まだ寝るには早いだろ? ゲームやらないか?」
今の彼は『神域』にあまり良い印象を持っていなかった。正式発表前からその存在を知り、実際に触れてみたゲーム自体の面白さは認めている。だが現実は理想とかけ離れていた。少なくとも現時点の体感では、熱中できる類のゲームではなかったのだ。
レナが口にした謎の要素に加え、あのゲーム内で再現される痛みの感覚――二度と味わいたくない体験だ。第一クエストの記憶は消去され、痛みの大半もかすんではいた。最後段階クエストの銃弾の疼きさえ、今は漠然とした記憶に過ぎない。
然し、あの瞬間の不快感への嫌悪感だけは色褪せていなかった。レナが居なければ、洞窟で出会った二人のプレイヤーのように、即座にログアウトしていただろう。
ここに、今生におけるレナとリオンの決定的な差異が表れていた。
初めて『神域』に触れた時、レナは知識こそ乏しかったが、安全地帯――痛覚設定ゼロの状態でスタートした。当時の没入感は彼女の経験を超えるもので、自然と心を掴まれた。戦場に足を踏み入れた時には、すでにある程度心が鍛えられていた。たとえ不本意でも、耐えねばならなかった。金のためか、未来のためか。
だがリオンの場合が違う。彼にとってこのゲームは小説や映画の虚構きょこう世界と同じ認識だ。楽しむために潜ったのに、戦場では楽しみなど見つけられるはずもない。第一印象が悪ければ、好印象など抱けようはずがない。
今回の誘いは、純粋にレナが『神域』に強く惹かれているように見えたからだ。今のレナと数少ない共通話題の一つ。たとえ不本意でも、この機会を逃すわけにはいかない。
仮にレナが存在しなければ――リオンが今の人生でこのゲームに触れることはなかっただろう。
二人の運命は、もはや全く異なる分岐を辿っていると言えた。
しかしレナはそれについて深く考えなかった。前世の経験からか、彼はリオンがすでにこのゲームを気に入ったのだと推測し、今回の誘いは純粋にプレイしたい衝動からだと解釈したのだ。
「いい提案」
小さく溜息を漏らしつつも、レナは寛容に承諾した。
「そういやさ」
リオンが突然笑みを零す。
「最初のクエストクリア後、能力が解放されるんだったよな?」
「昨日、どんな能力か確認する暇がなかったんだ」
「じゃあ、早速見てみましょうか」
レナが居間へ急ぎ、二つのゲームキャビンを準備しながら含み笑いを漏らした。
「案外、とんでもない強さかもしれないし」
リオンがうなずき、ゲームへと没入する。
意識がゆっくり沈んでいく。
再び目を開けると、そこには慣れ親しんだ島の別荘が広がっていた。現実世界は深夜だが、この空間は太陽に照らされ明るい。
――そういえば、前回ログインした時はレナにクエストへ急かされ、ロビーをしっかり観察する余裕がなかった。
どうやらこのプライベート空間はカスタマイズ可能らしい?
夜の設定はないのか?
――「夜」という思考が脳裏をかすめた瞬間、空が突然暗転した。
数秒で真昼から真夜中へ移行し終えていた。
巨大な満月が高く掲げられ、銀色の光を海へと反射させる。
その明るさは照明器具すら不要で、月明かりだけで島全体がくっきりと浮かび上がる。
映画の画面でしか見たことのない夜景だった。
「……凄いな」
リオンがガラス壁へ歩み寄り、遠くの海を眺めながら、感嘆の声を自然と漏らした。
なぜこのゲームが「第二の世界」を標榜するのか、ようやく理解できた。ウォーゾーンの痛覚再現を除けば、彼らのあらゆる幻想を実現できるゲームなのだ。
「ん? 夜に変えたの?」
背後から突然レナの声がした。
振り返ると、彼女はまだカジュアルな服を着ており、寝起き特有の呆けが残る瑞々しい雰囲気を漂わせている。無意識に、その姿が再びリオンの胸の奥を疼かせた。
一瞬間を置き、小さく咳払いして答える。
「ああ……ここの夜がどんな感じか気になってな」
「美しいでしょう?」
レナが窓辺に近づき、彼と肩を並べた。
「この世界の景色は、現実よりもずっと圧倒的だから」
その視線は外の風景を撫でるように流れ、かすかなノスタルジアを帯びていた。
夜か……
確かに、昔の彼はこういう景色が好きだった……
近接した距離から、レナの特有の香りがかすかに漂ってくる。
一瞬の動揺がリオンを襲ったが、彼は何とかそれを抑え込んだ。気を紛らわせるように、指が操作パネルを開いた。
個人情報欄が第一ダンジョン攻略後に解放されていた。そこには全てのデータ——属性、アイテム、そして当然ながら【能力】欄も存在する。
彼の能力名は【イマジナー・リアライゼーション】——
《使用者の力を以て、あらゆる物体を具現化可能》
《具現物の標準持続時間:一時間》
《事前解除・延長可》
説明文は簡潔だった。
だが、その意味を理解する者なら誰もが、この能力の途方もなさに気付くだろう。
具現化対象に制限なし。唯一の枷は自身の力のみ。これは最早チートと呼ぶに相応しい。
——まさにレナが前世で為し遂げたことだ。最期の瞬間、全力を結集して時代を遥かに超越した巨大宇宙船を具現化し。その主砲一撃で二大都市の廃墟と、そこに棲まう全ての生命——己すらも蒸発させた。
この能力は、対象物の詳細な知識すら不要だった。
兵器のおおよその形状と機能を理解していれば十分。必要な補助機構は、世界の法則が自動的に補完してくれる。
概念的合理性さえ満たせば、物体は具現される。
無論、欠点も存在した——具現化可能なのは「無生物」の概念に限られるという点だ。
つまり、生命体の具現は不可能。
前世のレナは、理想の恋人を具現化しようとしたことがある。結果は——生命の鼓動なく、温もりのかけらもない、冷たい少女の屍だけが残された。
ちょうど……あの具現体は、今の彼女の姿に似ていた。
生命は具現できなくとも、肉体そのものの創造は可能だ。つまり、食料や薬品の類も生成できるということになる。
だがこれらの物体には致命的な欠点があった——一時間で消滅するのだ。
たとえ摂取しても、一時間後に効果は無効化される。それだけでなく、使用者に一定の反動をもたらす。
危険性は倍増する。消化された物を強制的に吐き出させるような不快感——レナがどうやって知ったかは訊かないでほしい。
回復薬すら安全ではない。効果が切れる時、予期せぬ副作用が襲う。
レナはこの欠点を検証した際、さんざん痛い目を見た。
チート能力と言うより、むしろ諸刃の剣だ。さもなければ、最早人外の領域だろう。
残念ながら、今のリオンは己の能力の凶暴性に全く気づいていないようだった。
「俺の能力……ちょっと弱くない? 具現した物、一時間しか持たないし。今の俺が作れる物も少ないし」
レナ「……」
仮に力が交換できるなら——レナは喜んで、己の二つの能力と引き換えにリオンの能力を手にしただろう。
レナ「へっ~」




