【第二章】『第二十六話』百年前の音色が蘇るとき
その日は朝からなにやら廊下の様子が騒がしかった。部屋の前の廊下を行ったり来たりするメイドの足音にいつもより早く目が覚めた。まだ太陽は昇り始めたばかりで薄っすらと明かりが差し込む程度だった。
ここ数日で朝晩と冷え込むようになった。素足のまま鏡の前に立ち左目に巻いてある包帯をとった。目頭と目尻に切れた痕は綺麗にふさがっていた。やっぱり傷の治りが早い。これも使い魔の影響だろうか。
コンコンッ
「クレア様!クレア様!」
「はっはい」
ヴェルサさんの慌てた声に私は鏡台に置いてあった眼帯を手に取り素早く結んだ。部屋の中で返事をすると同時にドアが開いた。するとヴェルサさんの隣にメルサさんの姿もあった。どうしてここに?メイサさんとは鎮魂祭以来会っていなかった。メルサさんは私のことをあまり良く思っていないらしいからここに来る理由なんて。それに今はリグル王子が大変なときなのにどうしてわざわざ。
「どうしたんですか。こんな朝早くに」
「そっそれが、その」
「急いで着替えてください」
「・・・着替え?」
メイサさんは一歩前に出た。そしてパンパンッと手を叩いた。その音を合図に数人のメイドが部屋に入って来て私を取り囲んだ。
「えっちょっとなんですか!?ヴェッヴェルサさん!!」
「音楽祭への出席の準備です」
「おんがくさい・・・?」
「リグル様がぜひ貴方様にご出席をと申されましたので」
「リグル王子が?リグル王子が音楽祭に参加されるんですか?」
メイサさんや他のメイドたちは急いだ様子で私のネグリジェを脱がし始めた。初めてブリオッシュ国王陛下に謁見した際に着用したコルセットを身体に当てられた。せーの、と掛け声を合わせ左右から紐を思いきり引っ張っている。
「うぐっ・・・苦しい」
相変わらず肋骨が折れてしまいそうなほど苦しい。息を吸い込むのも大変だった。
「見苦しい声をお出しにならないで下さい。ミーナ、ドレスの準備を」
「はい。こちらです」
そのドレスに私は驚いた。太陽に光に当てられてスパンコールが虹色に煌めいている。控えめに段差のついたドレスにレースがほどこされ、裾とウエスト部分には小花があしらわれている。ゴールドのドレスの色はまるで左目を彷彿させる色味だった。
「こんな素敵なドレス私には似合わないわ」
メイサさんとメイドたちは私の言葉を気にすることなくドレスの準備を進めて行く。どうやら私に決定権はなさそうだった。それにさっきメルサさんが言っていた音楽祭ってどういうことだろう。
「あの音楽祭は本当に執り行われるのでしょうか」
「行けばわかります」
「リグル王子は・・・」
時間を気にしながら慌ただしくするメルサさんにそれ以上は聞けなかった。ローリオ王子は例えリグル王子の演奏がなくとも開催したい意向がありそうだった。でもどうして私が出席することになったんだろう・・・。またウロボロスの呪いが暴走したときのためだろうか。今度こそちゃんと止めなきゃ。
宝石が散りばめられた首飾りに耳飾り、全てドレスに合わせて一式用意されたものだった。髪をまとめてもらい、薄い化粧をほどこされた。そして最後にベージュの薄いレースが折り重なって花の形を作った眼帯を渡された。
「これは・・・」
「黒い眼帯ではドレスに似合いません。本日はこちらを着用してください」
ヘアセットを崩さないようにメルサさんが付けてくれた。そしてメイドたちが私の前に鏡を運んできてくれた。
「うわぁ」
「まぁお美しい」
「お綺麗ですよ。クレア様」
その声に私は恐る恐る鏡を覗いた。鏡を見るのは好きじゃない。いつも家の奥にある鏡台をこっそり覗いてはこの醜い瞳が治る日を思い描いていた。でも目を開いても鏡の中にいる自分は自分でしかなかった。
「あっ・・・これが私?」
本当に鏡の中にいた自分に驚いた。そこには今までとはまるで別人の自分が立っていた。今まで人目を気にして黒の服しか着たことがなかった。もちろんそれが魔女の装束であるから。でもフードを深くかぶり眼帯をつけ村を歩いていたのは自分の存在を消すため。それが今、明るい服に身を包み左目には花が咲いている。
