第9話 姉の企みと、王太子の独占欲
カトリーナが私の手を握る。
にこやかに微笑んでいるのに、指先がひどく冷たい。
“私、あなたの後ろ盾になってあげるわ”
その言葉が、まるで絹のように滑らかに私の耳をくすぐる。
でも、それは決して優しさではない。
むしろ新たな支配のはじまりだと、本能が警鐘を鳴らしていた。
◆◇◆
「お姉様、私に何を望んでいるの?」
私はカトリーナの手を振りほどき、じっと彼女を見つめた。
「まあ、怖い顔をしないで。あなたが王太子殿下の妃候補だなんて、家族として誇らしいのよ?」
「……誇らしい?」
「ええ。だからこそ、私があなたを正しく導いてあげるわ」
彼女は微笑みながら、私の肩にそっと手を置く。
「ミレーユ、あなたは自分がどれだけ貴族社会のルールに疎いか、分かっている?」
「……っ」
確かに、私は社交界にはほとんど関わらずに生きてきた。
でも、それは 必要なかったから。私は家の裏方に徹し、実務に専念していた。
「つまり、あなたには私の助けが必要なのよ」
カトリーナはゆっくりと私の髪を撫でる。
「ミレーユ。あなたの振る舞いひとつで、アシュフォード家の立場が決まるの」
「だから?」
「だから、私があなたを教育してあげるわ。妃になるための振る舞いも、話し方も、ふさわしい人脈も」
「……つまり、私をあなたの手元に置きたいのね?」
「まあ、そんな言い方しなくてもいいじゃない?」
彼女は優雅に微笑むが、私の背筋は冷たくなる。
これは 協力の申し出ではなく、支配の宣言だった。
「ミレーユ」
低く響く声が、カトリーナの言葉を遮る。
エドワウがゆっくりと立ち上がった。
彼の金色の瞳は冷え冷えとしていて、部屋の空気が一気に張りつめる。
「お前は私の妃になる」
静かに、けれど確信を持った口調で言い放つ。
「……っ」
父が顔を引きつらせ、カトリーナが固まる。
「だから、君に必要なのはアシュフォード家の後ろ盾ではない」
エドワウはカトリーナの手をゆっくりと剥がし、代わりに私の腰を引き寄せた。
「な……っ!」
私の背中に彼の温もりが触れる。
「君の立場を決めるのは、アシュフォード家ではない」
彼は私の耳元にそっと囁く。
「君を誰よりも必要としているのは、この私だ」
言葉のひとつひとつが、耳をくすぐるように甘く響く。
「っ……」
心臓が、強く跳ねた。
カトリーナが唇を噛む。
「……ですが、殿下。妹がアシュフォード家の人間であることに変わりはありません」
「君は、まだ分かっていないようだな」
エドワウはカトリーナに向き直り、ゆっくりと笑みを浮かべる。
「ミレーユがどこに属するかは、私が決める」
静かな声だった。
だが、その響きは圧倒的な権力を持っていた。
——まるで、所有宣言のように。
「……!」
カトリーナは初めて、焦った表情を見せた。
父もまた、青ざめた顔で黙り込んでいる。
「ミレーユ」
エドワウが、私の顔を覗き込む。
「お前は、ここに残るつもりか?」
その瞳には、強い独占欲が滲んでいた。
私は 試されている。
「……私は」
カトリーナの罠にかかるつもりはない。
でも、エドワウの所有物になるつもりもない。
私は、私の意志で生きる。
「ここには、残らないわ」
私がはっきりと言うと、カトリーナが息をのんだ。
「ミレーユ……?」
「私の未来は、もうアシュフォード家のものではないから」
エドワウが満足そうに微笑む。
「よく言った」
そして、私の手を引いて立ち上がった。
「おいおい、王太子閣下。ミレーユを連れ去るつもりか?」
今まで沈黙を保っていたセバスティアンが、ゆったりと口を開いた。
「そんなに焦らなくても、彼女が私のもとへ来る可能性もあるのに?」
「……ほう?」
エドワウの瞳が、冷たく光る。
「ミレーユ、君が望むのは王太子の庇護か、商会長の自由か。それとも——」
「俺のもとで生きる道か」
ライナスが静かに言った。
彼の瞳は、真っ直ぐに私を見つめている。
——私を支配しようとするエドワウ。
——自由を約束するセバスティアン。
——ただ「守る」と言い続けるライナス。
そして、彼らにとって私は、手に入れるべき存在になってしまった。
(どうすればいいの……?)
心臓が、締めつけられるように痛む。
でも、選ばなければならない。
私は、誰のものでもない。
——だからこそ、私が決めるべきなのだ。
「……私は——」
口を開いた瞬間——
「姉さま!」
突如、屋敷の奥から駆け込んできた小さな影。
「……ルイス?」
それは、私の 弟、ルイス・アシュフォードだった。
「姉さま、助けて!」
ルイスの目には、涙が滲んでいた。
「どうしたの?」
私はすぐに彼に駆け寄る。
「父上と姉上が……ぼくをどこかにやろうとしてる!」
「何ですって……!?」
私は、背筋が凍るのを感じた。
——この家には、まだ私の知らない企みがある。
そして、 私はそれを見過ごすことはできない。
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