【第一章】『第十一話』運命の輪のカードは手の中に
ブリオッシュ国王陛下は語尾を荒らげた。口元には拭いきれなかった血が付着している。
近くにいた占星術師がブリオッシュ国王陛下小さく口を動かしている。けれど内容までは聞き取れない。まるで呪文を唱えているように見えた。
占星術師は静かに私の方へ振り向くと身体を引きずるように近づいて来る。小さな塊が動くのを周りは黙って見ているだけだった。まるで泥の塊のように嫌な気持ちが胸を這っている。
私の前で止まると濃紺のベールの中が見えた。薄い皮膚が垂れ下がり頬骨をくっきり残している。ぎょろりと眼球だけを動かしこちらを覗いていた。
「・・・」
思わず身を引こうとすると両脇から現れた大柄の近衛兵たちに左右の腕を取られた。
「いっいや!やめて。はっ離して!」
占星術師は首に掛かるロザリオを肥厚し黄色く変色しかけた指先で掴んだ。逃れよう掴まれた腕に力を入れるが動かない。ロザリオがゆっくりと私に近づくる。なぜか脅威に感じた。そのロザリオがまるで剣の矛先のようだった。
「いやっ!!」
「ああぁぁ!」
そのときバシッと電気が走ったように占星術師のし手を跳ね返した。左目の眼帯がひらひらと宙を舞い、粉々になったロザリオの上に落ちた。
「・・・今のはなに?」
「まだお怒りですか」
これは・・・あのときと同じ。ジェラルダ王子を跳ね返したときと。今のは私が出したの?倒れかかった占星術師を、私を拘束していた兵士が抱え上げた。
明るみになった私の左目をみて驚愕している。伝染していくように場内にざわつきが広がっていく。
そして周りを兵士が取り囲んだ。いつでも剣を抜ける体制で睨みつけている。
やめて・・・そんな目で私を見ないで。
「まだお怒りなのですね・・・国王陛下!やはりこの娘こそ『死の魔女』の蘇りなのです」
「なっなにを言ってるの。でたらめなこと言わないで!私は蘇りなんかじゃないっ『死の魔女』なんて知らないって言ってるでしょう!ブリオッシュ国王陛下違います!私は、私は・・・」
「その瞳・・・龍の左目はかつて『死の魔女』が悪魔と契約した際に受けた刻印」
私が『死の魔女』の蘇り?
「そんな・・・でも私は『死の魔女』なんて知らないわ・・・」
「知らぬのも当然。『死の魔女』がかけた転生術はかけた本人にしかわからんのじゃからな。お主は選ばれたのじゃ。『死の魔女』が転生する器に」
「転生する器・・・?違う。私は違う」
私は首を左右に大きく振った。この国を滅ぼそうとした『死の魔女』の蘇りだなんて考えたくもなかった。
「いいやお主じゃっ。先ほど国王陛下が仰られた通り、その龍の左目は悪魔と契約したときに『死の魔女』が受けた印。お主が悪魔と契約せずに黒魔術を使えるということが『死の魔女』が転生した身体ほかならぬのじゃ!!お前の中におるのじゃろう。使い魔が!悪魔が眠っておるはずじゃ」
「・・・そっそんな。知らない。私はなにも知らない」
「ほほう。まだそこまでの記憶は戻っておらぬか。だかそれは『死の魔女』として覚醒しておらぬだけのこと。覚醒する前に見つけることができて良かった。あのときの我らの占星術の予言は当たっていた」
―――百年後私は必ず蘇る。そのときこの世に残る王家一族は全て消え去るだろう
『死の魔女』の声が頭の中で木霊する。脳内で反響する笑い声に身体が強張り熱くなっていく。乾きだした喉を潤すために唾を呑み込むが効果がない。口の中を妙な苦みが広がっていく。
『死の魔女』の生まれ変わり?いいえ、そんなはずはない。あの村で生まれて白魔術を教わり育ってきた普通の魔女。お父さんもお母さんもそんなこと一言もいってなかった。そう・・・黒魔術を使うなと言われたこと以外は普通のどこにでもいる魔女だった。
異常なまでの喉の渇きに唾を何度も飲み込むけれど潤うことがない。
「私はやっぱり殺されるの?」
頭の中でまわる言葉をやっと繋げて口から出せた。声にするのがこんなに重いなんて。足に力が入らず跪くようにその場に膝をついた。クリスタルの床に自分の影が映り込んでいる。お母さんやおばあちゃんそしてアルミスの顔が浮かんだ。
私は言いつけを守らなかった。今が一番幸せだと教えてくれたおばあちゃんの言葉さえ私は受け入れられなかった。森の奥、暗い部屋で時間が過ぎるのを待つだけの一日。そんなもののどこが幸せなのか。私はもっと、もっと幸せになれるはずだと思っていた。そう・・・この生まれ持った力で誰かを助けたいと思った。昨日の少女も、森で消えていた小さな命も。でもそれこそがエゴで傲慢な考え。人ができる範疇を超えた行為だった。
お母さんもおばあちゃんもそれがわかっていた。私が黒魔術を使えばどうなるか。だから止めたんだ。私を守るために。なにも、なにもわかっていなかったのは私だ・・・。
「殺しはしない」
