【第三章】『第三十二話』初心な身体に漂う恍惚感
『キャァー!!』
『なんということを!ジェラルダ様お止め下さいませ!また自らの脚に傷るなんて』
汚れのない少年の肌に赤い血が飛び散っている。頬についた自らの赤い血が流れていく。真白なシャツにじわじわと広がっていく。血相を欠いたメイドが青ざめながら叫ぶと近くにいた執事が止めにかかった。
けれど少年はその制止を振り切り、鋭く尖った短剣を自らの脚を切り刻んでいく。王家の家紋が装飾された短剣には柄の部分に赤鉄鉱の宝石が埋め込めれている。それは代々第二王子が継承されてきたうちのひとつだった。常軌を逸した少年の行動を周りから異常に捉えていた。
『おっお願いでございますジェラルダ様っもうこれ以上は!』
『いけませんぞジェラルダ様っ。さぁその短剣をこちらへ』
少年は何度も、何度も右手を高く振り上げると脚に這うウロボロスの痣目掛けて短剣を突き立てた。
『やめろ!やめるんだジェラルダ!!』
『ローリオ兄さん』
『こんなことをしたってコイツは消えやしない。お前に傷が増えるだけだ』
『こうやって血が流れていくようにウロボロスも流れていくんだ。ほら、さっきよりもここが薄くなってるだろ』
『やめるんだ・・・。お前が傷つくところを私は見たくはない』
身体からどくどくと出てくる血液が床に落ちて血溜まりとなっている。鈍く光る赤鉄鉱に赤い血が流れ込む。かつて錯乱した第二王子がこの短剣で喉元をかき切った時同様、まるで血を好んでいるかのように美しくも不気味な輝きを放っている。
青年の言葉に少年はあきらめとも取れるような表情を見せた。そして握っていた短剣を静かに置いた。
□□□
「んっ、ここは・・・」
いつもより朝日が眩しかった。夢から覚めかけた朧気な思考を引きずりながら身体を起こした。見覚えのない部屋で昨晩の記憶を辿った。徐々に戻ってくる現実。そのとき脳内に冷や水をかけられたように鮮明になった。
そうだ、昨夜はジェラルダ様の部屋で・・・。けれどジェラルダ様の姿はどこにもなかい。
「寒い。あっそうだ・・・」
下着以外なにもまとっていないことに気がついた。慌ててシーツで身体を覆うと微かに感じる温もりと残り香に昨夜のことを思い出さずにはいられなかった。
あんなに警戒していたのに大きな身体に抱きしめられ、聞こえてくるジェラルダ様の寝息にいつの間にか安心して眠ってしまっていた。
どうしよう・・・。服も眼帯もないと部屋の外にも出れない。
シーツをまとい立ち上がると、サイドテーブルの上に服と眼帯が置かれていた。その上にはメモらしきものも置かれている。
「"今夜も来い"・・・って、どういうことかしら」
それに昨日帰還されたばかりだというのにどこかへでかけたのだろう。
とりあえず用意されていた服を着ようと鏡の前に立つと、胸元に残る赤い痕が視界に入った。昨日は赤く鬱血していたのに今は紫を帯びた痕となっている。指でなぞりこすってみるけれど消えそうにない。でも服を着れば隠れる位置。
どくん、と胸が大きく高鳴った。その高鳴りに気付きたくなくてとっさに服に袖を通しそれを隠した。
「はぁ・・・」
何度目かのため息を零れた。メイドも執事もいない。なんだか寂しい部屋だった。壁を装飾する武器の数々は全てジェラルダ様のものだろうか。
あれ、あの短剣は・・・。部屋の正面の壁に短剣が額にいれ丁重に飾られていた。その柄の部分には赤鉄鉱が埋め込まれている。この手の宝石はこの辺りでは珍しく滅多に採れることはない。昔から魔女の界隈でも人気で非常に高価なものだとおばあちゃんがときおり話していた。
胸の奥に小さな違和感のようなものを抱いた。違和感、というには大袈裟かもしれない。自分でもなにに対してかはっきりとしなかった。輪郭をとらえることができないあいまいなもの。勘違いかもしれない。私は答えがでないままジェラルダ様の部屋を後にした。
「あれ、クレア?」
部屋を出たところで声をかけられた。その声に身体が大きく跳ねあがった。そこには不思議そうにこちらを見るローリオ王子の姿。とっさに口にしかけた言葉が、驚いた拍子に引っ込んでしまった。頭の中にわき上がる疑惑の数々が更に混乱へと導いていく。
朝方に部屋を出たことが迂闊だった。まさかよりにもよってローリオ王子に見られてしまうなんて。
「あのっえと・・・、えっとその……わっ私なにもなにもしてません!!ただジェラルダ王子、じゃなかった。ジェラルダ様に呼び出されただけでっ。ウロボロスの呪いが、あの…」
ああっもう何言っているの私は。こんなんじゃ余計に怪しまれてしまう。誤解されてしまう。昨日は本当になにも、なにもなかった。たしかに一緒には寝ていたけれど、でもそれ以上のことはなにもない。なのにこんな時間にジェラルダ様の部屋から出てくるなんて絶対にふしだら女と思われるに決まってる。
「ふふふ。大丈夫だよクレア」
「えっ?」
「私がここへ来たのは、さっきジェラルダが出ていく時に昨夜遅くまで黒魔術の話をしていたら途中で寝てしまったクレアを起こしに行って欲しいと言われたからなんだよ」
「ジェジェラルダ様が・・・?」
「あぁ。そうだよ。昨日は遅くまで悪かったね。後、馬の面倒もクレアによろしくと伝えて欲しいと。私にはよくわからないけど、なんのことかわかるかい?」
「・・・はい」
混乱しかかった頭に急に停止がかかった。集められた言葉たちは外へ出ることなく頭の中を浮遊している。
ジェラルダ様がローリオ王子にそんなことを?なんのために?あの迷い馬も殺処分されずにすむということでいいんだろうか・・・。わからない。ジェラルダ様がなにを考えているのか本当にわからない。
「朝食まだだろう?久しぶりに一緒にどうかな」
「・・・はい。ぜひご一緒させていただきたいです」
「よかった。決まりだね」
いつものように優しく笑みを浮かべるローリオ王子。兄弟でありながらジェラルダ様とは正反対のようだった。
金色の髪が太陽に透けてより輝きを増している。微笑みかけられただけで全身が心臓のように跳ね上がった気分だった。そういえばさっき・・・。私はどうして、どうして一番ローリオ王子に見られたくなかったって思ったんだろう。
『本当はローリオに抱かれたかったんだろう』
人は好きという感情の始まりをいったいどこから知るのだろう。それが恋に変わるときいつ気づくのだろう。今日この日だ、という運命的なものを感じたときだろうか。
「ん?どうかした?」
「いっいえなんでもありません」
あぁ、そうか。どれも違う・・・。気づいた時にはもう遅いんだ。こんな渦中に身を置きながら私は確実に惹かれていく。ここへ来たことが運命によるものだとするなら私がこうなることもまた必然と呼ぶべきだろうか・・・。
それともまだ、まだ気づかないままでいた方がいいのかもしれない。