「信じれれない・・・」
「まぁこれならリグル様の隣にいてもいいでしょう」
「ありがとうございます」
メルサさんを見ると私に頭を下げている。
「メルサさん?」
「先日の件、誠に申し訳ありませんでした」
「よっよしてください。そんな・・・」
「あの日、クレアさんがいてくださればあのような事態にはならなかったかもしれません。私はリグル様が呪いから解放される日を願っていたというのに。それに反するようなことをしてしまった。釈明する余地もありません・・・。でもこれだけは言わせてください。私は、いいえ私だけではありません。この城に仕える者もまた王家の方々が呪いが解かれることを祈っているのです。ですから、リグル様のこともどうかよろしくお願いいたします」
「時間です!式典が始まります」
「わかっています。ではクレアさん急ぎますよ」
開かれたドアの先に私は飛び込んだ。
□□□
城内でも一番広いホールで音楽祭は執り行われるらしい。向かっている途中、胸の鼓動が次第に早まっているのに気がついた。落ち着かない。メイサさんはリグル王子から出席するよう話があったと言っていたけど・・・。廊下はいつも以上に慌ただしくしている役人の姿が多くあった。
ふとあるところで足がとまっていた。それはこの城に来るときに一度だけ見たものだった。王室へ続く廊下には王家の自画像が飾られている。威厳ある風貌の王、幼い容姿を持ったままの王子みな呪いによって亡くなった。
「この角を曲がったところです」
「はい」
ホールに続く廊下を足早に曲がると正面にようやくホールの入り口が見えてきた。そこにローリオ王子の姿を見つけた。
「クレア?驚いたな。とても綺麗だよ。さっ早く中へ」
状況を理解できないまま会場へ入っていく。ホールに入ると煌びやかな空間に思わず気が引けてしまった。見たこともない大きなシャンデリアが天井に飾られ、みな一目でわかるほど高貴な装いをしている。中には既に大勢の人が集まっている。
戸惑っているとローリオ王子に軽く背中を押された。そうだ、今更帰るわけにはいかない。
そのまま最前列までエスコートされると、そこにはジェラルダ様の姿もあった。私の格好がよほど見慣れないものだったのか、眠たそうにあくびをしかけていた目を大きくさせた。
「あのローリオ王子」
「さっ始まるよ」
するとゆっくりと暗転していく。それを合図に雑談がピタリと止まった。辺りは静まり返った。
スポットライトが灯ると壇上にリグル王子の姿が現れた。その足は中央にあるピアノに向かっている。
心臓が飛び上がりそうになるほどの緊張を覚えた。そのまま椅子に腰かけると息を吐いた。
リグル王子の指先がそっと鍵盤をなぞると静寂に包まれた会場に音が響いていく。まるで小波のように心地が良い音だった。その音が鳴り終わらないうちにまた新しい音が繋がれた。リグル王子の演奏に会場全体が息を呑みすぐに引き込まれていく。
魔曲に変わらないよう祈る思いで演奏に耳を傾けていたのにいつしか聞き入ってしまっていた。美しい演奏に観客の一人一人が酔いしれていく。柔らかくて優しい演奏。一曲目が終わるとわれんばかりの拍手が沸き上がった。その時ローリオ王子が耳打ちをした。
「君のおかげだね。クレア」
「そんな私はなにもしていません」
「そんなことあるよ。今朝になって突然弾いてもいいと言い出したんだ。その代わり会場に君を必ず連れて来いってね」
「それは魔曲に備えてのことでしょう。壇上に立つと決められたのはリグル王子ご自身です。でも・・・もし、もし少しでもリグル王子のお力になれたのならとても嬉しいです」
次の音楽が始まると全身に鳥肌が立った。身体が震え上がるような感覚に反射的に壇上を見た。息をするのを忘れそうだった。リグル王子の紡ぐ音が私の身体の中に入ってくる度に内側から溢れ出す感情があった。これはなに?
