【第二章】『第十四話』濡れた指先は苦味を持つ
「リグル王子?・・・どうかなさったんですか?」
「ッ……。なっなんでもないっ!僕にかまうなと言っただろう」
「ですがそんなに苦しそうに。誰か呼んできましょうか?」
「なんでもないっ!!すぐに治まるっ・・・グァッ!」
白い楽譜が二、三枚ひらりと床を滑るように足元まで落ちてきた。
リグル王子は椅子に座ったまま手を庇うように背中を丸め込ませている。傍までかけよってみるとその額にはと汗が噴き出していた。先ほどまであんなに優雅に演奏されていたのに。どうしたのかもう一度訪ねてたけれど答えてくれない。
痛みが増してきているようだった。苦痛に顔を歪め呻く声が漏れ出し頬に汗が流れだした。そのとき微かに抱えている指先に痣のようなものが見えた。
まさか、これはブリオッシュ国王陛下の身体にあったウロボロスの呪い!?
「リグル王子、もしかして痛むんじゃないですか?これはブリオッシュ国王陛下の身体にいたウロボロスと同じです」
「痛くなんかない!!いいからっあっちに行け!痛っ・・」
「誰か呼んできます。早く処置してもらわないと」
「待っ、待て・・・頼むから人は呼ぶな。……こんな手、誰にも見られたくない。お前も出て行け!」
「リグル王子・・・」
廊下でメイドたちの声が聞こえた。突然止まった演奏に不信を持ったのかもしれない。私は急いでドアを閉めて大きな窓のカーテンを閉めた。なにをしている、と苦しみながら言うリグル王子の言葉に先ほどまでの覇気はなかった。
コンコンッ
「リグル様どうかなさいましたか?」
「っ!?」
「いっ今休憩中です!リグル王子は仮眠をとりたいそうなのでお静かにお願いします」
「クレア様?・・・さようですか。もしなにかありましたらお申しつけください」
「はい」
メイドの足音が遠ざかるのに安堵したけれど、目の前のリグル王子は呪いに侵され続けていた。さっき見えたのは間違いなくウロボロスの呪い・・・。やっぱりリグル王子にも呪いが憑りついているんだわ。
「これで誰にも見えません。早く手の処置を・・・。呪いを解くことはできなくても痛みを抑えることはできます」
私が使う魔術は傷口や痛みを癒すことができる。呪いは傷口ではないけど、痛みを除去することはできるかもしれない。
太陽を遮断した部屋で髪の色と同じ黒色の瞳がようやく私を見た。その目尻には微かに涙が溜まっている。いつもこうして一人痛みを耐えているのだろうか。ブリオッシュ国王陛下ですら身を這うほどの痛みだったというのに。リグル王子はそれを一人で。
床に膝をつきリグル王子を見上げると隠していた手を渋々こちらに向けた。その細く長い指先にはやはりブリオッシュ国王陛下と同じ呪いのウロボロスが宿っていた。範囲は指先だけの様だが十本の指を波打つように徘徊している。
「気持ちが悪いだろう。コイツは突然現れてはいつもこうやって僕の指・・・クッ……悍ましくなんと醜い」
「醜くありません。先ほどあんなに綺麗な演奏ができたのはこの手があるからです。とても綺麗な手です」
「嘘をつけっ!こんな手のどこが綺麗だというんだっ!生まれたときからこいつは僕の手に存在している。食事をしているときも、演奏しているときも四六時中、僕を見張っているんだ。コイツはいつか僕を乗っ取るつもりなんだ。クソッ・・・どんなに美しい音色を奏でても僕の手はこんなにも醜い。見ろっ!こんなにも醜いんだ!綺麗なわけねいだろう!!」
「・・・本当です。私はもっと醜いものを見ていますから」
「はぁ?なにを言っている」
物心ついてから人前で眼帯をとることはなくなった。この目を誰かに見られることが嫌だった。自分の一部をこんなにも疎み醜くく感じるのは自分だけだと思っていた。
私は頭の後ろの結び目をとり眼帯を外した。
「おっお前・・・」
