【第一章】『第九話』葬られた魔女からの報復
しばらくするとメイドたちがやってきて正装のドレスを着させられた。最初は淡いピンク色にフリルがたくさん施されたドレスだった。とても自分に似合うとも思えなくて他のものを頼むと、すぐに何着か違うドレスを用意してくれた。本当はいつもの黒が良かったけど王の前で黒は不謹慎らしく一番地味なパープルのドレスを選んだ。
「うぐっ・・・」
「もっと息をお出しになってください!はい。もう一度!」
「ぐぅっ・・・苦しい」
大変だったのはドレスを選ぶことではなく、その前に装着させられたコルセットだった。骨が折れるんじゃないかと思うほど強く固定された。一見華やかに見えていた高貴な方のお召し物は実は下ではこんな苦行をしいられていたなんて。苦しすぎて顔が歪んでいると厳しい顔をしたメイドにニッコリと笑いなさいと忠告を受けた。鏡を手渡され口角を上げてみるが思っていた以上にひきつっている。おまけに顔色も悪い・・・。
部屋を出ると近衛兵や軍兵がズラリと廊下に整列していた。一歩足を後ろに引いてしまうと、その中の一人が私の前にやってきた。胸には立派な勲章がいくつかついている。
「私はグレイマンと申します。国王陛下の元まで案内するよう仰せつかりました。こちらへ」
灰色交じり髪色や身に付ける制服は丁寧に整えられている。油断を微塵に感じさせない厳しさが滲み出ていた。
城内は廊下すら広く華やかだった。大きなシャンデリアの下を歩きながら視線が泳いでしまう。一人で歩いたら迷ってしまいそう。大理石でできた乳白色の階段や手すりの金の鷹のオブジェにひとつひとつに驚いてしまう。
二階へと通じる階段はゆるやかな螺旋状になっており見事な曲線美を描いている。裾を踏まないよう両手でドレスを持ちながらぎこちなついていく姿は間違いなく不格好だろう。
グレイマンさんがひとつの部屋の前で足を止めた。そこは王家の紋様が大きく彫られた扉の前。金の装飾と埋め込まれている大きな宝石はダイヤだろうか。大きな扉は重厚感があり、まさに中にいる人物の品位を表している。
壁を一枚隔てても感じるこのヒリつくような緊張感。自国の王が扉の向こう側にいる。村で暮らす魔女が容易く謁見できるような相手ではない。
「くれぐれも無礼のないようにしろ。いいな。妙な真似をしたら命はないと思え」
「はい・・・」
グレイマンさんは耳打ちをすると曲がってないネクタイを整えた。
できるかぎり息を深く吸い込もうとするけど、コルセットの締め付けで上手く酸素を取り込めない。緊張で身体が震えそうだった。
「ブリオッシュ国王陛下。例の女を連れて参りました」
「通せ」
「はっ」
低く重厚感のある声が扉の向こう側から聞こえてきた。
胸に手を当てて大丈夫となんども言い聞かせた。ローリオ王子も殺されることはないって言っていたじゃない。どうしてここへ連れて来られたのかしら。もしかしたら私が黒魔術を使える理由がわかるかもしれない。
グレイマンさんは扉番に開閉を指示した。体格のいい扉番の男二人が門に手を掛けた同時に押した。足を踏み込み更に力を入れると、男たちの腕には血管が浮かび上がり全身の力を込めている。音を立てながらゆっくりと扉が開かれていった。わずかに開いた扉からはクリスタルの光が反射し余りの眩しさに右目を閉じた。
いつのまにか後ろにいたグレイマンさんに、中に入るよう催促された。恐る恐る足を踏み入れ一歩ずつ入っていく。国王陛下へと続く赤い絨毯には金の刺繍が施されている。その奥にブリオッシュ国王陛下が堂々と鎮座していた。その脇にはローリオ王子とジェラルダ王子が続いている。隣にもう一人少年が立っているのに気がついた。
アルミスより少し上くらいかしら・・・そう言えばブリオッシュ国王陛下には三人の王子がいるんだったわ。だとするとあの方が第三王子かしら。
ドンッ、と後ろの扉が閉じると空気が密閉された。いざブリオッシュ国王陛下を前にすると今まで感じたことのない威圧感が部屋に満ちていた。押し潰されそうになる重々しい空気は気を張っていないと意識を喪失してしまいそうだった。とても息苦しい・・・。深く息を吸い込もうとしても浅いところで止まってしまう。
眼前にいるブリオッシュ国王陛下が口を動かしているけれどくぐもっていて聞き取り辛い。なにか話しているの?答えなきゃ・・・。水の中に入ったようにブリオッシュ王の声だけでなく周りの音も聞こえなくなっていた。右目の視界がじわじわと狭くなり、喉元が熱い。意識が黒く侵食されていく。
―――クレア
沈みかけた意識のなかで誰かの声がした。水の中から救い上げられたように重い身体が酸素を急激に欲した。身体からはこんなにも汗をかいているのに寒さを感じる。これが真の恐怖というものなんだろうか
「はぁはぁはぁ・・・」
今のはなに・・・?
