【第一章】『第三話』救済者は村のエゴイストとなる
「ギャァアアアー!!!」
なにかが破壊される物音と振動。同時に耳をつんざくような女性の叫び声が静寂をきりさいた。
辺りには先ほどの名残からかまだ多くの人がいた。常軌を逸した叫びは穏やかな日常を簡単に破り去っていく。路地の向こう側から助けを呼ぶ声と血相を欠いた男性の声が交差し始めた。
「おい!!馬車が横転しているぞ!!誰か手を貸してくれ!!」
近くにいた数人が男性の案内で駆け出した。気づけば私もその人たちの後を追っていた。
レンガを積み重ねた家屋が建ち並ぶ路地は人一人が通れるほどの狭い道だ。頭上には左右の家同士が綱を渡らせ洗濯物を干している。
路地を抜けると大きな馬車が横転しているのが目に飛び込んできた。丈夫な車輪がまるで飴細工のようにねじ曲がり路肩に転がっている。破損した馬車の一部らしきものが足にぶつかった。
「力を合わせろ!!せーのっ!ほら!もう一度だ!!」
横転した馬車を男性たちが取り囲み力を合わせ押し上げようとしていた。どうやら人がいるらしい。近くには興奮している馬が手綱を引かれながら大きく上下に頭を振っている。
「おい!怪我人を早く出せ!!!」
「誰か医者だ!医者を呼んで来てくれ」
「医者は今いないよっみんな西に行っちまってる!」
「ムゥの爺さんがいるだろうっ呼んで来い!!あと魔女も頼む!」
横転した馬車を持ち上げると隙間から人の姿が見えた。助けを求め手を伸ばす女性の姿だった。額から血を流している。馬車を持ち上げている間に両手を掴み引きずり出された。貴族だろうか。綺麗だったはずのドレスは破れて土で汚れてしまっている。騒然とする現場で誰もが助けたいという気持ちになっていた。馬車を下ろそうとしたとき、女性は傷ついた身体にムチを打つように起き上がった。
「エミリー!!まだ子供がいるんです!助けてください」
「なっなんだと!?わかった!わかったから落ち着け」
「お願いしますっお願いっ!」
女性は近くにいた男性の足にしがみつき懇願している。私も両手を合わせ祈るように女の子の無事を願った。もう一度、掛け声を合わせ先ほどより高く馬車を持ち上げると少女の姿が見えた。脆くなった馬車からメキメキと亀裂の入る怪しい音が聞こえてくる。お願いどうかたすかりますように。
母親が泣き叫ぶように名前を呼ぶが子供の返事はない。
「クソッ!男手が足りねぇ・・・もっと持ち上げねぇと子供のところまでいけねぇぞ」
「オレが行きます!」
野次馬の中から細身の青年が走って来た。男たちはもう一度馬車を持ち上げた。いつ崩れるかも知れない破損した馬車の隙間に青年は入っていく。
「エミリー!!エミリー!!」
「お願いたすかって」
手を組みギュッと目を閉じた。すると次の瞬間歓声が沸き上がった。薄っすら目を開けると青年が下敷きになった女の子を救出してる。
「良かった。助かっ―――」
けれど青年に拍手と賛辞が送られたのはわずかな時間だった。助けられた少女の姿に唖然とした。女の子の腹に馬車の一部である木材が貫通していたのである。か細く息をする度に血が滲み出ている。それは目を背けそうになるほど痛々しい姿だった。
何度も何度も名前を呼ぶ母親の悲痛な叫びに誰も声を掛けることができなかった。『ごめんなさい』助けた青年の口から誰に向けたかわからない詫びが零れた。
遅れて医者がやってくると、その後ろには魔女も薬草を抱えやってきた。
「どいてくれっ、通してくれ」
「怪我人はどこ!?」
「・・・っこっちです!ここです」
母親の顔に希望の光が差し込んでいた。少しよれた白衣を羽織った医者は母子の姿にためらいを見せた。苦しく呼吸をする度に出てくる血液の量が減っているように見えた。女の子のそばに座った医者はずれた眼鏡をかけ直した。
私はもう一度両手を合わせて強く祈った。周りの村人たちも同じようにしている。こんなとき人は祈る。どうか助かりますようにと。それが決して届かなくても祈らずにはいられない。奇跡を望んでいる。
「先生っ!エミリーを・・・どうかエミリーを助けてださいっ!!お願いします」
「残念だが彼女は・・・」
「お金なら用意できますっだからエミリーを助けてっ」
医者は首を横に振った。母親の瞳に差し込んだ希望の光が灰となりあっという間に消えいく。周りにいた人も無残に摘み取られた希望に項垂れた。母親の泣き叫ぶ声にどこからか一人二人とすすり泣く声が聞こえてくる。
あんな幼い女の子が可哀想に・・・心の中でそうつぶやくと眼帯の奥にある左目が疼いた。
「・・・」
例えばこの惨劇を打破する方法があったとしたら。それが禁忌だと惧れられているものだとしても人は希望にすがりつきたくなる。それは弱さから?それとも欲望やエゴ?
私はこれからもお母さんやおばあちゃんの言いつけを守りながら生きていく。外観から閉ざされた森の中にある小さな家で、自分だけの幸せと安心を作りあげてそれを平和と呼びながら生きていくの。
それで本当にいいの?私はあの子を助けたい。あの子にあったはずの未来を繋いであげたい。
教会の錆びた鐘の音が村にこだましている。白い鳩が夕暮れの空に一斉に羽ばたいていった。
「すみません。少し通してください」
前にいた野次馬をかきわけ気が付けば私は女の子の元へ走っていた。髪を振り乱しながら懸命に叫ぶ母親。その腕の中で女の子は消え入りそうな声で痛い、痛いと唇が震えている。溢れている血は地面に溜まっていた。
母親が抱える女の子に顔を近づけると生気を失った虚ろな目がこちらをぼんやりと見た。頬についた血や土を少しだけ拭っていると女の子の血が私にもついていく。
フードをとり眼帯を外した。
「おっおい!あれ見ろ」
「あの瞳は・・・」
「まさか、まさか!!」
野次馬にどよめきが沸きひそひそと声が聞こえてくる。
ごめんなさい。お母さん、おばあちゃん。それでも私は、私は・・・。
「汝、左目に宿いし龍よ。私に力を分けたまえ・・・」