第1話 追放令嬢、自由になる
第1部(第1話~第22話)31,000文字。毎日更新します。
「ミレーユ、お前は今日限りでアシュフォード家を出て行け」
父の冷たい声が響く広間で、私は静かに頭を下げた。
母も姉も弟も、私を見ようともしない。召使いたちは何事もなかったかのように、廊下を通り過ぎる。
ああ、やっぱり私は、この家にとって何の価値もなかったのだ。
◆◇◆
「荷物はこれだけか?」
城門前で、家の使用人だった老人が無表情に尋ねる。
荷馬車に積まれたのは、ほんの少しの衣服と手帳、そして私が何年もかけて記した領地の財務管理記録だけ。
「ええ、それで全部です」
私は微笑みながら頷いた。
「ご主人様は、婚約の話が破談になったことをお怒りで……」
「知っています」
そう、原因はそれだった。
私は本来、侯爵家の嫡男と婚約していた。けれど、彼は私ではなく、美しい姉・カトリーナに夢中になった。そして数日前、正式に婚約破棄を申し出たのだ。
そして、家族は言った。
「役に立たない娘を抱えておく余裕はない」
私が家計管理をしていたことも、領地経営の補佐をしていたことも、誰も気にしていない。すべてカトリーナの美しさの前では意味のないものだった。
けれど、悔しくはなかった。
なぜなら——
(これで、やっと自由になれる)
◆◇◆
馬車がゆっくりと動き出し、屋敷が遠ざかっていく。
私は初めて深く息を吸った。
外の空気は、少し冷たくて、だけど驚くほど澄んでいた。
これからどうしよう?
頼る親戚はいないし、資産もほとんど持たされていない。けれど、私には知識がある。家計管理も、領地経営も、商売の基本も心得ている。きっとやれる。
「さて、どこに向かおうかしら」
小さな馬車の中で、私は地図を広げた。
——と、その瞬間だった。
「失礼、ミレーユ・アシュフォード令嬢ですね?」
馬車が突然止まり、黒い馬に乗った男が視界に入った。
見上げると、鋭い金の瞳がこちらを見下ろしている。
「エドワウ・トールギス……?」
王太子。
まさか、私がこの人生で二度と関わることがないと思っていた存在が、目の前にいた。
「どうして……?」
「君を迎えに来た」
彼の唇がそう動いた瞬間、私の心臓が跳ねた。
◆◇◆
「迎えに、来た?」
王太子の言葉を反芻しながら、私は思わず聞き返した。
「そうだ。君に話がある」
エドワウは、まるで当然のことのように馬から降り、私の前に立った。
彼は王宮でも特に冷静で有名な人物。けれど、その鋭い眼差しは、私を逃がさないとでも言いたげだった。
「な、何の話でしょう?」
「君が、私の妃候補であるという話だ」
「……はい?」
待って。聞き間違いではないだろうか?
私、家を追放されたばかりの「無能令嬢」ですよ?
「私は妃候補なんて……」
「自覚がないのか?」
彼はゆっくりと口元に微笑を浮かべた。
「君はアシュフォード家で冷遇されていたが、本当は領地管理に多大な貢献をしていた。君がいたから、あの家は維持できていたんだ」
「そんなこと……」
「私は調べたよ」
さらりとそう言う王太子に、私は言葉を失った。
まさか、家族すら気づかなかった私の働きを、この人が知っていたなんて……。
「だが、君を追放したことで、彼らはすぐに困るだろう。そこで、私が先に君を迎えに来た」
彼はふっと微笑むと、優雅に手を差し出した。
「私と共に来るか?」
一瞬、胸が熱くなるのを感じた。
私がここにいる価値を、誰かが見出してくれた。
でも——
(本当に、行っていいの?)
戸惑う私を見て、彼はゆっくりと顔を近づけてきた。
「……君は自由だ。だが、私は君を手放したくない」
その言葉が、甘く耳に響いた瞬間——
私は、王太子の手を取っていた。
◆◇◆
しかし、それだけでは終わらなかった。
王宮へ向かう途中、私たちの馬車は再び止まった。
「ミレーユ!」
力強い声が響く。
黒い軍服を纏い、鋭い眼差しを向ける男。
「ライナス・グレイ……騎士団長!?」
王太子に続き、まさかの王国最強の騎士。
「お前を迎えに来た」
えっ、今、同じ言葉を聞いた気がするんですけど!?
「君を王太子に渡すつもりはない」
ライナスが低い声でそう告げた瞬間、エドワウが冷たく笑った。
「それは、私に喧嘩を売っているのか?」
「売るつもりはない。ただ、俺は彼女を守りたいだけだ」
男二人の間で火花が散る。
えっ、待って。私は追放されただけの令嬢なんですけど!?
まさかの展開に、私の頭はぐるぐると混乱していた——。
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