「これは初めて演奏する曲目だな」
私は今まで森の奥で暮らしてきた。だから楽器に触れたこともないし音楽とはまるで無縁の環境だった。
練習のときに数曲ほど覚えたくらいだけど、今演奏している曲を聞くのは初めてのはずだった。なのに、この胸から沸き上がってくる感情はなんだろう。胸にしみわたる音色が心を温かく満たしていく一方で同じくらい酷く哀しみが広がっていく・・・。
「今朝になって珍しく演目の変更をしたいと言っていたがなんという曲名だったかな・・・」
「ユンフェルスの第三楽章・・・」
「あぁそうだ。よく知っていたね。・・・クレア?どうしたの?」
「えっ?」
「化粧がとれてしまうよ」
ローリオ王子に言われて気がついた。自分の頬に涙が伝っていることに。まるで誰かの感情が乗り移ったように涙が止まらなかった。
私はこの曲を知らない。けれど私の中のなにかがこの曲を大切に思っていて、私はこの曲を聞くためにここへ連れてこられたのだと確信に近い思いがわいてきた。
□□□
演奏が終盤にさしかかると舞台袖で待つようにとローリオ王子に案内された。邪魔にならないようにそっと見守った。スポットライトの下で最後の一音が響き終わった。鳴り止まない拍手が一斉に送られた。しばらく続き中々鎮まらない。本当に良かった。ローリオ王子は用があると言って私は一人で舞台袖でリグル王子を待っていた。
深々とお辞儀をするとリグル王子と目が合った。
「クレア!」
「リグル王子!とっても素敵な演奏でした」
「ありがとう」
走ってきた勢いのまま抱きしめられた。リグル王子は私より年下ではあるけれど背は十分に高い。微かに震えているように感じた。強く抱きしめられ私はリグル王子を宥めるように背中に手を回した。ついこないだまで警戒心剥き出しの猫のようだったのが遠い昔のように感じた。
「本当にありがとう。クレアのおかげた・・・」
「リグル王子が呪いに臆さず勇気を出したからです。本当に良かった」
「ありがとう。僕はずっとこの曲を弾きたかったんだ。とても素敵なメロディで幸せを願う曲だから。でも弾けなかった・・・。百年前に呪いをかけられた王が好んで弾いていたと聞いたことがあったから。だから恐かった。それでもこの曲をクレアに聞いて欲しかったんだ。僕が大好きな曲だから」
「私も今日この曲が聞けて幸せでした。この曲を弾いて下さってありがとうございます」
リグル王子が離れると、私のドレス姿をみて薄っすらと微笑んでいた。こんな顔もされるのだと不意を突かれたみたいにトクンと胸を締め付けた。
「ドレス似合ってる。やっぱり僕が思った通りだ」
「これはリグル王子が選んで下さったんですか?」
「そうだ。いつも暗い色ばかり着ているからたまにいいだろう。きっと似合うと思ってクレアの瞳の色に合わせてこれを用意させたんだ」
私の顔を除くと眼帯のレースを指先で触れた。カーテンの向こうではまだ鳴り止まない拍手が続いている。
「この色は醜くなんかない。美しい色だよ」
『ごめんなさいベルナンデス。貴方を好きになればきっと私は幸せになれるのに・・・それができなくて。私にこの曲を受け取る資格はないわ。いつかベルナンデスが心から愛する誰かに弾いてあげて。本当にごめんなさい』