「汝、左目に宿いし龍よ。私に力を貸して」
「なっ……なにをするつもりだ。はっ離せ!」
左目を開けるとリグル王子の指先にいたウロボロスが私を見た。ブリオッシュ国宝陛下の時とは違い私の瞳から逃げるように指裏に隠れていった。ウロボロスが移動すると痛みが走るのかリグル王子は顔を更にしかめた。
口の中に黒い靄が洩れてくるとそっと指先に唇を重ねた。ホタルの光のように触れた箇所が光を放っていく。口の中に今までにない異様な苦みが広がった。焼け焦げたような苦味だった。
一本ずつ口に含み舌先を使いながらゆっくりと舐め上げていく。
「ンッ・・・」
ぴちゅっと粘度の高い音がすると口の中でリグル王子の指先がピクリと動いていた。軽く力を入れて吸い上げると口の中の苦味は増していった。
痛みが和らいでいるのか浮かび上がっていた痣が薄くなってきている。リグル王子も苦しみが和らいでいるのか大人しく奉仕を受けてくださっていた。
十本全て終えると、痣は辛うじて薄くなっただけで完璧には消えていない。やっぱりこれでは呪いは解けないんだわ・・・。
「もう痛くはないですか?」
「えっ?あぁ・・・」
「良かったです」
リグル王子は少し頬を染めながら驚いた様子で私を見ていた。そうだ、私眼帯を外して。
近くにあった眼帯を慌てて付け直そうとしたが、髪の毛と絡まりいつものように素早くできない。戸惑っているとリグル王子が小さな声で後ろを向くように指示した。理解できずにいると、更に催促されたので大人しく背中を向けた。するとリグル王子の指先が絡まった眼帯の紐と髪の毛に触れた。
「すみません・・・。こんなことを」
「・・・」
「あの」
「気持ちが悪いか?呪いの手で触られるのが」
「いいえっそんなことないです。そんなことを言うなら私の方こそ・・・」
「私の方こそなんだ」
「恐がらせてしまって申し訳ないです」
「恐くはない。痛みも治まったし、気持ちい良かっ――ゴホンッ。僕は他者と違うことを恐いとは思はない」
リグル王子の言葉に私はなにも返すことができなかった。この目を見て恐れない人なんて今までいなかった・・・。昨日だって。
「呪いは発作的に暴走するんだ。いつ起こるかはわからない。僕の場合は一カ月以上静かな時もあるし今は呪いは手にしか現れない。でもいつかお父様のようになる・・・。よし、結べたぞ」
「あっありがとうございます」
「お前、名前はなんと言った」
「クレアです」
「ふん。クレアか・・・練習を再開する。その辺の椅子にでも座っていろ」
「えっ練習を再開するんですか?」
「音楽祭まで時間がないからな。その前には鎮魂祭がある」
「ふふふ」
「なんだその笑いは」
「いえ、よっぽどピアノが好きなんだなと思って」
結んでもらった眼帯により左目はいつものように隠れた。散らばった楽譜を拾いながらリグル王子にそれを渡そうと振り返った。薄暗い部屋で更に影ができたせいで表情が見えない。唇だけが動いているのが見えた。
「僕にはこれしかないからな。・・・それに僕に課せられた宿命だ」
「リグル王子?」
隅においてある椅子に座ると、再び演奏が聞こえてきた。痛みが引いたようでよかった。
口の中にまだ残っているザラザラとした苦味は呪いからくるものなのだろうか・・・。どうしたら呪いは解けるのかしら。
やっぱりウロボロスの呪いには個人差があるようだったけど。ブリオッシュ国王陛下の話だと年齢問わずウロボロスの呪いは襲い掛かって来るって。
―――恐くはない。他者と違うことを恐いとは思はない。
リグル王子の言葉に頬が緩んだ気がした。どこか気持ちが軽くなっている。今は私ができることをしよう。その先にきっと未来があるはず。
綺麗なメロディが城に響くと誰もが手を止めてしまいそうになる。この音が止むことがないようにと切に願った。