「クレア、気分が優れないのかい?」
「オイオイなんだよ。せっかく集まったっていうのに。もう解散か?」
「解散ならそっちの方が好都合だよ。愚民の話に耳を傾けている僕は暇じゃない。音楽祭に向けてピアノの練習をしなくちゃいけないんだ」
「リグル、言葉が過ぎるぞ」
「はーい」
この世で一番の恐怖は『死』だと思っていた。それを免れた今、恐怖などないと思っていたのに。国王陛下の前にしてそれは一変した。世の中には私の想像の範疇を軽々と超える裁きが存在する。その底知れぬ未知が私を恐怖の沼に引きずり込んでいく。
でももしかしたら長年苦しめられてきた答えがここにあるかもしれない。
「申し訳ございません。少し立ち眩みが・・・もう大丈夫です」
ジェラルダ王子の隣にいる少年は見た目こそ可愛いものの、その口から出た言葉はまるで氷のように冷たいものだった。見下すように視線をこちらに向けている。王子たちだけではない。その周りにいる使いの者たちも侮蔑し異端者のように刺すように見ている。
足元にはまだなんとも言えない浮遊感が残っていた。
「龍の左目を持つ魔女よ。我ら王家は其方を探しておった」
龍の左目の魔女それが自分を指している言葉だと理解した。昨日ジェラルダ王子も私をそう呼んでいたから。ブリオッシュ国王陛下からかけられた言葉に顔を上げると禍々しい威厳が離れたここまで感じられる。髭を指で二、三回撫でながら誰かを呼び寄せた。
一人の老婆が現れた。濃紺のベールを頭から被っている。一瞬ベールの中から見えた顔は口元にくっきりとほうれい線が刻まれ、シワとたるんだ頬が見えた。マントと長く伸びた髪を床に引きずり杖を突きながら王に深々と一礼した。杖の先には透明の拳ほどの水晶がついている。
「この者は代々王家に仕える占星術師だ・・・ゴホッゴホ。其方を見つけることが出来たのもこの占星術師がいたからこそだ。其方は来るべくしてここへ来た」
王家に伝わる占星術師?未来の予言者とも言われていて、その昔はかなり重宝されていたらしいけど。
おばちゃんの話だと黒魔術が盛んだった時期と同じくして存在していた。その中でも特に秀でた才を持つ一族がいて王家が城に迎えたと言われていた。でも戦争が終わり占星術自体の存在があいまいになりつつあった。もともと占星術は先天的なものが大きい。一族の血筋をなんとか引き継がせたけど次第に能力が薄れていき衰退したって話だった。・・・まさか王家に仕える一族がまだいたなんて。
「『死の魔女』についてなにか知っていることはあるか」
『死の魔女』聞き慣れない言葉だった。ブリオッシュ国王陛下は砂利を口に含んでいるかのように嫌悪感を露わにしている。しばらくこちらを精査し占星術師を見て合図を送った。
占星術師は持っていた杖から水晶を外すとゆっくりと国王陛下の前に差し出した。
『死の魔女』とは一体何者なんだろう。おばあちゃんからもそんな魔女の話を聞いたことがない。
でも、そういえばあのとき・・・。女の子を助けたときに村人が『死の魔女』の蘇りだって叫んでいたような。
「この村には嘗て『死の魔女』と畏れられた黒魔術師が存在した」