重く圧し掛かる言葉。見えない手枷をはめられているかのよう。だとしたら私はやっぱり咎人だろうか。殺しはしない、その言葉に希望が持てない。
『死の魔女』の生まれ変わりの可能性がある魔女を果たして王家は生かしておくだろうか。そんな危険で一族の仇でもある存在を野放しにしておくなんて考えられない・・・。
「呪いを解けるのは呪いを掛けたものだけだ。つまり我々王族に掛けられたウロボロスの呪いを解ける者は、現時点で『龍の左目を持つ魔女』クレア・レミーユだけだ」
「ウロボロスの呪い?」
ブリオッシュ国王陛下は脚に力を入れ立ち上がった。羽織っていたマントを荒々しく投げ捨てると着ていた衣類を力いっぱい左右に引き裂いていた。突然の行動に周りの重役たちが慌てて止めようとした。しかし国王陛下の一蹴する言葉に誰も異を唱えることができない。
私の問いもまるで石ころのように転がっていった。一枚さらに一枚と身を剥いでいく。その様子を脇で見ていた三人の王子たちだけが顔色ひとつ変えず黙って立っている。
「ひぃっ!」
最期の一枚の脱ぎ捨て上半身が露わになったとき私は思わず両手で口を押えた。それはあまりにも悍ましい光景だった。王の身体には大蛇がまるで生きているように動いている。タトゥーなどではない。
この身体は自分の物だと言わんばかりに身体をゆっくりと舐めるように這っている。重ねて着ていた衣類の下は肋骨が確認できるほど貧弱で土色と化していた。大蛇の頭が肋骨にやって来た時、黄金の目がギロリと私を睨んだ。悲鳴がもれる抑えるために覆っている手を更に強くした。指の隙間から息が音を立てて漏れ出している。
あれは私と同じ目だ。私の左目と同じ目がこちらを見ている。大蛇の目が余りにも私に似ていたことがなにより悍ましく気色が悪い。私の左目も誰かを見るときこんなにも人を不快にする感覚に陥らせるのだろうか。
「これは『死の魔女』が王家に刻んだ呪い。ウロボロスの呪いは王家に血に刻まれておる。忌まわしい死の呪いだ。肉体を我が物顔で這いまわる悪魔は臆する宿主を見て楽しんでいるのだ。負を栄養とした悪魔は成長しいずれ宿主の身体から飛び出す。それはすなわち宿主にとっての死を意味する。なにが引き金になるかは皆目見当がつかん。七十年以上生きた王もいればわずか五年の生涯を終えた王子もいると聞く。いつ死ぬか、いつまで生きられるかは全てこの忌々しい悪魔の気まぐれ。気が狂いそうになるほどの恐怖に我らは抗うこともできずこうして百年が過ぎていた・・・」
ブリオッシュ国王陛下が天を仰いだ。私も同じように見上げてみた。天井には天使たちが王を空へと導く絵が描かれている。周りには白いはとも一緒に青い空へと飛び立っている。誰もが死後の世界で安息の地を願う。その象徴ともいえる絵だった。
奥で座っていた王妃がブリオッシュ国王陛下のやつれた身体にブランケットを掛けた。
「ウロボロスの呪いは我が息子たちにも継がれている。百年後に王家が滅びると言うのならそれは今だ。だがそんなこと断じてあってはならん!それはこの国の破滅を意味すると同じだ。ワシの命はそう長くはない。夜な夜なこの悪魔が語りかけてくるのだ。もうじき地獄に引きずり込むと。クレア・レミーユに命ずる。息子たちの呪いを直ちに解け!それができなければ処刑だ」
息を切らし今にも倒れそうになっているブリオッシュ国王陛下とは真逆に隙間から見える大蛇は悠々と身体を這っていく。またこちらを見ていた。間違いなく私を見ている。
「ウロボロスの呪いを解けなかったときは百年前と同様の裁きを下すっ」
「父さっ―――ブリオッシュ国王陛下!呪いを解けずとも処刑はしないと言っていたはず。また百年前と同じ過ちを繰り返すつもりですか!?」
「黙れっローリオ!!この呪いを解かねば・・・解かねば我ら一族が死を迎えることになるのだぞっ……ウグゥ!!ゴホッゴホッッ!!」
「ブリオッシュ国王陛下!」
「父さん!!」
「国王陛下!!バンベルク医師を大至急呼んで来い!!」
「はい!!」
咳き込みだした口から赤黒い血が飛び出した。よくみると大蛇がブリオッシュ国王陛下の身体を締めあげている。
倒れたと同時に手に持っていた水晶は砕け散っていた。足元まで飛んできたカケラには怒りの炎が未だに燃え続けている。
呆然しているとグレイマンさんが私の肩を掴み退席させた。扉が閉まる中でブリオッシュ国王陛下の身体に蠢く大蛇が締め上げて呻き声が聞こえてくる。
悲痛な叫びに左目が疼いてくる。なにかが溢れている気がして左目を抑えたけれど、左目はいつものようにそこにあった。
昨日までの平穏な日々から遮断された。
私は意のままに差し出されたカードを取った。
運命のカードを引いてしまったのはほかならない私自身・・・。
たった一度、たった一度の選択で人生が大きく変わろうとしている。




