第28章 美しすぎる夜
夜、リオンが帰宅すると、ソファに座ったレナがテレビ画面を見つめていた。
テレビはついているのに、彼女の視線は画面の向こう側まで貫くように、何か深淵を覗き込むかのごとく遠くを見据えている。
一見、深い思索に沈んでいるようにも見えた。
普段ならリオンの心臓を高鳴らせるあの顔に、今は寂寥感が漂っていた。その瞳に足を止められたリオンは思う。
『彼女……待ちくたびれたのか?』
『俺の帰りを待ってたのか?』
ハッと我に返る。恋人として、先に「どこか行こう」と誘うべきだったのではないか?
『今さら気づくなんて……』
『馬鹿め。』
己を罵ったのは初めてだ。皮肉にもレナと彼自身の思考が一致したことに、リオンは苦笑した。
今回ばかりはレナの忍耐強さに胸を打たれた。だが気づかないうちに、レナは自身の特殊能力について激しく葛藤していた。
受け入れがたい現実――戦闘で最も効果的な力が《黒猫変化》ではなく《サキュバス》だという事実。
『この先もサキュバスに頼るのか?』
脳裏に浮かぶ想像:
- 「よろしく!君の能力は?」
- 「《魅了》です」
- 「魅了?それって……えっちな魅力?」
『絶対に無理』
死を経験しても、生きている限り誇りは守る。この世界は既に十分に厄介なのに。
『能力を知った男たちが、私に群がってくるんじゃ……』
レナの思考は深みへ堕ちていく。その暗い連鎖を断ち切ったのは、リオンの声だった。
「レナ、夕飯はどうする?……外で夕食どう?」
窓の外はすっかり闇に包まれ、食卓にもキッチンにも食事の気配はない。
リオンの提案に、レナは首をかしげて彼を見つめ、口をへの字に曲げた。
苛立ちか、羨望か――彼女自身もその感情を自覚していなかった。
しかしリオンには、その視線が怨嗟の刃のように心臓を貫いた。「……ごめん」
「……………別に」
レナの声は柔らかかった。
『俺の心、読まれてる?』
『彼女、俺のことどこまで見透かしてるんだ?』
リオンは本当は何か言いたげだったが、結局口を閉ざした。それらの想いはあまりにも濃密で、言葉にできるものではなかった。
何より、口にすればただ気まずくなるだけだ。一瞬躊躇した後、彼は話題を変えた。
「夕食、準備する」
そう言うと、キッチンへ向かう前に寝室へ引き返した。
レナは数秒間、彼の背中を見つめた後、またしても口をへの字に曲げた。
『相変わらずの引っ込み思案め』
だが戦場では、自分がこの男に依存せざるを得ないかもしれないと考えると、耐えがたい苛立ちが襲ってきた。
それでも、サキュバス能力のことは時期尚早に明かすつもりはない。黒猫の能力が育つまで待つしかなかった。
『ふん……損したな』
有能なプレイヤーは最初から自立しているべきだ。生まれて初めて、このギャップを飲み込まざるを得ない状況に苛立つ。
幸い、前世の訓練で精神は鍛えられていた。不満はあっても、心の奥底に封印するだけ──決して表には出さない。ましてや人間関係を壊すような形では。
別の角度から見れば、リオンに非はない。これが最も息苦しい点だった。レナは怒りを爆発させたいが、標的が見つからないのだ。
スペベ……シズに向けたい気もしたが、手段がない。
【ホストの力が一定レベルに達すると、戦闘支援のため外部システムリンクが開放されます。その際、システムは物理的身体を具現化可能】
【ホストがシステムへ悪意を抱くことは推奨されません。残酷な少女は男性に好かれません】
「…………」
レナは一瞬凍りつき、やがてキッチンへ向かった。
今回彼女の脳裏を駆け巡っていた思考は、シズすら検知できないものだった。
夕食の空気は次第に和らいだ。苛立ちから解放されたレナは、今日の話題──リオンのeスポーツコミュニティについて語り始めた。
リオンは二年次にそのクラブへ入った。ゲーム廃人どものたまり場だ。彼は度々都市対抗のeスポーツ大会に出場し、いくつかの賞を獲っている。
熱心なメンバーとして、コンパなどのイベントにも頻繁に参加。多くのメンバーと親しい。『神域』サービス開始後、クラブの焦点は自然とそのゲームへ移行した。
金稼ぎ目的の者もいれば、鍛錬に励む者もいる。目的は違えど、互いに情報交換する。その団欒は、プレッシャーの多い初期のリオンにとって清涼剤となっていた。
だから今世では、レナはそのコミュニティの面々を助けたいと思っている。早期にゲームを始めさせれば、彼らの運命も変わるかもしれない。
まだ彼らを「友達」とは呼べなくとも、レナが彼らに興味を示したことに、リオンの顔はぱっと輝いた。熱心にコミュニティの面白いエピソードを語り始めるのだった。
しかし二人の笑みは、レナがコミュニティへゲームキャビンを寄贈すると告げた瞬間に凍りついた。リオンは呆然とした。
「俺たちに……キャビンをくれるのか?」
まさか聞き間違えたかと思った。
レナはふっと笑って頷いた。「だって君の友達、このゲームに興味あるでしょ?」
「うちに初回ロットのキャビンが何台か余ってるの。宝の持ち腐れなら、君に預けるわ。無料だし」
「そ、そんなの……本当にいいのか?」
リオンは逡巡した。無料とはいえ、初回ロットのキャビン入手は並大抵のことではない──
闇市場では数万ドルで取引され、学生中心の彼らのコミュニティには手の届かない代物だ。
次のロット待ちが関の山なのに、まさかレナが初回を無償で提供するとは。
「構わないわ」
レナは立ち上がり、彼の隣に腰を下ろした。柔らかく寄りかかり、肩が触れ合う。「君の友達は私の友達。大切な人と幸せを分かち合うのは当然でしょ?」
「実はずっと前から君のeスポーツクラブに入りたかったの。でも用事が重なって……」
彼女の目が狡猾な光を宿して瞬いた。「……推薦してくれない?」
リオンは跳ねるように反応した。「俺が……推薦するの⁉」
『まさか……俺のために入りたいって?』
かつては想像すらできなかった思考が、脳裏を駆け抜ける。
純真なリオンにとって、この気遣いは心の奥底を揺さぶられた。監視されるのは面倒でも、むしろ胸が高鳴った:
『もっと近づける……』
『スキンシップも増える』
この柔軟な思考はレナのおかげだ。昔の堅物な自分なら、間違いなく断っていただろう。
突然訪れた幸せに、人は疑いを挟む──現実か幻か? 特に一度夢を砕かれた者なら尚更だ。
おそらく今、リオンは心の底からレナに恋をしたのだ。
「……わかった」
無意識に唇を噛みながら、彼は答えた。「明日クラブに話す。みんな大喜びするよ! それと……一緒にゲームもできる」
「ええ、楽しみにする」




