【第一章】『第五話』枯れた月桂樹の冠
暗闇の中でも分かる。黒く冷たい銃口がこちらに向けられている。大勢の近衛兵の姿に足がすくんでいた。兵士が持つ松明の灯りがこの小さな家を取り囲むように浮かんでいる。揺れる炎の中でもはっきり見えるのは龍が絡み合うウロボロスが刻まれた王家の紋章。昼間にローリオ王子が身に付けていた紋様と同じものだった。
お母さんが家に引き返そう合図をしているけど足が竦んで動けなくなっていた。私は前に立つお母さんにしがみ付いた。
「動くな」
虚空に向けられた銃口は暗闇を切り裂くように放たれた。空気を伝わって感じた破裂音。銃声の音に活動を始めていたふくろうやオオカミの鳴き声は止んだ。
「貴様だな。龍の左目を持つ女というのは」
軍集の中から一人の男が馬から下りてこちらへ近づいてきた。その男に敬礼をする近衛兵たち。周りとはまとっている空気感が明らかに違っている。闇に溶けそうなほどに黒い軍服にその上から深紅のマントを羽織りかすかに見えた胸につけた勲章の数。腰からは剣が数本見えている。
黒魔術は禁術とされている。私を殺しにきたと理解したときに身体が震え出した。お母さんを掴んでいた手に力が入らなくなっていく。まだそれほど寒くはない時期のはずなのに今は凍り付く真冬のように寒く感じた。先ほどまで私の中で激しく燃えいた正義感はあっけなく消し去ってしまった。
一歩、お母さんが足を後ろに引くと前方で聞き慣れない鉄がこすり合う音が聞こえた。月明りに照らされたリボルバーの銃口がこちらに向けられている。
「家に戻りなさい」
「でも・・・」
「いいからっ」
「おいおい、この状況で逃げれるとでも思ってるのか?」
「ジェラルダ王子、ここは我々が」
「うだうだ時間をかけるのは嫌いだ。俺は短期だって知ってんだろう」
王子と呼ばれたことに耳を疑った。昼間見たローリオ王子とはまるで違っていたからだ。まるで怯える私たちを見て楽しんでいるよう。口角をあげると赤い舌で唇をなぞりあげた。
それは森の奥で獰猛な獣と遭遇したときのような恐怖に似ている。本能が逃げろと言っている。
「さっ、来てもらおうか。クレア・レミーユ、龍の左目」
「お待ちくださいっ!ジェラルダ様。なにかの間違いでは、この子はそんな」
「渡さないというのならどんな手段を使ってでも連れて行く」
「キャッ!!」
「おやめください!!本当にこの子はなにも、なにも!!」
「村で目撃者が出てるんだよ。この女が黒魔術を使ったってなっ」
お母さんの後ろで震えている私の腕を乱暴に掴み引きずり出された。どんなに足に力を入れても土が削れるだけで前へ前へ身体が引っ張られていく。
恐い、恐いっ!その思いが全身に広がっていく。お母さんが離れて行く私を掴もうと必死に手を伸ばしている。だから私もその手を取ろうとした。助けてほしくて。護ってもらいたくて。
「お母さん!」
「クレアッ!!」
バンッ
「・・・えっ」
背後から放たれた耳をつんざく音は静寂な夜の森を破り去る。私は鉄の塊よりも目の前を取り囲む大勢の近衛兵たちの方が恐ろしいと思っていた。実際のリボルバーの威力なんて見たことがなかったから。でもそれは私が無知であることの証明にすぎない。
一瞬だ。たった一瞬のできごと。指先に軽く力を入れるだけ。お母さんの手が地上に落ちていき胸に赤褐色のシミが広がる。どちらが先だったのかわからない。ドスンと重く鈍い音を立てて物みたいに倒れた。
「ほ~ら。時間を取らせるからだ。まだ渋るっているなら、家の中の奴全員こうなるぞ」
「クッ・・・レア・・・」
「母…さん?」
地面に転がった肉体から黒い液体が土に吸い込まれることなく溜まっていく。かすれていく声が耳の奥で響いた。ようやく撃たれたと気づいた。傷口は大きくないのに脈打つ度に血が噴き出している。このままでは・・・。お母さんに近づこうとするとそれ以上の力が後ろから働いた。
「痛いっ」
「おっと、お前はこっちだ」
「離してっお母さんが、お母さんが!!」
「お前が言うことを聞かないのが悪い。王家の命令に逆らうな。言っただろう、逆らえば家の連中だって皆殺」
「離してっ!!」
「うわっ!」
「なっなんだこれは!!」
「ジェラルダ様!!」
力いっぱい振り払私と男の間を雷が生じた。同時に左目の眼帯が敗れ去った。そこから黄金の光が放たれている。身体にまとわりついている黒い靄は夜の闇よりも黒い。そして大蛇の影をつくっていた。近衛兵たちが竦んだすきにすぐにお母さんに駆け寄った。
身体を抱え上げると生暖かな液体が私の服にも染みついてくる。いけない・・・このままじゃ。私のせいで。
「ク・・・レア・・・」
「汝、左目に宿いし龍よ。私に力を分けたまえ」
「クレ、ァ・・・や、やめなさい。その力は、それは・・・」
体内から気道を通って這い上がってくる。口の中が黒い靄でいっぱいになる。銃弾が撃ち込まれた胸に唇を当てると金色の光に包まれた。その周りを黒い大蛇がグルグルととぐろを巻いている。金色の粒子は損傷した細胞を繋ぎ合わせ破れた皮膚を再生していった。微かに口の中に鉄の味がする。
「こっこれは」
「ヒュ~すげぇなこれは当に本物じゃねーか。これが俺たち王家が百年も探し求めていた人柱。やっと、やっと見つけたぜ」
生気が戻ってきたお母さんの頬には涙が溢れていて私をまた抱きしめてくれた。さっきよりも強く。
誰かを救いたいって思いながら私は護られていた。今更そんなことに気付いくなんて遅すぎ。
「お母さん。ごめんなさい・・・今まで護ってくれてありがとう」
「クレア・・・」
瞬きを繰り返すと先ほどまでまがまがしく光を放っていた左目はいつものように落ち着きを取り戻した。足元に落ちていた眼帯を拾い立ち上がった。眼前には近衛兵と王子と呼ばれている男。逃げられはしないと覚悟を決めた。
「黒魔術を使えるのは私だけ。だから家族にはこれ以上手を出さないで」
「貴様っなんだその口の利き方は。この方は」
「フッ大人しくついてくるならいいだろう」
男は私の顎を掴み上げると狡猾な笑みを浮かべた。
「これからその目に地獄を見せてやるよ」
手にあるものをどうして幸せと思えなかったのか。
抽象的な理想に憧れた私はなんと愚かで惨めなんだろう。
中途半端な正義感や夢が誰かを傷つけるだけなら最初から持たなければよかったんだ。