第8話 アシュフォード家へ
アシュフォード家へ戻ると決めたものの、胸の奥がざわついていた。
追放された家に今さら戻ったところで、歓迎されるはずがない。
それに、手紙を盗んだ者が何を企んでいるのかも分からない。
——それでも、私は向き合わなければならない。
◆◇◆
「ミレーユ、手を」
そう言って、ライナスが馬車に乗り込む私に手を差し出した。
彼の手は温かく、大きくて、握られるだけで不思議と安心する。
「ありがとう。でも、自分で乗れるわ」
「……そうか」
彼はわずかに眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。
馬車には、エドワウ、ライナス、セバスティアン、そしてルーカスが同乗していた。
この並びだけでも、すでに異様な光景だ。
「さて、ミレーユ嬢」
向かいに座るルーカスが、指先でメガネを押し上げる。
「アシュフォード家に着いたら、まずは彼らの言い分を聞くのですか?」
「そうね。でも……」
「君は、お人好しすぎる」
ルーカスの冷静な言葉に、私は驚いた。
「敵意がある相手に、正論だけで通じると思わないほうがいい」
「……分かってるわ」
「ならば、交渉の場では決して一人にならないこと」
「分かりました」
……でも、ルーカスに釘を刺されるほど、私の立場は危ういのだろうか?
「ミレーユ、何かあればすぐに俺たちを呼べ」
ライナスが静かに言う。
「お前を一人にするつもりはない」
「……ありがとう」
彼のまっすぐな言葉に、胸がじんわりと温かくなる。
◆◇◆
アシュフォード家の門が見えてきた。
見慣れた光景のはずなのに、ただの石造りの屋敷が、今は異質なものに見える。
私を追い出した家——ここに、私はもう「帰る」ことはない。
けれど、私は堂々と扉を叩いた。
執事が戸を開けた瞬間、奥から慌てた様子で誰かが駆け寄ってくる。
「……ミレーユ?」
それは、私の姉カトリーナ・アシュフォードだった。
「本当に戻ってきたの?」
その美貌は相変わらずだったが、以前より少し疲れているように見える。
そして、その視線には焦りの色が滲んでいた。
「ええ。話があるわ」
私は静かに告げた。
「侯爵様に会わせて」
「そ、それは……」
カトリーナが口ごもったそのとき——
「ミレーユ! よく来た!」
大広間の奥から、私の父、マルキオ・アシュフォード侯爵が姿を現した。
満面の笑みで私に手を広げる彼に、私は内心で冷たいものを感じた。
「まさか、私が必要になったとでも?」
「いや、もちろんだとも! ほら、遠慮せずに中へ入れ」
——こんなにもあからさまな歓迎をされると、逆に不安しかない。
◆◇◆
屋敷の応接間に通され、父の向かいに座る。
「……さて、本題を聞かせてもらえるかしら?」
父が一瞬、困ったように視線をそらした。
「ミレーユ、実は——」
「アシュフォード家の財政が破綻寸前なのは知っています」
「っ……」
父の表情が凍りつく。
「借金の詳細も調べました。そして、私が家計管理から外された直後に支出が急増したことも」
「そ、それは——」
「要するに、私を戻して領地を立て直させようという話ね?」
言い切ると、父の顔が苦々しく歪んだ。
カトリーナは、さっきから押し黙ったまま。
「ミレーユ、お前の才能は私も認めている。しかし、お前の妹としての義務を果たさねばならん」
「……義務?」
私は冷たく笑った。
「追放した娘に、今さら“家のために尽くせ”と?」
「お前はアシュフォード家の人間だろう!」
父の声が大きくなる。
だが、その瞬間——
「彼女はもう、お前たちのものではない」
エドワウ・トールギスの冷たい声が、部屋に響いた。
「……っ」
父の顔が、みるみる青ざめる。
「そ、それは……」
「ミレーユは私の妃候補だ。アシュフォード家の財政を立て直したいのなら、ミレーユの意思ではなく私の許可が必要だが?」
エドワウは微笑みながら、しかし目はまったく笑っていなかった。
その気配に、父は完全に言葉を失っている。
「……なるほど」
カトリーナが、ようやく口を開いた。
「つまり、ミレーユはただの『追放された地味な妹』じゃなくなった、ということね?」
彼女の瞳が、ギラリと光る。
——嫌な予感がする。
「それなら、お姉様の手を貸してあげるわ」
「……え?」
「だって、王太子の妃候補なのよね?」
カトリーナは私の手を取ると、微笑んだ。
「私、あなたの後ろ盾になってあげる。私たち、姉妹でしょう?」
その笑顔に、背筋がゾクリとする。
何かが、おかしい。
——そして私は気づいた。カトリーナは、私を利用しようとしている。
この屋敷に戻ってきたことが、新たな罠だったのかもしれない——。
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